プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

高校生です。
僕が小学生のころまではとあるそろばん教室に通っていました。
しかしそこのそろばん教室の先生はいわゆる考え方が昔風の人でしつけにうるさい人でした。
呼ばれたら返事をしないといけない、教室に入るときに挨拶をしなければいけない(皆挨拶をしなくて一人だけ挨拶をした人がいて先生はかなり怒って挨拶をしなかった人は家に帰され反省するようにいわれた)席を離れるときは椅子を必ずしまう、物はそろえて出す、自分勝手な行動はだめ、指示された通りにやる、などのことをしないと決まって先生に怒られて、グーで頭を殴られてました。
規則となっていたわけではありませんが先生は生徒にこれらのことを必ずやるように教育していました。
夏休みには毎年合宿がありました。他の都道府県からも多くのそろばん教室から集まってする合宿で一斉に同じ旅館に泊まるのですが(止まる期間は教室によって違う)うちのそろばん教室だけ先生の都合で少し離れたところにある奇麗な?旅館にとまりました。そこで、合宿では普段の教室とは違って当然旅館の食事が出ます。先生は、好き嫌いはいけない(嫌いなものでも絶対に残してはいけない、旅館の人に迷惑)食事中にトイレいってはいけない しつけがなってないと怒られる&殴られるなどの行為も数々見られました。今時あんな考えの先生はいないと思います。
げんこつまでされたらさすがに気分最悪になると思います。細かいところでいちいち怒るところ、考え方が古いことを考えをどうになならないかなと思ってました。
合宿はほぼ強制的に皆進められたので、いやいやながらいきました。正直こんなそろばん塾はやくやめたいと思ってました。今は辞めて4年くらいたってますが。
で、食事中にトイレいかせない、嫌いなものも残さずに食べる、しつけがなってないと殴るなどの行為は罪になるんでしょうか? 体罰にはなるんでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

すべて体罰ですね。

こういう教員に給料が支給されるのはおかしいですね。自分の主義主張を暴力で押し付けるのは、民主主義に反することです。

参考URL:http://www.zenkyo.org/
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No.4です。



まだ締め切っていなかったので、もう一度、書き込みします。

1、食事中にトイレに行かせない、の件について
 こんなの、幼稚園ぐらいの時にはすでに、教わっているものでは?
 食事中に行きたくなるなら、食事前に済ませなさい、なんて言われてましたよ。

2、嫌いなものを食べさせる件について
 嫌いなものは食べなくて良い、という躾で来てしまった人にとっては、とても辛いことかも知れません。
 が、社会人になってみれば、そうも言っていられません。
 得意先の人や、結婚相手の両親などと食事をする時、好き嫌いがあれば確実にあなたの評価は下がります。
 初めてデートするときも、まじめな彼女なら、あなたに対する評価を、絶対に下げます。
 好き嫌いがあり、それが他人の前でも隠そうとしない、自己中心な、人の気持ちを考えない、嫌なことは絶対にやらない、配慮のない人間と、思われてしまいます。
 女の人は、結婚相手が好き嫌いが激しいと、毎日のことになってくるので、常識的な女の人なら、マイナス点としか、見なしません。
 毎日、「オレはこれが食べられないっていっただろ」とか耳にしたり、残されたりすると、料理する側はとても不愉快になるものです。
 毎日のことなので、とても重要なのです。
 
この手のことは、何も分からない小さなうちに躾けるのが、その子の為です。
大きくなってからでは、今のあなたのように、反発してしまい、なかなか、素直に受け入れられなくなるからです。

あなたが納得しにくいのも、分かります。
だって、いきなり、「あなたが教わってきたことでは不十分である」みたいなことを、皆さんから聞かされてしまったのですから。
戸惑っても当然のように思います。

今は納得出来なくても、長い時間が経ったときに、あの先生のことも、今回のことも、きっと、分かる時が来ます。

私自身も、小さい時、女でしたが、さっさという事を聞かないと、よくやられましたよ。

最後に、世界中でもっとも古いベストセラーの中の一つである聖書に(私はクリスチャンではありません、念のため)、こういう事が書かれています。

「わが子に鞭を控える者は、その子を愛していない者である」

躾けの基本なんてのは、世界中、どこに行っても、時代が変わっても、あまり変わらないものなのです。

自分が親になった時、良く分かりますよ。
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#6です。


きつい回答が多く、かなり戸惑われた様ですね。
皆さんへのお礼も拝見し、もういいか、とも思ったのですが、一言。

#13さんの
>御礼を拝見したところ、どうにもこうにも腹が立って収まらなくて、是が非でも訴えたいようですね(苦笑)
と、同感です。

食事中のトイレ、嫌いなものを食べさせる、については、詳細に回答しなくてもお分りいただけると思いこんで、簡単な説明に終わらせていましたが、私の言いたかったことは、#13さんのご回答通りです。

礼儀とか、躾とかは、必ず理由があるのです。その理由がなにかを分った上で、それはおかしいとか、時代錯誤だとか判断するのは宜しいでしょうが、頭から否定するのは如何なものでしょうか?
諭す側も、その理由を説明して理解させることも必要なのかもしれませんが、この件に関して言えば、「言わずとも分るはずのこと」と感じました。

これを機会に、ご家族とかお友達とかと、この問題について話合ってみたらどうでしょう。
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こんにちは。



専門でもないので、成り行きを拝見していましたが・・・
御礼を拝見したところ、どうにもこうにも腹が立って収まらなくて、是が非でも訴えたいようですね(苦笑)

他の方が専門的なアドバイスをされているので、普通の一般社会人であり、母親でもある自分としての考えからすると・・・取り敢えずこれをそのまま訴えでもしたら、貴方の親御さんの躾が問われやしませんかねぇ・・
普通「食事のマナー」として食事の前にトイレを済ませておくことは一般常識として、小さい頃から親に躾けられるものですよ。普通にマナーの本などを読んでも「食事中にトイレに立つのはマナー違反」と書かれています。余程食事中に差し込んだ・・・それによって病状悪化させたとか、毎日その先生と寝食を共にして1時間も2時間もトイレをガマンさせ、それで膀胱炎にでもなった・・・と言うのであれば訴えられもしましょうが、そんな事も無く、中高生にもなって食事の前にトイレにも行かず食事に臨み、それで「途中で行きたくなった」と言って叱られた事を訴えるというのなら、「アンタ、バカやないと?そんなん逆恨みじゃないの!甘すぎだよ」と、自分の息子や甥ならば反対に叱り飛ばしますね。食事でイヤな物をムリヤリ食わせると言うのも、過ぎれば問題もありましょうが、好き嫌いが激しい上に人権振りかざして過保護に過ごさせる親が多い中、自分の好き嫌いを反省する良い機会じゃないかと思いますよ。大人になって好き嫌いが激しいと言う事は、社会的には「ガキやな・・・」とちょっと下に見られる場合もあると言う事は、お心の隅にでも留めていて損はないですよ。

米国式に訴えようと思えば、重箱の隅つつきまくればいくらでも出来ます。でも、それをやってしまえば確実に貴方の人間性が落ちちゃうような事ではないかと思いますよ。因みに米国で、食事中トイレに立った事で不愉快になってその後の食事が全て不味く感じられたと言って訴えた人間が勝訴した例もあります。
はてさて・・・食事中にトイレに行かせないのは何罪かと言うのとどっちもどっちのような気もするのは私だけですかね・・・
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 こんにちは。


 まあ、犯罪かどうかは微妙ですし、体罰というのも定義が曖昧ですからねえ・・・

 大人は言葉で言えば事の善し悪しはある程度判断出来ますが(最近は出来ない人間も多いですが・・・)子供にそれを悟らせると言うのは難しいことで、体で覚えさせる(=体罰)ことはある程度必要なことだと私は考えています。体罰と暴力は全く異質のものです。

 体罰を徹底的に否定し続けてきた現代の教育の結果、人の痛みもわからない傍若無人で凶暴な若者を増殖させてしまったとさえ私は思っています。それが理解できるのはやっぱり大人になってからじゃないかな?

 でも、今でもこういう先生っていらっしゃるんですね。すばらしい方だと私は思いますよ。自分の子供もこういう先生に是非躾てもらいたいと思います。

 まあ、僕自身も礼儀正しいとは言い難い人間だから偉そうなことは言えないけど、こういう先生に小さい頃厳しく躾られたfu_jisanさんは、社会に出れば礼儀正しい好青年として高い評価を受けることでしょう。

 今は、恨み辛みもあろうかとは思いますが、そのうちわかる日が来るでしょう。
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こんばんは。



その先生の気分や機嫌によって、感情オンリーでグーで頭を殴られるということだけでしたら、非常にその先生に問題があると思います。

しかし、先生はそういうつもりで殴っているわけではないと考えます。

何故そういうしつけを貴方にしなければならないのか、をもう一度考えてはいかがでしょうか?

少なくとも、挨拶の件や、自分勝手な行動を禁止する件等は、人間として当たり前のことですし、そういったことがおざなりになってきたので、少年少女が残酷な殺人を犯したりするようになってきたとも考えられます。

殴られたことのない人に、殴られた人の痛みはわかりませんよね?

げんこつは、しているほうも心が痛いんですよ。
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形式的に見れば、拳で頭を殴る行為は暴行罪に、コブや内出血などがみられれば傷害罪に該当するでしょう。

問題は、これが犯罪として処罰するに値するかということです。

80年代に発生した有名な「戸塚ヨットスクール事件」の判決は、スクールの指導員らによる情緒障害児などに対する暴行について、「多くは治療・矯正のため、あるいは合宿生活の秩序維持のための体罰と認められ、目的の正当性はほぼ肯定できる」としています。正しい暴力もある、ということです。

しかし、上記事件の判決は、結局、有罪でした。いくら「教育」のためとはいえ、13歳の訓練生を角材で殴り死亡させたのはやり過ぎだ、というわけです。

戸塚ヨットスクールは、集団生活とヨット訓練を通じて情緒障害児などを治療することを目的とした「しつけ学校」でした。この点、一般の塾やスポーツ・ジムとは異る特殊な存在です。だからこそ、教育のための暴力が許されたのです。しかし、一般に、しつけを期待して子供を珠算塾に通わせる親はいないでしょう。講師には他人の子供をしつける義務も権利もなく、そんな期待もされていないはずです。従って、戸塚ヨットスクールでは許された教育のための暴力は、珠算塾では許されません。

また、暴行罪や傷害罪は意外に軽度の加害行為で成立します。例えば、他人に塩を振りかける行為を暴行罪に、髪を数本抜く行為を傷害罪とした判例があります。

質問文からは暴力の程度が読み取れませんが、よほど軽微なものであれば、具体的にはコブや内出血などの傷害をともないわない「暴行」の範囲のものであれば、犯罪として処罰するまでもない行為でしょう。しかし、傷害を伴なうものであれば、犯罪が成立する可能性は十分ある、と思われます。
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こんにちは。



仮に

犯罪>体罰>躾け

の順番を付けてみましょう。

「躾け」は未成年者にとっては将来の社会生活に対応するための訓練ですから、本人たちにとって苦痛であっても、親すべきか他人が教えてあげるかの違いで守ることが当然のものです。

「体罰」は学校教育においては教師、家庭においては「親」が躾けのためと思って行う殴るなどの行為で、昔は、社会的にかなり許容の度合いが広かったのですが、今日では殴る手前の「小突く」位でも体罰とされている傾向もあり、「子ども」、「親」、「学校」の信頼関係や力関係で問題になったり、ならなかったりします。
ただし、仮に教育目的であっても傷あとが残るようなケガとかをさせると「体罰」ではなく「犯罪」の部類に入っていくと思われます。

「犯罪」とは、明らかに教育とは違う目的で振るう暴力や、教育目的だからといって火傷を負わせたり、傷あとが残るほど殴るなど、教育目的の範囲を逸脱している場合に該当すると思われます。

一般的に「犯罪」は社会的に絶対ゆるされないものであり、「体罰」は学校では許容されませんが家庭では許容されているようです。
逆に「躾け」は本来は社会の大人全体に子どもに対する義務でしょうが、最近は他人の子どもに「躾け」をしようなどという奇特な大人は減っています。

今回の私塾のケースでは、学校が一度入学すると、卒業までを前提として「中途退学」が稀な事例であり子どもにとって将来てきに不利になりうることから子どもの拘束の度合いが強い(先生の立場が強いので)「体罰」が許容されにくくなっているのに対し、私塾は子どもが「体罰」を親に訴えてそれ以降塾に通わなくなっても中途退学のような不利益になりにくいので、親が納得して通わせている場合は「体罰」も「躾け」の手段として許容されてしますようです。

したがって、私塾の先生の体罰が余程ひどくない限り、残念ながら子どもの要望どうりにいかないのが現状のようです。
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良い塾の先生に、巡り会ったと感謝すべきです。


あなたたちにそろばんを教える代金は、いただいても、最近は、親でもやらなくなった、しつけという嫌われ役を、無料で、小学生という体で覚えやすい時期に、やってくれたから、感謝ですね。
今日、体罰かどうか、ぎりぎりの線まで、体を張って教えてくれるのは、そういう熱意のある人だけです。

自分の塾長生命を社会に対して堂々と示してのしつけですから、・・・。公務員である学校の先生は、生徒の人間性が悪くなっても、テストの点のみ上げて、親を喜ばせれば、そんないちいち面倒なことしませんよ。
体罰かどうかより、当たり前(挨拶するとか)のことをしなかった自分に、甘すぎませんか?
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こんばんは


まずは体罰と躾は違います。
これが犯罪になるか?と言うとなりません。本来は第三者(そろばんの先生)に躾を学ぶのではなく両親に
教わるのが普通です(現在ではこれが普通ではなくなってきていますが)。両親がちゃんと躾けていれば
学校教育法、虐待法などは本来無いはずなのですから。
第三者が注意をするというのは親の目の行き届かない場所での行動に対し「注意」あるいは「言い聞かせる」のが第三者の立場です。学校の先生も本来は第三者なのです。
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