電子書籍の厳選無料作品が豊富!

質問文に忠実でない回答というものがどうしてあるのかということを質問しました。そうすると、大体わかったのですが、規制のないところでは自分の欲望を優先させる人間が多数派である、ゆえに、自分の答えたいように質問も捻じ曲げて、あるいは質問自体を否定することで「回答」にしてしまうということがわかってきました。

で、この問題は私なりに解決したのですが、さらにもう少しつき埋めると、もし、こういう人間社会の無秩序性とか欲望優先性という傾向がなくなり、たとえばこういう質問コーナーには、どんな質問にもその内容を遵守し、学校では教師がしゃべり出したらみな一斉に沈黙し静聴し、電車のマナーは軍隊のように整然とし、その他、もうまったく秩序どおりの正しい世の中になるかもしれませんが、それはそれでとても恐ろしい事態が待っているということになるわけでしょうか。つまり、完全な独裁者が出現しみなそれを絶対神として崇め、その存在の言葉を遵守する、そして、いかなる間違った方向性も絶対的信仰を持ってそれに突き進むと。。。

そういうことで、世の中は、それがたとえ人の欲がなしえているにしても、無秩序であることがよろしいとさえ言えるわけでしょうか?

A 回答 (19件中11~19件)

 まあとっぴとした質問ですねーw


まあ今の時代その逆が起こってもその信仰絶対性が起こることはありえないと思います。
 様は何に対して絶対を置くかという話だと思います。
もちろんそれは「社会通念的最低限の民事法刑事法を守ること」をするべきだと自分は思います。
ただ必ずという分けではなく法が完璧な上で守るということだと思います。
 これが独裁者が決めた法の場合そこには疑う余地がありますので、大いに反発してもよいかと思います。
問題はそのボーダーラインが身にしみているかいないかの問題です。
そのボーダーラインが本質化していないと、簡単にボーダーラインを越えてしまいます。

>規制のないところでは自分の欲望を優先させる人間が多数派である>

 これはそうだろうと思います。

>ゆえに、自分の答えたいように質問も捻じ曲げ>

 これもその通りだと思います。ただこの場合捻じ曲げる段階ではそれが質問と回答の枠に入っている分にはここのokwave的にはOKだろうと思います。

>あるいは質問自体を否定することで「回答」にしてしまうということがわかってきました。>

 これも否定の内容によるだろうと思います。否定の内容が完全に質問の回答になっている場合には質問者側が文句をいう権利はないだろうと思います。
 ただこれが何の根拠も理由もなくただ否定しているだけの文章の場合はやはり回答者側が質問者側を否定する権利はないだろうと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

もっともなご意見です。
独裁者云々というのはあまり根拠のない思い付きですので、そっちのほうの展開は私自身あいまいさがありますのでぼかしておきましょうかw

質問内容重視とか否定とか、もうちょっと絞った意味で考えています。「そんな質問はどうでもいいからこっちを聞け」という回答はNGであるという立場です。

お礼日時:2008/08/10 10:38

>人の欲がなしえているにしても、無秩序であることがよろしいとさえ言えるわけでしょうか?



 良いか悪いかという基準の前に、事象は、無秩序から発生し秩序に基づいて(ここにも無秩序はあるのですが)流れるんでしょうね。
 よろしい とも言えますし、必要だ とも言えますが、原理的(原則上に)に無秩序が排除できないんです。ある範囲で無理矢理排除するとその範囲全体が崩壊する危険性を孕んでしまいます。なぜかというと、その範囲の全個体が0か1のどちらかに投票するかが決まってしまい、謝った判断が致命的になるからです。
 脱線しますが、HIVに感染しない人間がいるというのは、将来、未知の病原体によって、人類が大打撃を受けることがあっても滅亡することはいことを示唆してるように思えます。

 欲望、選択、意志なども含めて、全体として秩序をとことんまで追求してもどうしても無秩序な部分、そこから逸脱するアノマリーがあって、そこを忌み嫌っても、慈しんでもよろしいのですが、なんと言いますか全体を維持持続させる保険を形成しているということだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

まったくもって、そのとおりだと思います。私がなんとなく胸中にあったことを明確に言語化していただいた気がします。ありがとうございます。完全な秩序社会は非常に脆弱性を内包しているんでしょうね。

蛇足ですが、私は将来人間が新種ウィルスや病原体で全滅すると思っています。個体数と文明化がそれを阻めない運命を宿しているようです。

お礼日時:2008/08/10 00:29

質問文に忠実な回答をみながするとしたら、それは答がきまりきってしまう。


きまりきってしまうとすると、質問するまでもない。
人類が終わる前に質問が終わってしまうでしょうね。

秩序は窮屈だ、かといって無秩序は不安だ。
このへんの葛藤があるんじゃないですか?
人によってどちら寄りに与するかというのはありそうですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

質問文に忠実というのは、誤解を生むのかもしれないですが、たとえばこの質問であれば最後の部分の「無秩序だということがよろしいとも言えるのでしょうか」です。
ここでは究極的に正しい解答はyex or noです。NO.7さんのような形式ですね。
しかし、それは異端的であるという慣習がここでできていて、なにかいろいろ尾ひれをつけ丁寧で長文な回答をいろいろもらうことになるわけです。それは、一般的には
○回答者が質問者にいろいろと精神的変容をしてもらってよい状態になってもらいたいものだと思う。
○あわせて、自分の知識や思想の「顕示欲」を発露したい。

そのような動機が合わさってという感じではないでしょうか。

で、ご回答のような次元の捉え方ももちろん可能です。
が、ここでは、もし、質問文に忠実で、回答に際して、顕示欲を捨てるようなことが一般的であれば、人類は生きるエネルギーというのを失っており、生きるコンピューターになっている。それは絶滅しかない。
という仮説です。

お礼日時:2008/08/10 00:24

(注)解答ではありません。



少々、揚げ足とりのツッコみのようですが、拝読いただければ幸いです。

質問者様は、「質問を捻じ曲げて」という態度をとっておられるようですが、基本的に「質問を捻じ曲げて」答えるしか道の無い質問が問題であると思います。質問者様の範疇には、答えてあげたいんだけど2の足を踏んでいる善意の回答者の姿がありません。
彼らは「解答を捻じ曲げられてしまう」ことを恐れています。
罠のにおいを感じ取っています。

当然、全てが全てではないですが、質問者様の質問は明らかに「罠」を匂わせています。言い方は悪いですが、「教えてもらう」というよりは、「誰かを論破してやろう」という意図にしか感じられません。
ですから、善意の回答者さんは近づかないと思います。


次に、揚げ足をとらせていただきますが、
「全員遵守=独裁者の存在」が成立しません。全員が秩序どおり動けば独裁者(=無秩序)の存在のしようがありません。


最後ですが、質問者様はこの文章の通りであったとして、自分がその一部になると思っていますか?
いいえ思っていません。
「匂い」ません。
自分がそうならないのに、なぜ他人がそうなってしまうと考えるのか理解に苦しみます。自分は別だけど他人はこうなってしまうは通用しません。世の中の心理であれば、必ず自分もその一部です。自分があてはまらないものは一考の価値はありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

別にわなもいとも何もないんですけどね。そういう風に考えられるということ事態狐につままれたような感覚です。

お礼日時:2008/08/10 00:14

無秩序がよろしいはずはありません。

社会は秩序あっての社会です。社会が混乱を求めるなら秩序はいりませんが・・。 
 
独裁者を求めるかどうかは、その時代の社会のニーズによるかと思いますが、要はプライベートに被害を及ぼさないと理解する「質問文に忠実でない回答」を出す人は、「規制のないところでは自分の欲望を優先させる」行為が自分にも及ぶことを理解していないんだと思います。
 
ネット上での社会は成熟した社会で無いことが一番の原因と思えますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

無秩序は必要悪としての効能を持っているのではないか?という疑いが質問を立ち上げた動機でした。無秩序によって秩序は励起され発動される面も無きにしも非ずではないか。そして、あまりにはなはだしいやつは聾に飛びこめられるという構造をこの社会はとっているのではないか、という気がします。ネットは規制がないから、欲望に忠実だというつまらない現実がありますよね。

お礼日時:2008/08/10 00:12

秩序だった社会になるということは、皆がルールを守る社会というわけですから、


そのルールが誰の手によって作られたかによって、独裁なのか民主主義なのか共産主義なのかなど変わってくると思いますよ。

皆で決めたルールを守るということであれば、独裁にはならないでしょうし、
ただ一人が決めたルールを皆が守る社会というのであれば、それは独裁となるのでしょう。

秩序が先にある、ということは基本的には考えられないので、秩序を形成する前段階でどの方向の社会科決まりますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私も、独裁制というものがどういうものかよくわかりませんので、本当に狐につままれてしまうのか納得ずくなのか?

秩序が先にあるということ、それが重要だと思うわけですが、現実的にはそれは夢想であり狂気の沙汰とも言えるかもしれませんね。

お礼日時:2008/08/10 00:09

#2です。


誤植が幾つかありましたが、一つだけ重要な所を直しておきます。

下の文の条項(3)の中、

十分は慣れた非平衡状態にあり => 十分離れた非平衡状態にあり

です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あ、これは簡単にわかりました!
わざわざお断りにならないでも結構ですよ。私はそんなに気の利かない人間ではありません(しかし、気の利く人間か否かまったくわからないのがインターネットの厄介なところであるという命題がここにも感じられます)

お礼日時:2008/08/09 17:58

質問者さんは「散逸構造の理論」と言うのをご存知でしょうか。

この理論によると、質問者さんが不満に思っている回答者さんの態度があるから、この世の中に今までに無いいろいろな新しい複雑な構造が生まれて来ることが可能になり、私たちの生活を多様で面白い物にしていることが判るのです。

この理論は、人間社会をも含めた複雑な構造がこの宇宙の中に、どういうメカニズムで物理学の法則に従いながら自発的に現れて来るのかを明らかにした理論です。これを提唱したイリヤ・プリゴジンは1977年にノーベル賞を授賞しています。この理論は、物理系や化学系のみならず、生物系、アリの社会構造、人間の社会構造、等々に適用され華々しい成果を上げています。

この理論を要約すると、複雑な構造が自発的に出来るためには、次の3つが重要な必要条件になっています。
(1)その系は閉ざされておらず、外界と物質や情報の遣り取りが出来なくてはならない。
(2)情報の散逸を保証することによって、構造を安定に存在させるために、時間には過去から未来への一方方向のみの向きがなくてはならない。(時間は逆向きに流れることができない、すなわち不可逆であるとも言えます)
(3)外に繋がっている系は、熱力学でいう熱平衡状態あるいは熱死状態と呼ばれる状態から十分は慣れた非平衡状態にあり、従って、数学で言う非線形効果が重要になっている系でなくてはならない。

というものです。この3つの条件が揃うと、系は自発的に構造の分岐を起こして、時間の経過と共により複雑な構造を作ったり、あるいは絶滅して行ったりという、ダイナミックな振る舞いをします。

この理論によると、この構造が出来るかあるいは絶滅して行くは、決定論的に起こるのではありません。系は外界からの情報の流れや物質の流れに依存して、いろいろ確率的な「揺らぎ」を起こし、系の内部で今まで存在しなかった構造が新たに生まれて来たり、今までの構造が滅んだ入りします。

ここでの要点は、この情報や構造のあり方に確率的な揺らぎがあることが本質です。その揺らぎのために、その系の観測者も、あるいは系自身にも、その系に次に何が起こって来るか前もってのシナリオが存在出来なくなり、全く新しい構造が確率的に成り行きで出来て来ます。このように成り行きで出来た系は、外界とのバランスが巧く合っているから出て来た来た構造です。従って、環境全体を変えない限り構造は安定して存在でき、その系を壊すことはなかなか出来ません。癌のように、壊しても壊しても蘇って来てしまうのです。

この教えて!欄の、質問者と回答者の遣り取りも、全く同じです。回答者さんが前もって描いたシナリオ通りの回答だけが得られたり、回答者さんが質問者さんの質問の意味を完全に理解して、それに正しく答えてばかりいるようでは、より複雑でより高度な構造を持った思考を可能にするための必要条件である、思いがけない「揺らぎ」が存在しないことになってしまいます。

貴方が、インターネットを使って、皆に質問したり、その回答を喜んだり、あるいは批判出来るようになったのも、人類の古代から続く議論や思考に現れて来たこの議論の揺らぎ、すなわち、こちらが意図しなかった意外な方向性をもたらす揺らぎの積み重ねで起こった、新しい構造の出現(あるいは発展)の繰り返しのお陰です。

ですから、情報の遣り取りや議論を生産的な物にするためには、

>自分の欲望を優先させる人間が多数派である、ゆえに、自分の答えたいように質問も捻じ曲げて、あるいは質問自体を否定したり、

あるいは、

回答者さんと質問者さんの間の全くの誤解に基づいて、議論が頓珍漢な方向に向かってしまうことが、

大変に必要なのです。さもないと、我々は新しい世界や新しい思考を創造する営みに参加出来ません。全ては前もって最早与えられており、我々が出来ることと言えば、単にそれを勉強して理解することだけだと言う、大変退屈な世界になってしまいます。

自分が共鳴出来ない回答が帰って来たら、へー、他人て、こんな思っても見なかった見方をしているのかというように、揺らぎを楽しみながら議論してみたらどうですか。新しい世界を創ることが出来るかも知れませんよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

世界は、それが開いた系でないと枯渇してしまう、まったく同意です。その循環形式といいますか、やり取りがあることが、社会を社会たらしめ成立せしめているわけですから、まったくもって異論はありません。そして、演繹的にこの質問コーナーから社会のことを考えようと思ったわけですが、やはり、ここで行われている無秩序性というものが、原動力となって社会に還元しているという構図はあります。しかし、それはストレスと裏腹なものです。


もう少しここでの特殊性に絞ってみますと、つまりは回答というのは名ばかりで、自己顕示をなしえる場所だということで持っているようなものだと認識します。なので、当然、つつしみやら自己規制は薄くなっていますから、無秩序性が容易に現れるわけです。それが、結局物事の光と影のようなもので、ここでの発展性と社会のそれを反映している。
どうもありがとうございます。納得いたしました。

お礼日時:2008/08/10 00:01

ではお望み通りに質問を捻じ曲げて回答いたします。



自我すなわち主観的精神と客観的自然はその原理において同一であり、
無限な精神と有限な自然とは即自において無差別な絶対者である。

どこぞのドイツ人の主張です。
これが前段部分の回答になるでしょう。


後段部分についてですが、完全な秩序社会の元では
独裁者が生まれる、という点で論理破綻していますよね。
すべての社会上の時間が静止するのですから、
その社会は変化を生み出すものを許容しないでしょう。
変革者が生まれる余地はありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに、完全に秩序だった世界で独裁者が生まれるものかどうかというのははっきりしないのですが、もしかしたら、関連はないのではないかとも思っています。もし生まれれば、その独裁者批判は難しいことになりそうです。

お礼日時:2008/08/09 23:55

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す