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イザベラ・バードの日本奥地紀行を読むと
当時の日本の学校ではイギリスのような体罰指導は行われていない(各家庭では躾で体罰指導は行われている)と書いてありました。
ちょっとにわかには信じられないのですが、本当に明治初期の日本の学校では体罰指導は無かったのでしょうか?
なんでこんなこと質問したのか?というと
自分の小学校時代、ヤクザの息子の生徒が校内で常習的に暴れていて、女子の髪の毛をハサミで切ったり、金属バットを振り回して水槽を割ったりしても、親がヤクザなので怖いから先生たちも手が出せなかったのですが、
新しく赴任した生徒指導担当教師がそのヤクザの息子が例によって暴れて女の子の髪の毛をハサミで切った時にすぐにかけよって髪の毛をつかんで引きずり回し、顔面を殴り付けて地面に叩きつけて、腹に蹴りを入れてゲロを吐かせて昏倒させました。
後日、ヤクザの息子の親の本物のヤクザが学校内にのりこんできたのですが、対応したその生徒指導の先生はそのヤクザをボコボコにして返り討ちにしてしまいました。

それ以降、そのヤクザの息子は一切悪さをしなくなりました。

後年、その先生とお会いして話したときに言われたのですが
『あんなのは体罰指導のうちに入るとは思ってない。自分が子供の頃の学校はもっと荒れていたし、教師の体罰ももっと酷かった』とのことでした。
私も昔の学校の方が荒れていて体罰指導も厳しかったろうと考えていたので、明治時代の学校で体罰指導はなかったというイザベラ・バードの記述は信じられないのですが、実際どうだったのでしょうか?

A 回答 (4件)

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrd …
体罰を禁止する条文は以下のとおり。
「教育令」(明治12年)第46条:「凡学校ニ於テハ生徒ニ体罰(殴チ或ハ縛スルノ類)ヲ加フヘカラス」
「小学校令」(明治23年)第63条:「小学校長及教員ハ児童ニ体罰ヲ加フルコトヲ得ス」
 
学校教育をこれから始めるというようなときにこのような条文をつくるということは、殴ったり縛ったりという可能性が充分にあったからでしょう。
どういうことかというと、職人の徒弟教育、商人商家での躾、一般庶民では鉄拳制裁や立たせる、追い出す、閉じこめるというのが結構多くて、上級武士階級にとっては品位や面目マル潰しと思えた方法がとられていたので、教育制度を四民平等でやった場合に、『殴る蹴る縛る追い出すという=外見的にみっともないと当人の自尊心を損なう方法がとられる』危険を学校で一般化するのを防止したかったのでしょう。

そして、先生に対する生徒の絶対服従と先生への尊貴の姿勢が徹底できるのであれば、学校側として、教師としても、生徒に対して体罰を加える必要もなかったのでしょう。 放校処分、停学にでもなったら、法律違反の犯罪行為のようなものになりますから、絶対服従はとても強いルールでしょう。
怒りにまかせて体罰するということも、教師の尊厳や立場を考えるとできないコトでしょう。
もちろん、殺人が犯罪、強盗が犯罪、強姦や刃傷沙汰がいけないコトになっていても、やるやつがいるから、警察や司法もあるのと同じで、学校でも体罰がまったくなかったということはないでしょう。 しかし、ほぼなかったでしょう。 鞭打ち・捕縄は、《刑罰》です。 新規に刑法制度を作り、学校制度を施行する側としては、鞭打ち・捕縄を一教師の判断でやることなど認めたくないのでしょう。

ところで、生徒同士であれば、鉄拳制裁や苛めも、仲間外しも、当然にあったでしょう。 教師同士でも同じです。 漱石の坊ちゃんにも教師同士であれば、「今度の事件は全く赤シャツが、うらなりを遠ざけて、マドンナを手に入れる策略なんだろうとおれが云ったら、無論そうに違いない。あいつは大人しい顔をして、悪事を働いて、人が何か云うと、ちゃんと逃道を拵えて待ってるんだから、よっぽど奸物だ。あんな奴にかかっては鉄拳制裁でなくっちゃ利かないと、瘤だらけの腕をまくってみせた。おれはついでだから、君の腕は強そうだな柔術でもやるかと聞いてみた。すると大将二の腕へ力瘤を入れて、ちょっと攫んでみろと云うから、指の先で揉んでみたら、何の事はない湯屋にある軽石の様なものだ。  おれはあまり感心したから、君そのくらいの腕なら、赤シャツの五人や六人は一度に張り飛ばされるだろうと聞いたら、無論さと云いながら、曲げた腕を伸ばしたり、縮ましたりすると、力瘤がぐるりぐるりと皮のなかで廻転する。」とあるくらいのものです。 

ところで、軍に兵で入れば、志願でも徴兵でも、教育訓練の一環で、懲罰はあり、懲罰房・営倉入りはあり、殴られる程度のことはあったでしょう。
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富国強兵で優秀な兵士を求め


国富の増大の為に必要な労働力を求める

ということを国是として導入して以降の明治時代とそれ以前は分けて考えた方が良いと思いますよ

数十年前の逸話と明治時代を同列にしてもあまり意味がないと思いますし
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当時生きていた人はもう存在しませんが、明治初期の小学校と言うと、尋常小学校で、日本で義務教育が始まった頃でしょう。



地域にもよるのでしょうけど、就学率も低く、半分以下の数十%程度ではないでしょうか。
なので、まず、いいとこのおぼっちゃまとおじょうちゃまである可能性があります。
次に、貧困家庭も含めて、家庭内の躾が厳しく行き届いていた時代ですので、特に家の恥になるような事の無いように、学校で礼節を弁えて行動するように厳しく言われていた家が多いように思われます。

なので、師と仰ぎみる絶対的存在の先生が、教え子達に体罰で何かを教育するような事は必要無かったのではないかと思われます。
また、当時は子供達のいじめは、成長の為に不可欠なものと言う認識が高く、仮に学校でいじめがあっても、よっぽどの事が無い限り、教師は咎めるほどの事もしなかったのではないでしょうか。

時代は全く違いますが、明治に尋常小学校へ通っていた年寄りから、特に小学校に上がる前や行く前には、幾度も、そう言った類の「きちんとするように」などしっかり目を見て言われた事があります。(別に、私は、ちゃんとしてる子でしたけど、そういう風にきっちりと躾けるのが当たり前だったのでしょうねと言う意味です)
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明治というより、それは江戸時代の遺風です。


江戸時代の教育機関では、基本的に体罰指導を行いません。
学校で体罰指導が横行するようになったのは、徴兵令が施行されて軍隊経験者の教員が多くなった日清日露戦争ぐらいからです。
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