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運命とは。
っと辞書で調べると、「人智では抗えることができない定め。」と書いています。

つまり運命は、変えられないという事になります。




例えば、失業し、人生のどん底になった。その人は運命と諦めようとしたが「運命は変えられる」と渇をいれ、一からやり直す事を決意→その努力が報われ、今は企業家として成功を収めた。その人は思った。「運命とは自分で切り開くものだ」っと。


と言うのはチープな物語でよく使われるサクセスストーリーですが、そもそも、その人が失業するのも運命。その後、努力して人生を乗り切ろうとするその行為も運命。そして努力の結果成功を収めるのも運命では無いでしょうか?


つまり、運命からは贖えない。運命を自らの力で切り開いたと思っている人は「そう思い込んでいる」だけの話。と言うのが「運命」と言うものではないかと思うのですがどうなのでしょうか?

A 回答 (18件中11~18件)

運命と人生は別の話ですよ。


運命が作用するのは事象、出来事に対してです。
運命が変えられないとしても、運命が定めた事象に対してどのように生きるかは別の話です。
人生が運命づけられているわけではないのです。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。


>運命と人生は別の話ですよ。
>運命が作用するのは事象、出来事に対してです。

それは確かにある気がします。

ただし、何の出来事が「運命」で何の出来事が「偶然」なのか
その定義を明確にしないといけません。

不可能ですね。

お礼日時:2011/03/03 21:55

運命論についてはみんないろいろ言いたいことがあると思うけど



「運命を切り開く」という部分に対してのみ言うのであれば

「未来は自分の行動によって決まる」

と言い換えることでややこしい哲学しなくても同じ意味になるんではないでしょうか


ちなみに俺の運命感は運命は「運」と「存在」によって決まるものと思ってます

その人の性格・体・経験・記憶・周囲の人間という存在によって何を選択し何ができるかは決まっていて
その結果がどうなるかは運次第って思っています
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。


>ややこしい哲学しなくても

哲学そのものは、決してややこしいものではありません。
ややこしくしているのは、哲学に陶酔している人達です。

余計な事を言いました。申しわけありません。

お礼日時:2011/03/03 21:50

運命論ですよね。


ものの見方だと思います。
都合のいい言葉ですよね。

運命とはなんなのか?

私は仕事柄全ての事象に対して因果があると考えています。
原因があるからその結果がある。
結果がどうしても一つしか導き出されない場合、原因が発生した時点でその結果となるはずです。
それを「そうなる運命だった」と言うか否かです。

ただ世の中はそうそう単純なものばかりではなく、ある原因から発生する結果に複数の可能性があるわけです。
どの結果になるかはその中途でどういったプロセスがあるかによって左右されます。
そしてとある結果になるわけですが……
そうなった原因やプロセス、結果に対し全て運命という言葉で全て片付けることができます。
どうやってもそのプロセスを選ぶ「運命」にあったと言ってしまえば全て片付きます。

しかしタイムマシンでもない限り、それが本当であったか否かは検証できません。
よって科学的に「運命とはこういうものだ」と答えがだせません。
議論するだけ無駄になるかもしれませんね。

では感覚的にはどうなんでしょうか。
質問者様が出された例では「運命は自分で切り開くものだ」と考えるのは、当人が「これはオレが頑張ったからだ!」と主張したい、そして「努力すればなんでもできるんだ!」と考えれば次に何かを行う時に頑張れますからね。

もし、運命が抗えないものであれば誰も努力しようと考えませんよね。
私は「全て運命なんだよ」って言葉は、ほとんどの場合敗者の責任逃れにしか思えません。
また、失敗した人間に対して慰める言葉としてもよく使えますよね。

結果として私は「運命とはそれを捉える人の感情と環境で意味が変わるもの」だと思います。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。


>よって科学的に「運命とはこういうものだ」と答えがだせません。

哲学のカテゴリーですので、哲学的にお答え願います。
まぁ、哲学も科学のうちでしょうけど。

お礼日時:2011/03/03 21:46

質問者さんのおっしゃっている意味にて、「人智で抗がえることができない定め。

」と判断しているのは、明らかに、人智を越えたことの判断できる存在なんだと、私は思います。

ですから、人間の運命を司る存在がいるかもしれない仮説と、その存在から見たら人間の運命はあらかじめ決まっている仮説と、少なくとも二つの仮説が入っていますね。

ですから、仮に人間を越える何かが存在すれば、人間の運命は決まっているだとか、だからサクセスストーリーの言葉づかいがおかしいということですかね。

NO1さんがおっしゃるように、単なる定義の違いだと思います。

まあ、個人の力量に関わらず、その場の勢いや流れに翻弄される運命というのは、確かにあります。

人間同士でしたら、素直に教師にしたり反面教師にしたり、美談として感動すればいいんじゃありませんか?
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。


>NO1さんがおっしゃるように、単なる定義の違いだと思います。

その定義って、「人間の運命を司る存在がいるかもしれない仮説」
と言う事でしょうか?

もしそうでしたらと言う前提でお話しますが、
その「人間の運命を司る存在」って神じゃないでしょうか?

神の行う事を人間ごときが指図して、変えられるのでしょうか?
それとも、努力している事を神様が同情して、神様が運命を変えてくれるのでしょうか?

どちらにしろ、「自分の手で運命を切り開く」とは程遠い事です。


「人間の運命を司る存在がいるかもしれない仮説」
「その存在から見たら人間の運命はあらかじめ決まっている仮説」

二つは微妙に違いますが、「人間に変えれ無い」と言う事は同じ気がしますが・・・
何が違うのでしょうか?



>まあ、個人の力量に関わらず、その場の勢いや流れに翻弄される運命というのは、確かにあります。

これは
「人間の運命を司る存在がいるかもしれない仮説」
「その存在から見たら人間の運命はあらかじめ決まっている仮説」

とはまた別の仮説でしょうか?

お礼日時:2011/03/03 21:39

「運命」は、過去に対してのみいえます。


もし事前にそれを知れば、変える事が可能だからです。
その意味で、運命とは、あると思えば(知れば)無い、
無いと思えばある、だまし絵の「向い合う顔」のような
ものだと言えます。
「運命を切り開く事は「出来ない」」の回答画像4
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。


>「運命」は、過去に対してのみいえます。

運命とは普通は未来を指す気がしましたが、これは意外な解釈ですね。
私が理解するには時間が掛かりそうですが、考え甲斐のある解釈だと思います。

お礼日時:2011/03/03 21:25

運命を変えることができるかどうかは、まず未来が分からなければ変わったのかどうか判別できないことです。

元々そうなる運命だったのか、または自力で変えたのかがわかりません。

運命は自分で切り開くという観念が、自分ががんばれる糧となればいいというポジティブな発想からくるものではないでしょうか。

失業した後、酒とギャンブルに溺れやる気も起きず毎日ブラブラしていても結果的に企業家として成功していたか。

考えても答えは出ないことです。

ただ運命を切り開こうと思えるかどうか、それで自分を奮い立たせることができるかどうかというだけの話です。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。


>失業した後、酒とギャンブルに溺れやる気も起きず毎日ブラブラしていても結果的に企業家として成功していたか。

普通に考えて、失敗したままでしょうね。

そもそも質問の例は、「奮起し努力する」も運命が既に決まっていた事です。
なので、「もしブラブラ堕落していたら・・・」と言う仮定は上の例では該当しません。

「堕落」と言う選択肢は、運命によって妨げられるのだから。
ただしそれは、質問した運命の定義が正しければの話です。

お礼日時:2011/03/03 21:16

その考えが間違っているとはいえませんが、


正しいと証明することもできません。

あなたがそう考えたいなら別にかまわない、ということです。

そもそもこの世界に現実などというものはなく、
すべてはあなたの思念が作り出した夢かもしれないわけです。
私のこの回答すらあなたの見ている夢でしかない。
あなたが「運命」という言葉を調べた辞書も夢の中の産物。

運命はあるのかと論じる以前に、
運命を論じるだけの世界があるかどうかすら疑問ですよね。

ですから、「世界はあなたの考えた通りの世界だ」といえるのです。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。

>あなたがそう考えたいなら別にかまわない、ということです。

何故ここで質問したのか?
質問者の意図を少しは分かってもらいたいですが・・・。

まぁ、どんな回答を書こうが、「別にかまわない」事ですね。

お礼日時:2011/03/03 21:11

視点の違いだと思いますね。



ご質問者様の場合は、「運命」という言葉は「人智では抗えることができない定め。」という意味という点を絶対とし論じた場合の発想です。
ですが、「運命は変えられる」という人は、「運命」という言葉は「人智では抗えることができない定め。」という意味を絶対とせず、それに疑いを持って論じた場合の発想だと思います。

この時点で、お互いの「運命」という言葉に対する定義が異なるわけですから、どちらか一方の定義をベースとして一方を非とするのは、あまり意味のないことだと思います。

仮に論ずるのであれば、「運命」という言葉は「人智では抗えることができない定め。」という意味なので、「運命は変えられる」と言いたい場合は、「運命」ではなく「何もしなれば変わらないが、人智で抗えることができる定め。」という意味の言葉を使うべきだ、と論じるのが正しいかと思います。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。

>この時点で、お互いの「運命」という言葉に対する定義が異なるわけですから、どちらか一方の定義を
>ベースとして一方を非とするのは、あまり意味のないことだと思います。


「運命は変えられる」という人は、「運命」という言葉は「人智では抗えることができない定め。」という意味を絶対とせず、それに疑いを持って論じた場合の発想だと思います。」

その人が言う「運命」の定義が気になります。

失敗は、すべて運命。
成功は、すべて自分の努力なのでしょうか。

お礼日時:2011/03/03 21:07

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