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無意識の行動を意識した途端に、一体どうやってその行動を行っていたのかわからなくなる事があります。例えば唾液の飲み込み方が突然わからなくなったり、眼をつぶってスラスラ弾けるはずのピアノ曲なのに、手元を見た途端に弾けなくなったりします。

しばらく苦しんだあと再び無意識状態に戻ると、何の問題も無く、再び唾液を飲み込めるようになり曲も弾けるようになります。

こういった事が頻繁に起こる場合、心身に何か問題があるのでしょうか?また、なぜこういった事が起こるのか説明した脳科学や心理学の理論を教えてください。


いつか呼吸の仕方がわからなくなる日が来るのではないかと杞憂しています。

A 回答 (3件)

おはようございます。



パニック障がいなんですかね。ある特定の感情に陥った時に、質問者さんのような症状が出たり、呼吸ができなくなったり、逆に過呼吸になったり。

質問者さんの年齢がわかりませんが、私の場合、急に出来ていたことが出来なくなって、また出来るようになるっていうのは、仕事上「認知症」を疑ってしまいます。
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この回答へのお礼

こんにちは。

パニック、といえるほど感情に起伏は感じられないのですが、ウィキペディアにパニック障害の症状として書かれていた「ストレスによる空間認識能力の低下と胸の圧迫感」は心当たりがあります。神経系の病気として関連がありそうです。

仕事上というとお医者様ですか?
私はまだ20代前半で、今のところ記憶力に問題はないので認知症の心配はなさそうです。いずれ物忘れがひどくなるようなら認知症を疑ってみます。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/27 15:18

人間には『意識』が二つ在ります。

一つは顕在意識です、もう一つは無意識です。この二つの意識は交代制を取っていますが、その切り替わりはなかなか判りませんが、神経質な人や不安に為り易い人は判る場合があります。

普通の人間が一日の中でその二つの意識のうちどちらのの状態で過ごすのかを、研究した成果を昔見た記憶がありますが、顕在意識が約20パーセント、無意識での時が約80パーセントと書いてあったと思います。

全く普通の生活が出来る人を『健常者』と呼んでいますが、この人達は、今書いた事(二つの意識の交代制)と云う事には気が付きにくくなっています。その訳は『二つの意識が上手く同調出来ている』からです。交替する時の『軋みが無いからです』

それに反して、二つの意識に気が付く場合があります、顕在意識(自我意識)の何処かに『違和感を感じる場合です』この場合が神経質とか、不安になりやすいと云うことになります。

そういう人は自分に敏感と云う言い方も出来ます。

人間の行動は全て『二つの意識の交替制から』成り立っています。例えば眠る場合ですが、自我意識は意識が無くなってゆきます、完全に意識がなくなった時とは『無意識の自分と切り替わっています』この事を眠りに入ったと言います。ですが、無意識と切り替わった事を自我意識は知りません、何故なら『意識が無い事を』意識出来ないからです。

話をする場合でも、つばを飲み込む時でも、字を書く時でも、『スムースに事が行われている時は』自我意識が無意識の自分に替わって、しています。全ての行動時においてです。その行動においては『無意識でないと出来ないからです』

ですが中には今言った事(切り替わり)に気が付く場合があります、気が付いた場合には、意識するために、無意識の世界に入り難くなってしまう場合があります。この場合意識した事が出来なくなる場合があります。

この場合の意識して出来なくなった事が症状名と云う事になるのが『神経症』です。今まで無意識に身体における機能面をやってもらっていたのに、意識したために、身体における機能面が出来なくなる事が『自律神経失調症』です。機能していないのではないかと云う錯覚です。この場合検査をしても異常は無い事になります。

今までは、交替制でうまく行っていたのに、意識したために、心理面や精神面で上手くゆかなくなる事が『心を病む事』になります。

二つの意識(二つの人格)が仲違いを始める事になります。その時自我意識が感じるのが『違和感=罪悪感』です。この心の矛盾や対立や分裂を、『心の苦しみとして』宗教文化が発展してきた事になります。

心の苦しみからの解放を、宗教が、担っていたと感じます。心の苦しみ=感じる違和感=罪悪感、とは心の矛盾が生み出しています。それは無意識からの要求です。

意識地獄に陥っている『自我意識に対しての救いの者』という事になります。その訳は『今までのようにうまく行っていた時のように、もっと無意識の自分の出番を増やしてもらいたいと云う、交替要請』です。

もう時間がなくなってきましたので、聞きたい事が在るなら、補足ででも書いて下さい答えたいと思います。

この回答への補足

教えていた事をもとに色々調べてみましたが、どうやらtumaritou1さんが仰るとおり、私の症状は神経症でほぼ間違いないようです。特に『強迫性障害』が当てはまりました。自己診断ですが。

「心身に何か問題はあるのか」という問に関してはすごく納得しました。ありがとうございます。

あとはもう一つの疑問。
>>その行動においては『無意識でないと出来ないからです』
これが一体なぜなのか、を教えていただきたいです。
(質問の「こういった事」では何を指すかわかりにくいですね。すみません)

補足日時:2011/01/27 17:30
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再度の回答になります、『>>その行動においては『無意識でないと出来ないからです』


これが一体なぜなのか、を教えていただきたいです。』

お答えします、是は脳の機能の問題です。意識=自我意識=顕在意識とは人間の左脳に存在する『人格』です。この脳の機能とは言葉で考える事を専門とする機能です。この脳には体を動かす機能と、心を自由に出来る機能と、生命活動に関する『根源的』な働きを自由にする事が出来ないようになっています。

反対にもう一つの意識は『言葉を持っていません』そうしてその機能は、体を自由に動か事が出来ます、心も自由に開放する事が可能です、そうして、生命活動としての身体の機能を全て一手に握っていて、暑い時は汗が出るように、酸素が必要なら呼吸数を多くしたり、心拍数もその環境においての最高な状態を保っています。

右脳の意識は『無意識界』を司っている人格です。お釈迦様が仏性と言ったものです、或はキリスト教において『神』と呼んでいる人格です。ですが自我意識にはその存在を意識出来ないようになっているようです。

人間が生きている中で、意識と無意識は交替制を取っています。心の奥底では二つの意識は、絶えず相談しながらどちらの意識の出番かを決めています。ですがこの事を知りません。

人間の障害は『今、云った事から』生じています。つまり『心の矛盾』を人間は苦しみとして受け取っていると云う事です。この苦しみ『心の矛盾』からの解放を人間は、判らないながらも『宗教文化の発展』と云う形で後押しをしてきたのが、『宗教の歴史』という事になります。

心の矛盾が解消した姿を少し書いてみます。苦しんでいた自我意識は、その苦しみの根源を知る場合が在ります。意識の根底で『意識と無意識』が生じる刹那に二つの意識が出会う場合の事です。この事を『禅』では見性といいます。即ち『自性』を見たと云う事になります。

この現象を『悟り』と云う風に言っています。意識している自分を苦しめていた者が誰だか判ると云う意味です。その者は『言葉を持っていません』ですが永遠で出来ている者です。『生まれた訳ではないから、滅する事がない存在です』

不安や恐怖に怯えていた『自我意識』は、『自分の中のもう一つの意識=無意識界の人格』の永遠性が分かる事によって、『死』と云うものの本質が判ります。肉体が滅びたとしても『自分は死なない』言い方を替えるなら、『既に永遠の命が』自分に備わっている事を知ります。

此処を持って『神経症』『自律神経失調症』『心を病む事』『悩みを悩む事』が全て解消します。出合った、瞬間の感想を『見知らぬ他国で親父に会ったようだ、或は暗闇で妻に出会ったようだ』と、その心境を残しています。

今更お前は誰かと聞く必要など無かった、と感想を述べています。毎日何百回も出会っているからです。

この事があってからは『心の矛盾は解消します』交替制がスムーズに行くようになります。自身の心の中の争いが無くなります。心は限り無く静寂になります。この心境を『涅槃』といっていると思います。言い方を替えるなら『絶対の安心』が手に入る事になります。

自我意識は物事を『言葉に置き換えて頭の中で再構成して』そうして世の中を見る見方になっています。ですがもう一つの者は、生まれる前から全てを知っています。赤子と言う事も、母親のお腹の中いるうちから、全ての生命活動を行使する機能が、脳内に刷り込まれています。生まれるや否や『泣く事も』知っています。不安や恐怖や安心と言う事も『教えられないにも拘らず』全てを承知しています。

不安や恐怖や安心すると云う事柄も全て、もう一つの意識からの信号です。スピードを出し過ぎた事を知らせる信号と同じです。今、高い所に居ると云う場合にも信号が送られています。10メートルならそのままに、100メートルまらそのままに、事実を事実として、脳梁を通して送っています。

もう一つの意識は『現実をそのままに』自我意識に伝える役割があります。自我意識は伝えられた情報をその機能に従って『再構成する事になります』この場合、同じ高さに居た場合でも『頭で再構成されたもの』が各人によって違っています。高い所に居ると云う情報を悪い事と『再構成する時』高所恐怖症が決定します。

狭い所も、広いところも同じです。鋭い刃物を見た時にも云えます。人に会う時にも『情報』は送られてきます。この情報を頭の中で再構成して『恐怖にする事』が恐怖症の原因です。頭の中で作られた、現実には無いものに怯えている事です。

今の心理学や精神医学はこの湧き上がったもの=妄想を分析しています。根本治療にはなっていない気がしています。妄想に対して対策を練ったとしても治療したように見えるだけと感じます。

聞きたい事に答えたいと思います。
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この回答へのお礼

お礼が月を跨いでしまいました。申し訳ありません。

「絵画を小説で再現しようとして混乱した」という事でいいんでしょうか。だとしたら、悩む場所(なぜ無意識でないと出来ないのか)が検討違いだったようです。宗教には興味がないのですが、経験・体感的に理解する心理学の分野だと思うと少し面白そうです。

参考になりました。お付き合い頂きありがとうございました。

お礼日時:2011/02/02 05:51

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