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少し考えてみました。
量的変化はある段階に至ると質的変化を生み出すという。
仮にコンピュータの能力が現在の1000倍になったら、あるいは100万倍になったら、あるいは10億倍になったとしたら、今のデジタル社会はどのように変貌するであろうか。
また人類文明に根本的な変化が生まれるであろうか。
 

A 回答 (13件中1~10件)

>ここで考えてもらいたいのは、プロ棋士を打ち破る将棋ソフトの開発者自身は将棋が強いわけではないってことです。



将棋ソフトが飛躍的に強くなったのは、最小作用の原理を利用した機械学習による数万のパラメータの最適化という手法を導入したことがきっかけだったな。その当時のコンピュータ将棋大会で、非力なノートパソコンで、優勝したのが印象的だったが、その背景には、パラメータの最適化のために事前に強力なデスクトップパソコンで数が月かけて過去の膨大な棋譜を解析(学習)していたことがあり、コンピュータの処理能力というのは重要ではあるな。

最近では、ディープ・ラーニングという言葉が流行りだが、これも計算資源を大量に消費するそうだ。
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量から質への転換、ですか。

マルクス弁証法で、きましたね。アルケ-教は、御卒業お目出度うですか?いや、新年おめでとう、でした。
中学一年の時、図書館でたまたま見た本に、π=3.1417・・・という円周率を18世紀の数学者が一生かかって、小数点以下200桁?まで導いたのが最高であったが、コンピュタ-は、1秒間で。小数点以下、2035桁まで計算した。という記述をみました。そのコンピュタ-とは、初期の真空管型の大型コンピュタ-でした、現在の万分の1、以下の能力でしょう。
しかし?現在小学校では、円周率=3 と教えるそうです。パソコンの計算能力、2035桁は何にもなっていないのです。二十歳代の半ばだったか、第一回のコンピュタ-学院とかに通いましたが、パンチカ-ドの時代で、当時の知識など、何の役にも立ちませんし、現代のパソコン知識を学んでも、10年後には、記憶容量の無駄使いをした。としかならないでしょう。科学技術は、知識の積み重ね、サンゴ礁効果?として増大します。しかし人間にとっては、常に今、なのであり。連想し思い出せる事は僅かなのです。さらには、人間、個人は、死ぬ、のであり、生まれ変わりとしての、子や孫は、無明、行、名、識、としてやり直しになる、人間は進歩はしないが、過去祖先の過ちに気づく事があり得る。しかし科学技術、コンピュ-タ-が、根本的な部分で間違っていたら、進歩するほど、そのことに気付き難くなる。既に、コンピュ-タ-の答えを正しいと無批判に受け入れる風潮があるようです。
それは、記憶量、計算力、が及ばないと思う事によって、判断力を失っている。知識や計算が、人間の知恵、ではない。社会はいずれ、反デジタル、と言うより、反数学の形態で変貌することになるかも?です。
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コンピュータと一言で言っても単純に分けてもハードとソフト、


ハードはCPUとメインメモリ、HDDなどの外部記憶装置の能力。
使われ方もスタンドアロンとクライアント&サーバー、更には
クラウド&端末の並列化などなど、何が「百万倍」なのかが
そもそも前提とされていないようです。

くっきりしたピントが合っていないので、漠然とした回答ですが
ほんの30年前、「データベースの検索」というのはデータの容量が
多くなればなるほど凄まじい処理時間がかかってしまい、実用的な
稼働の為にはインデックス(検索用の見出し)のデータベースを
造り、更にデータが巨大化すればインデックスのインデックスを
作り上げて高速化を図ってきました。

今や、世界中に張り巡らせたインターネットのサイバー空間にある
数千億のホームページやデータ集合体から、コンマ何秒で数十もの
リンクがたちどころに表示されるようになりました。

容量的にも速度的にも、稼働率やユーザー数、どれをとっても
百万倍と言っても過言ではありませんが、社会的には効率よく頭脳と
肉体と組織を使うことが出来る知的セレブリティにはより広大で肥沃な
知の大地を与えたと言えるでしょう。

次次に生み出される様々な表現や作品は、ネット普及の前後で明らかに
異なる様相を呈しています。

しかし、だからと言って、旧来からある図書館や本屋の膨大な書籍などの
ペーパーメディアが廃れたかといえばむしろ、より多くの人に様々な本が
認知され、アマゾンや楽天などの画期的な流通のおかげと相まって、販売も
増加し、作家も増えた。

でも、反面、新聞をはじめとして売り上げが大きく減少している媒体も
あるのも事実。

人間は、賢くシステムを操って儲けたり、成功したり出来る者が増えた半面、
ネット漬けになって時間を無為に過ごすようになり、廃人化するものも増加した。

つまり、生産者であれ消費者であれ、創造的に社会に価値を還元出来る者と
マスに流され操られ、底辺の生活に身を浸しながらせっせと金を吸い取られて
いくひたすら消費しか出来ない者との二極分化を加速させたとも言える。

進化と退行。拡張と萎縮。躁と鬱。セレブリティと凡人の群集。
なるほど、デジタルというだけあって、アナログに並んでいたものを次から次へと
白黒に区分けしていく、という機能があるわけだ。

さて、この先。

当たり前のように、人間の脳とコンピュータ・ネットワークの接続の時代に入る。
信じるとか信じないではなくて、すでにかなりの技術的な実現が、最前線では
行われている。 必ずしも外科手術を伴うわけではないが、ダイレクトに人間の
五感や運動神経への信号をデバイス経由で遠隔地のカメラやアクチュエータに
伝えることは、すでにかなり実用化している。

あと数十年で、脳にデバイスをインプラントすることと、脳にアクセスするための
オペレーションシステムの普及と統一規格化などについて世界的議論が始まるだろう。
つまり、脳OSを寡占化させる危険性について、超国家的な・・・商業ベースでも
政治、或は軍事的なプラットフォームとしても侃々諤々の争いが起きる。

よく言う、「電脳化」だ。

まともに書くと長くなるのでこの辺にしておくが、その先にどうなるかというと。

意識を拡張した人間、一種の「超人」と、意識が溶解した「自らロボットに堕ちた者」が
生まれて来る。

だが、たとえ電脳化しても大半の民衆は「民衆のまま」である。

結局、コンピュータによらず、それが世紀の大発明であれ黄金であれ、
それらは民衆から「貴族」「魔法使い」「王」を一割、「狂人」「奴隷」「廃人」を
一割生み出して世の中の様相を変えるが、残りの八割は平々凡々たる普通の人間として
それほど変わらずに生きていく。

最後に、量的変化が根本的な質的変化を生み出すだろう事の一つを挙げて
KBから指を話す。

ネットに存在する無数のJAVAスクリプトやデータベースそれ自体が
AIとして自律思考するという発想は前時代的な視点に過ぎない。
それらの無数のプログラムやデータはそれぞれ製作者や更新者が沢山
後ろに連なっており、何らかの形でどこかの人間の意志や価値観を
表明し、具現化し、伝達する機能を持つ。

それらに群集の脳が制御されないまま参加し、それを操ろうとする
者が飽きもせずに手を加え続けると、いずれは「瞬時に千人単位、
何万人、何百万人単位の意志・価値尺度の収斂」という「現象」を産む。

個々の人間が単独で思考している状態であり、同時にそれらが群れなして
一つの有機体のように時に対話し、時に並列化する。
思考、というのは現在では数を数えられる。
何人、という数え方が出来る、というわけだが、このような特殊な繋がり方で
個でありながら群でもある、という状態になると、一つ、二つという
デジットな数え方はできなくなってくる。
水を一個二個と数えられないように、である。
液体のようでも固体のようでもある、特殊な流体のように、である。
同じような考え方をする者は統率されワンユニットになり、思考の
要所要所ではほかの考えのユニットに溶け込んだり分離したして、
全体ではある瞬間の様相しか把握できない状態になる。
数えられない者、あまねく在る者、まさしく神か悪魔だ。

そうして一つの問題に都度、総意が生み出される。

つまり、神のご託宣が下るようになる、というわけだ。

哲学的な意味での「神」ではなく、実存的かつ機能としての「神」が
出現するだろう、という予想論の話をしている。

長いこと、人類は組織というものを構築することで「神」の機能、
民衆が夢想してきた超越的な庇護者、指導者の存在、を肩代わりしてきた。

組織に組み込まれ、組織に従属し、強者に支配されることを堪えて
受け入れることで社会を成り立たせてきた。

コンピュータネットワークに人間の意識を直接繋げられるように
なっても直ぐには根本的な変化は起きないだろうが、百年、或は
千年の時間を経て、「組織」という疑似神ではなく、自らがその
途方もない巨大な意識の海の一部として個性も人格も融解して
取り込まれてしまう、神に近い神、民衆の集合意識と呼べるような
ものがサイバー空間と現実の世界にまたがって発生してくるだろう。

大半の民衆は変わらない。

だが、人類の上澄みと底に澱む滓の二者が、最新科学のマトリックス上に
神と悪魔を具現化させるだろう。

もしかしたら、その片鱗は後わずか100年足らずで実現するかも
知れない。

途方もない情報量の中から、質的な「超人」が生まれて来るのだ。

実に自然なことだ。
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演算速度が速くなっても、プログラム作成速度やプロ


グラミングの創造力が向上する訳ではないので、単に
プログラマーが過労死するだけでしょう。
私の関わっている構造計算でいえば、手計算で何週間も
かかっていたのが、1日で終わるようになりましたが、
その分、十倍もの案件をこなし、その上以前は原稿用紙
に執筆して印刷屋に外注していた報告書も、自分で文字
入力し、写真も貼り付け、プリント、リングファイルに
閉じるまで、多様な作業を全て自分でやるようになって、
余計大変になりました。

競争原理がはたらく以上、「楽になる」事はないのです。
その分、忙しくなる(機械化しやすい惰性的な仕事で息
抜きできなくなる)だけの話です。
「楽になる」ために改善すべきは、機械の性能ではなく、
人間の頭の中です。

そうした“原理レベルの改変”を経ず「楽をするため」に、
演算速度の向上だけでなく「プログラミングの創造力
(ファジーな演算の直感的コントロール)」まで機械化し
たなら、『楽になった=無用になった』人間が多いほど
その組織(会社、国)は自由競争で淘汰され、人類は自
ら作った社会において絶滅危惧種と化すのです。
それは遠い将来の話ではなく、現代社会における貧富の
格差(特に若者を中心とした非正規雇用=貧困=非婚)
による少子化は、その端緒であると考えられます。
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これは技術特異点の一つですね。



電脳については2045年問題と
言われているものです。

これは2045年になれば、全人類の
知を電脳が上回る、というものです。

そうなったら・・・神が誕生します。
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この回答へのお礼

 
これは有り得る状況ですね。
もともと人間の頭脳は真理の探求には向いていないのでしょうね。
 

お礼日時:2015/01/08 08:45

>仮にコンピュータの能力が現在の1000倍になったら、あるいは100万倍になったら、あるいは10億倍になったとしたら、今のデジタル社会はどのように変貌するであろうか。



プロセッサに関してはビル・ジョイの法則というものがあります。1年経つと性能が2倍になるというやつです。1000倍というのは2の10乗、よって10年です。100万倍は20年、10億倍は30年で達成されます。

よって、「現在」を30年前に置いてみます。つまり1985年です。PC9801ぐらいの時代でしょうか。MS-DOSを動かすか、そんな感じでしょう。HDDは一般的ではなく5インチのFDでした。プリンタは16ドットか、24ドットぐらいのドットプリンタという感じです。メモリは1MBぐらいでしょうか。

その10年後、1995年ですと、DOS/Vと呼ばれるAT系互換機でWindows95を動かし、130MBぐらいのHDD、プリンタはインクジェットでモノクロという感じ。メモリは16MBぐらいですかね。

1000倍になったことで、劇的に変わったことは「GUIが一般的になった」、「PC価格が1/3ぐらいになった」、「FDDの頻繁な交換が不要になった」ぐらいでしょう。

その10年後、2005年ですと、WindowsXP、20GBぐらいのHDD、メモリはきばって1GB、プリンタはインクジェットでカラーになりました。

10年前と比べると「ごく一般の人がPCを買い始めた」ぐらいのもので、「周辺機器やメモリ、HDDが時代に応じてそれなりに進化した」という感じ。
20年前と比べると(100万倍になったという状態)、「PC価格が安くなり、一般人でも興味を持って買い始めた」、「周辺機器も想像の範囲内での進化」といった感じ。

その10年後、2015年ですが、Windows8.1、2TBぐらいのHDD、メモリは4GB~8GB、プリンタはインクジェット複合機といった感じでしょう。

30年前と比べると、10億倍になっているはずですが、果たしてどうか。
「マニアックなCLIからタッチGUI」、「ディスクの空き容量は気にならない」という程度です。

>今のデジタル社会はどのように変貌するであろうか。
>また人類文明に根本的な変化が生まれるであろうか。

今の技術のリファインでは、進化は想像の範囲内に収まるだけです。

この30年のうちにはそれなりの進化の元は出てくると思います。しかし、それがいつ出てくるのか、普及するか、発展させていけるのかは正直運任せです。根本的な変化を生み出す要因のひとつにハードウェア性能の進化はあるにしても、それは変化ではありません。
今の概念とは異なるOS、アプリケーション、ネットワーク環境こそが、「根本的な変化」を生み出すのではないかと思います。
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>仮にコンピュータの能力が現在の1000倍になったら、あるいは100万倍になったら、あるいは10億倍になったとしたら、




人間は愛と献身のことを考えていればよくなるだろうな。
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>プロ棋士を打ち破る将棋ソフトの開発者自身は将棋が強いわけではないってことです。



開発者はルールを入れているだけです。
ルールの中で最適な解を膨大な計算のもと出力しているだけです。
計算のスピードだけは速いですから。
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人口知能(AI)については、ホーキング博士とかが懸念を表明したりしているようですね。



ホーキング博士、人工知能のリスクを警告
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO80435640T01C …
http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/03/stephen- …

映画のターミネーターシリーズのような未来も考えなければならないのですかね、
そう考えるとちょっと怖いですね。
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>少し考えてみました。


少ししか考えていないと思いますよ。どのコンピーターの能力を対象にしているのか分りませんが、パーソナルコンピューター(PC)の処理能力を1000倍にすると高くで買えなくなります。発熱も多くなり電力費もかさみます。それほどに価値のあるものはPCでは必要がありません。
研究開発に使うスーパーコンピーターはさらに進歩して小さくなるでしょう。現在は体育館ほどのスペースが必要になっています。スパコンの普及と進歩は人類文明に飛躍的な進歩をさせて来たし、これからももっと飛躍させるでしょう。
たとえば、人間の体の全情報をスバコンで作り、病気情報を入力させた人造病人に対して、新薬が効果を示すかどうかも調べられるのではないか。どのような新薬が作れたら病気が治せるのかも示せるようになると思う。将来には平均寿命は100歳を越えられると思う。
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