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なぜ、人間は本能的行動よりも理性的行動を好ましいと感じるのでしょうか? 
場合によっては本能を優先するケースもあると思いますが、理性が重んじられるケースについて、人間はなぜそういう思考をするのかという事を考えています。

そもそも理性的行動は何なのか、本能的行動と理性的行動はどこで線を引くべきかという点についても漠然としていて、定義ができていません。

どなたか、少しでもこうではないかと思う方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
あるいは参考になる書籍などありましたらご教授頂ければ幸いです。
宜しくお願い致します。

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A 回答 (13件中1~10件)

 人間の動物的能力は、他のほ乳類に勝っているかというと、それほどでもありませんが、知的能力の高さは比べる相手がいません。

突出しています。

 一番不思議に思うのは“意識”という能力です。
 物事や時間や、そして何よりも自分を意識できるということ。

 他の動物にはありません。いや、鏡を見て自分だとわかると云うことは、“意識”の働きによるのかもしれませんが、意識していることさえ意識できるというのは人間ならでは。

 人間は知的高性能動物、ですね。

 生命は生きようという本能があれば生きられます。
 それに感情が加わればもっと生命体らしく生きられます。
 でもその能力に限りがあるので、結果「自然」を保つことになるのでしょう。

 人間は動物としての本能に限界がなく、その代わりに高度な精神を持っています。

 その精神の能力に、理性、感情、意志があり、記憶という能力もあり、そしてそれらを意識する、出来るという不思議な能力もあります。

 人間はこれらの能力を駆使して生きています。
 人間はその中の理性をどう働かせているんでしょう。

 理性は、「感情に溺れずに、筋道を立てて物事を考え判断する能力」とありますが、 往々にして自分にとっての良し悪し、損得を判断し選択しがちです。

 でも、その理性の働きによって、自分の損得から離れて他者に向けて、社会に向けて行動させることができます。
 この事が理性的行動を重んじる、ということになるのではないでしょうか。

 ☆これは私の頭の中の出来事です。読み返してみると最後の方で、やっと本題に入り、入ったかと思うと結論を出していて、まったく幼稚な“思索作業”で恥ずかしい。もう一度トライしてみようかしら。

 
 

この回答への補足

皆様回答ありがとうございます。
本件そろそろ締め切ります。
個別に御礼できず、申し訳ありませんが、補足での投稿により御礼と替えさせて下さい。

補足日時:2011/01/31 00:02
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理性を欲望の対立概念であるとすると問題を整理することが困難です。

欲望達成法の「比較・吟味・評価・対案提出を行う手続き」としてみましょう。こうすれば、本能的行動(衝動)そのものよりも必ず「より安全・効果的・安価に」目的が達成できそうなことが確からしいと理性からは言えます。確実に有利らしいから尊重されるのです。
 改めて理性が「欲望達成法の一部」であることが導かれますね。また線引きをするとなれば、「比較・吟味・評価・対案提出」がどの程度か含まれていることで線引き可能でしょう。
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 考えてみました。


 頭悪いので、尻切れトンボのような回答?になってしまうかもしれませんが。

 本能=生物として生きていくための不可欠な能力。
 理性=生物として生きていくためには不要な能力。

 だから、人間以外の動物に理性はなく、でも、人間にはある。

 人間に備わっている本能は他の動物の本能とは少々異質のような気がする。

 人間以外の動物の本能には、限度というものが備わっているが、人間の生物的本能には、限度というものがない。

 人間以外の動物は、限度を持っている本能なので本能のままに活動しても不都合が生じない。
 人間の本能には限度というものがない。

 なぜか。

 理性という能力を持っているから。
 理性が本能をコントロールしている。

 なぜ理性は本能をコントロールしようとするのか。

 たぶん、限度のない本能に身をまかせては、破滅を招くことを知っているから。
 
 とりあえず、尻切れトンボの回答?を。

 ・・・・・・・・・・疲れちゃいました。
 
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補足ありがとうございます。



件のドレスアップvs鼻糞についてですが、
私が思いますに、理性や本能以前の問題として、
生理的嗜好では無いかと考えますが如何でしょうか?社会性に於ては見て見ぬ振りをするといったような緩衝機能もありますので。
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私個人の感想ですが種を残すという本能の補助を便宜的に理性と呼んでいるのではないですかね。



つまり優秀な種を残すためには何をすればいいのかという考えが理性なのだと思います。

これでほぼ全てを説明できると思いますがいかがでしょうか?
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それはそういう人が弱者だからです。


次期皇帝として生誕すれば統治を本能に沿って刷り込まれるでしょう。
迷わないことが理性を本能に落とし込めている一つの指標です。

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1.人の生きる目的が、物質的繁栄や本能的快感の場合;



認識による環境の長期的把握を伴わない短絡的対応が、
人生を通算した最大の物質的獲得や、通算の快感の
最大化につながる可能性は小さい。

2.人の生きる目的が、精神的充足の追求である場合;

精神的充足量は、肉体的増殖や衝動的充足だけでなく、
達成の感受による、意識の内における認識が関数となる。
意識に於て、世界は認識されることにおいて存在する以上、
認識性を伴わなければ自販機が「有難う」と言っても充足
量とは無縁なように、条件反射性の強い、希薄な充足に
過ぎない(“自己チュー”とは生きながら脳死に近づくこと)。

真の生きる目的である「精神的充足量の最大化」において、
短絡的衝動の発露(快楽)から、人生を通算した深く大きな
目的の追求(幸福)へと、自動的に移行する。
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60億人全員が本能に身を任せ行動したとしたら、世界はどうなってしまうのでしょうか。

この回答への補足

全員が「YATTA!」の葉っぱ隊になり、それはそれで幸せになるのかもしれません。

というのは冗談で、思考実験上は本能に根ざすそうした人間社会が形成されるものだと思っています。
"今の世の中を維持するには"、理性が絶対的に必要だとは考えています。

ご回答を深読みすると、全員が本能のみで行動すれば社会は破滅してしまう、だからそれを回避する為に理性を尊重するんだ、という意図があるのかなとも思いましたが、こうした「理性を尊重する背景には、そうした計算に基づく行動を起こしている」という事については、私にとっては少し考えにくいのではないかという立場を取ろうと思います。

もっと計算的ではない部分で、人間の本質的な部分で理性的行動を選択したり、好んだり、あるいはそうした行動を取る人間に好感を持ったりする心情が人間には備わっているのではないかと思うのです。
そして、それは何故そうなるのか本能よりも理性を好むのはなぜかというお題について知りたいのです。

補足日時:2011/01/09 11:26
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この場合の本能とは生理的(生存等)とは別物の個体が個別に思うがまま行動する意として回答します。



つまりは群を成し且社会を形成する動物だからではないでしょうか?
例えば観察し易い類似の生活を営む動物では、
犬・猿・カラス(残念ながら雉ではありません)等がいます。
彼等の群には階級や役割があり、ルールがあります。
その為、個体がルールに従わず勝手な行動を取る場合、妥協点を越えると社会的制裁を受けます。
体罰・降格・群を追い出される・殺される等々です。
ですが、個体としての欲望も当然あります。
一部の猿の種では雌と交尾して良いのはボスだけですが、
種の保存本能とリンクはしているものの単純に性欲として他の雄も雌と交尾したい欲求があります。
そこで他の雄達は雌に浮気を促したり強姦等の行動を取ります。

私はこの群のルールを人間社会で言えば法律に限らずマナーやモラルや礼儀社会常識等全般に当てはまるものと考えます。
また、個体が二つ以上集まればそこにも合意や確認をしなくともルールが発生します。
これらのルールに従う動議が理性ではないでしょうか?

ルールに従っている限り個体個別の欲求は満たして構わないと思います。
ですが、パートナーでは無い、もしくはパートナーになりそうな関係では無い異性を相手の同意や契約無く性欲に任せて押し倒したり、
灰皿にテキーラを入れて飲まそうとしたり、介抱のつもりで灰皿で殴ったりするのは理性的行動では無く一線を越え過ぎた行動と言わざる得ません。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

人間は社会的動物であるから、本能からして理性を尊重する動物に進化するに到った、社会的動物であるなら理性はその種に対し自発的に生成されるルールという事ですね。

猿の件はハヌマンラングールしか思い出せないのですが、もう少し太っちょでハーレムを作るアフリカの猿がいたような・・・(ボスはホルモンの関係で顔が赤くなるので、他のオスと見分けがつきやすい)。

話しを戻して、少し補足をすると、
>ルールに従っている限り個体個別の欲求は満たして構わないと思います。
>ですが、パートナーでは無い、もしくはパートナーになりそうな関係では無い異性を相手の同意や契約無く性欲に任せて押し倒したり、
>灰皿にテキーラを入れて飲まそうとしたり、介抱のつもりで灰皿で殴ったりするのは理性的行動では無く一線を越え過ぎた行動と言わざる得ません。
という点について、なぜ理性的行動を単純に素晴らしいと感じるのか、なぜ本能的行動を忌避するのかという点についてがちょっと分からないのです。
二つ以上の個体が集まった時に生成されるルールを準拠した場合、なぜ好感が持てるのか、準拠しなかった場合になぜ不快感を覚えるのかが分かりません。

ドレスアップした清潔な人間を好いたり、あるいは、鼻をほじっている人間に幻滅したりするのはなぜかというのを知りたいのです。

補足日時:2011/01/09 11:10
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まだまだ人生経験の浅い高校生の僕の意見で


よければ読んでください。

僕が思うに、人間は知らず知らずの内に
自分たちを他の動物とは違うんだ、特別なんだ、
と思っているのではないかと思います。
そして、その特別さを成り立たせているもの、
つまり人間特有のもの、それが「理性」なのでは
ないでしょうか?
だから、「自分は人間なんだ、動物みたいに本能
のまま動くのは下品なことだ」って考えているの
ではないかと思います。

また、人間は社会を作って生活しています。
その社会の秩序を守るためには、皆が本能のまま
動くのを抑えて理性的に動くことが必要です。
なので、社会では規則が作られました。そういった
規則を何世紀も守り続け、それが正しいことだと
教育されてきた私達には理性的に行動することが
正しいんだという意識が刷り込まれていると思います。

こういったことから人間は本能よりも理性を尊重するの
ではないかと思います。

つまり、人間たちが無意識に考えている理性的行動
とは欲のままではなく、一回フィルターにかけた社会
の秩序を乱さない、感覚的に言えば人間の誇りを傷
つけない行動ではないでしょうか。

そもそも哲学も、秩序も、本能という言葉も、理性という
言葉も人間が作ったものです。また、その人間も自然の
一部です。まぁ、全ては結局自然ってことですよね。
理性も、「社会を守らなきゃ」みたいな人間の本能による
ものなのでは?
と、僕は思います。
長文失礼致しました。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>「自分は人間なんだ、動物みたいに本能のまま動くのは下品なことだ」
これは本居宣長、あるいは万物の霊長であるなら人間らしくあれと言った福澤諭吉に通じるものがありますね。
http://d.hatena.ne.jp/PreBuddha/20060305
http://club.pep.ne.jp/~hnagatomo/genji17.html

・理性は社会的刷り込み
・理性は本能の一部
ではないかというご意見は大変参考になりました。ありがとうございます。
この辺は、

社会的動物 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A% …

利他的行動 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E4%BB%96% …

互恵的利他主義 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%92%E6%81%B5% …

あたりで、我々が理性的行動だと思っているものも、実は本能的行動なのかな、とも取れるので、知的刺激を受けました。

以前、私が関連する質問をここでさせて頂いた時、
(1)「本能行動:生命中枢:無条件反射(本能行動)」
(2)「情動行動:大脳辺縁系:情動反応(学習行動)」
(3)「理性行動:大脳皮質:認知・思考(学習行動)」
と、(1)→(2)→(3)の順番で行動が起こされるという、秀逸な回答を頂いた事があります。
現在のQAでは、(3)が他と比べて尊重されるケースが発生するのは何故か? という質問にもなるかと思います。

また、イスラエルの諜報機関では動物行動学を応用した行動(仲間と認識する人間とは必ず食事を取る)など、理性面での「有用な連携を取りたい」という課題に対して、人間の動物的本能を利用した行動を取るようです。

補足日時:2011/01/09 10:52
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Q理性と本能のコントロールができません

今、私には5年程付き合っている彼女がいて、そろそろ結婚を考える時期になってきました。しかし職場には付き合ってはいないけど1年程前から月に1~2度身体の関係を持つ女性がいます。

心の中では、けじめをつけて彼女1本と思っているのですが、職場でその女性を見ると「やっぱりかわいいなあ」とか「今週密会するのが楽しみだなあ」とか考えてしまい、ズルズルと引きずってしまっています。
職場の女性は顔がかわいく、スタイルも自分好みですが、性格はわがままで彼氏がいます。自分の彼女は優しく、趣味も合う穏やかな女性で、顔もかわいらしい人です。ですので、彼女に特に人間的な不満は無く、一般論を言えば、彼女を大事にするのは当たり前であり、けじめをつけれない自分がダメな男なのはよくわかっています。しかし、Hだけは彼女とするよりその女性とする方が中身も濃さも別格にいいのです。会社の女性を知るまでは、彼女とのHにも満足していたのですが、会社の女性とのHを知ってしまった私には、彼女とのHが物足りなくなってしまいました。
最近は彼女を抱く度に会社の女性を思い出してしまいます。

はっきり言って彼女は失いたくありません。ですが、会社の女性との関係を今の気持のままでは清算できそうもありません。

長い目で一緒にいるなら居心地のいい優しい彼女。しかし、Hだけは別の女性がいい。
こんな時世の先輩方はどうやって理性と本能を整理してきたのでしょうか?ご教示お願いします。

気分を害される方もいる思いますが、自分なりに分析するとこんな感じです。
          彼女     会社の女性
性格の良さ     9/10 6/10    
趣味の一致 8/10 6/10
かわいさ 8/10 9/10
スタイル 8/10 8/10
Hの満足度 7/10 10/10
出ているオーラ 6/10 10/10
服装 7/10 9/10
酒の強さ 10/10 6/10
わがまま度 5/10 9/10
居心地の良さ 8/10 7/10
年齢        27 30

なお、そろそろ彼女と結婚を考えてるという事を伝えたら会社の女性は今までより頻繁に会う機会を求めてきました。
また、その女性は彼氏と10年近く付き合っていますがなかなか彼氏が結婚を決めないそうです。
彼氏は同じく職場の人でキャラ的には若手の盛り上げ役みたいなタイプで、女性大好きなノリのいい方です。私も知り合いです。
職場の女性は彼氏のことが好きではあるが、自分はこの人と将来一緒になっても幸せになれないと考えているそうです。
二人とも転職してお互い別れて付き合ってみるか?みたいことをたまにのりで話しますが、お互い勢いでそうなれないのはよくわかっていますが、何故か依存し合っています。
もともと何となくのお気に入りで酒に酔った勢いの関係からスタートしたのですが、精神的には結構大きな存在になってしまいました。
お互いの彼氏・彼女を優先しているため、今日は彼氏と約束が、とか今日は彼女と約束がとかいう理由でお互いの誘いを断ったりもできます。優先度があるくせに、お互い離れたくなくなってしまいました。
ですが、最近は虚しい気持ちにもなってしまいます。結局自分が悪いんですよね。

今、私には5年程付き合っている彼女がいて、そろそろ結婚を考える時期になってきました。しかし職場には付き合ってはいないけど1年程前から月に1~2度身体の関係を持つ女性がいます。

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ご丁寧なご回答ありがとうございました。
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でも、一緒に苦しい時支えあうというお考えなら、今の彼女で貴方が満足されるか不安が残ります。

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Q理性の対義語は?

理性の対義語はなんというのでしょうか?

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また違っている残り2つの対義語はなんなのでしょうか?

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【理性】をどう捉えるかって事により、対義語はかわってきます。
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この質問は このジャンルでふさわしいのかどうかちょっと迷ったのですが・・・。

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また その「人間の3大欲」という言葉は
誰が 言い出したのでしょうか?

Aベストアンサー

人間の三大欲望は
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食欲は,物を食べ,エネルギーにする事。
睡眠欲は,睡眠をとり,脳を休ませること。
性欲は,トイレで用をたしたり,エッチをしたり,する事
この3つはある程度は我慢が出来ますが,人間が生きていくためには必ず必要なことです。欲望というより,必要不可欠なことです。
でも、このことを言った人はわかりません。昔からの言い伝えではないでしょうか?

似たような語で,「衣・食・住」これは、生活の上のことです。

Qズバリ!ヒトと他の動物との違い

ヒトと他の動物との違い(ヒトは出来て他の動物は出来ないこと)について
オレが考えるのは、ヒトにしか、道具を作るための道具を作ることは出来ないということ(意味わかると思います)。
ちゅうい!「ヒトには理性(自身の欲望をコントロール)があって、他動物にはない」とか、「ヒトは恋をするが、他動物はしない」なんていう怪しげなやつは抜きで、客観的に見て考えられるものについて回答まってまーす 

Aベストアンサー

ヒトとほかの動物との違い。

生物学的には「直立2足歩行」というのが第1に挙げられます。アウストラロピテクス属やヒト属にあってチンパンジー属にない特徴ですね。ただ2足で歩くだけなら、チンパンジーなどの類人猿は頻繁にしますが、直立というところがポイントですね。頭蓋骨と脊椎とのつながり方が違います。

火の使用もそうですね。日本モンキーセンターだったと思いますが、焚き火に当たるサルというのがいるそうです。しかし、自然状態で恒常的に火を使用するのはヒトにかぎられます。火については、肉などを火にとおすことで消化にエネルギーを費やす必要性が低下し、脳に余分に栄養を回すことができるようになった、という説があるそうです。

言語、芸術、宗教もヒトに特有のものです。ただ、これらはネアンデルタール人にもなかったとされています。ネアンデルタール人が死者を土葬していたのも衛生のためであり、花を捧げているように見えるのも花粉が洞窟に入ってきただけだ、と考える説があります。また、認知考古学者マイセン(ミズンと書かれることが多いですが)は、環境についての知識(博物的知性)、集団のなかで生きていく知識(社会的知性)、道具を使う知識(技術的知性)、言語的知性が独立に進化すると考え、芸術、宗教、トーテムのようなものは、それらをつなぐ流動的知性があってはじめて成立するとしています。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4791756533/

とくに言語についてはいろいろな説が考えられていますね。そもそも発声器官が違っていますが、言語的知性の点でも違っています。たとえば、チンパンジーに言語を教えても、明瞭な文法は見られません。相手の語順に敏感だったり、自分が発するときに好む語順といった程度ならありますが。言語に代表されるシンボルを使用する能力の進化について書かれた本。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4788506718/

また、言語獲得を支える社会的な知性の点でも異なります。何かを教えるときの周囲のヒトのかかわり方も、チンパンジーとヒトとではまったく異なっています。ヒトのほうが圧倒的におせっかいですね。言語獲得、言語使用の研究にとって社会的基盤という観点が重要であると教えてくれる本。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4326199407/

因果的な思考能力も、ヒトに特有のものです。物理でよく習う力の概念も、ヒトのように明瞭なものはもっていなさそうです。また、他者が意図を理解する能力も、ヒトほど高度な認知には至りません。これらは、動物の行動の分析によって示唆されています。

>「ヒトには理性(自身の欲望をコントロール)があって、他動物にはない」
〔略〕
>なんていう怪しげなやつは抜きで

と書かれていますが、それほど怪しいというわけではありません。自己抑制能力やメタ認知能力として発達心理学、動物心理学などで行動科学的視点から研究されています。これがどこまでヒトに特有のものなのかは、ちょっと失念しました。餌の2選択肢があって少ないほうに手を伸ばせばちゃんと餌がもらえるという実験で、チンパンジーはこの学習に苦労するという結果が出ていたような気がします。記憶違いかもしれません。もし本当だとしても、これだけでチンパンジーに自己抑制能力が完全にないというわけではないですし。ともかく、これが動物とヒトとで認知能力を比較する上で、ひとつの客観的な視点になりうるということは確かです。

>オレが考えるのは、ヒトにしか、道具を作るための道具を作ることは出来ないということ(意味わかると思います)。

道具については、道具を製作するための道具は、ヒト以外の動物にはありません。また、組みたてて作る道具の部品を製作することもありません。短いのを接続して長くして使うという若干例はありますが。道具使用を補助する道具や、道具を使いやすくする加工、将来の使用を予期して適切な道具を選択する、といったことはすることができます。最後の例については、最近の『サイエンス』に載っていましたね。
http://dx.doi.org/10.1126/science.1125456
霊長類以外も含むさまざまな道具使用を動物の認知能力という視点で振り返った総説としては、次の本の最後の章があります。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/192090199X/

ほかの方の補足。

>No. 1

笑いはチンパンジーなどではよく見られますね。動物園に行かれるとわかります。じゃれあっているチンパンジーがものすごく低い声で「ゴッゴッゴッ」と鳴いていることがありますが、それが楽しいときに発せられる笑い声です。ファン・ホーフの説によると、これがそのまま人間の「ワハハハ」という笑い(laugh)の起源になり、霊長類が優位個体に対して服従を示すときに歯を見せる表情が微笑(smile)の起源になったそうです。

役者、とまではいきませんが、ふり遊びのエピソードはあります。チンパンジーは物を引きずって遊ぶことがあるのですが、何かを引きずったふりをして遊んでいたというものです(周りの状況が、たまたまではなくわざとそうした可能性を示しています)。

>No. 2

味つけはしている可能性があります。幸島のニホンザルはイモ洗いで有名で、たしかその幸島だったと思うのですが、何かを海水に浸すのが塩味をつけるためだという説があったような気がします(うろ覚え)。ヒトが自分好みの味に整えることと、どのように関係するのかはわかりませんが。

移動手段については、屋久島のヤクニホンザルだったと思いますが、シカの背中に乗って移動することがあるそうです。遊びだったかもしれません。

病気の手術については、オマキザルが傷口に蜂蜜を塗る行動をしたというエピソードがあります(外科的)。また、チンパンジーが体調の悪いときに薬草的なものを飲む行動が見られるそうです(内科的)。

記憶については、その通りですね。このあいだのBSハイビジョン『アイとアユム』でチンパンジーの数字記憶課題で言われていたことですが、外部記憶に頼ることで、ヒトは瞬間的に大量に記憶しておく能力を失った可能性が考えられるそうです。

>No. 3

楽しみというわけではありませんが、ヒトの戦争のように、チンパンジーの群れどうしでは、相手の群れに大打撃を与えるほど悲惨な殺し合いがおこなわれることがありますね。

事実と説とを織り交ぜて書いてしまい、わかりにくいところがあるかもしれません。また、これらに対立する仮説もあると思います。

ヒトとほかの動物との違い。

生物学的には「直立2足歩行」というのが第1に挙げられます。アウストラロピテクス属やヒト属にあってチンパンジー属にない特徴ですね。ただ2足で歩くだけなら、チンパンジーなどの類人猿は頻繁にしますが、直立というところがポイントですね。頭蓋骨と脊椎とのつながり方が違います。

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Q本能と欲望と欲求の違い

この三つの違いを教えてください
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理由も付けて教えて下さいさい

Aベストアンサー

こんにちは。
欲求には「生理的欲求」と「精神的欲求」があります。
本能というのは「生理的欲求を発生する機能」であり、
情動とはこれを「精神的欲求に変換する機能」です。
そして欲望とは「精神的欲求が生み出す感情」です。
ですから、欲望といいますのはそもそも我々の感情であり、その大きさは精神的欲求の不足に比例します。

まず、本能といいますのは生理的欲求を満たすための無条件反応ですので、基本的には我々動物の本能行動に欲望は発生しません。では、ここに感情が発生するのは、その欲求が満たされたとき、あるいは阻止されたときです。そして、このような「嬉しい」「悔しい」といった結果が脳内に学習されることにより、次からはそこに「期待」や「損得」が生まれ、これにより、ここに初めて欲望という感情が発生するようになります。

このように、生理的欲求といいますのは元々体内に存在するものですが、欲望といいますのは失敗や成功を基に精神的に学習されるものです。そして、我々動物はこれによって本能的な欲求の達成をより確実にします。では、お金が欲しい、有名になりたいといったものは生理的に備わったものではなく、これそのものが生後学習によって後から作られた精神的欲求です。従いまして、我々がこれを実現しようとするならば、そのためには必ずや欲望という感情が発生しなければならないわけです。

感情を発生させているのは情動反応を司る大脳辺縁系というところです。ここでは本能行動や生後体験の結果を学習記憶し、これを欲望として再現します。
本能行動とは生理的条件の不足を補うものであり、社会行動といいますのは社会的条件の適合を満たすものです。ですが、何れにおきましても過去の学習結果を基にその評価を下しているのは大脳辺縁系の情動反応であり、この反応の強さが即ち与えられた条件において発生する欲望の大きさということになります。

こんにちは。
欲求には「生理的欲求」と「精神的欲求」があります。
本能というのは「生理的欲求を発生する機能」であり、
情動とはこれを「精神的欲求に変換する機能」です。
そして欲望とは「精神的欲求が生み出す感情」です。
ですから、欲望といいますのはそもそも我々の感情であり、その大きさは精神的欲求の不足に比例します。

まず、本能といいますのは生理的欲求を満たすための無条件反応ですので、基本的には我々動物の本能行動に欲望は発生しません。では、ここに感情が発生するのは、その欲求が満たさ...続きを読む

Qカントの「理性」

カントは「理性」をどう捉えていたのでしょうか?

『純粋理性批判』を紐解いてみても、今一つすっきりしないのです。

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という感じで捉えているのですが、どうも自信持つことができないので。

ひょっとしたら、全く的外れなのかもしれないですが、どうか教えて下さいませ。

Aベストアンサー

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 人間に備わっている「ものを思考する能力」は、「絶対」を対象とすると、二律背反に陥る、これは、例えば、神の存在について、「存在する」と思考しても、「存在しない」と思考しても、同じように、理論的な提示が出来る、という例を示しています。

 カントは、人間理性のこのような限界を示すと同時に、それが、先天的に人間には備わっている、という2点を強調します。

 ここから、カントは、判断力批判において、格率、という考え方を導き出します。
 すなわち、ある一定の所与のドグマではなく、「その行為が全人類にとって、普遍妥当的であるかどうか」という観点から、自らの行動の規範を知れ、と言うわけです。

 「絶対」の前に於いての無限の無力、しかしながら、それゆえに、普遍妥当性を認識することの出来るアプリオリ(先天的)な人間理性の存在を指示することによって、彼は、最後の「人間存在の尊厳」を、証ししようと、揚言するわけです。

 因みに、カントの理性は、ヘーゲルでは、歴史的なガイストという概念によって捉えなおされ、「理性の狡知」による、歴史自体の発展の予定調和として、その先天性を保証されていくわけですが、考えようによっては、ヘーゲルのなかに既に、後年の「実存主義」の芽があるともいえるでしょう。
 

 いずれにしても、カントによって持ち出された「先天的に存在している」(アプリオリ)、という観点ですが、これは、当時の時代の一つの特徴であった、経験主義、カントの用語法によると「ア・ポステリオリ」(後天的)なもの、それのみで、神や人間理性、尊厳、真の意味での倫理規範、といったものを狭く限定的に規定することの誤りを、強く批判したかったのだと、私は、思います。

 分かりにくい言い方かもしれませんが、カントの理性批判は、上の意味で、存在論なのだ、という見方も出来るでしょう。

 
 ・・・・先天的に存在している人間理性の不可思議、について、深く相通底すると思われる、一人の天才的な思索者のことばを、引いておきます。

「しらるる際の知るからざるは、この知ることの仏法の究尽と同生し、同参するがゆえに、しかあるなり。」(道元・正法眼蔵)

 道元は、カントより500年以上前に生まれた日本人ですが、仏教には、もともと、唯識論などのような、認識論や存在論が含まれています。
 仏法、という宗教的なことばの背後に、後年付託された「宗教」という概念を被せてはいけませんよね。


 ・・・・以上ですが、カントについての詳細な解説としては、今、日本とドイツで共同出版されている、ハイデガー全集のなかに、彼のカントの講義録もあるはずです。


 

 カントを読んだのは、随分昔になりますが、私見として・・・。

 人間に備わっている「ものを思考する能力」は、「絶対」を対象とすると、二律背反に陥る、これは、例えば、神の存在について、「存在する」と思考しても、「存在しない」と思考しても、同じように、理論的な提示が出来る、という例を示しています。

 カントは、人間理性のこのような限界を示すと同時に、それが、先天的に人間には備わっている、という2点を強調します。

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Q理性を失うとどうなるんですか?

この間お世話になっている先輩と二人で飲んでいたら、急に先輩が私に「かわいすぎて理性飛びそう」と言ってきました。
私は男性ではないので、理性が飛ぶとはどのような状態をいうのかわかりません。

男性のみなさん、理性が飛ぶとどうなってしまうのですか?

Aベストアンサー

女性は、好きな相手、付き合っている相手でないとセックスはできないと思いますが、男は特に嫌な相手でなければ誰とでもセックスできるのです。これは男と女の生理的、本能的な違いです。
そして男女が二人きりで飲んでいるとすると、男としては「できればこの女とやりたい」とか「二人きりで飲みに行くという事はこいつもその気があるのか?」などと考えるものなのです。
しかしそこを理性で押さえているのです。

Q男性は酔ってる時としらふ、どちらが本音でしょうか?

男性にお聞きしたいです。
皆様はしらふの時とお酒に酔ってる時と
どちらが本音が出やすいですか?

彼は、基本、超超超仕事大好き人間(40代前半)です。
何よりも仕事優先で連絡無精です。
でも、私には毎日メールしてと言います。(勝手です)

私は普通に仕事をしてて、女友達はいなくて男友達が多いです。
彼は、男性と会うのは構わない、自分に報告してくれればいい、
と言ってました。

自分が束縛されるのが嫌いだから、束縛はしない、
束縛したところで意味がない、要は信頼の問題だ、と
普段から言ってました。
だから、あまり嫉妬とかしないタイプだと思ってました。

彼自身は男っぽくて明るく楽しいキャラで頼りになるし、
女性の方から寄ってきてしまうので、どこに行ってもものすごくモテます。
私はあまりモテて欲しくありません…。

ただ、お酒が入ったら少しいつもと違う感じになります。
彼はお酒はむちゃくちゃ強くて、あまり酔わないんですが、
普段よりさらにハイテンションにはなりますし、
とにかくベタベタいちゃいちゃしたがります。
私は人目が気になるので、結構、恥ずかしいです。
ちなみに私はお酒が全く弱くて、甘えてふにゃふにゃになります。

この間、二人ともかなり酔った時に、急に
彼に「お前はもう男と連絡とるな、俺は嫉妬深いぞ」と
言われびっくりしました。

どちらかというと嫉妬しない人だと思ってたので。

彼の本音はどちらだと思われますか?
何か男性特有の心理とかあればお教え下さい。
ご意見、よろしくお願いいたします。

男性にお聞きしたいです。
皆様はしらふの時とお酒に酔ってる時と
どちらが本音が出やすいですか?

彼は、基本、超超超仕事大好き人間(40代前半)です。
何よりも仕事優先で連絡無精です。
でも、私には毎日メールしてと言います。(勝手です)

私は普通に仕事をしてて、女友達はいなくて男友達が多いです。
彼は、男性と会うのは構わない、自分に報告してくれればいい、
と言ってました。

自分が束縛されるのが嫌いだから、束縛はしない、
束縛したところで意味がない、要は信頼の問題だ、と
普段から言っ...続きを読む

Aベストアンサー

人間そんなに全てのことを割り切れる訳ではありませんよ。
彼の束縛したくないというのは本当でしょうし、嫉妬深いのも本当でしょう。

ただし、前者については割と理性的に考えており、
後者については感情的に考えているのでしょう。

自分が束縛されたくないから束縛しないなんて言い草は非常に分かりやすいじゃないですか。

特有の心理でもなんでもなく、ごく普通のことです。
酔った時には深く考えずに言ってますので、
さらっとその時の事を覚えているかどうか聞いてみましょう。
それが一番です。

Q酔った時の人格が本性なのでしょうか?

女性です。
普段は真面目で優等生タイプの性格。
清楚な感じに見えるとよく言われます。
彼氏といる時は普通にエッチですが
他の人の前では下ネタなんてできません。

以前お酒を飲んで酔っ払い、
記憶があいまいになってしまったことがあるのですが、
その時の私はかなりだらしなかったようで、
胸元がはだけているのを女友達に注意されても全く気にもせず、
ある男性に絡んだりしなだれかかったりしていたようなのです。
(その男性には少し好意をもっていました)
そして私はその時のことを全く覚えていません。
「あんなことやこんなことをしていた」
と言われても他人の話を聞かされているような感じでした。

女友達には
「あなたがそんなにだらしないとは思わなかった。軽蔑する」
とまで言われてしまい、落ち込みました。

いくら記憶がないとはいえ無意識にそういうことをしてしまうのは、
それが本性だからなのでしょうか。
私は二重人格なのでしょうか。
ずっと悩んでいます。
お酒はあれ以来飲んでいません。

Aベストアンサー

本性ではありません。
二重人格でもないです。
普段は理性でコントロールしながらTPOに合わせていかにふるまうかを決めている、というだけです。
あなたの行動はあなたの価値観が決めている。
ただ、酔うとコントロールがきかなくなるので感情がすぐに行動になって出てしまう、というだけです。

深酔いするほど飲んでしまったのですね。
私も若い頃には経験ありますよ。

ただ、私の場合はどんなに酔っても記憶があります。
何をしたのか全て覚えています。
酔っていると感情の抑制がきかないのですが、自分は今何をしているのか、これはして良いことか悪いことか(つまり物を盗んだり人を傷つけるような行為かどうか)という最低限の判断はついてます。

つまり、自分でもわかって好きな男性にしなだれかかり、甘えたり、酷いときには「あつ~い」とか言って、上着をぬいでわざとタンクトップ一枚になり周囲の反応を楽しんでいます。
別人格が暴れているわけではないので大丈夫ですよ。
ただ、翌日まで覚えているかどうかは個人差があるみたい。

それに、女友達に言われたことなんて気にすることないですよ。
自分にはできない、という嫉妬も半分あるはず。
酔ってる人は楽しそうですからね。
自分を解放してるわけだから。

特に、普段は目立たずおとなしい子が、酔って大胆になり、女性ホルモン全開でかわいく甘えたりしていると、
「何?あれ」「何を一人でまいあがってるの?」
みたいにものすごく悪口を言われますね。
でも、げーげー吐いて周囲に迷惑かけてる女性は悪く言われない。
むしろ「気の毒に~」みたいな感じ。

思い切り酔うなら、後でうるさく言う人がいないところで。
時には大酒飲んで好きに行動するのも楽しいと思うんですが・・

本性ではありません。
二重人格でもないです。
普段は理性でコントロールしながらTPOに合わせていかにふるまうかを決めている、というだけです。
あなたの行動はあなたの価値観が決めている。
ただ、酔うとコントロールがきかなくなるので感情がすぐに行動になって出てしまう、というだけです。

深酔いするほど飲んでしまったのですね。
私も若い頃には経験ありますよ。

ただ、私の場合はどんなに酔っても記憶があります。
何をしたのか全て覚えています。
酔っていると感情の抑制がきかないので...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む


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