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昔と今は違います。

自分が小さい頃は、親や教師から悪い事をすれば、ぶん殴られるのが普通でした。
今では、速攻「虐待」や「体罰でPTA問題」となりますよね。

でも、殴られなければ分からない事ってあると思いませんか?

いつぞやのTV番組で、「体罰賛成派」と「体罰反対派」に別れて討論している番組を見ました。

「体罰賛成派」は、自らが「虐待ではない体罰を受けた」人達が多く、そのおかげで、痛みを知る事ができ、手加減も出来る、と言っていました。

「体罰反対派」は、どんな理由があろうと、暴力は暴力。
ちゃんと話をすれば、暴力は使わずとも、相手を必ず理解させる事は出来る、と言っていました。

自分には、どちらも納得が出来る事です。

ただ、一つ、反対派で納得がいかない所があります。

「ちゃんと話をすれば」とは、その子供の親であればとことん話に付き合ってあげる事も出来るでしょうが、その他の人にも「それを強制する」と言う事でしょうか?

「ちゃんと話をすれば分かる」とは、逆に言いかえれば「ちゃんと話をしなければ分からない」とも取れないでしょうか?

そもそも「ちゃんと話す」の「ちゃんと」とは、誰の基準なんですかね?親?子供?
そこから間違ってるような気がしませんか?

人間の「喜怒哀楽」の感情の表現の仕方は、人それぞれです。

自分の親が、自分がどんなに悪い事をしても殴ったり叩いたりしない人であれば、子供は「みなそうだ」と勘違いしたりはしないのですかね?

どんなに規制を厳しくしても、どんな教え方をしても、先日の中学生の事件のような事は、この先も起こるのだと思います。

自分が幼い頃、親からぶん殴られていた時、「怒っている」とは感じても「楽しんでいる」と感じた事はありません。

親や教師の暴力を進める訳ではありませんが、親や教師が、子供に「暴力の使い方」を教えるのも、しつけの一環ではないかと、自分は思うのです。

それが、子供に取っても、「自分の命」や「他人の命」を守る事につながるのではないか?と思うのですが、みなさんはどうお考えでしょう?

改めて申し上げますが、暴力を推進している訳ではありません。
ただ、どんな状況でも「暴力は絶対にいけない」と押し付けるのはどうか?と思った質問です。

A 回答 (11件中11~11件)

 反対の方はたぶんですが暴力とかを受けた経験者だと思います。

その嫌な思いをさせてく無い。また、想像力の豊かな方だったり、暴力を理解出来る。痛みを共感出来る方達かと。
 かたや賛成する側は、受けたとしても、その意味などが理解出来たかたや、受け入れられる方かなと想像します。

 まず、現実問題として子供同士の喧嘩やルールが守れない状態です。痛みが分からないのでエスカレートする。言葉で説明するにしても、大人は痛みを理解しているから言葉出来ると思って居る。百聞は一見にしかずという言葉があるように、言葉だけでは残念ながら痛みは伝わりません。元となる痛みを知らない状態では無理です。喧嘩などで痛い経験をして、された側、した側両方ともにこの痛みの意味を教える事が大切ですが、これが無い状態にしています。

 本当に痛いことは一度か二度で十分です。それ以上は駄目ですね。恐怖心だけの物になります。親としては、その叩いたことに対する痛みと子供の痛みを理解して、その場で説明すること。そして分かれば、そのしつけをしなくても良いようになります。
 叱る事って結構勇気が要ります。嫌われるような行為ですから。それに対しての恐怖が反対する側のに人にあります。嫌われるのが嫌だから。だから甘やかしという行為が目立つ。何度も叱ってきて、暴力とも言えるような行動をしてきて、これは駄目だからと悟った方の反対意見はむしろありがたいです。これは正しいですが、其れ以外の感情的に嫌だからと言う理由は困りますね。経験者の方はむしろ加減を分かっているので、暴力とまでは行かない程度に叱ったりしますけどね。


 言葉で理解させるには相当難しいですけどね。小さい痛みを、これ以上すれば大きな痛みがあるかとか、子供に想像させるテクニックが必要です。またくどくど言っても子供は絶対に理解出来ていないようですから簡潔にできないと無理です。大人はちゃんと話しているつもりでも子供の心に届かない限り、ちゃんとではないのです。

 今、先生などは手を出せません。出せるのは親だけです。


 私には子供が居ます。実は叱るときには叱る、褒めるときには褒めまくる先生って子供にとっては人気者なんですね。保育所で叱るのが下手な先生は子供になめられているし、嫌われているのです。叱る行為や褒める行為はその子供を見ていないと出来ない行動ですからね。良い事悪い事も含めて見てくれているという状態こそ子供は望んでいるんだなと感じました。そういった先生のクラスはまとまりも見事でしたね。
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この回答へのお礼

丁寧な回答、本当に有り難うございます。

共感出来る部分がとてもたくさんありました。

確かに「暴力はいけない」
では「なぜいけないのか?」
という部分が、最近の子供達には理解出来ていない傾向が強いように思えますね。

でも、こう言う「大人の意見」は子供達から見れば

「そんな事はない。ちゃんと理解しているよ。可哀想だから、痛いから、相手が死ねば捕まるから。そんな事ぐらい言われなくても分かってるよ。分かっててもムカつくもんはムカつくんだよ。」
となるのだと思います。

今の子供達に「大人の理屈」など通用しないのだと思います。

人間だけでなく、動物の生まれ持った本能として「攻撃性」があるのだと思います。
それを「理性」として、「使う」「使わない」と判断するのは「本人」な訳で、その根本となる感情を「社会の秩序、モラル」と言うもので抑えてしまえば、どこかで歪が出てくるのではないか?と思うのです。
何事も「自然」に逆らえば、無理が生じる物だと思うので、「人としての自然」を教えて行くのが親の役割なのでは?と思います。

>大人はちゃんと話しているつもりでも子供の心に届かない限り、ちゃんとではないのです。

その通りですね。
ちゃんと話をした「つもり」になっていてはいけませんよね。

自分にも子供がおりますが、本当に子育ては難しいです。
kyo-mogu様のご意見、とても参考になりました。
取り入れたいと思う部分を取り入れて、責任を持って子育てしたいと思います。

本当に有り難うございました。

お礼日時:2011/05/18 11:24

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