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A 回答 (18件中1~10件)
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No.18
- 回答日時:
こんばんは。
>USA for Africa という企画がありましたが、日本という国ではパクリばかりで、率先してやるということがまず考えられません。
USA for Africa = We are the world も、元はといえば、イギリスのバンド、ブームタウン・ラッツのメンバーである、ボブ・ゲルドフの考えた (ライブ・エイド "Live Aid" =アフリカを救おう)から来たものですね。イギリスでの歌は "Feed the world" ( Let's they know it's Christmas time) =(アフリカに食べ物を!今がクリスマスだということを彼らに知らせてあげよう)でしたね。
アメリカもヨーロッパに後れを取っていることは否めませんが、身も蓋もない言い方をすれば、日本人は彼らに比べてスケールが違い過ぎるといった感じです。
>結局、「教育」以外にはないでしょう。しかし、教育は国が管理していますし、各家庭に口を出すわけにもいかない極めて難しい問題です。
確かに「教育」が全てと言っていいかもしれません。しかしどのように・・・
>今私が出来ることは、「訴える」ことだけです。残念ながら。
せめてその気持ちだけでも持ち続けられるといいですね。
あまり建設的なことが言えずにすみません。
ご回答ありがとうございます。
>あまり建設的なことが言えずにすみません
とんでもありません。つきあっていただき、コメントいただいた
だけでも嬉しいです。
>しかしどのように
これに関しては、私は強気です、実は。
企画力、デザイン力でしょう。
明治維新における坂本龍馬の企画力は大したものだと思います。
問題が大きければ、それに見合ったやり方というものが存在する
はずだと考えます。問題の急所というものがあると考えます。
自分一人の力は微々たるものでも、世の中には様々な人がいて、
様々な力が存在します。それらとリンクできたら力を集積するこ
とは可能です。
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No.17
- 回答日時:
>私は、様々な解釈が出来るような言葉を使う人が嫌いなんです。
それはそれは大変申しあけありません。誠心誠意謝罪申し上げます。
私は、回答者に対して、「よくわからん」などと啖呵を切ってしまう方が大好きです。
回答者に対するお礼がそれだった場合は、回答者が混乱をすることがあると思いますし、上から目線だと感じることがあり、むしろ愉快になることがあるだろうと思うからです。
信頼関係があればいいのですが、それがないうちに、回答そのものではなく、回答した人物を直接「回答者を嫌いだ」と否定してまで、自分の肚を割る努力をなさっておられる「誠心誠意」には感服申し上げます。
利己性と利他性の様々な解釈の中で御理解の助けになっていれば幸いです。
はっきりものをいうという「やり方」が私は好きですし、
これをやり通すことで、伝えられることが少しずつ増えて
くると思っています。
あなたはあなたなりの「やり方」を模索しているように感
じます。時間とともに受け取れるものが増えてくるだろう
と思います。
嫌いなところがひとつあるからといって、全てが嫌いとい
うわけではありません。
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No.16
- 回答日時:
キリスト教は愛の宗教と言われていますね。
パスカルが「ヨーロッパ、すなわちキリスト教的世界」と呼んだように、ヨーロッパでは、「愛」が社会制度に大きな影響を及ぼしているように見えます。結局「無償の愛」というものだけで、社会を救うことは難しいので、「愛」の気持ちをいかに制度として活かしてゆくかだと思います。
勿論キリスト教がなにもかも愛にあふれているわけではなく、過去も現在もそれによって争いも生じていますが、同時に日本よりは「他者への思いやり」の気持ちを持っていると思います。
自分の質問でのハコブルさんとのやり取りですが、
G:『ご存知かと思いますが、例えばフランスでは終業後のスーパーの食料品を廃棄することなく慈善団体へ寄付することが法制化されましたね。画期的な事です。無論これは単なる「綺麗事」ではなく、無駄を省くという政策の一環だったわけです。』
http://tabi-labo.com/225776/food-loss-france/
H:『日本でも、フードバンクという活動が行なわれているようですが、賛同企業(期限切れ間近商品を寄付してくれる)がなかなか増えないそうです。
理由は、一般の消費者から、自分たちはお金を払って買っているのに・・というクレームが来るからだそうです。』
「愛」だけで人は救えない。「愛」をいかに目に見え、手に触れることのできる具体的な形=制度に結晶させるかが問われるのだと思います。ただ、その前に、人の心=日本人の心にいかにして「愛」を植え付けることが出来るのかを考えると、正直途方に暮れてしまいます。
再度のご回答ありがとうございます。
キリスト教の「愛」の教えが、人々の「利他性」を刺激したのは事実
でしょう。
これをもとに、文学、芸術、庶民文化に至るまで、人間らしい文化を
作ってきたということは人類史上の「収穫」といっていいと思います。
仏教をはじめとした東洋思想も同様に、人々の「善性」を開いてきた
実績があると思います。
しかし、仰るように日本という国は独特であると思います。「利他性」
が弱いという意味で。
原因は私の中で特定できていないのですが、日本人はとても「みみっ
ちい」ですね。
・自分の敷地に知らない人間に一歩でも踏み入れられただけで激怒する
壮年。
・タイムカードの分単位のことで血相を変える婦人。
・友達同士で麻雀をやり、点棒を誤魔化す青年。
・敵わないライバルに、精神的ダメージをチマチマ与えようとする男。
等々等々等々等々‥‥
こういう根性の日本人に、「利他性」をうったえることは極めて難しい
ということは、身をもって痛感しています。
上から目線のもの言いですが、私は親の教育等により、克服するように
努力をしてきたつもりです。
USA for Africa という企画がありましたが、日本という国ではパクリば
かりで、率先してやるということがまず考えられません。
結局、「教育」以外にはないでしょう。しかし、教育は国が管理してい
ますし、各家庭に口を出すわけにもいかない極めて難しい問題です。
今私が出来ることは、「訴える」ことだけです。残念ながら。
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No.15
- 回答日時:
>よくわからん。
愚かな回答をしたとはいえ殺伐としたお礼に大変悲しんでいます。これでは「人間社会は殺伐とした、永続性のな
いものになるでしょう。利他性(愛)により、豊かで美しいものに
なりうると思います。」
私は、様々な解釈が出来るような言葉を使う人が嫌いなんです。
質問に対する答えがそれだった場合は、質問者が混乱をすること
があると思いますし、上から目線だと感じることがあり、不愉快
になることがあるだろうと思うからです。
信頼関係があればいいのですが、それがないうちは、自分の肚を
割る努力をすることが、私は「誠心誠意」だと思っています。
No.14
- 回答日時:
まずは生き物にすぎない存在として「狭義の利己」①があり
そのうえで社会的動物として「広義の利己につながる狭義の利他」②
さらにほかの動物とは違う人間として
理性で①と②の調整を図った先に
「広義の利己」③が成立し
その先に③の集合体として社会の繁栄という
「広義の利他」が成立する。
こんな解釈が可能だと思います。
ご回答ありがとうございます。
自己の生存のための、「狭義の利己」
「持ちつ持たれつ」という意味の「狭義の利他」
これが「広義の利己」へ人を誘う。
「広義の利己」とは例えば事業を起こすということなどでしょうか?
そして、「広義の利他」の精神へと至る、と。
No.13
- 回答日時:
利己性は本能、利他性は理性
心の状態で大きく左右されますね。
心の状態は環境、教育、思考、このようなものに大きく左右されると自分は思います。衣食足りて礼節を知る。
人間も自然の中で生きている。食物連鎖の圧倒的頂点にいる。
個々に植物を愛し自然を愛す人も人間社会の恩恵を受けて生きています。
大きな違いとは自分は思いません。
利他的とは人間が共存し、上手く生きる為の知恵。
愛するものを守るために何かを犠牲にしない人はいない。
犠牲という表現が適切かどうかは置いといて、社会も個で動物や自然を愛している人も利他的であり利己的である。本能と理性は混沌としてる。
理性はブレーキのようなもの。
本能はアクセル。
両方持っているのが人間が作り上げた社会、環境で生きていく術。
自分はそのように考えます。
三度のご回答ありがとうございます。
終戦直後、闇米を買わず餓死した法律家が存在したという話は有名ですが、
彼は、大変に高い「利他性」を発揮しようとしたと思います。
「食料統制法」は悪法であることは分かっていながら、国民として法律を
守ることは極めて重要なことであることを信念として、身をもってこれを
示したといえると思います。
私は、価値観が少し違うので、これをしませんが、誠に天晴れな精神だと
思います。
No.12
- 回答日時:
人間は金銭的な損得を計算できますので、そういう勘定?感情?を抜きにしないと答えが出ませんよね・・・
動物にも利他性がありますよ!
もちろん家族愛的な食べ物を分け与えたり、仲間を敵から救ったり。
そういう遺伝子的な部分が人間には多いような気がしますが、
チームとか仲間で括った場合にのみ発生するような気がします。
極端な例ですが、オリンピックでは誰もが他国よりも自国を応援しますよね。
人間は特に仲間意識が強いので、仲間だと認識すれば利他性の面が現れます。
つまり、損得抜きに仲間と認識した場合、助けたいという意識はあります。
普通「give&take」と教育されますが、
私は「give&give 見返りを求めるな」と師に教えられました。
ただし、これが出来る条件として、立場/時間/お金などに余裕がなければ、多くの利他性を発揮できません。
愛とは自己犠牲の意識が強い状態の事
個人的見解だと「自分の命をも犠牲にできる相手」
これが本当の愛だと思います。
もちろん愛にも大小あって、小さなことでも利他性を発揮する。
動物の遺伝子的利他性: 10%程度
人間の遺伝子的利他性:+10%
人間の教育的利他性:+15%
人間の利他性 合計:35%程度
と考えています。(±個人差有り ±損得勘定有り)
考え方は人それぞれ、正解は無いので、
自分なりの答えを見つけてください。
No.10
- 回答日時:
精神分析学者の岸田秀が、「人間は本能の壊れた動物である」というようなことを言っていたと思います。
ご存知でもありましょうが、精神分析学では精神性について、本能・自我・超自我といった分類をするようです。基本的に(非情に大雑把に)
本能⇒快・不快
自我⇒損・得
超自我⇒善・悪
といった要因に左右されるという設定。
ご質問に沿って言うなら、
利己性⇒本能
利他性⇒超自我
でしょうか。
「人間は本能の壊れた動物である」とは言い得て妙ですが、逆に言うと、本能が壊れた状態が現出したからこそ、人間は(動物とは一線を画し)人間として存在することとなった、とも言えるでしょう。
利己性(本能)と利他性(超自我)がせめぎ合う場面が必ず現れるわけですが、そのときに、「我」としての言動を最終決定、つまり選択するのが自我の役割。
「利己につながる利他」が存在するのは確かですが、それは、この自我の視点から見た場合の解釈になると思います。しかし、それ以前に、そもそも利他性(超自我)自体が芽生えなければ、人間として成立していなかったと捉えるのが自然ではないか、と私は思っています。
動物である以上、利己性を完全に失えば生きていけない。
しかし、利他性が皆無なら、人間性を喪失していると言わざるを得ない。
ということで、自我の選択という意志行為に焦点が当たると思うのですが、この場合の選択基準はその人なりの価値観ということになるでしょう。
可能性として、どのような価値観を共有していけるのか、ということが問われているような気がします。
ご回答ありがとうございます。
人間の本能的な部分は、壊れているのか(退化してしまったのか)それとも
隠れているだけなのか、実は私の中では答えが出ていない問題です。
人間の精神が、イド、自我、超自我のように、階層的な存在であるという
ことは間違いないと思います。
利己性が本能で、利他性が超自我で、そのせめぎあいを自我が、その価値
観により決定してゆくーー大変明快な分析のように思えます。
考え方としては、私も同様のことを考えているように思います。
しかし、選択基準については、価値観とともに、「心の状態」というべき
ものがものを言うように思います。
高い価値観を持っていても、心が冷たい人は「利他的行為」の選択はしな
いと思うのです。
「エゴからの脱却」がなされなければ、見返りを期待するような「低い」
利他性しか発揮できないと思います。
「高い」利他性の最たるものは、人類のために自己を発揮させることだと
思います。それを発揮させるには、知性を磨くことと、精神的な「修養」
が必要だと思います。
No.9
- 回答日時:
もちろん人間なのでより高い精神的なものはあると思います。
僕は利己性は本能、利他性は理性だと思っています。
理性により道徳を身につけ、ルールを守り、争う事を避ける。
性善説、性悪説ありますが、どちらも結論は正しく生きよ。
道徳的善性を生まれた時に有するか、後天的に身につけるのかの違い。
人間が利他性をもって生きてるのは人間社会の中。
自然や他の生物に対しては物凄く利己的ですよね。
再度のご回答ありがとうございます。
>利己性は本能、利他性は理性
非常に大まかにいえばそう言えるかもしれませんが、その人の
心の状態というものに、大きく左右されるようにも思えます。
>自然や他の生物に対しては物凄く利己的
仰るように、人間社会全体としては極めて利己的、破壊的です
が、個々の人間を見れば、動物や自然を愛していると思うので
す。
この大きな違いは何を意味するのでしょうか?
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