
昔と今は違います。
自分が小さい頃は、親や教師から悪い事をすれば、ぶん殴られるのが普通でした。
今では、速攻「虐待」や「体罰でPTA問題」となりますよね。
でも、殴られなければ分からない事ってあると思いませんか?
いつぞやのTV番組で、「体罰賛成派」と「体罰反対派」に別れて討論している番組を見ました。
「体罰賛成派」は、自らが「虐待ではない体罰を受けた」人達が多く、そのおかげで、痛みを知る事ができ、手加減も出来る、と言っていました。
「体罰反対派」は、どんな理由があろうと、暴力は暴力。
ちゃんと話をすれば、暴力は使わずとも、相手を必ず理解させる事は出来る、と言っていました。
自分には、どちらも納得が出来る事です。
ただ、一つ、反対派で納得がいかない所があります。
「ちゃんと話をすれば」とは、その子供の親であればとことん話に付き合ってあげる事も出来るでしょうが、その他の人にも「それを強制する」と言う事でしょうか?
「ちゃんと話をすれば分かる」とは、逆に言いかえれば「ちゃんと話をしなければ分からない」とも取れないでしょうか?
そもそも「ちゃんと話す」の「ちゃんと」とは、誰の基準なんですかね?親?子供?
そこから間違ってるような気がしませんか?
人間の「喜怒哀楽」の感情の表現の仕方は、人それぞれです。
自分の親が、自分がどんなに悪い事をしても殴ったり叩いたりしない人であれば、子供は「みなそうだ」と勘違いしたりはしないのですかね?
どんなに規制を厳しくしても、どんな教え方をしても、先日の中学生の事件のような事は、この先も起こるのだと思います。
自分が幼い頃、親からぶん殴られていた時、「怒っている」とは感じても「楽しんでいる」と感じた事はありません。
親や教師の暴力を進める訳ではありませんが、親や教師が、子供に「暴力の使い方」を教えるのも、しつけの一環ではないかと、自分は思うのです。
それが、子供に取っても、「自分の命」や「他人の命」を守る事につながるのではないか?と思うのですが、みなさんはどうお考えでしょう?
改めて申し上げますが、暴力を推進している訳ではありません。
ただ、どんな状況でも「暴力は絶対にいけない」と押し付けるのはどうか?と思った質問です。

No.9ベストアンサー
- 回答日時:
ありますね。
「叩いてでも規範からの逸脱を許さない意志」
は、
叩かなければ伝わらないと思います。
体罰云々よりも、
まず規範があり、
規範の中には「暴力をふるってはならない」もあり、
しかし眼前で今まさに規範が破られようとしている状況は、
論理的ジレンマとして想定できます。
どうするのが良いと思いますか?
親ならば叩いて上記の意志を伝えるべきだし、
教師ならば懲戒覚悟でやはり同様にすべきではないでしょうか?
現段階で判る、今回の事件で守られていない最大の規範は、「救急車を呼んで責任を取れ!」と言うことではないでしょうか?
リンチなら、そもそも手加減もへったくれもありませんが。
回答有り難うございます。
お礼が遅くなり、本当に申し訳ございませんでした。
って言うか。。。
imantarxさんの仰る通りなんです!
自分はそれを言いたかったんですよ!
文章表現が苦手なものでうまく伝わらなくて歯がゆかったですが。。。(泣
>「叩いてでも規範からの逸脱を許さない意志」
は、
叩かなければ伝わらないと思います。
叩く躾けに「愛」があるのか無いのかは、受け取り手による物だと思うので、その境界線が実に曖昧なんだと思います。
言ってる事とやってる事が違うのは、人間ではよくある事ですし。
叩く躾けが良いか、悪いか、と言う極論では無く「そこまでの事を自分はしたんだ」と相手に自覚させる方法の一つではないのか?と思うのです。
そこに「恐怖」と言う物が存在しても、自覚させる分には仕方なしではないのか?と思う訳です。
というか、叩かれる事に「恐怖」を感じなければ、そもそも初めから叩く事の意味は無いのでは?とさえ思えます。
「理不尽な暴力」と「自分の行動の責任を自覚させる為の暴力」が、本人に取って意味を持つ物に変わるのであれば、「愛」など後付けでも構わないだろうと思います。
要は、それを社会全体で「禁止」にしてしまう事によって、逆にそれを子供達が「利用」してしまったとしたら、その事に対する責任は一体誰が取るのだ?と思うのです。
それにしても、確かに「リンチ」では初めから手加減も糞もあったもんでは無いですね。。。
お互い同士の殴り合いのケンカでも、実際は相手を殴る事に「必死」で「やらなければ自分がやられる」と言う意識が強いと思うので、その段階でも「手加減」をする事は出来ないのだと思います。
「手加減」を意識し出すのは「勝負の結果」が見えて来た時でしょうね。
「これ以上やれば。。。」と意識する事が出来て、初めて手加減を出来るようになるのでしょう。
でも、そもそも初めから「リンチ」は「勝負」が決まっていますよね。
「理不尽な暴力」の先にあるのは、「自己満足」と「快楽」なんでしょうか。。。
本当に難しい問題だと思います。
貴重なご意見、大変参考になりました。
本当に有り難うございました。
それにしても、確かに「リンチ」では手加減もくそもあったもんじゃありませんね。。。
No.11
- 回答日時:
お礼もらって
おはようっす
いやぁ~最高と思いましたよ
その経験があったからこそ今の気持ちがあるんじゃないかな
何となく私と育てられ方の似てるというか似てないんだけど
何か見えた気がする
私も今ブログ書き直してた
私の生い立ちを書いたので
今の私の考え方がわかるかも知れません
良かったら
再度、回答有り難うございます。
同じ環境でも、人が違えば感じ方も違う。
だから一慨に、「これが正しいと言うものは無い」というのが一番正解に近い気がします。
「暴力を止める」事と「暴力から守る」事はイコールではない気がします。
自分は、何事も人から決め付けられる事を極端に嫌う人間だからそう思うのでしょうか。。。
基本、あまのじゃくなんでしょうな(笑
素直じゃないんですよ。
ブログ、後で寄らせてもらいます。
自分、本当にアナログな人間で、ネットで利用しているのはここだけなんですよ(笑
パソコンに詳しい友人がいるので、ちょっとブログの使い方を勉強して来ます。
おっと、気を付けないとまた「慣れ合い撲滅を叫んでいる慣れ合いの人」に怒られてしまいますね。
ま、自分のお礼はどれも長いので、本人以外は読む気にならないだろうからあまり目立たないかな(笑
では、またお会いしましょう。
No.10
- 回答日時:
ラグビーで有名な伏見工高は、かつて悪の巣窟として有名でしたが、山口先生が体当たりで(今で言う暴力教師)、反発する不良高校生をラグビーと体罰(それ以上の愛情を持って)を通じて更正させ、今や花園の常連校になりました。
また、力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。力なき正義は反抗を受け、正義なき力は弾劾を受ける。それゆえ正義を力を結合せねばならない。
byパスカル
と昔の偉い人は言っております。
更に、褒めて育てる事の弊害がある事を、最近の教育研究で出ている様です。
http://wizard-of-oz.no-blog.jp/blog/2010/10/post …
つまりは、何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」であると言う結論です。
そもそも、外国の考え方では、子供は人間ではなく人間になる為には躾(と言う、暴力)が必要としている所もあるようです。
http://www.u-gakugei.ac.jp/~tam/research/culture …
http://blog.goo.ne.jp/higurashi55/e/e80eb7704c77 …
是々非々で悪い所は叱り、言う事を聞かない態度なら優れた人間に育てる為「愛情を持って教育的体罰」もやむなし、一方「良い事はシッカリ褒める」ので良いのでは。
間違えてはならないのは、暴力では無く、躾です。
回答有り難うございます。
お礼が遅くなり、大変申し訳ございませんでした。
伏見工高の件は、初めて知りましたね。
我々の時代もそうでしたが、部活などで監督に殴られても、それを「理不尽な暴力」だと思った事も無いし、そう言う指導でも「付いて来る奴」と「そうでない奴」の違いは、それだけ本人の部活にかける「熱意」が感じられるかどうかでした。
「やっている事は同じでも」本人の受け取り次第で、それを「愛情」と取るのかどうかは分かりませんよね。
自分は、その可能性をあるものを、社会全体として「禁止」とするのはいかがなものか?と疑問に思った次第でした。
また子供達にそれを「利用」された日が恐ろしいと思います。
自分が見たテレビに出ていた教師は、タバコを吸っている生徒を見つけ注意をしたらしいのですが、生徒は一向に焦りもしなければ、へらへらと笑っているだけだったそうです。
頭にきて、胸ぐらを掴んだらしいのですが、その生徒は
「殴りたいんなら殴れよ。速攻PTAに駆け込んでやるよ」
と言い放ったそうです。
ま、そこで殴れない教師も教師ですが、全員が全員、即座に、そういう問題と自分の人生を測りにかけれる訳ではありませんよね。
その教師は「あなたが舐められているからだよ」と周りから言われていましたが、自分はその教師が、というよりは、子供達が「そういう立場にいる大人全体」を軽蔑しているように見えました。
そう言う垣根を取っ払った段階で、初めて個々の教師の力量を初めて問えるような気がします。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
確かにそうですね。
「暴力は必ず必要だ」という事も、またそれを「絶対に禁ずる事」も、自分から見れば、極端過ぎる気がします。
難しい問題ですね。
参考になるご意見、本当に有り難うございました。
No.8
- 回答日時:
こんちわっ
親子がどういうものかわからずに育ってきた者が回答するので
適当に流して
あぁその前にお子さんおめでとうございます
頑張ってね 子育て
私はあなたの体罰は賛成です
それ以外はやっぱ体罰は反対かな
感情のあまり手が出るって気がするから
「ちゃんと話をすれば」
勿論自分の子供になら
でも他の子供はある程度まではいいと思いますが
その子には親がいます
その子なりの生活、家庭があるから
ある程度までで
その先までは入り込めない、入り込んじゃいけないと思います
「ちゃんと」の基準
親?子?
それがわかるのは親
親でも子でもない
子がどこまでわかってくれるか
親の基準があって子の基準もある
そこをわかって話すことが
「ちゃんと」の基準だと思います
だからちゃんと話をしないとわからない
ということが起きる
どんなに自分が悪いことをしても体罰なしで育った場面
これはその家庭によって違う
というか体罰なしでも悪いことをちゃんと教えられていれば
悪いことをする=体罰
はなくても大丈夫
けどただの甘やかし反省までさせなかったら
悪いことをする=体罰
がなかったら
悪いことをしても何も起こらない、変わらない
何とも思わない
ってことになってしまうんじゃないですかね
私は親子というものがわからず育ってきたので
自分が子を育てるなんて無理です
私は毎日自分のために生きてます
お子さんを私みたいな人間にさせないように子育て
q(^-^q)q(^-^q)
この回答への補足
本当に申し訳ございません。
これより先、パソコンを使えない状況下になります。
携帯からでも返信できますが、ゆっくりお礼をしたいです。
お礼は、明日必ずします。
では、失礼致します。
おはようございます。
お礼が遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。
自分には子供が二人おりますが、上の子はすでに6歳になっています。
ようやく「言葉」で話せば分かる年になってきましたが、それでも年齢を追う事に、年相応の問題は新たに出て来るようです(笑
いやぁ、それにしても、あなたは自分の体罰は賛成だ、と言ってくれますが、自分が子供にする体罰だって、その時は「感情のあまり手が出る」んですよ?
怒って、子供に手をあげる時に、いちいち「これは愛のムチだ」なんて大それた事なんて考えていないと思います。
そりゃ、子供からすれば「余計なお世話」と言うものでしょう(笑
そう言う子供の気持ちは、自分がよく分かるんです(笑
今思えば、自分は小さい頃から「殴られて当然」の事ばかりしてましたからね(笑
未だに鮮明に覚えているのは、小2の頃の記憶かな。
自分、人をいじめていたんですよね。
その時は、それが「いじめ」なんて自覚は無かったですよ?性質が悪い事に。。。(泣
性格が我儘なものでしたので、当時は番長気取りで、子分達を従えていた気になっていたんでしょうな。
その「子分」がどう言う気持ちで、自分の命令を聞いているかなど、何も考えずに。。。
ある日、その内の一人が親に泣きついて、自分の家に連絡が来たんですよ。
何も分からずに、能天気に家に戻ってきた自分は、その後、半殺しの目に合いました(笑
父親から胸ぐらを掴まれ、ぐあーっと父親の頭の上まで持ち上げられて、地面に叩き落とされました。
それからは、ボコボコです(笑
恥ずかしい事に、その時に初めて「自分のしていた事がここまで悪い事だったんだ」と自覚したんです(泣
父親と一緒に、その子の家に言って、泣きながら謝った事を覚えていますね~。。。
その時の親父の行動に、自分に対する愛なんて微塵も感じなかったし、実際は恐怖ばかりでしたけどね。
父親の気持ちもそうだったのだと思いますよ。
自分の事よりも「人様に迷惑をかけて」という意識の方が強かったと思います。と言うか、それが全てだったかも。。。
で、そこで考えたんですよね。
それが今の時代だったら、うち親父は間違いなく虐待で捕まってるだろうし、そうじゃなくて、もしあの時、自分が半殺しの目に合わないで、説教だけで終わっていたとしたら、本当にいけない事の自覚を、自分は持てたのかな?って。。。
馬鹿でしたからね(笑
やっぱり言葉だけでは分からなかっただろうな、って思うんですよ。
人を苛める事と、自分が半殺しの目に合う事の「恐怖」は、「同等の価値」だったんだろうな、と思うんです。
そこに本当の「愛」があっても無くても、本人の為になったのであれば、そんなものは後付けでも構わないと思うし。。。
自分が思う「ちゃんと話して教える」の「ちゃんと」と言う定義は、話し手と受け取り手の両方の価値観が合わないと、成立しないのではないか?と思うんですよ。
「親と子供の価値観を合わせる」為の話し合いをするのであれば、納得も出来ますがね。
ただ、全体として親も教師も「体罰を禁止する」と決められてしまえば、自分のような体罰で無ければ分からない子供は、一体どうなってしまうんだろう?と思うんですよ。
「愛」と付ければ、どんな事をしても良い訳ではありませんが、なんだかやるせない世の中ですよ。
それとね、別に親なんかいなくても、子供は立派に育つんですよ。
自分の親は、特に父親なんかは、基本「子供は親の老後の為に育ててやる」と言う考えの人なんでね(笑
思春期の頃なんかも、親に相談とかした事無いし、子供の事情よりも世間体を気にするような人ですから(笑
でも、なんだか嫌いにはなれないんですよね。
人として尊敬出来るような親ではないけど、基本「我以外皆師」なので(笑
だから、「わたしみたいな人間に育てないで」とは言わないで下さい。
決めるのはその子本人です。
どんな躾けでも、常識でも、親の自分は、自分の価値観としてその選択肢を増やしてあげるだけです。
頑張って行きましょう。
No.7
- 回答日時:
「暴力は絶対にいけない」という程でもないですが、どちらかといえば反暴力派です。
そもそも何故手を出すのかと考えると、それは一時の感情(怒り、憎しみ)だと思うのです。
そうでなくて、冷静になって「やっぱり痛い目を見ないと分からないようだ」と息巻いて、
自分の生徒や子供に手を出す人は、ごめんなさい、僕の中では異常者です。そこには自己満足しかないと思います。
ただ、”手を出す”というのがどの程度かというのは人それぞれだと思います。
(肩を力強く揺さぶり”ダメでしょ!”というのは暴力か否か。僕は違うと思いますけど)
それに言葉で諭す以外にも色々あるでしょう。
罰として小遣いやお菓子を与えない、掃除をさせるなどなど。
「叩かれるから、つねられるから、xxxはしない」と子供たちに認識させるのではなく、
本当に伝えたいのは「嫌がる人がいる。困る人がいるから、xxxはしない」ということなのです。
圧倒的な力で抑えつけても、そこには恐怖と従順しかないし、同じことを将来彼らが繰り返しかねませんしね。
回答、有り難うございます。
暴力を受けなくても、それが痛い事、悲しい事、可哀想な事、と判断出来る人はいると思います。
元々、そう思える優しい心、想像力を持ち合わせている人だと思います。
全てがそう言う人ばかりだと良いんですけどね。
子供に「恐怖」を教えるのはいけない事なんですかね~。。。
自分が親や教師にぶん殴られてきた時は、acd411さんの仰る通りで「悪い事をすれば叩かれる、だからしてはいけない」と言う認識の方が強かったですね~。
「嫌がる人がいる、困る人が人がいる。」と言うよりは「自分が嫌だから、困るから。」と言う感じだったと思います。
でも、それが自分が人に手をあげる際の、無意識の手加減になっているような気がしたんです。
確かに暴力は、一時の感情(怒り、憎しみ)だと思います。
でも、それは人としての自然で単純な本能だと、理解出来るんです。
先日の中学生の暴行事件、加害者の少年たちは、acd411さんの仰る一時の感情(怒り、憎しみ)だけだったんでしょうか?
そこに(快楽)は含まれなかったんでしょうか?
自分も暴力はいけない事だとは思いますよ。
でも、それを親や教師の立場上「体罰を用いる事が出来ない」とするのは、また一方で何かが歪んできそうな気がしてなりません。
それを子供達に「利用」された日が怖いのです。
今では、親が子供にお菓子を与えない、教師が罰として掃除をさせる事も「体罰」になるそうですよ。
おかしな世の中ですよね?
詰まる所、受け取り手に様々な思考がある以上、どんな考えも、結局は自己満足になるのではないでしょうか?
それと、もし子供に「お小遣いやお菓子を与えない」と言って「じゃー別にいらねーよ」と言われた場合、あなたなら次は何を考えますか?
暴力のような単純で、絶対的な力の前に、どんなに他の方法を考えても、子供はすぐ逃げ道を作るものだと思います。
色々な理由を付け「暴力を肯定すること」も、様々な理由を付け「暴力を禁止すること」も、自分の目から見れば、どちらも押し付ける事には変わりなく、自己満足なんだと思います。
本当に難しい問題です。
ただ「暴力は楽しみではない」とだけ、自分の子供には伝えて行きたいと思います。
参考になるご意見、本当に有り難うございました。
No.6
- 回答日時:
体罰は認められるかどうか、そういうケースもありではないかという、大きな話になると、色々影響がありそうなので、簡単に同意はできません。
しかし、おっしゃることの主旨はわかります。
それで、私が思うのですが、結局「躾という名の暴力」はあるのではないかということです。
お恥ずかしいですが、基本的に暴力反対の考えを持って育てた私でも、子供に手を上げたことはありますし、言葉でもきつい表現をしたことがあります。
多くの親は、してしまったことはあると思います。
それをなしで育てれなかった自分の力不足は認めますが、力不足であるという自覚があれば、大事にならないような気がします。
そして、最低、そういうことができるものは、保護者に限られると思っています。
仮に学校でそういうことが起きたなら、親を呼び出してほしいです。同じ体罰をかけるなら親の責任でしたいと思います。
だって、その後の成長なり、場合によっては屈折なり、ずっと付き合うのは身内です。
先生などいってはいけませんが、数年しかご縁がないのです。
問題は、そういうことの自覚のない親の場合です。
その場合は、先生が体罰を下すこともないでしょう、即、罰にしてしまえばいいと思います。
学校長なり、教育委員会なりが、処分を下せるようにすればいいのです。
登校停止処分、児童相談所、各種矯正施設のトレーニング、こういうことを積極的にすべきでしょう。
学校で面倒を見れない子まで学校が抱えて解決せよといっても無理です。
回答、有り難うございます。
「躾という名の暴力」と言うのは、間違いなく存在すると思います。
だから「虐待」を助長する事になるのだと思います。
難しいのは、「虐待」と「躾け」の境界線です。
あまりにも曖昧過ぎる。。。
そもそも、個々の価値観も違えば、物指しも違うのだから、「ここまでは良くて、ここからは駄目」と決める事は誰にも出来ないのだと思います。
故に、境界線など元から無いにも等しい。
だからこそ『初めから全ての「体罰」を排除する』とすれば、無い境界線もわざわざ引かなくても良いのだと思います。
今は、そう言う世の中になっています。
力の無い子供が、親から殺される世の中なので仕方の無い事なんだと思います。
でも、やはり。。。
先日の中学生を殺してしまった加害者の親たちも、まさか自分の子供が人を殺すと思っては育ててなどいなかったでしょうし。。。
自分は、何度注意しても分からない時は、自分の子供に手をあげます。
そこには「痛みを教える」などの殊勝な考えなど無く、「親としての」体罰と言うよりも「人としての」感情と言う方が強いのかも知れない、と今改めて考えました。
親の自分ですらそうなのに、それが他人になれば、その相手は自分の子供をどう思うのだろう?と思って、質問した次第でした。
ま、相手にしないのが社会の常識でしょうがね。
子供は「体罰を用いなくても、ちゃんと話をすれば理解出来る」のかも知れません。
そう言う育て方を否定する気もないです。
でも、それはとても根気のいる事で、一から教えるのは「その子の親だからこそ」出来る事でもないのだろうか?と思えるのです。
自分がテレビで見た親には
「あなたは、自分以外の他人に、この子は言えば分かる子なんで、ちゃんと言って聞かせて下さい、と言えるのか?」と聞きたかったです。
自分は、親にぶん殴られて「悪い事をすれば叩かれる」と言う「恐怖」を教えられたと思います。
小、中、高と、親のいない所で悪さをした自分をぶん殴ってきた先生方には、親から叩かれる事とはまた違う意味での「恥ずかしさ」を教えられたと思います。
確かに恩師達とは、ほんの数年しか縁はありませんが、それでもその時に教えられた事は、今でも自分の中に存在していると思っています。
「暴力はいけない」とは思います。
でも「暴力を用いる事が出来ない」というのは、また何かが歪んできそうな気がしてなりません。
それを子供達に「利用」された日が怖いですね。
参考になるご意見、本当に有り難うございました。
No.5
- 回答日時:
個人的な意見です。
参考までに。暴力=体罰・しつけではないと思います。なぜなら力加減についてはむしろ怒られる前の「喧嘩」で覚えることです。野生動物でも子供に狩りを教える時は獲物を弱らせてから子供に与えるようです。スキンシップとしてじゃれつくことでも加減は覚えるものだと思います。これは親であっても同じだと思います。初めての子育てであればあやし方すらわかりません。実際に触り、感触を確かめながら掴んでいくと思います。
第一、喧嘩ばっかりしていた子は大人から殴られて加減を覚えるのでなく同世代からの経験を持って喧嘩慣れしていきます。殴られて覚えたのは直接的な痛みとは別の「精神面でのショック」ではありませんか?理由はある方は親に殴られるより目の前で泣かれ、被害者たちに対して土下座して子供のために謝罪されたほうがよっぽど答えたと話されたからです。動物のしつけでも楽しく遊んでいたのに興奮しすぎてやりすぎると飼い主が離れます。そうすることで前後関係から考えるようになるそうです。
力関係でなら運動や格闘技から覚えることはできます。でも物事の良しあしや他人の痛みについては実際に経験しないと理解はできません。もう一度ご自身の経験で考えてみてください。
ちなみに高校時代の保険の先生で雑談として「体罰の仕方」(頬の平手打ちの仕方)は聞いたことはあります。このとき習ったのはあまり痛いとか怪我するようなやり方ではなく「大きな音」がなるようにはたくやり方でしたよ。痛くないけど印象には残ると思いますけどね。
回答有り難うございます。
そうですね。
考えて見れば、親から殴られて「痛かったな」と言う記憶はあっても、その痛みはすでにどういうものだったかと言う事は忘れています。
「痛み」は覚えていないのに、痛かったと言う「記憶がある」のは、精神的ショックのせいなのかも知れません。
自分はそのせいで、何か悪い事をすれば「また親に怒られる」「また親父にぶん殴られる」と言う怖さを、子供心に植え付けられたのだろうと思います。
親以外では、喧嘩慣れする程、喧嘩にあけ暮れていた訳ではありません。
だから、相手と殴り合いの喧嘩をする時は、それなりにムカついていたし、自分でも「痛みを知っているから」と言って「相手に手加減をしたか?」と聞かれれば、その時が精一杯で、手加減なんてした覚えはありません。
「意識して手加減出来る程」強かった訳でもありませんでしたから(笑
でも、それでも「手加減を意識し始めるのは、喧嘩の勝敗が見えてきた時」でしょうか。。。
その時には、さすがに手加減しなければ。。。と思い始めますね。
でも、今思えば、喧嘩の最中と言うのは、それでも「無意識に」手加減ってしていたのかなーと思います。
その「無意識にする手加減」が一体どこから来るものなんだろうな?って考えた訳ですよ。
誰も喧嘩を始める前から「相手が痛がるから」「相手が可哀想だから」なんて考えませんよ。
「殺してやろうか?」とさえ思って、喧嘩してました。
でも、それでも無意識に手加減せざるを得ない理由っていうのは、自分が受けた恐怖って言う本能がそうさせているような気もするんです。
今回に限らず、今まで様々な未成年同士による暴力での事件がありました。
その加害者と言われている子供達は、「恐怖」を知っていたんでしょうか?
恐怖を知っていて、尚且つ相手を死に至らしめたのならば「過失致死」では無く「殺人」ですよね。
しかし、なんだかんだ言っても、自分のしてきた事を肯定する事は出来ませんね(汗
喧嘩でも何でも、暴力には変わりません。
人は、ちょっと押しただけでも、運が悪ければ、当り所を間違って簡単に死んでしまいます。
自分も一歩間違えば、手加減しようがしまいが、相手を殺してしまっていたかも知れませんし。。。
難しいですね。
非常に参考になるご意見、本当に有り難うございました。
No.4
- 回答日時:
どちらかといえば「体罰賛成派」ですね。
ただし、段階的にすると思います。
1回目:言ってきかせる。(話し合う)
2回目:叱る。
3回目:体罰にする。
暴力と体罰は別のものだと思います。
ですので、
「体罰は良いけど、暴力は絶対にいけない。」と思います。
体罰も度が過ぎると暴力になります。
回答、有り難うございます。
そうですね、自分も段階的にではありますが、最終的に体罰になってしまいます。
段階的になるのは、やはり「叩いてはいけない」と言う前提の意識が、自分の中にあるからだと思います。
でも、うちの子達は本当に言っても分からないんですよ(泣
自分に似たからなのかなー。。。
最初は優しく(←聞く気がない
次に大きい声(←いよいよ気付くが「聞いている気になっているだけ」
次にどなる(←ようやく事の重大性に気付く
言葉で説明して教えようとする(←もはやそれどころではない
んで、最終的に同じ事をまたやってるんですよね。。。
だから、叩いて教えるしかないんですが。。。
自分の言葉の表現の仕方が悪いのか、子供が悪いのか。。。
聞く気のない子供に、どんな言葉を用いても、どんな表現の仕方をしても、意味は通じてないんですよ。
まだ、子供が2歳と小さいから仕方のない事かも知れませんが。。。
自分が「初めから言葉を使わずに」「体罰」を用いるのは、子供が他の子を叩いた時だけです。
「自分と同じくらい、相手も痛いんだ」と言う事を教えるのは、そのタイミングと自分が受ける痛みだけだと思うからです。
体罰と暴力の境界線は難しいですね。。。
参考になるご意見、本当に有り難うございました。
No.3
- 回答日時:
躾に関しては
曽野綾子さんの『絶望からの出発』に
書かれている躾の定義が好きです。
暴力は、
知的水準の低さの証明、
言葉による表現能力の欠如、
その前に想像力と創造性が
脆弱であるような感じがしますね。
ムカ~シは職人さんの世界でも
暴力を加えながら技を教えたそうですが
いまは一切ないらしいですよ。反省し
消滅したのでしょう。
幼児期からの継続的な躾に
欠陥があったことに気づき、
それを反省することから始めるのが
ベストのような、私ならそうしますね。
『絶望からの出発』
お勧めです。
シェークスピアの躾についての
言葉も好きです。
躾 シェークスピア
で検索してみませんか。
アタマを殴るにしても
知的障害になったり、
くも膜下出血で死に至らしめないように
配慮して行ってください。
回答、有り難うございます。
ふむふむ。納得させられます。。。
しかし、暴力を振るう事が、いくら知能レベルが低い事が原因だとは言え、それをこの世の全ての人間に当てはめて見た場合、それを強制するのが、正しい生き残り方なのかな?と疑問に思えました。
頭の良い人間には「行動で教える事」と、「言葉で表現して教える事」の二択が出来ると思いますが、頭の悪い人間には、前者一択しか出来ない、と言う事になるのですかね?
頭の悪い人間にはなりたくないと、反省したり努力するのは可能だと思いますが。。。
難しいですね。
全ての人間にそれを求めるのは。。。
頭の悪い人間もいる訳ですから、相手がどこまで頭の悪い人間なのか?と言う事を見極める力が無ければ、正論だけでは、自らの命を取られかねない気もしますね。
シェークスピアは検索にかけて見ます。
参考なるご意見、本当に有り難うございました。
No.2
- 回答日時:
30代独身女です。
まだ子供を持っていない私が書いていいのか迷いますが…
私も、叩く、殴る教育そのものを
全て暴力と位置付けてしまうのは違うかなと思います。
親にはいっぱい叩かれてきましたし。
相談者さんのおっしゃる、力加減も教えるべき、というお気持ちは理解できます。
でもその一方で、
今日、教育という名の暴力で、障害を負う子供もいます。
ニュースでみるかぎりですが、
教師になぐられて鼓膜がやぶれたり、
柔道の授業で首を痛めて、神経を損傷したり…。
もう、教師の中にも「力加減」をしらない教師がいるのではないかと思います。
その意味で、
私は他人が殴るのは暴力、
家族が愛情をもって体罰をつかうのは教育、
(こう書くと、家庭内暴力や虐待ともギリギリになりますが)
と考えています。
今の「先生」に、他人の子の欠点を愛せる力量があるか、
ちょっと疑問に思うからです。
それと「ちゃんと話せば」について
問題行動などについての善悪や考え方などが
親子で共通認識になるまで
「ちゃんと」話せればいいんでしょうけどね…。
私は子供はいませんが、
最近まで販売の仕事をしていたので
子供連れの親がバカ親から常識的な親まで、
バラエティー豊かな事は知っています。
あり得ないような言動の親、いますよね。。
私は、同業者のママになる人達とつながりを切らさないようにして、
精神的に支えてもらえる仲間をもちながら育児をしたいと思っています。
販売職の人間は、空気を読んだり他人に配慮する力を鍛えているので、
モンスターにはなりにくいので…。
丁寧な回答、本当に有り難うございます。
確かに「虐待」と「しつけ」の境界線って本当に難しいんですよ。
親だって、人ですからね。
頭に来て、カーっ!となっている時に、常に「これは愛のムチ」と冷静に判断している訳ではないのだと思います。
自分がそうなんで。。。(笑
だから、そう言う点では、このような話になった時に、「虐待」と「しつけ」を「自分の都合の良いようにこじつけているのかな」と考えさせられる時もあります。
でも、わざと子供を叩く時もあります。
自分の子供はまだ2歳で小さいのですが、自分が子供を叩く時は、子供が人を叩いたりした時です。
まだ小さいから、良い、悪いの判断をするのは難しいのかも知れませんが、それでも悪気が無く人を叩く時でも、「相手もお前と同じくらい痛いんだぞ」と言う事を教えたいと思っています。
それは、「言葉でいくら教えても分からない」事だと思います。
でも、これも自己満足や親の勝手な解釈なのかな。。。
なんだか何が正しくて、何が間違っているのか、分からなくなってきますよ。。。
販売職の方が「空気を読んだり他人に配慮する力がある」と言う事は「自分をある一方では客観的に捉える事が出来る」と言う方々が多いと言う事なんでしょうね。
親のしつけも、客観的に見ると言うか、自分だけの考えに囚われず、周りと子供の目線から、自分の行動を考えなくてはいけないと思います。
参考になるご意見、本当に有り難うございました。
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