日本文学を専攻しています。作品についてのレポート提出がほとんどですが、「人の意見じゃなくて自分の意見を」と言いますよね?
でも文学作品に対する批評って、ほとんど出尽くされていると思うんです。私が半年程度考えたところで何にも新しい意見なんて出ないような…。評論を書くわけであって、感想文を書くわけではありません。

なんとか奇抜な意見を、意見を…と考えて書いていたら、もっっのすごく時間がかかる上、いつもピントがはずれたものができてしまいます。
、「ーという~氏の意見をどう思う。△△だから」のような他人の批評の感想文みたいなものにするしかないのでしょうか?

みんなはもっと簡単にレポートを書いているのかな、とも思い、悲しくなってしまいます。みなさん(文学作品のレポートを書かなければならない人)どうしていますか?

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A 回答 (1件)

日常生活での個人的な悩みが多岐にわたるのと同様に、ある作品の受け取り方、疑問点も様々ではないでしょうか。

また、一人の人間においてすらも気分によって芸術作品の感受の仕方が違うこともあるのではないでしょうか。

あなたの精神(心)が陽のときに素晴らしく思える作品、反対に何かに悩み、病のような状態の陰のときに共感できるような作品など、パターンは幾つも考えられますが、問題点が個人の状態によって変わることもあります。

総じて古典的と呼ばれる文学作品は、読むたびに新しい発見のあるものです。

>私が半年程度考えたところで何にも新しい意見なんて出ないような…。

と言われていますが、無理に「考え」るのではなく、じっくり読むことによって意見は初めて出てくるものです。「奇抜な意見」のようなものは必要ではなく、真摯な態度です。じっくり読んだ結果なら、それがレポートから伝わり(本当です)、面白くなるのではないでしょうか。
つまり、むしろ悩み多き人の方が創造性のあるものを書くことができるのではなかろうかと思われます。うらやましいことです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

おっしゃるとおりだと思いました。じっくり読んで、面白いレポートを書いていこうと思います。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2003/09/23 02:25

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批評文」に関するQ&A: 批評文の上手な書き方

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Q文学作品、ことわざ等の参考書はありますか?

センター、大学の試験問題を解くたびに、知らない文学作品、ことわざがでて
きて困っています
頻出問題をまとめたような参考書があれば教えてください。
また、文学作品、ことわざはどのように勉強しましたか?
よろしくお願いします

Aベストアンサー

現役かそれに近い年齢の方でしょうか?
もし高校等の国語の便覧があれば、それが一番早いのでは?と
思うのですが、学校でそういうものを扱っていなければ
京都書房「新版国語総覧」がオススメです。
値上がりしていなければ¥850程度です。
時代の装束から文学作品の一覧、四字熟語・ことわざから
果ては文法まで書いてある本です。
本屋さんで取り寄せられるはずです。一冊あると国語系はかなり
便利だと思います。

Q老舎の作品に対する批評・感想

老舎の著した作品に対する批評・感想をお聞かせください。
大学のレポートの課題として出ているのですが、図書館はすべて貸し出し済み(泣)
検索エンジンで探してもほとんど見つかりません。
作品は老舎のものであればなんでもかまいませんので、よろしくお願いします。

※できれば、その作品中に登場した人物の住まいもくわしくも教えていただけるとうれしいです。

Aベストアンサー

下記URLで「老舎」の検索をしてください。
例えば以下のようなタイトルのページが出てきます。
但し、以下の2つはリンク切れになっていますが、キャッシュにデータが残ってますので、それを見ることは可能です。その他にも参考になるページが出てくるかもしれません。

「村井吉紹 老舎「茶館」の世界」
「《卒業論文発表会》」

参考URL:http://www.google.com/intl/ja/

Q国語教科書と文学作品

文部省検定の 小中高校教科書に 掲載されていた または 掲載されている 文学作品 といえば 誰の 何を思い浮かべますか?
文学と 表記しましたが 科学者や冒険家スポーツマン等の エッセイなども 含めます。

また 教科書に 掲載されていた 文学作品の一覧を 紹介した 書籍やサイトを探していますが 私が調べた範囲では ごく一部の記載ばかりで 網羅的なものはないようです。
ほぼ 全作品を 網羅している書籍やサイトに お心当たりの人がいたら 教えてください。

Aベストアンサー

おはようございます。No.1です。

> 文部省検定の 小中高校教科書に 掲載されていた または 掲載されている 文学作品 といえば 誰の 何を思い浮かべますか?

お恥ずかしい話ですが、中学・高校の作品には、印象深さにかかわらず、ほどんど思い当たるものがございません^^;

元来国語はけっこう好きだったのですが、本読みが非常に苦手だったものですから、今日当たるのではないかとか不安でいっぱいで毎回授業の時間が苦痛でたまらなかったのが原因だと自分では思っているのですが^^;

しかし、それより過去のことなのに、なぜか小学校の教科書にはいくつか記憶に残っているものがございます^^

・スーホの白い馬
・ごんぎつね
・モチモチの木
・力太郎
・スイミー
・たぬきの糸車

作者までは覚えていませんが、中でも上位三作品は非常に印象深いです^^


> 教科書に 掲載されていた 文学作品の一覧を 紹介した 書籍やサイト

この前の回答で抜けていた高校教科書の作品になります。

http://www001.upp.so-net.ne.jp/gen-chan/anno.html
> 「戦後高等学校国語教科書データベース」
> 2,データ量が大きい(エクセルで20055バイト)ので、CD媒体で情報を提供します。
> 3,郵送料、及びCDの代金として500円を、切手でお送り下さい。

下記は上のデータベースの書籍版です^^

http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%8A%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84%E5%90%8D%E8%91%97%E6%A1%88%E5%86%85-%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E6%8E%B2%E8%BC%89%E4%BD%9C%E5%93%8113000-%E6%97%A5%E5%A4%96%E3%82%A2%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%84/dp/4816920978
> 読んでおきたい名著案内 教科書掲載作品13000
> 高校国語教科書に載った作品を網羅。1949~2006年刊の教科書から小説・戯曲・評論・随筆・詩・短歌・俳句・古文・漢文などの作品をすべて掲載。国語教育の潮流を一望。図書館のレファレンス業務にも役立つ一冊。

おはようございます。No.1です。

> 文部省検定の 小中高校教科書に 掲載されていた または 掲載されている 文学作品 といえば 誰の 何を思い浮かべますか?

お恥ずかしい話ですが、中学・高校の作品には、印象深さにかかわらず、ほどんど思い当たるものがございません^^;

元来国語はけっこう好きだったのですが、本読みが非常に苦手だったものですから、今日当たるのではないかとか不安でいっぱいで毎回授業の時間が苦痛でたまらなかったのが原因だと自分では思っているのですが^^;

しか...続きを読む

Q心理学に触れたイギリス文学作品を探しています。 イギリス文学 心理学 イギリス文学を用いて心理学

心理学に触れたイギリス文学作品を探しています。

イギリス文学 心理学

イギリス文学を用いて心理学の論文を書こうと思っています。
特にサスペンスやミステリーが好きなので、犯罪心理学の路線で行こうかなと考えていますが、未定です。
集団心理、思い込み(幻想、幻聴など)、多重人格でも何でも、何か心理学的なヒントが見つかりそうなイギリス文学作品があれば教えて頂きたいです。時代は問いません。
和訳されていない作品でも大丈夫です。英語で論文を書くので、むしろそっちがやりやすいかもしれないです。

どんどん挙げてくれたら嬉しいです!
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

シャーロック・ホームズはコカイン中毒だったとのことですから、病理心理学はダメですか?
ルイス・キャロルは幼児性愛者だったそうですが、これも病理心理学として使える?

Q「リレーショナルデータベース」と「データベース」

「リレーショナルデータベース」と「データベース」は何が違うのでしょうか?
accessはリレーショナルデータベースとの事ですが,普通のデータベースと何が違うのでしょうか?

[データベースはこうだけど、リレーショナルデータベースはこうだよ!]
って教えて頂ければ助かります。

Aベストアンサー

データベースというのはデータの集まりのことで、ソフトウエアのことではありません。データベースという用語は法律でも定義されています。
著作権法第2条第1項十の三
 データベース 論文、数値、図形その他の情報の集合物であつて、それらの情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したものをいう。

リレーショナルデータベースとは複数のデータベースを組み合わせて(関連付けて)一体として管理するデータベース構造(スキーム)のことであり、組み合わされる個々のデータベースのことはテーブルと呼びます。もちろんリレーショナルデータベースもデータベースの一種です。上記の法律の条文に照らしてみれば明らかでしょう。
EXCELのような表計算ソフトでもデータベース(テーブル)を構築することはできますが、リレーショナルデータベースを構築するには専用の管理機構が必要で、表計算ソフトでは構築不能です。

Accessのようなソフトはこのデータベースを管理・操作するためのソフトウエアであり、分類上「データベースソフト」あるいは「DBMS(データベース・マネジメントシステム)」と呼ばれます。素人向けはデータベースソフト、業務用はDBMSと呼ぶのが普通です。なお、マイクロソフトではAccessのことを、一般向けにはデータベースソフトウエアと呼び、技術者向けにはDBMSと呼んでいるようです。これらのソフトウエアで管理・操作する対象がデータベースでありリレーショナルデータベースなのであって、Accessなどのソフトウエアがデータベースなのではありません。

パソコンが仕事で使われることの少なかった初期(主にホビー・家庭用途)は、パソコン上で動作するデータベースソフトは「カード型」などのリレーショナル機能のないものが主流でした。住所録管理程度であればこれで十分でしたし、当時の表計算ソフトは現在のような大量データは扱えませんでしたから(最大500行とか)、Windows普及以前はデータベースソフトと言えばリレーショナル機能のないカード型ソフトが家庭や零細企業では普通に使われていました。
リレーショナルデータベースがあっても高価で(ビジネス用で一番普及していたdBASEは定価268,000円だったはず)、システム構築も簡単ではないので、システム化の進んだ大手企業やその関連会社でもなければ導入していないのが普通だったと思います。

データベースというのはデータの集まりのことで、ソフトウエアのことではありません。データベースという用語は法律でも定義されています。
著作権法第2条第1項十の三
 データベース 論文、数値、図形その他の情報の集合物であつて、それらの情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したものをいう。

リレーショナルデータベースとは複数のデータベースを組み合わせて(関連付けて)一体として管理するデータベース構造(スキーム)のことであり、組み合わされる個々のデータベー...続きを読む

Q日本の純文学作品内でしばしば言及される海外文学

日本の純文学作品内に高い頻度で登場する海外文学を教えてください。
たとえば太宰なら聖書やドストエフスキーの小説を引き合いに出すことが多かった気がするのですが、
他に頻繁に引き合いに出される作品には何があるのでしょうか。

Aベストアンサー

同じく、太宰はギリシア神話からも引いていますね。
例:走れメロス

順位から云えば、
1.中国文学(近現代では「中島敦」とか、江戸期以前の文学では当たり前)
2.佛教経典(芥川・・蜘蛛の糸なんか・・)
3.聖書(現代では、「森山周一郎」・・クリスチャンだった)
4.ギリシア神話(太宰、白樺派辺りでも引用が多い)
5.ドストエフスキー(近代で引用が多い)
6.シェークスピア(大正期文学では多い)

特に自然主義文学と呼ばれる作品群(大正期から昭和初期にかけて)は、西洋文学の引用が増えているような気がします。そして、新古典主義と呼ばれた、芥川らによって、佛教経典や日本古典から引用があり、その後の現代に続くようです。

では。

Q【エクセル】データベースシートの値を印刷用シートに2段に分けて返すには?

データベース上では1行で横方向に複数のデータを落とし込んでいますが、
印刷用のシートはレイアウトの関係上1行のデータを2行ずつに返しています。

1人目1行目の各セルは
 A4=IF(データベース!A1="","",データベース!A1)
 A5=IF(データベース!B1="","",データベース!B1)
 A6=IF(データベース!C1="","",データベース!C1)
2行目の各セルは
 B4=IF(データベース!D1="","",データベース!D1)
 B5=IF(データベース!E1="","",データベース!E1)
 B6=IF(データベース!E1="","",データベース!E1)
2人目一行目(上から三行)の各セルは
 A4=IF(データベース!A2="","",データベース!A2)
 A5=IF(データベース!B2="","",データベース!B2)
 A6=IF(データベース!C2="","",データベース!C2)
2行目(上から4行目)の各セルは
 B4=IF(データベース!D2="","",データベース!D2)
 B5=IF(データベース!E2="","",データベース!E2)
 B6=IF(データベース!E2="","",データベース!E2)

これだと下にコピペすると参照先がずれてしまいますので手入力してます。
Row関数などを使って上手く参照させるように出来たらと考えています。
いい方法は無いでしょうか?

よろしくお願いいたします。

データベース上では1行で横方向に複数のデータを落とし込んでいますが、
印刷用のシートはレイアウトの関係上1行のデータを2行ずつに返しています。

1人目1行目の各セルは
 A4=IF(データベース!A1="","",データベース!A1)
 A5=IF(データベース!B1="","",データベース!B1)
 A6=IF(データベース!C1="","",データベース!C1)
2行目の各セルは
 B4=IF(データベース!D1="","",データベース!D1)
 B5=IF(データベース!E1="","",データベース!E1)
 B6=IF(データベース!E1="","",データベース!E1)
2人目...続きを読む

Aベストアンサー

ANo1です。

A4に
 =INDIRECT(ADDRESS(INT(ROW()/2)-1,COLUMN() + MOD(ROW(),2)*3,,,"データベース"))
を入力して、右、下方に必要なだけフィルコピーでいかがでしょうか?


※ ついでながら・・・・ご提示の式で
 =IF(データベース!A1="","",データベース!A1)
などは、『A1が""だったら""を、それ以外の場合はA1の値を表示』という意味になりますので、結局のところ
  =データベース!A1
で良いことになりませんか?

Q文学部で現代日本文学作品だけを学ぶのは無理?

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を考えたことがありません。

しかし、その文学部について調べていて引っかかる点が少しありました。
他の大学もそうだと思うのですが、国文学は文学部の中でも「東洋文化系」という大きなくくりの中に属していますよね。
その東洋文化系の必修科目や専門科目は、
・中国・韓国語・サンスクリット語などの外国語
・中国古典文学・漢文・国語古典文学・インド古典文学
がほとんどという印象でした。
国語学や国文学もありますが、それ以上に外国語や他国の古典文学の授業がかなりを占めていると思います。
さらに国文学の授業でも、古典文学だけを扱うのが文学部の一般的常識だと聞きました。これは本当なのでしょうか。
教授の研究テーマを見ていても、現代日本文学を専門にしていらっしゃる方がいらっしゃいませんでした。
京大以外の国立大も軽く見てみましたが同じような印象を持ちました。

これは、大学の文学部に進学しても現代日本文学を本格的に学ぶことはあまりできず(卒論を除く)、他国のものを含む古典文学・外国語ばかりということになるのでしょうか?

古典文学も外国語も嫌いではありませんが、現代日本文学をあまり学べず、そちらにウェイトがかなり寄っているなら、他学部に進学して独学で文学を学ぶ方が幸せなのかなぁという気がして迷っています。
文学部で現代日本文学作品だけを、とまでは言いませんが、少なくともそれを専攻にしていると言えるようにはなりたいのです。
それが無理ならば、現代日本文学を学びたいという人が、古典文学や外国語をやる意味って何でしょうか?

文学部に在籍経験のある方や、その辺の事情に詳しい方の回答を頂けたらと思います。些細な情報でもかまいません。よろしくお願いします。

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学、政治学などの社会科学はもとより心理学や哲学といった思想系、時には人間が対象として観察している自然科学分野にまで及びます。そしてそうした全てをひっくるめた歴史にも脚を踏み入れねばならないことも普通です。
 「小説を読むのが好き」と仰る質問者からすれば、近代以前の作品は「小説」ではないのかもしれません。けれど『蜻蛉日記』や『更級日記』も解釈次第では「小説」でもあるとの事実を忘れてはならないでしょう。両者は共に「私小説」です。それは「私に降りかかった事象」を私の目線で見たこととして「自己対象化」の要件を完璧にクリアしていることによります。
 この要件を近代以後の作品に適用してみるならば、漱石、竜之介、そして公房や由紀夫、健三郎といった作家全てにあてはまることにもなります。
 こうしたことを考えてみると、最初の質問である「文学を学ぶ」とはどの様な意味を持ってくるといえるでしょう。そして具体的な内容はどの様な言葉として説明することになるでしょう。ここまで来た時、一先ずの定義を示すこともできます。少なくとも「文学なるもの」を研究対象とする時にしか、この言葉を使うことが出来なくなるとの話です。
 恐らく今後もノミネートされることはあっても村上春樹さんがノーベル賞を受賞することもないでしょう。それは文学が時空を越えて数多くの人と感動や認識を共有することで認められているからとの「文学の存在理由」との間でかなりの隔たりがあることも作用しています。
 『青が消える』が普遍の問題を扱っているといえるでしょうか。この作品をどの様な視点からターゲットとして観察することができるでしょうか。少なくとも僕には公房と類似するテーマを扱いながら彼の一連の作品を凌駕するとも考えられません。春樹が書いているのは「僕にとっては大切なもの」が他から見れば「さほどの意味はないもの」であるとの描写に留まっている点で、公房の足下にすら及ばない。だからどうしたの?で終わってしまうほどの作品ともいえます。
 質問者は「同時代の作家を対象とした」と肩に力を入れて力説していますが、戦後そして1945年以前の作家が同時代の空気を採り上げていないとの考えならば、それは大間違いともいえます。彼らは全員「自分の目線」とのフィルターを通じて社会そして世界を観察し、それを「言葉」として再び世界に放ち、読者(研究者も評論家も)に投げ返してきた、「社会とは…」「世界とは…」「私とは…」そして「これら私を取り巻くものと私の関係は…」との形で。
 少し厳しい言い方になりますが、質問者は「文学」を全く知らないといっても過言ではありません。公房が海外でF.カフカやS.ベケットさらにはA.カミュ、健三郎がG.グラスなどとの同時代の観察者として考察の対象になっていることをご存知でしょうか。またなぜ和歌や俳句に関する研究で外国の研究者の方がより本質的な部分にまで切り込むことができるのか考えたことがあるでしょうか。
 芭蕉の旅は西行の旅と重なる部分が数多くあります。清少納言や兼好の言葉には李・杜、白居易をはじめ多くの言葉がちりばめられてもいます。これはなぜでしょう。それを読む人からすれば、まさに現代の言葉でもあるからです。雪降る朝の光景が「香炉峰の雪」を想起させると清少納言が感じたから、それを言葉にしたのであり、そうした姿をペダンティックと評するのも一つの解釈です。けれどもそれは「清少納言という人物像に対する評価」であり「『枕草子』に対する評価」とは異質なものといえます。
 どうやら質問者は「大学で学ぶ」ことを勘違いしている可能性も多分にあります。専門の教員がいないから学ぶことができないとなれば、質問者の文学に対する姿勢は常に受け身といえ、そこから何を引っ張り出すかとの最も大切な作業を放棄することになります。このような生半可な姿勢では理論構築のない分野とはいえ、何を求めるかとの自らが立てた問いに対する答えを見つけることは到底叶わないともいえます。
 「京都大学の学風に惹かれる」とはあっても、文学部に学風は無関係です。京大文学で「学風」と呼ばれるのは歴史学での「内藤史学」や哲学での「西田哲学」といった「研究スタイル」や「アプローチ視角」での特色です。老婆心ながら誤解されませんように。
 なお「日本文学科」や「国文科」が対象領域として扱うのは必ずしも古典だけではありません。近代以後、「第三の新人」と呼ばれる作家までは対象範囲に含まれます。志望選択をする以前に少なくとも、近代文学史の概要程度は頭に叩き込んでおいていただきたいですね。それが常識ですよ。

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学...続きを読む

Q別のACCESSデータベースのテーブルのレコードを追加したいのです

別のACCESSデータベースのテーブルのレコードを追加したいのです

同じ内容のデータベースが二つあります
データベース1とデータベース2を其々別の人がデータを入力しています
データベース1にデータベース2のテーブルで T_データT_データ明細の二つのレコードを追加したいのですがどの様にすればよいでしょうか

ご指導をお願いいたします。

Aベストアンサー

レコードカウントで採番する場合は、

rsInMain.AddNew
rsInMain!番号 = rsInNUM!番号 + 1
rsInMain!項目1 = rsOutMain!項目1
rsInMain!項目2 = rsOutMain!項目2
j = rsInMain!番号
rsInMain.Update

のところで、

rsInMain!番号 = rsInNUM!番号 + 1



rsInMain!番号 = rsInMain.RecordCount + 1

に置き換えればいいです。

それと、

'T_番号の更新
rsInNUM.Edit
rsInNUM!番号 = rsInNUM!番号 + 1
rsInNUM.Update

の部分はコメントアウトするか削除します。


こちらの環境では、レコードソースを
クエリ、テーブル、SQLどれも問題はないのですが。
一応、簡単にT_テーブルでオートフォームでフォームを
つくり、あとボタンをくっつけた簡単な
フォームでやっています。

Qなぜ文学作品は「過去形」で書くものなのか

一般的な文学作品は、大体「~であった」「~した」という過去形で書かれているものです。これはどうしてこうなったのでしょうか。日本だけではないと思われるので、どういう世界共通の認識があって、こういう方法が確立したのでしょうか。

Aベストアンサー

質問者氏がどこまでの知識を求めていらっしゃるのか、いまひとつよくわからないのですが、この問題は、それほど簡単なものではありません。

最初に、日本語の記述と「物語文」そのものをいったん分けて考える必要があります。

日本語の過去形「~た。」という文体は、明治以降、翻訳によって作られた、とする柳父章の論考『近代日本語の思想』(法政大学出版局)があります。

詳しいことは同書を読んでいただくとして、ここで要旨だけを書いておくと、近代より前の日本の文章には切れ目というものがなかったこと、「文」という概念そのものがなかった日本語の文体に、明治期、翻訳によって「文」の切れ目がつくられていき、句読点などが苦心して導入されていった経緯が述べられます。

さらに、近代日本の小説に決定的な影響を与えたのが、二葉亭四迷が訳したツルゲーネフの『あひびき』で「有ッた。」「のぞかれた。」「傾けてゐた。」という「た」止めの文体が翻訳によって生みだされたことが明らかにされています。

> 一般的な文学作品は、大体「~であった」「~した」という過去形で書かれているものです。

という文体は、翻訳によって生まれた、と柳父は結論づけています。

その翻訳の原典である西洋の文学作品は、一部の実験的な作品を除けば、そのほとんどが「過去形」で記述されています。

それはどうしてか。
デイヴィッド・ロッジは『小説の技巧』(白水社)のなかで、端的にそれを語っています。

----p.186からの引用------

小説の想像の世界に入り込むために、我々は登場人物と同じ時空に身を置かねばならないが、未来形ではそれができない。過去形は物語にとって「自然」な時制なのだ。現在形ですら、何となくしっくりとこない。なぜなら、何かが書かれているということは、論理的にそれがすでに起こっていることを前提としているからである。
-------

この「何かが書かれている」ということをもう少し詳しく見ていくと、ダントの「物語文」になります。

アーサー・C・ダントは『物語としての歴史』(国文社)のなかで「少なくともふたつの時間的に離れた出来事を指示し、そのうちの初期の出来事を記述する」のが「物語文」であるとしています。この特徴は単に文学作品のみならず、出来事を記述するあらゆる文に現れている、とも。

ダントはサンプルに「三十年戦争は、1618年に始まった」という文章を取り上げます。

これは
1.1618年に、「あること」がおこる。
2.1648年以降のあるときに、「あること」を起点とする一連の出来事を「三十年戦争」と名づける。
というふたつの出来事を結びあわせた文章です。

つまり、「三十年戦争」のことを記述しようと思えば、2の時点よりさらにあとにならなければ、それを記述することはできません。

より本質的には、わたしたちは現におこりつつある出来事を単独では認識することはできません。わたしたちの認識とは、それに先行する出来事と、いま起こりつつある出来事を結びつけた、原因と結果の関係、すなわち、物語という形式を必要とするのです。

神話なり、昔話なり、大昔から人間とともにあった「物語」という形式は、同時に、人間があらゆる事象を、自分が認識し、理解し、他者に説明して共有するための形式としてありました。
語り手が行き会った「出来事B」を先行する「出来事A」と結びつけて、「Aということがあった」と語り、記述してきたわけです。

何かが語られる、あるいは記述される、ということは、すでにそれが起こってしまっているからこそ可能なので、必然的に「過去形」ということになります。
わたしたちの認識の形式がそうなっているために、「過去形は物語にとって「自然」な時制なのだ」ということになるのです。

相当に荒っぽい回答ですので、不明のところがあれば補足してください。

質問者氏がどこまでの知識を求めていらっしゃるのか、いまひとつよくわからないのですが、この問題は、それほど簡単なものではありません。

最初に、日本語の記述と「物語文」そのものをいったん分けて考える必要があります。

日本語の過去形「~た。」という文体は、明治以降、翻訳によって作られた、とする柳父章の論考『近代日本語の思想』(法政大学出版局)があります。

詳しいことは同書を読んでいただくとして、ここで要旨だけを書いておくと、近代より前の日本の文章には切れ目というものがなか...続きを読む


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