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例えば自分を受け入れられないという人がいますが、
これは自分で作り上げた自分というイメージが悪いため、このイメージと自分とを一体化することができないことを「自分を受け入れられない」と言っていのではないでしょうか。
自分で作ったイメージを自分で受け入れられないと悩むこの一人芝居はなんでしょう。

また同時に社会や他人に対してもイメージを作り、自分自身のイメージと戦わせるイメージvsイメージの人形劇にも夢中のようです。

自分自身のイメージ作りに一生懸命な人を自意識過剰というのではないでしょうか。
現実を見ようとせず、自分の頭の中の箱庭が世界の全てだと勘違いしているようでもあります。
このような馬鹿げた思考ルーチンが横行するのはなぜでしょう。

A 回答 (2件)

自意識過剰という表現が正しいかはさておきまして。




このような思考のルーチンが横行する理由として考えられるのは。

(1)論理的に、現実的に物事を捉え、実行する能力がない人が多いから。
(2)客観的現実と、主観的現実に差があり、どんなに有能な人物でも、客観的現実を受け入れることが難しいから。
(3)逆に、客観的現実と、主観的現実が見えすぎていて、努力の方法等が見当たらなくなってしまっているから。
(4)自分らしさの確立を、成長の過程できちんと行えなかったから。
(5)自分らしさの確立を、成長の過程で行うには、ふさわしくない環境で育てられたから。

自分自身のイメージ作りに一生懸命な人、それは、別に問題じゃないのではないでしょうか。
与えられた環境の中で、自分自身の目標があって、それを叶える努力をし、一歩一歩なりたい自分に近づく。そして、なりたい自分になれたら、また、新しい自分を見つける。

自己をきちんと確立できれば、自分自身のイメージ作りに一生懸命な人も、自意識過剰ではないのではと思います。

問題は、自分のイメージ作りに一生懸命に成りすぎたため、周りをまきこみ、自分を見失い、不安に怯え現実が見えなくなっていき、迷宮にどっぷり浸かる人。
それなら、考えるのをやめたら?
感じるのをいったんやめたら?
といいたくなりますよね。
その場合は自意識過剰といえるのかもしれません。

話は元に戻りますが。

(1)社会的問題。(比較してよしあしをつける。当たり前のことですが。)
(2)民族的問題。(日本人って、生真面目ですよね。勤勉というか。悪く言うと、神経質というか。)
(3)成長過程環境における問題。(親、兄弟、周りが比較して、こうあるべきだという高い目標を押し付けるとか。)
(4)個人的素因。(論理的思考能力を備えていない。)

これらが、重なりに重なって横行するのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

現代人は少し自意識過剰なのではと思うのです。
自分というのは最も厄介な存在なのですからもう少し距離を置く客観性がほしいと思います。

お礼日時:2011/02/16 21:59

それは怠け者が多いからです。

怠け者ゆえに能力不足がありますが、人には認めてもらいたいというずうずうしさがあり、自己のピンチを乗り切るため自己の正当化を目的にイメージを作って話を複雑にします。その結果「悩み」という四次元の逃げ道を作ったり、人のせいにしているだけです。怠け者本人が自己を怠け者と認識していない場合は馬鹿者という場合もあります。

現実はやるしかないのに、何を言っても悩みを盾にやろうとはしませんから、本質は怠け者と私は考えています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうござます。

確かに。うだうだ考えないで端から処理すればいいのにと思うことは多いですね。

お礼日時:2011/02/16 22:01

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