ホモサピエンスはあと何年くらい存続する(あるいはさせる)べきでしょうか。そもそもホモサピエンスに存続する(あるいはさせる)理由、もしくは値打ちといったものがあるのでしょうか。全人類の運命を賭け全身全霊で万人が納得のいく名回答をお寄せ下さい。

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A 回答 (17件中1~10件)

生命という単位で言えば永遠でしょう。


ホモサピエンスに限って言うのであればどこまでからどこまでがその定義に当てはまるのか、特に未来にわたっては、はなはだ不明瞭なので余り意味が無いと思いますが。

そもそも宇宙それ自体が生命であるという考え方を指示しますので、生命は永遠であるという説に魅了されますね。
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値打ちとは誰にとっての値打ちでしょうか。


人の値打ちを問うているのはどうやら地球上で人間だけのようです。
すると人間にとって人間の値打ちはあるのかという問いになりますが、
それは質問者さんにとって自分の値打ちはあるのかという問いと同じことになります。
質問者さんはこれに対してどのように回答するのでしょうか。
その答えが人類と質問者さんの命運を賭けたものになるはずです。
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こんにちは。


>全人類の運命を賭け
>万人が納得のいく
ような回答というのは「何がなんでも今を生きる」です。

>(種を)存続する理由、存続させる理由、値打ちといったもの
かつて恐竜という動物が地球に存在したそうですが、
恐竜が存在した理由は何なのか、他の何者かが存在させたのか、
どういう意味があったのか、はたして絶滅したのか、なぜ絶滅したのか・・
数千年~数百万年ほど経過したであろう現代でも
それについて"なにひとつ"真実といえる事がない、というのは
面白いと思われませんか。

>何年くらい存続するべきか
1年というのは地球が1回(太陽の周りを)公転する期間、
1日というのは地球が太陽に対して1回自転する期間、
と言われています。そういう視点からいくと、
今という1秒を生きているのも、今という千年を生きているのも、
自分にとっては同じ事です。
「美味しいラーメンが食べたい」
「両親や子供が安泰であってほしい」
これこそが千年以上も"生きてしまう理由"ではないかと思います。

回答になっていませんが興味深い質問だったので
書かせていただきました。
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生まれ出たものを祝福する.


そしてそれを全生物は受け入れ調和の元に生き生かそうとする.
自らが生まれでたときと同じように.

多様性が自らの種の生命を維持することを知っている.

人類は一個の生物として自然界に放り出された場合もっとも弱い生物なのではないか?
それ故に
他の生物種から最も嫌われたのが人類種なのではなく
最も愛されたのが人類種なのではないか?
もっとも愛されたものが
他の種によって生かされていることを忘れ
人類自らの暴走により絶滅危惧種が増え生態系が多様性を失っていく.

これを背くと言う.

彗星が衝突して生命が消滅することなどはどうしようもない運命として誰もが受け入れられよう.
しかし人類自らが意識し抑制することによって制御できるものがある.
人類が自然から乖離し
このまま生活の利便性ばかりを優先させた開発をしていけば
ある時点で自然の循環サイクルは不可逆のものとなっていくだろう.

人類は自らの手によって自らの首を絞めている.
ウロボスの輪に象徴される
ヘビが自らの尻尾を食べている図のように.

我儘は人類自身の身を滅ぼす.
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時が解決してくれるでしょう

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お断りしておきますが、人類の運命を賭けて説得する気はありません。


その義務も責任も放棄します。

確かに、人類が自分たちが原因で滅ぶ可能性がない訳ではないでしょう。
例えば、地球を破壊するような科学実験で一気に滅ぶこともあるでしょう。
けれども、食糧危機やエネルギー危機にしろ、温暖化や氷河期にしろ、
世界大戦にしたって、それだけで完全に滅ぶということはまずあり得ない
と思います。
滅ぶとしたら、やっぱり地球が壊れてしまうような物体との衝突とか、
太陽系の寿命とか、銀河系の構造の変化や衝突、宇宙の収縮や宇宙の
終焉ということになるのではないでしょうか。それらは今のところ防ぐ
手だてがありません。が、あるとすれば、それを乗り越える英知を人類が
獲得したときでしかないでしょう。

地球上では多くの生物の例にもれず、多くの猿人が、競争と自然淘汰により
滅びていきました。そうして勝ち残ったのがいまの人類です。この過程は
きっと他のどこかの惑星でも起こっていることでしょう。けれども、そんな
人類(など)の多くは、やはり滅びてしまうのだと思います。

私たちよりもたった数千年、いや、数百年や数十年違いで早く進化し、
そして滅びていった人類も、宇宙のどこかにあるかも知れません。
その一方で、存続と繁栄を手に入れた人類もいるかも知れません。
僕たちが自分たちの手で答えを出せないならば、その人達にたずねるのも
一案になるかも知れません。そんな救いの手があるのかどうかは
全くの推測ですが、少なくとも僕たち人類が本当に宇宙の住人として
ふさわしいと胸を張れるような、生き方や文明のあり方に対する答えを
もっと探さなくてはならないんじゃないか、と思っています。

僕自身は、人類は最初は宇宙に出て行くけれども、最初は随分と失敗する
ことになると推測しています。いまの宇宙ステーションなどは、もちろん、
まだ地球環境の一部としてあるだけで、まだ最初の移住とはみなして
いません。その鍵としては、物理学の進歩による高速移動手段の獲得です。
あるいは、人工生命や、他の生物などへの文明の譲渡などを選択枝とする
シナリオが描きやすいのではないでしょうか。

人類の行く先については各国の首脳陣だけでなく、さまざまな識者が
議論していることは間違いないと思います。ただ、この先に来る、
経済や資源・食料・民族問題の噴出が、古典的な大戦争の繰り返しに
なってしまうという愚考だけは避けたいですね。この世界を担っているのは
私たち1人1人の生き方だと思います。

ただ、国の舵取りをする人たちや、国家の間に立って仕事をする人たちが
あまりにビジョンや道徳的な美意識もなく仕事をしているといった現実は
嘆かわしいですね。

多くの国ではまだ、生きること、暮らすことがやっとです。日本も家計の
苦しい人が多いのかも知れませんが、将来を考えることのできる文化を
持った国だと思います。
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人間や生物そして宇宙の存在理由について私見を述べます。

私がこれまで読書や人生経験によって
直感的につかんだ思想です。つかんだというよりも自然に悟った哲学です。荒唐無稽で証明する
ことの不可能な説ですが、私はこの思想に支えられて日々生きています。
進化とは大いなる宇宙意志の自己認識の旅のことだと思っています。真実在が有形化して物質から
生命へと進み、獣性をしだいに脱皮して神性の高みへと向上していく。無から有へ、そして獣から
神へ、そのはてしない旅。
人類は進化のデッドエンドではないと思っています。人類はまだまだ進化します。精神的なもの
への感知能力がもっともっと向上します。真と偽・善と悪・美と醜・聖と俗・貴と卑、そういうも
のを、色を見分けるように、音を聞き分けるように、万人が個人差なく識別するようになります。
そうなれば法律も不要になります。政治や経済の世界で日々起こっていることは、まだサル山の
ボス争い・エサ争いの域をすこしも超えていません。
けれど個人としての人間は獣ではありません。かなりの神性の高みに進んでいます。個人が群れて
企業なり国家なりになったとき、エゴイズムとセクショナリズム丸出しの獣に成り下がってしまう
のです。
人気を博しているテレビドラマや映画で、人間の愛がテーマとなっていないものは、ひとつもあり
ません。打算と策略で政治的・経済的成功をおさめたなどという物語は、誰も感動しません。
自分本位のこころの罪に気づき、家族・友人・恋人・同朋のために自分の力を捧げる。そういう物
語にだけ、人は感動します。
生命(いのち)の本質は愛だと思います。男女間の恋愛感情のことではありません。あれは強烈な
独占欲です。相手を自分に縛り付けるエゴイズムです。本当の愛とは、いのちといのちの親和力、
魂と魂の親和力のことだと思います。それは自己犠牲精神ではなく相手への共感・同朋愛です。
相手のなかに自分自身や自分自身のあやまちを見るから、相手を愛することができるのです。
同胞愛によって協力しあった種のみが進化の道程を前に進んできました。
愛を感知するのは生命(いのち)だけです。生命エネルギーはただ愛によってのみ活性化されます。
生命エネルギーは物理学的因果律を超越しています。われわれ生物は物理化学法則の奴隷ではあり
ません。我々は真に自由なる存在です。未来は不確定です。だからこそ宇宙の存在意義があります。
唯物論者に愛が見えないのは当然です。自分の魂の冷却化・岩石化に気づかず、落伍しかかっている
人たちです。(けれど神の愛はこういう人を見捨てたりはしません。かならず契機は与えられます)
神の愛は時空を超えています。人は死んだら神の愛へと回帰していきます。神のこころに個我はあ
りません。そういう意味では死後の生はありません。魂の個別性は消失します。
人間がこの世に生まれてくる目的はただひとつ、愛ふかき人になるためです。おもいやり深き人に
なるためです。個人的成功をおさめるためではありません。知識をいくら詰め込んでもその人の
霊性は1ミリたりとも向上しません。かえって自尊心や他への軽蔑心を肥え太らせるだけです。自分
が家庭や職場で日々接する人々(旅のパートナー)と、いかに愛ある交流ができるか。いかにして
こういうオカルト的説教や個人批判によらずして、愛をわかちあえるようになるか。(もちろん自分
自身も含めて)それだけが真に大切なことです。私はこういう思想を抱いて日々生きています。
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「その答を出すために「ホモ・・」は生まれた。


つまり「生物」として「やり抜くまで」だと思いますよ。
「人生」「さる生」=可能性だと
私は思います。「我ゆえに・・」哲学し、
「我ゆえの価値を決め」
「我なりの答と希望」だと思います。
すべての「生き物に「我なり=可能性」
でもね「考えると」=>「悩みも」生まれた。
キリ・・教ではないけど「知恵の林檎の解釈です。」
僕なりの。(笑顔笑)
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もし、地球がなくなるまで存続できるのならば、残り時間は45億年?或いは、太陽の直径が大きくなり、地球上から水がなくなるのはその10億年位前かもしれませんね。


私は無宗教の人間なので、唯一絶対の神がいて、人類を作り出し、そして、その意思によって絶滅させるという風には考えていません。科学者の端くれとしての意見を述べさせていただきます;
地球の歴史の上で非常に長い期間に渡って繁栄した生物としては、昆虫類や魚類を挙げることができると思います。これらの生物群は3億年以上に渡って地球上に存在し、繁栄しています。人類は地球上に現われてから、わずかに100万年の歴史しか持ち合わせていませんネ。地球上を我が物とし、劇的な消滅を遂げた恐竜でも1~3億年の間、地球上の王者として君臨していました。
これらのことから考えると、ホモサピエンスもあと2億年程度は存続するのかも知れません。ただし、現在と同じ種であるかどうかはわかりません。地球環境が変化しているため、変種や亜種が出てくる可能性は否定できません。そういう意味では、現在の人類と同一種の生物は数千万年レベルの存続なのかも知れません。
現在の地球上には人類の天敵となる生物は存在しません(ペストのような病原菌は別として)。したがって、天敵による滅亡は考えにくいものです。
最もよく言われる人類滅亡の原因は食料難ですが、例えば、オキアミは地球上の全人類に配ってもあまる程の資源量ですし、緑藻類やプランクトンなど、現在はほとんど食用とされていないものの積極的な利用によって、食料面ではかなり改善されるのではないかと思われます。

あらゆる生物(生命体)は、存続しようという本能を持ち、それに従って生存しています。人類も同じことであり、「何故存在するのか」という哲学以前に、DNAレベルでの本能である。としかいえないのではないでしょうか?
先カンブリア紀の生命爆発では、ありとあらゆる想像できないような形の生物が多数発生し、短期間で淘汰されました。これもDNAが実験をしたのではないかと思われるようなことです。
場合によれば、地球上のすべての生命体は、地球を実験室とした、地球レベルの壮大なDNAによる実験対象なのかもしれません。剥き出しのRNA生物であるマイコプラズマから複雑至極な構造を持った人類まで、様々な生物が地球上に存在し、それぞれが同じDNAを残そうと頑張っているのです。これってDNA自身が存在したいために、いろいろな生物の形態をとっているのではないかと思ってしまうのです。
これが回答になっているのかどうか知りませんが、思うところについて述べてみました。
なお、参考ページを見ましたが、なんというか、こういう意見ばかりを毎日見つづけると人間として生きていくことがイヤになってくるヒトも出てきそうな内容ですネ。
表現の自由ですが‥。
kawakawaでした。
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参考URLをちらっと覗いてみました。



この地球上に人間が多すぎる、地球のために減らすべきだ、という考え方は僕も以前から持っています。現状では人類は地球におけるガン細胞みたいなものだとも思います。

じゃあ、人類に価値はないかというと、それは飛ばし過ぎだと思います。

植物(熱帯雨林など)の存在は地球の環境保全の重要なファクターです。植物なしに今の地球環境を維持することはできません。しかし、植物が発生した当時はどうかというと違います。そのころの「自然環境」は大気の成分の多くが二酸化炭素で、それに合わせた生物が暮らしていたはずです。しかし植物がやたら酸素をつくって大気の成分まで変えちゃったので、今度はその環境に合わせた生物が生まれてきたわけです。

現在の環境に対して負荷を与えるから、即、存在価値がないというのはおかしく思えます。
コンピュータやバイオ、その他の技術が新たな多様性を生み出す可能性もあります。

その他の多くの生物が生存競争や食物連鎖など、環境的な力によって個体数を安定させるのに対して、人間の場合、理性でそれを行える能力があります(実行できるかが問題ですが)。
それができるようになれば、皆さんの予想よりはるかにながく、人類は存続することもできるはずでしょう。

存続してどうーするの?
他の方も書かれているように、人類が存在する事の本当の理由(もしあるなら)を知ることは不可能でしょう。けど、人類の目的なんて人類自身で設定してもいいんじゃないすか。
僕ら一人一人が生きていくために目的を設定するように。

たとえば、「宇宙に生命圏を広げる」とか「宇宙の真理を追求する」とか。

またしても脱線しすぎましたか?

もちろん僕自身、環境汚染や公害を容認しているわけではありません。よろしく!
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サルと人間の分岐点はよくわかっていません。それはオーケーですね?
この回答文を解釈すると:
(1)人間は先行人類(猿人・原人)の子孫である。
(2)先行人類は、猿類とは違う。似ているが。
(3)では、猿類の先祖は先行人類なのか?よくわかっていない。
(4)分岐点はさらにさかのぼると考えたほうが良い。つまり、猿類の先祖=先行人類の先祖
番号が大きくなるほど、分岐点が過去にずれていっています。特に矛盾していないと思いますが。

Q真の哲学は、全身全霊で、体験と論理で、宇宙、生命、人生の真理を、理解体

真の哲学は、全身全霊で、体験と論理で、宇宙、生命、人生の真理を、理解体得する、人間的知的営みのことと理解しています。一般の哲学は「脳」的に偏っているように感じます。それでは、哲学の本旨に反します。科学は哲学に似ていますが、再現性のないものは科学的に実証できないので、宇宙を検証できない致命的欠点があります。哲学は仮説で論証します。あるいは、一人の「人体=小宇宙」によって検証します。つまり哲学は「宗教+科学+芸術」の総合作業です。現実的にはこれが限界でしょう。で、現実にある総合作業が「ヨガ=世我」なのであることを知りました。皆様のご意見をお寄せ下さい。

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ようこそ密教の世界へ。これを機会に顕経と密教はどう違うかを調べて見ると面白いですよ。

さらに、これを切掛けに、南方熊楠が土宜法竜に宛てた書簡集『南方マンダラ』を読むことをお勧めします。河出文庫で手に入ります。南方が20才代後半にロンドンにいた頃、たまたまロンドンにいた30才代後半の僧侶法竜に送った書簡集です。法竜は後に真言宗高野派の管長になった高僧です。この書簡の中で南方は「仁者、宗教のことを知りたしという。これ仁者仏に信厚ければ到底能わざるかもしれぬ」、要するに、お主は坊主だから宗教のことは判らんだろうと言って、法竜に宗教の講義をしたものです。哲学って何なんなのだ、そして、日本人の中にこれだけ度肝を抜くような桁違いな人間が存在したのかと言うこと知る良い機会です。多分もう既にご存知でしょうが、南方は粘菌学者であり、日本での最初の環境保全運動家であり、さらに柳田國男と共に日本民俗学の創始者の一人とされる巨人です。自然科学の世界で最も権威が在るとされているイギリスのネーチャー誌に、日本人として最も多くの論文の掲載を許された方で、未だにその記録は破られておりません。

序でにこの機会に南方の「履歴書」(『南方熊楠文集1』、東洋文庫)も読んでみると、人間とは何かを考える良い材料を与えてくれます。これは南方が粘菌に関する研究所を作るための資金を無心するために、ある銀行の頭取に宛てて書いた履歴書です。8メートルにも渡る巻物に細字の筆でびっしり書いた物です。私は和歌山県白浜にある南方熊楠記念館にお参りして、熊楠神の書いたこの巻物を実際に見て来ました。活字にして70頁を越えており、日本人の書いた最も長い履歴書とされています。

  なにごとのなせる技かは知らねども かたじけなさに涙こぼるる

人間とはここまで巨大で崇高になれる者かと、目から鱗の落ちる経験を幾らでもさせてくれる本ですので、貴方の質問の回答を与えてくれる大変良い本だと思います。

ようこそ密教の世界へ。これを機会に顕経と密教はどう違うかを調べて見ると面白いですよ。

さらに、これを切掛けに、南方熊楠が土宜法竜に宛てた書簡集『南方マンダラ』を読むことをお勧めします。河出文庫で手に入ります。南方が20才代後半にロンドンにいた頃、たまたまロンドンにいた30才代後半の僧侶法竜に送った書簡集です。法竜は後に真言宗高野派の管長になった高僧です。この書簡の中で南方は「仁者、宗教のことを知りたしという。これ仁者仏に信厚ければ到底能わざるかもしれぬ」、要するに、お主は...続きを読む

Q「人類」は生物学的には弱いものでしょうか(絶滅人類の考察で)

現生人類(ホモ・サピエンス)は繁栄を極めていますが、過去の人類はすべて絶滅しました。特に兄弟ともいえるような優秀なハンターであったネアンデルタール人が消えてからは、まったく一人っきりで地球上に生きている種です。
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意味的には両方でしょう。
生物的に弱かったと言うことと、ホモサピエンスとの繁栄競争で淘汰された。というのは同義です。

まぁ、そのホモサピエンスでさえ、生物的な弱さを克服するために、進化しています。
たとえば血液型。元々はO型のみでO型の抗体を偽装するウイルスを識別するために、A型やB型の抗体を持つ血液型が生まれたと言われています。
単純な血液でさえ、1/4に分類でき、リスク分散を計っているわけです。
事実、O型は梅毒に強かったりします。アメリカ原住民の大半はO型ですし、梅毒も風土病ですから、他の血液型の人類を梅毒が駆逐したとも言えます。

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ただし、いったん生き残ると、後は爆発的に増加します。

身近な例では大腸菌で、バンコマイシン耐性菌などが居ますが、耐性菌以外は死にます。すると、餌が余ります。すると耐性菌は爆発的に増殖します。同じ事が、歴史上繰り返されているはずです。

なので、ホモサピエンスが生き残ったのは様々な複合要因でしょうね。

Q時と時間の違いあるいは定義、空と空間との違いあるいは定義を教えて下さい

時と時間の違いあるいは定義、空と空間との違いあるいは定義を教えて下さい。引用ではなく、独自の見解でお願いできれば本望です。

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時空を考えると慢性的難病になりますね。慢性的難病を直す薬が「亀と漁師の無限と有限の話」なんですね。
以下の提案は「亀と漁師の無限と有限の話」に似て慢性的難病を直す薬になりますね。
「無双原理・・哲学的には、空からっぽのことである。無いものをないとは、非論理的でいえません!つまり、無限とは、限りというものが、本来あるのだけれど、たまたま見えない、触れないなどの事情があって、無のように観察される状態。つまり無限とは、循環の繰り返しのような現象の回数に限りのないこと」
特に、無と空がいいですね。自然現象として無も空も存在しないのだけれど人間の単純な観察では表現の言葉として便利に使える言葉ということですね。言葉が独り歩きしてあたかもそのようなことが実際にあるかのごとく考えて慢性的難病になってしまうところが怖いとこなんですね。「無とは単純にないことの、たわいないことば。哲学的には、空からっぽのことである。無いものをないとは、非論理的でいえません!」そういうことですね。
(仏教)哲学的では無も空も変転の一つの姿を現している状態でしかないですからね。水は熱で水蒸気になり冷やされて又水になる、更に冷やされると氷になる。こんなことはみな知っているのに水蒸気になると見えないので「無し」というのですね。それを空とよんでも同じですね。なくなっているわけではなく変転の姿ですよね。でも見えないから「無や空」ですね。観察眼的表現で論理を立てても意味がないことですね。
その変転をアインシュタインはE=mC^2と表現し、釈尊は「色即是空・空即是色」といってますね。これは存在の永遠性の表現ですね。無限も「無や空」と非常に似てますね。あまりに多い・大きい・小さいと観察不可能ですから無限・無限大・無限小と言っているだけなのですね。単なる言葉遊びなのですが遊びが学問になると慢性的難病になりますね。
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膨張も収縮も変転も何でもありですね。再度、たわごとを言ってしまいました。

追伸
時空を考えると慢性的難病になりますね。慢性的難病を直す薬が「亀と漁師の無限と有限の話」なんですね。
以下の提案は「亀と漁師の無限と有限の話」に似て慢性的難病を直す薬になりますね。
「無双原理・・哲学的には、空からっぽのことである。無いものをないとは、非論理的でいえません!つまり、無限とは、限りというものが、本来あるのだけれど、たまたま見えない、触れないなどの事情があって、無のように観察される状態。つまり無限とは、循環の繰り返しのような現象の回数に限りのないこと」
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Q【携帯電話の電話機能は「旧人類に合わす為に新人類が買わされているもの」なのか「新人類に合わす為に旧人

【携帯電話の電話機能は「旧人類に合わす為に新人類が買わされているもの」なのか「新人類に合わす為に旧人類が買わされているもの」なのか?】


どちらだと思いますか?

Aベストアンサー

どちらでも無いですね

そもそも「買わされているもの」では無いですから

設問の前提からして間違っています

電話番号の保持は契約による貸与であり

購入では無くレンタル料みたいなモノです

そして端末は購入に値しますが

キャリア通信網の利用契約が無ければ

使い物にならない単なるゴミです

更に 電話番号の必要可否は利用者が決める案件であり

不必要なら 通話利用不可な契約が可能です

通話利用が可能な契約を意固地になって保有しようとする人の多くは

端末がスマホであり そのスマホを使って

ゲームとSNSに明け暮れるだけの おもちゃ としてしか利用しません

世間一般では 勉学や仕事をせず おもちゃ で

遊び続けるような人を侮蔑軽蔑するのが普通です

そういった偏見の目で見られないようにする為の

イイワケ(理由)として スマホに電話機能を持たせる

という馬鹿な考えを実行して見せているだけです

結論から言えば スマホ利用者=馬鹿の象徴 であり

勉強も出来なければ 仕事もしない/でない そんな連中が

契約者数の半数を超えてる という話です

見方を変えれば残り半分が あくせくして頭と体を限界まで磨り潰し

日本の経済界を支えているという構図です

質問者さんが気にしている本質は

遊んでるだけの非生産的な人種なのか

勉学、仕事に追い込まれてる生産的な人種なのか

そういう部分が気になっているのだと考えます

旧人類だの新人類など まったく無意味なカテゴリで

本質は「自堕落な人種」か「勤勉な人種」か その違いしかありません

どちらでも無いですね

そもそも「買わされているもの」では無いですから

設問の前提からして間違っています

電話番号の保持は契約による貸与であり

購入では無くレンタル料みたいなモノです

そして端末は購入に値しますが

キャリア通信網の利用契約が無ければ

使い物にならない単なるゴミです

更に 電話番号の必要可否は利用者が決める案件であり

不必要なら 通話利用不可な契約が可能です

通話利用が可能な契約を意固地になって保有しようとする人の多くは

端末がスマホであり そのスマホを使って

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Aベストアンサー

生物としてなら無理でしょうね。
惑星の環境への依存度が高いです。
自立して生きて行くなら全ての条件を自前で調達する必要があります。
生物という体裁を保ったままでこれを行うのは極めて非合理的だと思います。

また、生物とは常に変化する物です。
地球が終焉を迎える時代まで末裔が生き延びたとしてもすでにそれは人類と呼べる物ではないはずです。
魚類や昆虫などの原始的な生物の一部を除けば同じ種が数億年以上同じ姿でいる事は不可能だと思います。
全く異なる種へと移行しているか、あるいは多種へと分化して全く共通点のない複数の種へと変化してかも知れません。

人類と言うのはあくまで現在の人類を指す言葉です。
人類の末裔たちがどこまでが人類と呼べる形態を保っていられるのか誰もわかりません。
あるいは科学技術の発達により生物という限界さえ超えてある種の情報体になってしまうなんて未来もありえるでしょう。
データとなれば電波や光に変換してしまえばいいので光速移動も可能です。
移動先にデータを受け入れて稼働させられる「体」さえあれば…行き着く先は知的情報の集合体なのかも知れません
こうなれば不死ですし、個人という枠も取り払われて一つの意識体として生き方があるでしょう。
必要があれば適切な体を作ってそこへ意識を移せばいいのです。

生物としてなら無理でしょうね。
惑星の環境への依存度が高いです。
自立して生きて行くなら全ての条件を自前で調達する必要があります。
生物という体裁を保ったままでこれを行うのは極めて非合理的だと思います。

また、生物とは常に変化する物です。
地球が終焉を迎える時代まで末裔が生き延びたとしてもすでにそれは人類と呼べる物ではないはずです。
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Qホモサピエンスになる前の天国って。

某ヨハネさんも人は猿から進化した・・・と言っていますが、猿の頃の天国があるって言っているのでしょうか?
もしないってことは、天国って地球の歴史から見るとわりと、最近できたのですか?
仏教は六道輪廻があるように、虫も生まれ変わるので、原生動物も猿も大きな流れの一部、輪廻のシステムがすでにあり、人が進化していったと考える事もできるのですが。
キリスト教は、人だけってイメージがあるんですが。
何となく気になりました。

Aベストアンサー

>某ヨハネさんも人は猿から進化した・・・と言っていますが

そんなこと一言も言ってませんよ。
ダーウィンが進化論を発表した時はキリスト教関係からかなり攻撃されていますし、ダーウィンの顔がチンパンジーになっている風刺画もありました。
ですからキリスト教圏では進化論は中々受け入れられませんでした。
翻って仏教の輪廻転生等を信じていた日本に進化論が伝わった時は結構すんなりと受け入れられたそうです。

キリスト教では進化論も「可能性はある説である」一部(前のローマ教皇だったか?)では認めているようですが、本質的にはヒトは神がお創りになったことになっています。
ですから未だにアメリカなどでは進化論でなく「神が創造した」事を教えようとしているようです。(設計者と言換えている場合もある。)

キリスト教では聖書は絶対で疑う余地の無いものとして存在していると思いますが、色々調べると矛盾点もあり、天地創造もせいぜい数千年、数万年単位でしかなさそうですから科学的な「46億年」とは相容れないものです。

Q人類の生存条件&どのようにして生存出来る天体になったか。

地球と人類に関しての質問です。

1:人類が生存するための条件とは?
2:どのようにして地球は人類が生存できる天体になったか?

以上の二点についてご教授お願いします。

Aベストアンサー

1.人類が生存するための条件ですが、今の人類が生存する条件は
・酸素があること
・水があること
・生存可能な範囲の適温であること
ではないでしょうか
2.どのようにして地球は人類が生存できる天体になったか?
URL載せておきました。

一つだけ気になるのは、人類が生存するために地球の環境がこうなったと言う風に聞こえますが、人類が地球の環境に合わせて進化した訳で、地球の環境が違っていれば別の人類になった可能性もありますよね。

参考URL:http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/ehon/rironsha/index.html

Q万人に対する蛮人の闘争???

まずは、朝鮮日報の記事
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/06/10/2014061000557.html
を読んでもらいまして・・・。

ホッブズの有名な言葉『万人に対する万人の闘争』なんて言葉が出いますが、
正しくは、
『万人に対する蛮人の闘争』
あるいは
『蛮人に対する万人の闘争』なのでは?

Aベストアンサー

 こんにちは。

 まづその発言を編集して再掲します。

 ▲ (韓国外相「民族主義と歴史修正主義が結合し爆発寸前」) ~~~
  (ペ・ソンギュ記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版)

 尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部(省に相当)長官は9日
 ソウル市内のウェスティン朝鮮ホテルで外交部と東アジア研究院が共催した「統一韓国の外交ビジョンと東アジアの将来」をテーマとする国際会議の席上 述べた。


 「まるでパンドラの箱を空けたかのように、東アジア各地であらゆる問題が噴出し、東海(日本海)や東シナ海、南シナ海に至るまで、何もかも分別なく飲み込もうとしている状況だ」

 「東アジアの人々の心に対立の種がまかれ、芽が育っている。誤った民族主義と結び付いた歴史修正主義は、領土問題や軍備拡張競争によって、すでに爆発しかねない状況に至り、火に油を注ぐ動きも見られる」

 「今の状況は『万人に対する万人の闘争』のようだ。この地域全体が退行の泥沼にはまる恐れもある。このような状況の中にあっては、たとえ小さなトラブルで会っても、大規模な衝突を引き起こし、関係国を衝突の道に引き込みかねない」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆(1) 万人の万人に対する闘争は ホッブズらによって想定されるとする人間の自然状態では 人は人に対してオオカミであるところから来ると見て けっきょく市民たちの契約によって この全面闘争なる自然状態に終止符を打つためにそれを統治する国家に 全面的な(あるいは制限された)権力をあたえることとした。というものだと思います。

 (2) つまり 国家の内部ではいちおう全面闘争が治められている。

 (3) 東アジアで《今の状況は『万人に対する万人の闘争』のようだ》というのは どういう意味か? 国家どうしのあいだで全面闘争が繰り広げられるというのだろうか? そんな単純なことか?

 (4) ▲ 誤った民族主義と結び付いた歴史修正主義
 ☆ が火をつけている。ということらしい。

 (5) 《民族主義》に ただしいも あやまったも ないと考えられる。問題となるのは 帝国主義でなければ 重商主義であろうか。あるいは 国家資本主義による為替操作やダンピングなどであろうか。

 (6) 領土拡張志向であるのなら それは はっきりしている。みんなで そう指摘し やめなさいと言って行く。

 (7) 歴史認識を修正しようという志向であるなら 史実の確定を互いに学問としておこなって行く。

 (8) あとは
 ▲ このような状況の中にあっては、たとえ小さなトラブルで会っても、大規模な衝突を引き起こし、関係国を衝突の道に引き込みかねない」
 ☆ といった現場での待ったなしの問題が起きるおそれがあるということ。

 (9) よって 次のような発言は 意味がない。
 ▲ この地域全体が退行の泥沼にはまる恐れもある。
 ▲ 領土問題や軍備拡張競争によって、すでに爆発しかねない状況に至り
 ▲ 東アジア各地であらゆる問題が噴出し、・・・何もかも分別なく飲み込もうとしている状況だ
 ☆ 指をくわえて事態を成るがままに任せるのでなければ こんなことを言っても始まらない。


 (10) したがって
 ◇ 『万人に対する蛮人の闘争』
 ☆ が仕掛けられつつあるかに見られるということでしょうか。それぞれの国民や手足を縛った国に対する或る国家としての《蛮人》が起こそうとしている闘争。でしょうか。

 こんにちは。

 まづその発言を編集して再掲します。

 ▲ (韓国外相「民族主義と歴史修正主義が結合し爆発寸前」) ~~~
  (ペ・ソンギュ記者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版)

 尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部(省に相当)長官は9日
 ソウル市内のウェスティン朝鮮ホテルで外交部と東アジア研究院が共催した「統一韓国の外交ビジョンと東アジアの将来」をテーマとする国際会議の席上 述べた。


 「まるでパンドラの箱を空けたかのように、東アジア各地であらゆる問題が噴出し、東海(日本海)や...続きを読む


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