
運命とは。
っと辞書で調べると、「人智では抗えることができない定め。」と書いています。
つまり運命は、変えられないという事になります。
例えば、失業し、人生のどん底になった。その人は運命と諦めようとしたが「運命は変えられる」と渇をいれ、一からやり直す事を決意→その努力が報われ、今は企業家として成功を収めた。その人は思った。「運命とは自分で切り開くものだ」っと。
と言うのはチープな物語でよく使われるサクセスストーリーですが、そもそも、その人が失業するのも運命。その後、努力して人生を乗り切ろうとするその行為も運命。そして努力の結果成功を収めるのも運命では無いでしょうか?
つまり、運命からは贖えない。運命を自らの力で切り開いたと思っている人は「そう思い込んでいる」だけの話。と言うのが「運命」と言うものではないかと思うのですがどうなのでしょうか?
No.14ベストアンサー
- 回答日時:
No.10,12です。
どうも質問者さんは運命という実体がどこかに存在していると仮定しているように思います。
自分にとっては、運命とは現時点で抗えないと人類が認識している領域内における既知によって定義づけられている、と考えています。
その領域を超える人間が現れた時点で、その領域は書き換えられるのだとしたら、運命の定義は常に既知によって行われるはずで、それは未来永劫、思いこみである可能性は常に内包することは避けられません。
つまり、「運命=人智では抗えることができない定め」と「今まで思いこんでいた定め」の二つがあるのではなく、質問者さんがその存在を信じている前者の運命の定義もまた「思いこみ」のリスクを内包せざるを得ないだろうと思います。
自分は運命は結果論としてしか語ることができない、と申し上げていますので、なぜ「結果論以外に、明確な定義の判断基準があるのでしたら教えてください」とお聞きになるのかがわかりません。
人智という言葉もまたそれに該当する具体は変化すべきもののはずです。
人智の領域も学問の進歩とともに日々書き換えられているはずです。だったら、辞書の意味は質問者さんが理解されているような確定した定めを意味しているわけではないでしょう。
思いこみの運命とは別に、真の運命があるわけではなく、人智が変化する以上、定めもまた変化する可能性を秘めている。
未来において変化した運命の領域(人智の変化に比例して)は、過去の運命の具体を否定するはずであり、否定されたかつての運命の定義を、質問者さんは単に「思いこみ」と呼び換えているに過ぎません。
数値で表したとして、例えば5までが昨日までの人類の人智の及ぶ限りであったとしても、今日、革新的な発明によって7までの領域に人智が到達したとする。
質問者さんは、昨日までの運命の本質を「思いこみ」と訂正する。
自分は昨日までの定義は昨日までの運命の定義であり、今日の運命は書き換えられて8以上になった、と切り分ける。
昨日までを「思いこみ」と呼ぶか、「昨日までの運命の定義」と呼ぶかの違いでしかないように思います。
回答有難う御座います。返答が遅れて申し訳ありません。
何度も連投させてしまって、申し訳ありません。
それだけこの質問内容に、興味を示してくださった事に感謝いたします。
いつもベストアンサーを誰にするか迷うのですが、せめてものお礼と思っていただければ幸いです。
No.15
- 回答日時:
当ご質問の前提として、
>そもそも、その人が失業するのも運命。
と言うよりも、そもそも、
>「抗えることができない定め。」と書いています。
>つまり運命は、変えられないという事になります。
ということで、その人としては、
>失業し、人生のどん底になった。その人は運命と諦めようとした
わけでしょう?要は、いったんは諦めるための言い訳でしかなかったのですよね?
だったら、その後に「切り開けた」となって何のフシギはないですね。
ご質問における定義とは、
>運命とは。っと辞書で調べると、「人智では抗えることができない定め。」と書いています。
私の辞書検索によれば
「運命」とは
1 人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。
2 将来の成り行き。今後どのようになるかということ。
となっています。質問者さま提示の文と両者つき合わせてみれば、なんか違いますね。
たしかに、良かれと思って行為したことが、望みもしない悪しき結果を もたらしたということはあります。
「今後どのようになるかということ。」ともなれば、「変えられないという事に」は、特段、あてはまりませんよね。
あるいは、
「宿命」
:生まれる前の世から定まっている人間の運命。宿運。
「宿命的」
:もともとそう定まっていて、それを変えるのは不可能であるように思われるさま。
となっています。
本当に変えられない、抗えないことといえば、たとえば、まずは、実親を選んだり変えることはできませんよね。
けっこう、世のなか、成功した人の談話なんか聞いてますと、「私は運が良かったんでしょう」とか「振り返ってみれば、良い運の波に乗れたんだなと思う」などと言っている人が多いようです。
回答有難う御座います。返答が遅れて申し訳ありません。
>となっています。質問者さま提示の文と両者つき合わせてみれば、なんか違いますね。
実はそうなのです。
質問に返答していくに当たって、脱線してしまい、自分の「本題」となっている部分もずれてしまったのです。
以後気をつけます。
返答が遅れたのもありますが、本題とずれてしまったので締め切らせていただく事にします。
No.13
- 回答日時:
NO5です。
いくらか説明不足だったようなので、補足します。
ようするに、サクセスストーリーの自伝は、その成功者も筆記者も、何も神の摂理を覆した等とは考えていない。
それは一種の美辞麗句というだけである。
だからNO1さんのおっしゃるように、定義の違いである。
ということです。
まあ、あまり無条件に神を持ち出されても困りますが、例えば一神教的な全知全能な存在だとして。
神の前に平等といったって、それは人間同士の差異とは無関係な存在だと言うだけで、何もかも等しいわけではありません。
ですから、運命を司るといっても、地球という器をこさえて後はほっぽっておく程度に、超越してたって構わないわけです。
いるんだかいないんだか知りませんが、人智の及ばない存在が、地球や人類を隅々まで管理しているというのは、なんだかかえって人間くさい話ですよね(笑)
とどのつまり、質問者さんのおっしゃる人智の及ばない運命がある、というのは、その通りだと思います。
ただ、その何が不満なのかが、あまり伝わってきません。みんなその意味は理解していると思いますよ。
No.12
- 回答日時:
No.10です。
誤解を招いたようで、申し訳ないです。
>自分が出来なくても人類がやったら「人智の及ぶ範囲」なのです。
人がなしえたこととはなしえた後に、なしえる、と判明するのですよね。だとしたら、なしえる前に人智が及ぶ範囲かどうかの判定は誰がするのか、と申し上げたかったのです。
運命が人智では抗えない定めという定義であっても、全てのことはなしえる努力をした後でなければ、運命だったのか、判断はできないはずです。
それに例え、ある人がなしえなかったことでも他の誰かならなしえるかもしれない。それが質問者さんが定義される「自分ができなくても人類がやったら」ということですよね。
だったら、「人智の及ぶ範囲」という運命の定義付けは実は有名無実かもしれず、ただ、過去においてなしえる人が一人もいなかったために、暫定的に運命という記号で呼ばれているだけかもしれません。
その暫定的な記号は明日には「なしえる」と判明して、運命から外されるかもしれない。
その未来は、チャレンジしない限り、誰も断定できないはずです
本質において、それが本当に人智の及ばない範囲かどうかは誰が判断するのか。
簡単に判断できるのはあくまで結果論です。
未来志向で運命を語る時、何を運命と呼ぶのかはチャレンジしなかった人間には判断の方法はないと思います。
運命とは人智の及ぶ範囲のことだから、運命と呼ばれるものは人智では抗えない定めなのだ、というのは本末転倒でしょう。
それは他人の経験を理由に、過去の人は誰もなしえなかったのだから、これは運命だ、と言っているに過ぎません。
でも、その過去が塗り替えられる可能性が未来においてあるのなら、運命とはいえない。
つまり、運命とは結果論でのみ定義できるもので、人智の及ぶ範囲とは、少なくとも既知における人智である、ということになるかと思います。
過去の運命が未来も同じ運命(=人智では抗えない定め)であり続ける保証はどこにもないということです。
誰もなしえなかった努力をして起業に成功した、ということはその人以前は人智の及ばない定めだったのかもしれませんが、その人以降は、人智の及ぶ範囲となったはずです。
人智で抗えない程度は書き換えられるのだとしたら、運命はやはり結果論でしか語ることはできないということになるんじゃないかと思います。
>自分が出来なくても人類がやったら「人智の及ぶ範囲」なのです。
>運命が人智では抗えない定めという定義であっても、全てのことはなしえる努力をした後でなければ、運命だったのか、判断はできないはずです。
私の返答で、
+++++++++++
「ただし、致命的な欠点があります。
そもそもそれは「人智の及ぶ範囲」。つまり、「運命ではないのです」」
+++++++++++
と回答しましたが、失言かもしれません。
これを弁明しますと、人智の及ぶ範囲と判明したから、そもそも運命ではない。と言う事ではなくて、今まで人智の及ばない範囲と「思い込んでいた」だけで、本当は人智の及ぶ範囲だったと言う事です。
(*NO11さんの言葉を引用『「人智では抗えることができない定め」と【今まで】思い込んでいた定め』)
不可能を可能にした。つまり人智の及ぶ範囲になった。だからこれは運命とは関係ない。
と結果論的な言い方を、してしまった事は失言です。
「不可能」と言う人智の及ばない範囲と言う「思い込みを」、結果によって打開したに過ぎません。つまり人類が勝手に人智の及ばない範囲と思っていただけで、本当は人智の及ぶ範囲だったのです。まぁこれも結果論といえば結果論ですが、ニュアンスが違います。
>全てのことはなしえる努力をした後でなければ、運命だったのか、判断はできないはずです。
>だとしたら、なしえる前に人智が及ぶ範囲かどうかの判定は誰がするのか
その言葉には共感します。
しかし、結果でしか判断できないんじゃないでしょうか?
結果論以外に、明確な定義の判断基準があるのでしたら教えてください。
極端な話をしますが、今の世の中、死んでしまったものは生き返りません。事故や殺人で家族を亡くして、理不尽と思っても運命と思って心の傷を癒します。
しかし、「死んだ人は生き返らない」と、何を根拠に言っているのでしょうか?
医学的に考えて不可能?人類は医学の全てを知ったのだろうか。
生物学的に考えて不可能?人類は何時、生物学の全てを得たのか。
前例が無い?今の技術では「不可能」と言う証明にはなるが、将来的に不可能と言う証明にはならない。
常識的に不可能?お前の常識など知らない。
数千年後は、本当にそう言う技術が出来るかもしれません。誰も「わかりません」。誰もわからないくせに「死んだ人は生き返らない」と言う事を信じ込んでいます。これも一つの人智の及ばない範囲。しかし、実は人智の及ばない範囲と「思い込んでいる」だけなのかもしれません。
人を生き返らせる技術を開発し、他人を生き返らせても運命を変えたとは言わないのです。(そこまで凄い事したら、誰しも運命を変えたと思うけど)
実はそれは、今まで人智の及ばない範囲と思い込んでいた事を、結果と言うもので打開したに過ぎないのです。
と言うのが辞書に載っている通りの考えかと思って質問しました。
今のところ、共感を得る回答は多く頂きましたが、辞書に書いているほど明快な定義を示された回答は出ていません。それを探す事が私の質問の目的です。
No.11
- 回答日時:
>運命を切り開く事は「出来ない」
:
これはまさにおっしゃるとおりです。
切り開くということ自体も運命に含まれているわけですから。
ただ、「運命」の意味をどのように受け止めているか、ということになるわけですが、
【どの時点で、そのような意味に受け止めていたのか】という点に着目されると良いでしょう。
「幸福」の意味が人生のそれぞれの局面で、それぞれの意味を持つように・・・です。
「運命を切り開く」という言葉を発する人は、【その時点で、】切り開かなければならない状況に遭遇していたことになります。
幸せだと感じている人は、こういった言葉を吐きません。
つまり、「運命を切り開く(開きたい)」と言う人は、それまでの人生で、幸福とは感じられない人生を歩んできたことになります。
そういった状況で発せられる言葉です。
大雑把に言うと、その人にとって、その時点までの運命とは不幸続きだった、ということになるはずです。
であるがゆえに、その人にとっては、過去の人生経験上、
『運命』=『人智では抗えることができない定め』=『不幸』としか思えなくなっていたわけです。
その人にとって、「運命を切り開く」とは、「運命としか思われない、この不幸(続きの)状況を何とか切り開く」という意味と同義になってしまったのです。
彼(彼女)にとっては、
運命とは、
『過去の経験から推し量ってみると、「人智では抗えることができない定め」と諦めるしかないような定め」
であると感じたのでしょう。
そういった閉塞状況として受け止めていたからこそ、それを切り開く、乗り越えるという発想につながったのでしょうし、確かに辞書的意味の勘違いではあるのですが、
「切り開くべき」は、『「人智では抗えることができない定め」と【今まで】思い込んでいた定め』です。
運命にせよ、人智にせよ、未来に対して適用することは不可能ですから、その時点で、その人が、そう言ったということは、それほどの勘違いということにはならないでしょう。
「切り開かれるべきもの」としての対象となり得るのは、運命にしろ、なんにしろ、過去のものという存在でしかあり得ないのですから。
回答有難う御座います。
>「切り開くべき」は、『「人智では抗えることができない定め」と【今まで】思い込んでいた定め』です。
まさにその通りですね。
>『運命』=『人智では抗えることができない定め』=『不幸』としか思えなくなっていたわけです。
何故か逆はいませんね。
失敗は他人や時代・運命のせいにし、成功だけは自分の力と自惚れ、他人への感謝を忘れる。
それはゴク普通の事ですね。
No.10
- 回答日時:
程度問題ということだろうと思います。
人智では抗えない定め、が運命であるのなら、人智で抗える定めもあるってことです。抗えない程度を運命と呼び、変えられないと考える。でも、抗える程度の定めもこの世にはあるんじゃないでしょうか。
極端な話、人は道具を使わずに空に飛び上がることはできません。これは人智では抗えない定めです。
でも、クラスの誰よりも足が遅いという現実の定めは人智で改善可能だろうと思います。
苦労して成功を収めた人の功績は、他の人間が抗えないという程度の領域に抗って覆してみせたことかもしれません。
そうなると、問題なのは運命の定義ではない。
人智では抗えないという判断を誰がどの程度で下すか、という点じゃないでしょうか?
人は抗えないレベルを余裕で抗ってみせる人は、運命は自分で切り開くもの、と表現しますが、それは早い段階で抗えないと結論づけて諦めてしまっている人へのエールじゃないでしょうか。
抗えないと諦めている目の前の障害は、果たして本当に抗えないのか。
それは神のみぞ知ることですよね。
終わってしまえば、それほどの障害ではなかったとわかるかもしれない。抗うほどもなくあっさり攻略できる障害だったとわかるかもしれない。それでも、障害の前で抗えないと諦めてしまった人間は永遠に乗り越えることも、抗うこともできないでしょう。
何が抗えない定めなのか。
その見極めこそがもっとも重要であるだろうと思います。
回答有難う御座います。
>人智では抗えない定め、が運命であるのなら、人智で抗える定めもあるってことです。
その通りです。
しかし、人智とは人間の知識・知恵を意味します。つまり、人間の全ての力です。
要するに、神には変えられる定めかもしれないが、人間には無理と言う事です。
>人智では抗えないという判断を誰がどの程度で下すか、という点じゃないでしょうか?
それは簡単です。人がなしえた事です。
自分が出来なくても人類がやったら「人智の及ぶ範囲」なのです。
>クラスの誰よりも足が遅いという現実の定めは人智で改善可能だろうと思います。
なるほど、質問の例も「努力して企業家として成功した」と言う例と同じ事ですね。
これは人智の及ぶ範囲だ。と言う結論。と言う事ですよね。
これは正論です。
ただし、致命的な欠点があります。
そもそもそれは「人智の及ぶ範囲」。つまり、「運命ではないのです」
ただの出来事です。
運命とは「人智では抗えない定め」なのだから。
No.9
- 回答日時:
うん、私も運命と人生って別物だと思う。
ショーシャンクの空へってのは、サクセスストーリのように語られるけど、主人公が言った「人には、誰にも立ち入ることができない領域がある」ってのがメインテーマだと思う。
他人によって自由を奪われ、定められた環境でしか生きることができなかった主人公ですが、踏みにじられない領域があると信じていたから、自分を失わなかったのだと思う。
企業家になって成功を収めたってのは、それは社会的地位であって、人間的地位じゃないですよね。
例えば、東大に合格した人に合格通知がいく。
「このたびあなたは当大学に合格しました、だからといってあなたがすばらしい人だという証明ではありません。単に条件が当大学の基準に該当したので合格となっただけです」
不合格になった人に、「このたびあなたは当大学に不合格になりました。しかしこれはあなたがたまたま当校の要求するものに合致していなかったというだけにしかすぎません。」
例えば昔の芸術家とかそうですよね。
死ぬまで貧乏で無名で、その後付加価値がつけられたので、作品が高い価値がつけられたわけです。
生きているときは、たまたまその画風がその時代のニーズに合っていなかっただけのこと。
その人自体を評価が表しているわけじゃあない。
失業したのは、たまたまそのときの社会にニーズに合っていなかったから。
成功したのは、たまたまそれを求めるニーズに社会がなったから。
そのようなコロコロ変わる価値観によって生活の質が変化するわけで、社会のニーズに合ったものができないとしても、それはその人の優劣を決められるものじゃあない。
回答有難う御座います。
>そのようなコロコロ変わる価値観によって生活の質が変化するわけで、社会のニーズに合ったものがで
>きないとしても、それはその人の優劣を決められるものじゃあない。
全くの正論です。
しかし、プロの世界で生きている限り、成果によって優劣が判断される事はいか仕方ありません。それが嫌なら、プロになってはいけません。
と言っても、大多数の人間は大人になると半強制的に何らかしらのプロにならねばなりません。
脱線しました。回答有難う御座いました。
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