質問文に忠実でない回答というものがどうしてあるのかということを質問しました。そうすると、大体わかったのですが、規制のないところでは自分の欲望を優先させる人間が多数派である、ゆえに、自分の答えたいように質問も捻じ曲げて、あるいは質問自体を否定することで「回答」にしてしまうということがわかってきました。
で、この問題は私なりに解決したのですが、さらにもう少しつき埋めると、もし、こういう人間社会の無秩序性とか欲望優先性という傾向がなくなり、たとえばこういう質問コーナーには、どんな質問にもその内容を遵守し、学校では教師がしゃべり出したらみな一斉に沈黙し静聴し、電車のマナーは軍隊のように整然とし、その他、もうまったく秩序どおりの正しい世の中になるかもしれませんが、それはそれでとても恐ろしい事態が待っているということになるわけでしょうか。つまり、完全な独裁者が出現しみなそれを絶対神として崇め、その存在の言葉を遵守する、そして、いかなる間違った方向性も絶対的信仰を持ってそれに突き進むと。。。
そういうことで、世の中は、それがたとえ人の欲がなしえているにしても、無秩序であることがよろしいとさえ言えるわけでしょうか?
No.19
- 回答日時:
感想程度のことしか述べれませんが・・・。
「>無秩序であることがよろしい」とまでは言えないでしょうが、少なくとも「関係ないこと」にはできないということではないか、と思います。
まず、完全なる無秩序というものの判定が難しいという事実があります。
社会や時代によって無秩序の意味するところは異なっています(いました)し、それが自然だろうとも思います。
歴史的に見ても無秩序とは、常に、ある少数派の人間にとっては厳然たる秩序であったはずです。
つまり、秩序といっても絶対的なものではなく、常に流転し逆転してきた何らかの価値観のことにすぎないでしょう。
社会はもちろんですが、生命の存在自体が矛盾に基づいており、その拮抗(=バランス)で成立しています。
なぜ男と女という二つの矛盾した性が存在するのか、ということひとつを考えただけでも、そのこと(生命の存在自体が矛盾に基づいているということ)は確かではないかと思います。
そういった矛盾的存在によって(なんとか)拮抗が保たれているのが世の中、ということになりそうです。
以上のようなわけで、好むと好まざるとに関わらず無秩序は存在するでしょう。
(ここから本題ですが)なぜならば、『ちょうどよい拮抗』などというものが最初から存在するはずもなく、拮抗に至る試行錯誤の段階で、必ず「ちょうど良くなさすぎる無秩序」および「ちょうど良すぎる秩序」というものが掌から零れ落ちるように現出するはずだからです。
それらに対し、「私には関係ないもんね」と言うことは誰にもできないはずです。
拮抗の上に生存が許されているはずなので・・・。
零れ落ちた先に真理があるやもしれず、それを一方的に無秩序と決め付けることはできないということでもあります。
留意すべきは、あらゆる存在は拮抗の上に成立しており、拮抗という作用のためには秩序も無秩序も必要である、ということではないかという気がします。
いずれにしても、零れ落ちようとする無秩序の存在が(認めるか否かは別問題ですが)消滅した状況というのは、ちょうど良い拮抗に至る道もまた閉ざされることになるのではないか、と同意的に考えます。
そうなると人類に進歩はあるのか、ということになってきますが、これに関しては、「秩序と無秩序」すなわち「普通と異質」の差をいかに縮めていけるかという課題に、取って変えることができるように思われます。
この差が縮まった段階、つまり、両者の差異を差異と感じなくなった段階において、おそらく、もっと別の本質的な矛盾(おそらくは自己の内部矛盾)に私たちは本格的に気づくことになるのではないでしょうか。
人間は本来的に矛盾であり、社会ももちろん矛盾の拮抗で成り立っており、実はその電位差的なものが原動力となっているのだと私も感じます。ゆえに、一方だけのものとか、調和しかないところに発展も動きもありません。壊死していくだけです。
差異が接近する、
>「秩序と無秩序」すなわち「普通と異質」の差をいかに縮め
るということが、弁証法的に次の段階に行くことになりそうであり、また一種の矛盾同士の「対話」こそ、大事なことですね。
No.18
- 回答日時:
<<「野蛮性(議論しない、相手の言辞を都合のいいように意図的に捻じ曲げる、相手を人格的に見下すetc.)」は、実は世界を救うのだろうか?というのがここでの質問です。
>>前回の回答でも一応この問いにも答えられているようにも感じます。それは苦しみの道となると。苦しみの滅の方向の道にはむかないと。
<<質問文の例であげたものも、その「野蛮性」を取ってしまったら、理路整然とした社会になるその一端を想像した文章です。>>
想像なのですね。私の論理的思考による見解によると、貴方の想像したその「理路整然とした社会」も、見解に執着し理性を廃す違う形の「野蛮性」にすげ変わった像に感じられます。
「野蛮性」がなくなったら。ではなく「野蛮性」の形が変わった想像と感じられます。
「野蛮性」なるものがなくなり、本当に全生命が理性に基づいた生命となっても何も問題がないと感じます。
<<何で救うかといえば、それが、じつは世界を緊張させ活気付かせる原動力になるからだということです。生物は環境ストレスで進化するのと似たようなものです。>>
それは「野蛮性」つまり「無知」の生命の中において、非論理的・不条理・苦しみの元となる原因などに気付くきっかけとなり、それらの感情的な執着を伴う見解などを壊し、正しい見解を柔軟に再構築して理性的な人間になっていく初めの原因になると言うことでしょうか。
そうだとするなら、「野蛮性」を完全になくすと言う想定自体は全て生命の人格の完成となり。理性の立脚となり、何の問題も起こらないと思いますがどうなのでしょう。
しかしその際、「野蛮性」が救う道のきっかけ原因となりうると言うだけで、救うのは「理性」自体と考えてます。
「野蛮性」「無知」はきっかけとなるが、沢山あったほうが良いものではないです。むしろ少ないほうがありがたいです。苦の原因ですし、、、。
<<生きとし生けるものが幸せであれば、この世は成立しないという命題とも結びつく気もします。>>
「幸せ」つまり「満足」・「苦の滅」でしょうか。
「この世の成立」は原因と結果で流れ続ける物質面と精神・心の面の二つのシステムに分かれますかね。
物質面のシステムはちょっと人間の精神の方向で成り立つ成り立たないと関連できそうにないので、生命の特質である精神面のシステムのほうですかね。
つまり生命が無知で苦しむ段階から「幸福」「満足」「苦の滅」を完全に享受するなら、「生命」が成り立たない・生滅する。
といったことでしょうか。
私の信を置くパーリ語の仏典の理性的論理的実証的な面にはこの方法が順序良くあくまでも理性的に説かれています。
無知の生命が苦るしみと苦しみの原因を知り、苦しみを生む原因を徐々に幸福を生む原因に切り替え、己が理性を高めていく。そしてあるがままに観ることで生命の生まれる原因を絶ち、涅槃に入る。と。
ここで生きること自体を「楽」とありがたがって観るか、事実として「苦(ドゥッカ)」と観るかによって見解が分かれるところと思います。
宗教的理想論では対立も矛盾も要らないのかもしれないのですが、歴史上そういうことが実現したことが多分ないのではないでしょうか?それがなんともそのような考えが苦しいところなんです。ただ、あくまで個人の心情として持ち続けることが社会の平和に貢献することは確かでしょう。
No.16
- 回答日時:
no11のお礼読まさせていただきました。
なるほどと言った感じでした。それも踏まえもう少し考察してみたいと思います。>やはり、潜在的に「顕示欲」あるいは「論破」そのた自分の優位性を示したいという欲求が、善意の回答という表向きの動機の裏側にしっかり根付いている状況があるかと思います。その割合はどうかわかりませんが、極論すると私も含め99パーセントの回答者にあるのではないでしょうか?>
まあ優位性かどうかはこの際置いておいて、>表向きの動機の裏側にしっかり根付いている状況があるかと思います。その割合はどうかわかりませんが、極論すると私も含め99パーセントの回答者にあるのではないでしょうか?>これは言えてると思いますね、第一根っこが無ければ植物が育たないのと一緒である種目的的な何かはあると思います。
>そして、実はこの「裏」側の動機こそが、このサイトを成立させているとも言えるのでないか。>あるでしょうね。
>なので、フェアに論破され論破するという場である、という雰囲気が濃厚な場合、あるいはそれを強制されている場合、ここはつぶれるのではないかとさえ憶測します。>これはどうなのかな?という気がします。んー潰れるか潰れないかは経営にもよりますからねー。
>そうなるとokwave的には無秩序が良いとはいい難いと思います。>
まあ確かにそうなって利益優先になった場合にはありえる話でしょうね。
>この議論は実は主催者側の思惑とは外れたところに歩きもします。ここって所詮営利目的なんですよね?散々の参加者があるということが第一目的だとすれば、無秩序に目をつぶるという姿勢が要求されるのだと思います。>
これも同じく利益優先に走った場合ですね。ある種これは極論だろうなという気もしなくも無いですがね。
まあありえないという話でもないかなという感じだろうと思われます。
あとno11に反動形成と書きましたが、微妙な感じなので訂正させていただきます。
無意識的に論破をしたいという願望を押さえ自分は論破をしていないと思い込んでおり、その上で「相手が論破してくる」と思い込んでいれば反動形成でいいかなという気もします。
逆に
無意識的に論破の願望を抑えそれを認めたくないが故に相手にその感情があるのだと考える事を投影というのでどっちなのかな?と今思っています。とりあえず両方ということでw
今回のご回答もよくわかりました。ご賛同ありがとうございます。
反動形成とか、そのへんの心理作用って言うのは無意識の領域ですから、自律神経みたいなもので操作できないんですね。ここが厄介なところで、自分はそんなつもりはないというのが結構相手を蹴落とそうと思っていたりとかなんともエゴイスティックなことはある気がします。
No.15
- 回答日時:
<<「自分の答えたいように質問も捻じ曲げて、あるいは質問自体を否定することで「回答」にしてしまうという」…こういう人間社会の無秩序性>>
持っている「見解に執着」し、それは正しいほかは間違っていると言う心の働きと理解していいでしょうか。
<<自分の欲望を優先させる人間が多数派である…欲望優先性>>
「貪り・怒り・無知」という自分にとってやりやすいこと。無知により目先だけの利益をみてこの煩悩・感情を優先すること。しやすいこと。理性的に柔軟に身口意で行為することと逆。と言う人間の性質のことという理解で良いのでしょうか。
<<人間社会の無秩序性とか欲望優先性という傾向がなくなり>>
●もし上記の理解で正しいのであればこれは
常に自己の見解は仮の状態で柔軟で更新可能で根拠に基づき、どの範囲でどのように考えたかと言う態度で、まったくの理性に基づき論理的に実証的に対話に値するだけ理性的な人とならば事実を知るために進んで対話をする性質のことと思います。
●これを「そのとおりだ」と考えるのであれば。
<<どんな質問にもその内容を遵守し>>
は「相手は正しい」と言う根拠のない思考であり。見解の執着にあたり、「人間社会の無秩序性とか欲望優先性という傾向がなくなり」にあたらないと思います。
<<学校では教師がしゃべり出したらみな一斉に沈黙し静聴し>>
は特に問題ないと思います。アイディアは終わるまで聞くのは人としての礼儀といっても良いことと思います。しかし、こちらもアイディアを出すことを禁じ、先生のアイディアを根拠なく信じるということなら、先生の見解に対する執着となり、「人間社会の無秩序性とか欲望優先性という傾向がなくなり」にあたらないと思います。
<<電車のマナーは軍隊のように整然とし>>
マナー、つまり自他が不快に思わないようにその場所に適した行為をすることは問題ないと考えます。それがなぜ軍隊のような状態となるかは解りませんが、もしこれが社会で伝統で常識と言う見解としてのマナーと言う強制を根拠なく強制的に守ることを言っているのであればこれは見解の執着にあたり、「人間社会の無秩序性とか欲望優先性という傾向がなくなり」にあたらないと思います。
<<完全な独裁者が出現しみなそれを絶対神として崇め、その存在の言葉を遵守する、そして、いかなる間違った方向性も絶対的信仰を持ってそれに突き進むと。。。>>
これも根拠のない、見解の執着にあたり、「人間社会の無秩序性とか欲望優先性という傾向がなくなり」にあたらないと思います。
<<無秩序であることがよろしいとさえ言えるわけでしょうか?>>
上記のような「秩序と言う見解に対する執着」が「秩序」と言うなら「無秩序」は理性的な道となり好ましいものと言えるかもしれません。
そうでなく「理性的な道」を「秩序」と言うなら「無秩序」は軋轢と苦しみとをうむ好ましく無いものといえるでしょう。
このような見解を持っています。
何らかの参考になれば幸いです。
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
「野蛮性(議論しない、相手の言辞を都合のいいように意図的に捻じ曲げる、相手を人格的に見下すetc.)」は、実は世界を救うのだろうか?というのがここでの質問です。わかりにくい表現ですみません。私自身ようやくこの段階で、どう質問していいのかわかってきました。質問文の例であげたものも、その「野蛮性」を取ってしまったら、理路整然とした社会になるその一端を想像した文章です。
何で救うかといえば、それが、じつは世界を緊張させ活気付かせる原動力になるからだということです。生物は環境ストレスで進化するのと似たようなものです。
生きとし生けるものが幸せであれば、この世は成立しないという命題とも結びつく気もします。
No.14
- 回答日時:
#3です。
>わざわざお断りにならないでも結構ですよ。私はそんなに気の利かない人間ではありません。
文章で議論をする時には、貴方の書いたこの部分をどう認識するかが結構大切です。以下の長文を要約すると、読者とは気が利かない者だとの前提にたって文書を書かないと、自分が損をすると言うことです。
例えば、学術論文を専門雑誌に投稿する時には、同じ専門分野の人によって審査されます。ところが、同じ専門分野とはいっても、その審査員は、その論文を書いた著者が毎日考えて来たことと同じ問題を日頃から考えているわけではないですから、著者にとって最早自明となったことでも、初めて読む審査員にとって自明であるとは限りません。ですから、審査員が「気が利いている人間である」と仮定してしまうと、仮令その論文が正しくまた重要な結論を出していた場合でも、審査員の誤解のお陰で、論文の出版の許可が中々下りないと言うことになってしまいます。
この場合に論文の出版が遅れた責任は、審査員にあるのではなく、たとえ論理的に正しく書いてあり、したがってきちっと時間を掛けて読めば分かるように書いてあったとしても、はじめて読む人には場合によっては誤解をしても止む終えないような不透明な文章を書いた著者側に責任があるのです。審査員と言えども、自分の本来の営みの片手間に審査しているのですから、時間を掛けてきちっと読んでくれることを前提にした文章の書き方は、大変に下手な書き方です。
著者が常識的に書いたつもりで、したがって、審査員の5人に4人乃至10人に9人までは、著者の言わんとすることが伝わるように書いてあってたとしても、恐ろしいのは、自分が書いた論文がその残りの審査員にまわされてしまう可能性があるのです。
ですから、論文を書く時には推敲に推敲を重ねることが重要で、結局ここで時間を掛けておいた方が、審査員との遣り取りで無駄にする時間より、ずっと時間が節約出来ます。審査員も生身の人間ですから、一度ケチを付けた文章の内容が、後でもっときちっと読んでみて自分の誤解だと分かっても、だから善しと簡単に言いづらくなってしまい、敢えて粗捜しをして、別な所でケチを付けて来ることだってありますから。
いわんや「教えて!」で回答してくれる方は、学術論文の審査員ほど真剣に読んでから回答をしていない場合がほとんどだと思います。もし変な答えが返って来たら、どんなに自分にとって自明なことであったとしても、回答者を非難する前に、自分の質問の文章の中に、片手間に読む回答者や、気の利かない回答者に誤解を招いてしまうような表現がなかったのかどうかを反省してみることが大切です。
ありがとうございます。
私も確認をしないで投稿しているので、誤植が多くて恥ずかしいです。
でも、ここは学術論文の世界ではありませんから、スタンスを変えてもいいと思います。
No.13
- 回答日時:
ネットは社会の裏返し。
表という現実(つまり規制された社会)があり続けるから、無秩序でいいなんてことはないと思う。ネットは"便所のラクガキ"と同じなんだよ。オフィス街をつぶして世界をすべて風俗街にして、欲望の街にしても面白くないでしょう。風俗街をすべて潰しても地下に潜るだけ。
無秩序性というものが無いなんていう社会は絶望のユートピア、つまり、ありえない世界です。どこかで綻ぶようにうまく出来ているから、杞憂です。(では、回答になっていない?
無規制なインターネットで、欲望を書き続けることが理性的か非理性的か?という回答を出してもらいたい。
>質問に否定的になる
↑前の質問を読んでいないけど、これはあなたの哲学的な質問が伝わっていないだけだよ。読者の読解力にもよるけど、ご自身の文章構成力というか、問題提起を疑わないとダメ。
この回答への補足
逆に言うと私が1番聞きたいし危惧しているのは
>なので、「その質問は(こういう理由で)おかしいからじつはこういう風に考えたほうがいいよ」というのは、理想的な回答でしょうね。
という事項の、そのマナーに忠実な紳士的心情が世の中を支配したら、本当の意味の活気やエネルギーが世の中から失われてしまい、なんら発展性のない停滞した社会が現れ、それが結局は被征服者になるか文明が滅びるかわかりませんが、人類を衰退させることになるのだろうか?という点です。
つまり、「野蛮性」は世の中を回転させるエネルギー源だ。
という命題が成り立つのかどうか。
秩序性と無秩序性は、実は裏腹のあるいは持ちつ持たれつの関係にあるのではないでしょうか?一種人間の宿命としてそういう命題があります。たとえば、大通りに面した商店街は人通りも多く老若男女が行きかい、その裏ではいわゆるアンダーグラウンドとか、女子供があまり寄り付かない区域があると。しかし、実はお互いひとつの有機体かもしれない。ほかのたとえもいろいろあるかと思います。「聖と濁」これは文明発祥以来の人間社会の理かも知れません。
「質問に否定的である」とは、私なりの表現だったかもしれませんが、つまりは「質問を質問として認めない」「質問の骨格を破壊して解釈する」「質問に対してなんらの優先性を認めない」というようなことです。なので、「その質問は(こういう理由で)おかしいからじつはこういう風に考えたほうがいいよ」というのは、理想的な回答でしょうね。
No.12
- 回答日時:
>、世の中は、それがたとえ人の欲がなしえているにしても、無秩序であることがよろしいとさえ言えるわけでしょうか?
これを意訳すると「人間の脳みそ(欲が命ずるもの)は何のためにあるか?」ですよね?
え?違ってるかもしれませんが、続けます。
電子計算機には虚栄心とか自尊心という欲がありません。
正確に計算するのを欲しているからではなく、秩序に従うしかないのです。
人間は対話することで√2以上の答えを想像することがあります。
対話によって新たな考え第三の対話が生まれるというように
無意識に捏造、補填を勝手に使ったり、根拠を示す前に
直観で予測までするのです。
・「必要なもの」健康維持に不可欠な要素
=秩序
・「欲しいもの」必要に感じさせられている嗜好品。
乱数で求めたり摂る要素
=欲望の無秩序
・「美味しいもの」飢えや渇きを感じていると
好みでもない質素なものでも美味しく感じ
消化しつくすようなもの。
=選択の余地がなくそれでいて判断の必要を迫る要素
はどんなケースでも当てはまり、自分や世の状態が飽食グルメか、
嗜好品ばかりか、飢えているかで検討するのもいいでしょう。
秩序の肯定も否定もその時々で判断が違ってくるかもしれませんよ。
大変納得のできるたとえをあげていただいたようで、納得しました。そのように、コンピューターでない人間的な一筋縄ではいかない複雑な動機心理過程があってこういうサイトが成り立っていると思われます。つまり「清水に魚あらず」というのか。また、おっしゃるとり時代や状況でその雰囲気や個人的集団的動機心情が変化し、また違って価値観でこういう問題を議論するというこになりそうです。
No.11
- 回答日時:
grafさんの意見を読んで「おおーなるほどー」と思ったんですが、ここで疑問が湧いてきたので解いてみたいと思います。
>当然、全てが全てではないですが、質問者様の質問は明らかに「罠」を匂わせています。言い方は悪いですが、「教えてもらう」というよりは、「誰かを論破してやろう」という意図にしか感じられません。
ですから、善意の回答者さんは近づかないと思います。>
ここで問題なのは論破されることをなぜこわがるのか?ということです。これは多分無意識の内に回答者が質問者さんを論破してやりたい、もっと大きく言えば破壊してやりたい。という願望が潜んでいるからではないかと思います。これこそ反動形成という概念であり、屈服させられるのは嫌だがその逆は良いと思い込んでいる証拠です。つまり本当は論破してやりたいのだけど相手が論破するような質問に対して、「相手は論破を目的としているだけの嫌な人間だ」と思い込むという心理が働いているように思います。論破が悪い内容でなければ悪くはありません。なので質問者にしろ回答者にしろ根拠のある内容であれば論破をする権利はあります。
そこで異論正論がうまれある種対立的形を取り新しい形が得られればそれは質問と回答者の論破の上での新しい解釈が生まれる筈です。それをあえて避けるというのはある種秩序を避けて破壊だけを求める存在に成り代わる事が想定されます、そうなるとokwave的には無秩序が良いとはいい難いと思います。
やはり、潜在的に「顕示欲」あるいは「論破」そのた自分の優位性を示したいという欲求が、善意の回答という表向きの動機の裏側にしっかり根付いている状況があるかと思います。その割合はどうかわかりませんが、極論すると私も含め99パーセントの回答者にあるのではないでしょうか?そして、実はこの「裏」側の動機こそが、このサイトを成立させているとも言えるのでないか。
なので、フェアに論破され論破するという場である、という雰囲気が濃厚な場合、あるいはそれを強制されている場合、ここはつぶれるのではないかとさえ憶測します。
なので、
>そうなるとokwave的には無秩序が良いとはいい難いと思います。
この議論は実は主催者側の思惑とは外れたところに歩きもします。ここって所詮営利目的なんですよね?散々の参加者があるということが第一目的だとすれば、無秩序に目をつぶるという姿勢が要求されるのだと思います。
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