No.3ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
#2です。回答をお読み頂き、ありがとうございます。
>となると知性ってやはりイメージ通り、理性的の割合がおおくないといけないのでしょうか。
そんなことは決してないと思います。
理性行動といいますのは最も複雑な知能行動であり、これによって情動行動の比率が下がるというのは、これは間違いのないことです。
ですが、飽くまで知性的であるということは、それはどれだけ多くの学習結果を行動選択に反映させることができるかということです。理性も感性も、どちらも生後の学習体験によって成長するものであり、使われないのであるならば基本的には知能が高いということにはならないです。
理性と感性では役割が違います。
子供と大人では情動行動の比率にはっきりと差がありますが、それは使われなくなるということではなく、外に現れなくなるということです。
我々の脳内で理性といいますのは「比較する能力」であり、感性といいますのは「判定を下す能力」に当たります。比較も判定も、共にそのひとの学習結果を基に行われることですので、学習体験が乏しければ十分な能力は発揮されません。
比較といいますのは複数の結果を扱うということですから、より複雑な比較を行うためにはそれなりの「知能(処理能力)」が必要です。このため、理性行動の比率といいますのはどうしても成長や知能の高さに比例します。
これに対しまして、判定といいますのは自分に与えられた状況に対して利益・不利益の価値判断を行うということです。このためには、判断を下すための判定基準を学習しなければなりません。判定基準があれば行動を選択することができますので、こちらは処理能力の高さとはあまり関係がありません。ですが、より多くのことに判定を下すためには、より多くの基準を学習しなければなりません。学習体験が乏しければ偏った判定しかできませんよね。ならば、どんなに高度な比較を行いましても、判定が偏っているのでは知能が高いとは言えないわけです。
理性といいますのは「情動に捕らわれない選択」と定義されます。
どうしてこのようなことが起こるのかと言いますと、それは、我々の脳内で判定を下す機能を司っているのは感性であるからです。そして、これは「大脳辺縁系の情動反応」として行われることです。
大脳辺縁系には身体内外からのあらゆる知覚情報が入力されており、ここではそれに対して利益・不利益の判定が行われ、情動反応を発生させます。この情動反応が我々の「感情の素」であり、この判定に従って選択されるのを「情動行動」と言います。そしてここには、例えば「好き・嫌い」「美味い・不味い」など、我々が生まれてから体験したありとあらゆる判定基準が学習されています。
では、嫌いな食事が出されますと、我々の脳内ではまず「嫌だ・不利益」という判定が下されます。ですが、嫌いだからといって食べないわけにはゆきません。何故ならば、お母さんに怒られるからです。これが理性行動です。
つまり、理性行動といいますのは複数の結果を比較するとことによってより価値の高い結果を選択するということです。ですから、ここでお母さんに怒られるという結果を予測することができませんと、そのまま情動行動の方が選択されてしまいます。このため、理性行動とはその場の感情に捕らわれない行動と定義されます。
このように、理性行動といいますのは「過去の体験」を基に「今現在の状況」比較し、より価値の高い「未来の結果」を選択するための「計画行動」です。
では、我々の脳内で判定を下す機能といいますのは感性の方にあります。まず、お母さんに怒られたという体験がありませんとこれを判断材料に用いることはできません。更に、そこでは怒られることに対して「不利益」という判定が下されなければどっちが得かを決めることができません。
これがどういうことかといいますと、つまり大脳皮質で行われているのは、それは飽くまで論理的な比較であり、最終的な判定を下しているのは大脳辺縁系に情動反応として発生する心の動きであるということです。そして、この「心の動き」が即ち我々の感性であります。従いまして、大脳皮質が如何に論理的で理性的な計画行動を立案しようとも、大脳辺縁系に心の動きが発生しなければ我々は一切の行動を選択することはできないわけです。
「心の動き」といいますのは感性の役割であり、果たして我々の大脳皮質には意思決定の機能というものはありません。
まさかと思われるかも知れませんが、この大脳辺縁系の情動機能を損傷してしまった患者さんの事例が報告されています。外国の男性なんですが、言語も記憶も全く正常なのですが、何をしたら良いのに判断が付けられなくなってしまいました。それがネクタイであり、靴であることは理解できるのですが、自分が何をするのかが全く分からないのです。気の毒なことに、このひとはその後、事業に失敗して破産してしまったそうです。
このように、脳内に心の動きを発生させ、実際の行動選択の動機を成立させているのは感性です。ですから、ここで最終的な判定が下されなければ我々は如何なる行動も実行に移すことができません。そして、ここにより多くの正しい判定基準が学習されていないならば、それは即ち状況に応じた適切な行動を選択するだけの知能は備わっていないということになります。
「正しい判断」というのはいったい何でしょうか。哲学のカテではしばしば論議に上がりますが、取り敢えずここでは「状況に応じた適切な判定」ということにさせて頂きます。
理性行動といいますのは計画行動のことであり、道徳行動と同義ではありません。それは未来の結果を予測した意識行動であり、「計画犯罪」というならばこれは立派な理性行動に分類されます。
道徳観といいますのは言わば社会のルールでありますから、論理的な結果予測によってそれを実践することももちろん可能です。でが、実はこの道徳観というものの多くは我々の感性として学習されています。
「ご飯を残してはいけない」
「裸で外を歩いてはいけない」
お米というのはお百姓さんが一生懸命に作ったものだ、
それはお父さんのお給料で買ったものだ、
論理的な解釈は様々にありますが、我々の脳内に「もったいない!」という反応が発生するのは、それは子供の頃お母さんに叱られたからです。
裸で外を歩いてはいけない、理屈ではありませんよね、恥ずかしくてできないんです。
このように、我々が生まれ育った社会の道徳といいますのは、果たして理性ではなく、その多くが我々の感性によって無条件に守られています。
他人の心の中を覗いてみることはできませんので、我々は必ずや「模倣」という手段を用います。これを「情動理解」といいます。
他人の心情を理解するためには、自分の脳内でそれを「模倣(シミュレーション)」する必要があります。ですが、このためにはまず自分に同様の情動体験がなければなりません。ですから、前の回答でも取り上げました他人の痛みを理解するというのは、これは即ち感性学習の問題ということになります。
「ホリエモン」の知能はたいへん高いですが、彼の行動といいますのは果たして理性的であったと言えるでしょうか。結局は法律で裁かれることになりましたが、少なくとも私の目にはそれ以前から彼の行動に本物の知性というものは感じられませんでした。若く、野心に満ちていることもあるかも知れませんが、メディアでの発言も軽薄なものが目立ちました。
億の金を手に入れることが可能であり、彼にはそれだけの知識がありました。この状況でそれを断念するというのがどれだけ困難なことであるかは分かります。
自分は正しい
法的にも問題はない
というのが彼の主張でした。
ですが、ここでは他人の不利益という問題は一切問われていません。このため、ホリエモンは金を儲けたいという欲求を抑えることができませんでした。
知識といいますのは次から次と身に付けることができます。ですが、感性といいますのは体験が伴わなければ獲得することはできません。ならば、ここではそれが高度であるか否かではなく、豊かであるかどうかが評価されることになります。そして、最終的な判定を下すのは感性です。このため、知識ばかりが優先されますと、往々にして判断を誤る結果となります。
未熟な知性には未熟さが現れます。我々は、様々な体験に学ぶことのできる「豊かな知性」を身に付けなければなりません。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
「本能行動」
「情動行動」
「理性行動」
このうち、生物学的に最も優先順位の高いのは本能行動です。ですが、高等動物になるに従ってこの関係はそれほど単純ではありません。このため、このようなものを個人の能力として評価するためには、これによって選択される「行動の比率を比較する」という手段が用いられます。
知性とは「知能行動」
理性とは「計画行動」
感性とは「情動行動」として選択されます。
評価の方法は以下の通りです。
知性は「本能行動に対する学習行動の比率」によって評価されます。
理性は「情動行動に対する計画行動の比率」によって評価されます。
この二つは年齢や学習体験に比例しますので、知能検査や能力測定では「精神年齢」という要素が用いられます。
では、情動行動といいますのは知性や理性の発達によって必然的に抑制されますので、感性の高い低いといいますのは必ずしも年齢や比率だけでは評価することはできません。このため、適性検査や性格診断の場合は知識だけでは解決することのできない様々な課題が用いられます。
「食べ物の好き嫌い」や「異性の好み」といったものは感性に含まれます。ですが、個人差ははっきりと認められるのですが、これを評価の対象にすることはできません。このようなものは個人の好みなのですから、どうやっても点数の付けようがないです。
このように、感性には正しい答えというものがありません。そして、ここに必ずや個性というものが反映されるのは、それは情動反応の判定基準といいますのは個人の生後体験から学習・獲得されるものであるからです。
単純な例を挙げますと、情動体験といいますのは我々が生まれたときには白紙状態ですから、例えば美しいものに触れませんと美しいと感じることはできませんし、同様に危険という体験がありませんと恐怖というものを学習することはできません。ならば、感性の高い低いといいますのは、それは情動学習の結果であり、どれだけ多くのものに情動反応を発生させることができるかということになると思います。
適正検査による能力評価などといいますと何となく社会適合性といったイメージが出てきそうですが、基本的には感性の個人差といいますのは評価の対象にはできません。飽くまでそれは個人的価値観ですからね。ですが、情動反応といいますのは生後体験によって獲得されるものです。ならば昨今、他人の痛みを理解することができないなどといった斯くも不可解な現象は、果たしてそのひとの生後体験や現代の社会環境と決して無縁ではありません。
「知覚」といいますのは判定を下す前の情報ですので、これは行動選択の結果とは直接の関係はありません。
我々の脳内で情報処理といいますのは以下の経路で行われます。
「知覚入力―中枢判定―結果出力」
では、ここで結果出力に当たる知能行動、理性行動、情動行動といいますのは、これらはみな入力された情報がどのように処理されたかによる分類です。ですから、どの中枢機能によって処理されるべき入力であるかといった要素が予め含まれている場合ももちろんありますが、基本的にはそれは処理される前の入力情報でありますから、知覚といいますのは何れの中枢機能と対応するといった性質のものではないです。
この回答への補足
ありがとうございます。ところで知性は理性と感性の合計みたいな
捕らえ方をしたとしたら、理性と感性の割合によって印象がちがうように思うのですが・・・なんか理性の勝る人のほうが知性的なような。
となると知性ってやはりイメージ通り、理性的の割合がおおくないといけないのでしょうか。
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