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生まれながらに仕事が決まってて
いろいろな自由・権利が奪われていて
もちろん特権もあるのだろう
そしてなぜかテレビでは一般人には使われない尊敬語を使われている

その家に生まれたからってだけで特別扱いするのは論理的な整合性がないように思いますね
人間は生まれながらに平等で、同じだけの権利を有しているのではないのでしょうか

蛇足ですが、今の不況の日本で300億の税金を皇室関係に使うのは馬鹿げていると思います

A 回答 (19件中1~10件)

天皇がどうした、というような話をすると違った方向に行ってしまいそうな自分がいるので、「平等」についての意見を一つ。



質問者様は「生まれながらにして平等なはずの人間が、生まれた家柄を理由に特別扱いするのはおかしい」とお考えなのですよね。
でも、それは「役割」の問題ではないでしょうか?
人は平等であったとしても、それぞれの持つ「役割」は異なるはずです。
みんな平等で、同じことをして、同じ人生を歩む。それは違うんじゃないかと質問者様もお思いになると思います。
天皇陛下は、少なくとも現在は、日本という国家の象徴で、現在のような扱いをお受けになるような役割の方なのではないでしょうか?
それが特別扱いだとおっしゃるのは、あなたが「天皇陛下がお受けになる扱い」を「自分が普段受けている扱い」よりも上位のものだと考えていらっしゃるからです。
極端な話になりますが、「お金なんてまったくどうでもいい」という考えの方であれば、たとえ生活費に1兆円注ぎ込まれる人を見ても「平等じゃない!」とは思わないでしょう。もしかしたら、その他の部分を見て「自由に行動できないなんてかわいそうだな」と思うかもしれません。
だからそれは不平等ではなくて、個人の好き嫌いなのではないですか?
あなたは天皇陛下の今の扱いを、どこか羨ましいと感じてらっしゃるのではないですか?

蛇足ですが、そしてただの私見ですが、皇室は日本を創り、支え、見守り続けてきた存在です。
論理的にその存在を議論するよりも先に、存在していたのです。
その存在によって日本は存在しているのです。
必要ないとお感じになるのは仕方ないと存じますが、皇室や天皇についてもう少し深くまで考えていただきたいなと思うしだいでございます。

長文乱文失礼いたしました。
参考になれば幸いです。

この回答への補足

>人は平等であったとしても、それぞれの持つ「役割」は異なるはずです。
じゃあ奴隷が役割だったら奴隷になるんですか
詭弁はやめてください
私は生まれながらに普通の人とは違う権利を付与・制限されていることに反対しているのです。
本人が望まない理由で、そういったことになるのは間違っています。

>その存在によって日本は存在している
別に天皇がいなくても天皇のいない日本になるだけですね(笑)

全く参考になりませんでした

補足日時:2012/05/10 04:01
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たとえば、目の前に邪魔なツッカイ棒があるから即とっぱらえというのは簡単だけど、そのツッカイ棒が今何の役をしているのかを注意深く観察して、その棒が実は天井をささえていて、その天井がツッカイボウを取っ払うと垂れ下がってきて、崩落に至る可能性があるとすれば、あなたはその見た目たいそう邪魔で役立たずにしか見えないツッカイボウをすぐけとばしてなくしてしまうという行為はしないはずです。


要は、目先のことだけにとらわれず、その「余計なもの」をよく観察しその成り立ちの経緯を勉強してからそういった作業にかかるのが賢明なやりかたであり常識です。
天皇家をツッカイ棒に例えるのはちょっといいすぎかもしれませんが、今の日本社会の安定化に大きく貢献しているわけで、とりあえず必要なものであり、これを廃止することは日本人には(重すぎて)できないだろうと思います。消費税を5%上げるだけでもこれだけもめる国民ですから。
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天皇家は南北朝時代には分裂して力をだいぶ失い、江戸時代にはほとんど忘れ去られたような存在でしたが


日本は近代社会に突入するときに、薩長が幕府との関係で天皇を保存するほうを選びました。
太平洋戦争後はアメリカの占領統治のツールとして天皇は温存されました。

欧州ではフランス革命でフランスから、第一次大戦後にロシア、ドイツ、オーストリアなどから
王族が滅亡しました。東アジアでは20世紀に入ってから王族は清朝、ベトナム、韓国、モンゴルなどで
滅亡しています。

近現代史の趨勢は質問者さんのような民主主義・平等思想・共和制の浸透なので、
日本でも次に大動乱が起こった際に天皇が消滅する可能性はかなり高いでしょう。
(具体的には中共の影響力増加や人民解放軍占領に伴う天皇廃止などのシナリオ)
「天皇は2000年続いたから貴重」「日本国憲法的に云々」などの意見は
パワーゲームの前ではほとんど意味がありません。

ただ現在の日本で国民の内部から天皇廃止になる機運はほとんど無いように思います。
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30億円ですか!


驚きました。

天皇は、日本を代表とする偉い方ですよね。
でも、私も分からない事柄が多くあります。
天皇が毎日、国民のために、日本のために、どのような働きかけをしていらっしゃるのか。
仕事は何時間、働いてて、仕事内容は何なのか。
なんで、天皇一家は崇められているのか。どんな凄い影響力のある人物なのか、全く、分からない事柄が多すぎます。
30億円という金額、驚きました。
何に御使いなのでしょうね。
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こんばんわ。たのしいせかいさん。

だいたい賛成ですお、賛成。\(^o^)/
おいらは全ての人の
【自由】を望みますし、
高すぎる税金イヤですし。

___________

14番様のご回答が
とても参考になったので
ポチッとしときました。


素晴らしい回答たちのあとでしゃべるの
恥ずかしいんすが、




そもそも
【平等】ぢゃなくちゃいけないんかのお。
【平等】ってのはどういうことっすか。




【わたし】は【わたし】であって、
「他の【わたし】も【わたし】である」、
みんなそれぞれ【わたし】をする、


もう少し言うと、
【わたし】は【わたし】の【役割】をする、
「他の【わたし】」は別の【役割】をする、



これで【平等】なんぢゃないかのお。
【対等!】・【公平!】ではないけど。
(みんなが対等で公平だったら気持ち悪い。)



___________




雨は、平等に降ります。
ジャングルの大木にも、
その下の小さな木にも、
その下の小さな花や雑草にも、
平等に降ります。

けど雨をもらう側は
とても不平等に雨をもらいます。
小さな花や雑草が、
大木と同じ量の雨をもらおうとしても
大木が遮りますから
ちょっとしか雨をもらえません。
けどそれでいいんぢゃないっすか?



ジャングルの大木が欲しがる雨は
めっちゃたくさんです、体がデカいから。
その下の小さな木が欲しがる雨は
それよりは少しだと思います。
その下の小さな花や雑草は、
ほんのちょっとの雨をもらえれば、
それで「充分、満足に」
生きてるんぢゃないかのお・・・。





天皇家の方々も、
今どきの小学生も、
サラリーマンも専業主婦も、

たいそう窮屈そうですが、


それぞれの【わたし】が、
【わたし】していれば、

隣の芝がどうの、とか、
わりとどうでもよく、
対等だとか公平だとかも
わりとどうでもよく、

平等なんぢゃないのん? 
   
   
   
   
ああそうだ、
おいら貧乏なんだけど、

ちょっとぐらいお金払うから、
外国の村と仲良しになれるように、
天皇家さんが頑張ってくれたら
助かるなあ。

        
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わたしは他の人と話す際、彼のことを「天ちゃん」と親しみを込めて呼ばせていただいております。


わたしは彼に憐憫の情を禁じえません。
おっしゃるように、「>いろいろな自由・権利が奪われて」いることは明らかであり、その「自由・権利」というものこそ人間にとってもっとも重要な価値を持つものではないかと考えるからです。
ですから、「>もちろん特権もある」し、「>そしてなぜかテレビでは一般人には使われない尊敬語を使われて」いるなどいう事実は彼にしてみれば、おそらく鼻くそみたいのものではないでしょうか。
それを意識しないように教育されている可能性はさておいてですが。

「>その家に生まれたからってだけで特別扱いするのは論理的な整合性がないように思います」とおっしゃるのは、全くそのとおりですが、彼に対する特別扱いは、示唆なさっているほどプラス面としての影響を彼にもたらしているとは思えません。
むしろ逆で、厄介なものだ、と本音では感じているような気がします。
これは、なるチャン、つまり皇太子徳仁(なるひと)親王における感情において一層顕著になっているものとわたしは推測しています。
「>人間は生まれながらに平等で、同じだけの権利を有しているのではないのでしょうか」というご見解は全くそのとおりです。
ただ、そのとおりと申し上げる意図ですが、質問者の方とは真逆の見解になると思います。
彼は、その権利を剥奪されることを前提にこの世に生を受けた、むしろ非常に窮屈な人生を歩まされているのではないか、ということです。

なぜこういった悲劇の王が古い昔から当然のごとく存在するのでしょうか。
無学のわたしとしては推測するしかありませんが、まず、人間といえども動物であるという点に関して異論を挟むかたはおられないでしょう。
動物である以上、本能が存在し、しかも特に注意せずとも、その存在に気づくことは容易だろうと思います。
一方、人間には動物と異なる点も明らかに存在しているわけで、本能のみで生きているわけでも無さそうです。
人間は何らかの崇高性、善、正義、あるいはそれに類似した何かを求めたがるようにできているもののようです。
これらの共通点は本能を抑制することによって得られるもの、もっと言えば、本能の一部を放棄することの代償として人間が得た、ある意味での能力と言えるのではないでしょうか。
本能を抑制する力、エネルギーというものを想定し、それを超自我と呼ぶこともあります。
腹が空いていれば店先のパンを無断で盗っても食べたい、というのが本能ですが、それを抑制するのが超自我と名づけられたエネルギーです。
超自我は殆んどの場合善人役ですが、本能すべてが悪というわけではありませんから、超自我は過剰なる、つまり、必要以上の抑圧者としての顔を持つこともしばしばあります。
この点に関して述べると話が長くなりすぎるので割愛いたしますが、つまり要点は、人間は動物と異なり本能のみにて生きる動物ではない、ということです。

しかし、動物である以上、人間の原点はあくまで本能にあります。
そこから、何らかの意味での脱皮を試みている状態が現在の人類と言えるのではないか、とわたしは思います。
その脱皮を促す原動力が超自我性です。
原点である本能を抑制する、厳しい教師のようなものと言えるかもしれません。
原点とも言えるやんちゃな本能が好きなようにしたいとダダを捏ねる力に押されつつも、人間は何か崇高な自らの可能性も同時に予感しています。
予感しつつも、現実の生活に流され、そのことを忘れたり無視したりせざるを得ない局面が人生には多いものでしょう。
実現できづらい、こういった人間の超自我的欲望の象徴が天皇という存在です。
超自我としての天皇(制)を想定する場合、国民はしばしば本能そのものに設定されます。(極論すればですが)自らの感情の赴くままに好きなことを貪ろうとする存在としてです。
そして、こうした本能的な感情と理想を求めようとする超自我の主張をバランスよく聴いて現実的に、今ある世界に対処しようとするそれぞれの個人の精神性が自我と呼ばれ、天皇と国民のハザマに位置するものとしては国会がその役割を果たすと設定されています。

天皇はこうした我々の超自我象徴として存在していることになります。
少なくとも、それを求められている存在です。
現段階の国民の心情としてですが、彼に本能も自我も認められてはいないことでしょう。
仮に認められるようになればなるほど、天皇家としての権威は変質していくはずです。
つまり、人間性の回復はある程度為されるかもしれないが、手の届かぬ目標という意味での超自我としての存在価値は、良くも悪くも薄れていくことでしょう。
現段階では少なくとも、本能なり自我なりを横溢させる自由は彼にはありません。
300億の税金を皇室関係に使うのは彼(ら)が求めたことではないと思います。
一人の人間として、普通に雑踏を歩き、たまには居酒屋でいっぱいやり、好きな歌手のコンサートに出かけたりもしてみたいのではないでしょうか。
超自我性を獲得できぬまま現世でもがき続けざるを得ない一億の見果てぬ夢祭りの神輿に、無理やり乗せられている、むしろ切ない存在ではないか、というのがわたしの印象です。
  
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日本史の原点が編纂された時すでに天皇家は存在していた。


これが大切で無理になくす必要はない。
ヒガミ根性の論理みたいなのなら、ストレートに私はまるっきりうだつが上がりませんとか何とか質問してみろ。
天皇は日本人の歴史と共にある王家でその存在自体は神と重ねる必要はないとでも、論理形成してみろ。
両方できないなら、それじゃーない事にしましょうや。それでもよい。

この回答への補足

昔あったから今もあるべきだ というのは論理的に成り立っていません
もう少しよく考えてください

補足日時:2012/05/10 04:09
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我々人間は偶然によってこの世に生まれたものと思っています、


しかし、お釈迦様は偶然によって生まれたのではなく、欲望の力によって生まれたといいます。つまり、この世界は幻の世界であって、実在する世界ではないと言うのです。

幻(夢)は欲望によって見るように、この世も『貪瞋癡』という欲望によって生まれたのです。だから、人間は生まれながらに平等ではないのです。

ちょうど罪を犯して刑務所に送られるように、重罪人には重罪人の刑務所があるようなものです。その『貪瞋癡』の罪状によって生まれる家庭が決定しているのです。

貪 =欲望(性欲・物欲・金銭欲・自己顕示欲)
瞋 =怒り・恨み・嫉妬・不満など
癡 =無知(空を知らない・十二因縁を知らない)


貪欲な者は貧困家庭に生まれます。裕福な家庭に生まれる者は貪る性格が少ない者ということができます。
このように、この世界は幻であるため、心によってできる映像なのです。

そういうわけで、人間は平等である。というのは間違った考えなのです。

この回答への補足

接続語の使い方が間違っている上に説明不足で意味が飲み込ません

補足日時:2012/05/10 04:10
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自然法と日本国憲法との乖離を指摘しておられるのでしょうが、実定法で規定されているのは天皇の方ですから、事実上は、天皇が自然権を有していないことになるのでしょう。



しかし、皇室典範から逸脱したとしても天皇は裁判の被告になりえませんから自由なわけですね。
実際、皇族が皇族を離れて国内で生きていけるとは思えませんので、国外へ出ることになるとは思います。そういう意味で天皇も自然権としての自由は有しているのではないでしょうか。
自由と対立概念である平等に関しては実定法で規定されている皇族側からの要求はないでしょう。

国民側から立憲君主制は平等に反するからやめるというのは、憲法改定で可能ですから、その意見が多数であれば変わります。
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皇室は、国家安寧のための伝統的儀式を伝える、


伝統継承者だと考えればいい。
伝統芸能の中には、家系で継承している例は多い。
もちろん、継承しない自由はあるが、それは天皇家
にも、皇籍離脱が可能である点、大差はない。
一番の違いは宮内庁の存在であるが、それは皇室が
継承している「伝統」が、演芸と異なり、政治・外交に
まで至る公式儀礼を含む事による。
もし、皇室を廃するにしても、その目的のために同様
の支出が必要となる点で、単なるムダ遣いではない。

この回答への補足

一般的な伝統継承者は、天皇家にあるような特権の付与や権利の制限はない
大差ありすぎです

その目的のための同様の支出って何ですか
あなたの空想ですか?

補足日時:2012/05/10 04:14
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