天使と悪魔選手権

脱原発についてどのような意見をお持ちですか?
今の日本と原発についてどのようなお考えをお持ちでしょうか?
脱原発について、賛否を問わずいろいろな方の意見を伺いたいです。

私としましては、脱原発賛成です。むしろ積極的に原発を廃止したく考えています。

この震災を契機に、今までの価値観、原発に対する常識が大きく崩れ去りました。
騙されていた気すらしました。すべては無責任で無関心な勉強不足な自分らが招いた結果かもしれません。原発に対して何も知りませんでした。。

「原発なくともエネルギーは賄える。」
全く知りませんでした。少なくとも地震大国日本に54基も要らないことだけは確かです。
有事に際にここまで不安定な原発。地震の多い国。何もなければ高出力低コスト。何かあったら?想定できる天災なんてあるのでしょうか?明日の天気だって100%ではわからないのに。

国策である原発という聖域に対して、言論統制にも近い身近にあるメディアの機能喪失。原発推進側に偏重しきった報道。
テレビしか観なければ、多分この度の震災を受けても、原発に対して何の問題提起にもなっていないと思います。むしろ作為的な計画停電や現状の節電を受け、原発の重要性を再認識しているところでしょう。原発なくては生活していけないと。

自然エネルギーでその多くを賄えると様々な場所からオフィシャルに、隅っこの方で静かにではありますがその報告がなされています。
あとはどれだけ本気に現状の惨状を捉えるかだけです。
本当に「こども」に厳しい国になってしまったのかもしれません。できるのだったら、将来を担うこどもに決めてほしいと思います。それが一番公平で公正です。

何よりもお金を優先してきた結果が今です。環境問題にしても、やはりお金が第一でした。すべては経済の犠牲になってます。経済も大事ですが、地球やこどもの未来を担保には絶対にできないはずです。
(話が幾分か逸れますが、環境問題にしても、原発問題にしても、今の使い捨て社会、大量生産大量消費の見直しも必要不可欠です。そして、この大量生産大量消費のシンボルが正に原発であるような気がしてます。)

電気を使って、原発の恩恵を授かって「脱原発は虫が良すぎる」との意見を聞きます。
でもこれは違うと私は思います。私たちが原発を選択する余地はありませんでした。国が一方的に強力に推進してきました。誘致場所が反対しても、「そこに作れなければあっちに」と場所こそ変われ、「絶対安全」を売り言葉に、今同様に原発社会であることは変わらなかったはずです。そもそも知らない間にここまでの原発社会が作り上げられてきたというのが本当のところかもしれません。
だからこそ「知らなかったこと」こそは責められても、今この場で「脱原発を叫ぶこと」は都合の良い話では全くありません。原発でなくてもよかったのですから。環境庁試算の公式なデータ「風力発電で原発40基分相当の発電が可能」らしいのですから尚更です。

2度のオイルショックを受け、エネルギー供給のあり方を考え、法律をもってしてその原発の仕組みを作り上げてきたのが今の日本です。この震災の教訓を活かすためにも、本来は危険な原発を段階的に廃止していくことそして法律を持ってして自然エネルギーを迎え入れることを国が先導して行っていかねばなりませんが、その国が原発をまだ堅持し続けます。

では、どうするのか?
はたまた無理な話なのか?
そこのところどんなことでも構いません。お聞きしたく思います。

A 回答 (20件中1~10件)

私の考えと経験からですが。


痛みを伴うことを覚悟すれば原発を、即座にとは行きませんが、全廃することは可能だと思いますし、私も原発は徐々に廃止してほしいと願っています。
ただ、ここで承知しなければならないのは、昨今TVで報道されている「感情的」脱原発派の主張も相当怪しいと言うか、物事を間違ってor短絡的or片面からしか見ていないと思いますので「どうするか?」の部分は相当考えないと危ないだろうと思うんですね。


報道では「発電設備容量と各年度の需要」から、「経年的に見ても、発電容量の70~80%しか需要がない。ならば30%の発電容量を持つ原発を止めても行ける!」と言っていますが、これは間違っていますので、ちょっとカルトっぽいですが、供給力について説明します。

確かに「発電所の容量」は充分にあるんですが、これは発電所から出た瞬間の電力であって、我々需要家の手元に届く電力量ではない。

火力や原子力といった「タービン」を使う発電所の場合ですが、発電出力の5%前後は発電用機器類の稼働に使います。
例えば、タービンで使った蒸気を冷やすのに大量の海水が必要ですが、この組み上げのポンプであるとか、原子炉やボイラーに水を送るためのポンプ、変圧器を冷却するためやボイラーに空気を送るためのファンetc......。
ですから、発電して送電線に一度載せた電気から、5%前後はまた所内に引っ張り戻して消費するので、送電端出力は「発電出力の95%前後」となります。

発電所から需要家に届くまでのロスもあります。
私が現役時代は、発電効率40%に対して約2%のロスが実績でしたから、発電量の5%前後(2%÷40%)が送電途中の熱などで消える事になりますね。

水力は、特に夏場(7~9月)の渇水期には、平均して70~80%程度しか発電できません。
これ以上発電しますと、貯水量がガックリ減って一気に発電不能となりますし、下流との協定や何やらで放水が相当縛られている(好きな時に好きなだけ放水できない)発電所もありますから、報道されているほど便利なものでもないんです。

加えて.....。
日本は非常に雷が多くて、これが送電線に落ちる事で発電所単にでまとまって送電不能(脱落といいます)を起こすこともありますし、そのための予備力も必要です。
また、そのような事故で特定の発電所が送電不能になった場合に、火力などは瞬間的に増やせる出力に制限がありますので厳しいです。
例えば、稼働中の火力発電所の場合は1機あたり5MW/分程度でしか負荷を上げられません。
そこに発電機1機、今の平均なら500MW程度でしょうが、これが何らかの理由で脱落したとすると、1機で補うには100分、10機なら10分.....と言う時間にわたって停電を余儀なくされます。
これが停止中の火力発電所ですと、起動指令を受けてから「お客様の負荷に合わせた送電」を開始するのに2~12時間必要ですから、やはり相当時間停電を余儀なくされる。
水力は負荷に対する機械の追従性は良いのですが、不意の放流増加をすると下流で災害を起こす場合もあるので、やはり負荷の追従性にが限界がある.......。

こうやってみると、悲しい事ではあるんですが、現在の日本国の供給体制では、「需要家が求める品質と量を確保するには、原子力を早期に止めることは非常に危険」と考えざるを得ないんですね。
もちろん、ひと夏程度でしたら可能かもしれませんが、2シーズン目には相当のウルトラCが無ければ破たんするでしょう。

実際、私が現役で発電・送電の需給バランスに関係していた時の事例ですが。
某送電線が緊急に停止したため、電力会社間の融通が不可能になり、1県全体が大停電になるところでした。
その時は様々な理由で回避できたんですが、その際に今ほどの余裕(TVで報道するところの30%程の余裕)が無ければ、恐らく日本有数の大都市圏丸ごと1日とか2日の停電になっていたでしょう。
ここら、エネルギー安保の関係もありますから、報道は控えているでしょうが、言われるほど「日本単独では、発電にそう余裕はない」と思ってください。

風力による総量論は別にして、品質論で。
安定して(気候等に影響されず)「発電」できる設備でもこれですから、それが不安定になると送電まで考えた場合には更に不安定になると覚悟する必要がありますし、それによる社会不安や企業の不利益は実際起こるでしょう。

また総量についても非常に疑問です。
質問者様が仰るところの「風力の潜在ポテンシャルは原発40基分」というのは4月22日朝日新聞の記事をご覧になったと思うんですが......。
違っていたらゴメンナサイ。ただ、前期記事がご主張の出典としたら、これまた「そんなことは原発より大きな自然破壊を起こすので不可能です。」となります。

朝日新聞が引用した「環境省発表」というのは、以下の資料のP98ではないかと思います。
http://www.env.go.jp/earth/report/h23-03/chpt4.pdf

確かに5.5m~6.0m/sを切りだすと4億kW程ありますから、原発1基100万kWとして40基にはなります。
ただし、これは「可能な地域を全部風車で埋めつくした」場合の物ですので、それこそ国定公園から田畑から宅地から、風車およびその送電線・変電所で埋めつくさないと達成出来ないですが、これを国民が甘受できるんでしょうか?
少なくとも私は、そう言う事は甘受できないです。(送電線などは地中かもある程度可能ですが、今度は設備費用が膨大になりますから、電気料金が跳ね上がるとか、年中工事渋滞が起きるとか。)

エネルギーセキュリティでもそう。
戦前なら国内電力のホボ100%を水力でまかなえましたから良かったんですが、戦後の高度成長期、時を同じくして世界各国ともエネルギーの転換で石油の取り合いになったんですが、これを考えると、やはり当時は原子力に流れたのも(心情的には反対も私でも)納得できます。
それが嫌なら、それこそ現在でもアメリカ・EU・ロシア・中国も含め、世界の大半の先進国が行っているように、産油地を武力やその他の方法で抑えつけて石油を確保するか、隣国(日本の場合なら中国かロシアになりますが)と協定を結んで、その国にエネルギーを依存しないとダメでしょうね。

ただし、この場合は政治的な不利益は覚悟が必要でしょう。
良い例がフィンランドですかね。


悲観的な話を縷々述べましたが。
現在TVで放言されている方、推進派も反対派も具体的な、それこそセキュリティから始まって我々の手元に届く送電端(配電端)までのグランドデザインを示しておられないので、まずはこれを多くの人が集まって考える事が必要でしょうね。
下手に「脱原発!」と言っちゃうと、それこそ世界からタコ殴りされますし、外交も視野に入れる必要があるかもしれないです。

その上で、電気を使う我々も相当の痛みを甘受する。
例えば手っ取り早いのは使用量上限とか、不便だとか、医療品質の低下だとか、国内の自然等を犠牲にする覚悟。
決断し難いところなら、ロシアとの同盟や所得の低下や税の増加など。
覚悟だけなら、総量の規制が大きい場合は農業生産にも影響が出るかもしれないので、その面も。

大げさな話ではなく。
「原発」っていうテクノロジーがやり玉に挙がってますが、テクノロジーは飽くまでツールであって、その裏には「ツールを使って達成したいと願っている目標」があるんですよ。
その目標が日本の場合は「ロシアや中国に頼らず、西側に出来るだけ頼り、海外派兵もせず、高い質の生活を、国内を地盤とする工業生産で」成し遂げたいとした場合、まずもって需要側の覚悟が無ければ脱原発は無理くさいでしょうね。

そろそろ「テクノロジーは何でも生み出す魔法の技術」って幻想は捨てるべきなんでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
大変勉強になりました。本当にわからないことだらけです。
「風力発電で原発40基分相当の発電が可能」につきましては、環境庁のホームページでさわりの部分のみを拝見しました。朝日新聞では、その風力発電の記事掲載されていたのですか?自宅では読売をとっておりまして、朝日の記事に対してはいまいち把握できておりません。ただ震災後たった一日のみのお試し用として投函されていた朝日新聞を読む限り、読売新聞よりはまだ中立の立場に近い立ち位置であったような印象を受けました。読売は9対1もしくは10対0で原発推進です。
朝日新聞からしても、その風力発電の原発40基分相当の場合は相当の環境破壊を引き起こすとのまとめだったのですね?いずれにしても、極端すぎますね。確かに感情的になってしまう部分が多々あるのですが、いろいろな可能性をいろいろな分野より考えて、その需要と供給その他の要因を本当に多角的に考察していく必要がありそうですね。とかく物事が大き過ぎて、専門性も高く、一概にはこれが良いと言えないこともまた難しさをはらんでいるような気がしております。
本当にこの質問を通して再確認できたことは、あらゆる場においてのこの原発に関して、エネルギーに関しての「議論」の場及び機会が圧倒的に少ないように感じております。政府や東電及び国民もまず原発に関してもっともっといろんな角度から話を重ねていってほしいと切に願います。それしかこの先どうして行けば良いのかをひも解く答えはないと思います。
IAEAの報告を聞いても「津波に対する過小評価」とありましたが、ど素人が考えても5,7mの防波堤で福島原発を「絶対安全」としていたなんてどう考えてもあり得ない話でした。むしろ不思議です。それでよしとしていたのですから。恐らくそれと同じことまたはそれ以上のことがいっぱい知らないところでやられているのがこの原発に関わることであるんだろうとも感情的にも思ってしまいます。
総量論と品質論のお話非常に興味があります。前述の風力発電の場合、環境庁はどんなに少なく見積もっても最低で原発40基分相当は可能との表現だったように記憶しています。風の吹かないことは勿論のことらしいです。また採算の取れることも計算の上らしいです。ただこれというのは風車や送電線で埋め尽くすという理論のもとに成り立っておるのですか?やはりこの度の問題は本当に難しい。逆に言うと未発達な分野なんですね。そんな間違った偏った報道が許容されてしまうのですからね。放っておいたら常人には判断できない。計算の上であったら実に罪深いです。
そもそもテレビはさほど見ませんが、脱原発に関しての報道自体あるものなのでしょうか?見かけたこと全くありません。原発要らないなんて、国策に反するものですし、東電を批判するものでもありますから、地上波ではある程度制約があるでしょうし、その関係で自分は観たことないと思っていたのですが、特定の番組ではやっておられるのですかね?ただご指摘の通り、過剰に反応しての感情論、理想論だけではむしろ原発を助長するものにしかなり得ないような感じがこのやりとりにおいては伝わってきました。そこも作為的な匂いがしないでもありません。とにかく判断する上での材料即ち情報が本当に不足しております。
ただ本当に思うことは54基は絶対要らないんだろうなということだけですね。それにしてもこの度の回答本当に参考にまた勉強になりました。本当に感謝致します。ありがとうございます。
ご経験からで結構なのですが、現状の生活を最低限維持しながら電力の需要と供給のバランスにも問題のない形である場合、少なくとも原発は何基くらいで運営が可能なのでしょうか?
あらゆる発電のバランスが本当に重要のようですね。思いとしては限りなく原発をゼロに近づけていけれども、現状では不可能であり、実際問題にどの程度の期間でどのくらいを減らしていけるのか。これが今は一番的を得ている脱原発の焦点なのかもわかりませんね。
「走り出したら止まらない。」は前述の回答の中に出てきた「風の谷のナウシカ」の中でのことばですが、原発は勿論のこと、原発産業においても全く同じことが言えそうですね。後付けのへ理屈により、いかに自分らのお金を守るか。浜岡原発の停止なんてまさに今の原発産業を堅持するためだけの一方的なやり方ですものね。

お礼日時:2011/06/07 23:03

 今までに起こっている物理現象に関して、ある人が書いている話なのですが、原発事故が起こる20年前に必ず起こっている事件があるそうです。

しかも、その事件が起こると政府とマスコミは必死に揉み消しをおこなって来た事実があり、それから20年後に正確に大規模原発事故が発生しているそうです。

 政府とマスコミが何か隠している事実があって、それが原因で20年後の原発事故に繋がっているのだとしたら、脱原発論議は視点を変えて議論しなければならないだろうと思います。

 今までに起こった大規模原発事故の発生年を列挙しますと、以下のようになります。

 1979年:スリーマイル島原発事故
 1986年:チェルノブイリ原発事故
 2011年:福島第一原発事故

 これらの原発事故が起こった年の20年前に起こった事件ですが、以下のものがあります。

 1959年:米国CIAと思われる組織に狙われた被害者が生まれた年
 1966年:CIAに特殊な洗脳を受けた被害者の最初の暗示が解けて10日間の昏睡状態にあった年
 1991年:CIAに特殊な洗脳を受けた被害者の最後の暗示が解けた年

 この事件の被害者は大勢いるようですが、被害者の1人に関する事件だけが奇妙なほど原発事故と深い関連があって、洗脳が解けた年に大きな事件が起こり、さらに20年後に原発事件が起こっているのだそうです。

 しかも、最後の暗示が解けて以降は異常な物理現象が連続して周期的に起こっていて、それについても政府とマスコミは一切報道しようとしないのだそうです。

 この物理現象の周期性を追いかけて行くと、日本が経済破綻する年や大規模地震で壊滅的被害を受ける年も予測出来るそうで、政府とマスコミが隠しているのは、それが原因ではないでしょうか。

 脱原発運動に関しても、あらかじめ計算されていたような疑念が生じています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
またこの度のお礼遅れまして大変申し訳ありません。
全く別の視点からの考察と回答ありがとうございます。
ここだけの話しでは、どのようにお答えして良いのかわかりませんが、そのような疑念がある旨全く知り得なかったことなので、参考にさせて頂きます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/26 09:12

基本的に貴方の考え方に賛成です。

良識のある方だと思います。

私が問題視するのは約40年前「何故原発を大規模化するときに阻止できなかったのか?」という問題です。
この問題にきちんと答えられないと、将来日本人は何度も同じ間違いを繰り返す可能性があるからです。
歴史の岐路で日本人は重大な選択の誤りを犯してしまったったのです。
原子力の怖さを知らない正しい知識のない正力松太郎や中曽根康弘の野望に載せられてしまったのです。
30年前から学校の理科の教科書に核分裂についての内容が無くなっていたが、又、来年から復活するという。
30年間すなわち現在の日本を担っている青年たちは科学的に原子力を理解することなく、「原子力安全神話」教育に洗脳されてきているのです。
30年以上前から想定外の事故の危険性を警告していた武谷三男先生のような優れた科学者がいました。
ビジネスや政治の野望に燃えた科学を正しく理解しない人達がそのような切実な声に耳を貸すはずもありません。
2000年武谷三男先生が世を去ったとき、21世紀が危ない時代になるような不安がよぎりました。
小さな訃報記事を新聞で見て直ぐに、最後の著作となった「罪つくりな科学」(人類再生にいま何が必要か)を買いに行きました。その中にも書かれている「トイレのない家」に人は住むことはできません。現在でも六ヶ所村問題は解決されていません。人類は原発を実験機以上に発展させてはならなかったのです。

今回の福島原発事故が起こらなければ本質的な大問題に目覚めない人が多すぎたことが問題です。
原発事故直後の3月都知事選で石原慎太郎が再選されました。東京の人は自分の住んでいる所まで放射能汚染されないと目が覚めない。それが問題なのですが、問題の解決は非常に難解な気がします。せめて「罪つくりな科学」(人類再生にいま何が必要か)を学校の教科書にする位のことをしないと「原子力安全神話」に洗脳された善良な日本人は目を覚まさないような気がします。

自然エネルギーを最大限生かさなければいけない時代になりましたが、太陽光発電にこだわり過ぎた政府の方針は又進路を誤っています。現在はバイオマスを切り捨てたような方針ですが、様々なエネルギーのバランスが重要です。
「原発一辺倒」「オール電化一辺倒」「ソーラー発電一辺倒」のような単細胞的な頭脳構造になっていることが問題です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
また御礼遅れまして大変申し明けありません。
大変参考になりました。
またご教示の図書も機会あれば手に取ってみたく思います。非常に興味が湧きました。
私自身もエネルギーバランス、このバランスが非常に大切と思っています。あらゆる部分での均衡です。意見や考えについても然りです。
ご指摘の通り、原子力について私の世代では本当に空白でした。世代というと語弊があるかもわかりませんが、少なくとも私個人では全く知識がありませんでした。
だからこその驚きと衝撃が走りました。
質問を投稿したときと今とでは、大きく雰囲気も変わっております。
しかしながら、根本的な部分、原発については、数は減らしていかねばならないというポイントについては揺らぎありません。その数をいくつにできるのか、そのバランスなのだと今は感じています。
この度はありがとうございました。

お礼日時:2011/11/26 09:07

こんにちは、いわきに住む者です。


脱原発は賛成です。原発自体の危険もありますが、使用済み燃料という処理出来ないものを
生み出し続ける事に恐怖を覚えます。
いわき市は4月に断層地震がありました、地面が割れればコンクリートの建物も割れました。
地球を完全に理解していない以上、地下何百メートル深く埋めようと絶対安全と言い切れるでしょうか?

新しい原発を作る予算があるなら、代替エネルギーの開発や使用済み燃料の無害化開発に使うべきだと
切に願います。

脱原発と言うと、「プランもないのに軽々しく言うな」のような意見もありますが、
これから考えましょう、ということが(脱原発)でいいんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

この度のご回答ありがとうございます。
また御礼が遅れまして大変申し訳ありません。
みながそれぞれの立場で、色んな意見や考えを巡らせていくことこそ大切で解決の道と考えます。
今までが無責任で無頓着過ぎました。
親身なご回答をありがとうございます。
私個人も、人間の手には負えない廃棄物を量産し続けなければならない今の技術では、原子力発電についてはそれだけでも、十二分に放棄しなければならない代物であると考えています。処理費がかかる?だから止めるのです。
今が良ければそれで良いでは、全くお話にならないからです。だからこその環境問題なのでしょうから。
ご回答に賛同です。ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/26 08:59

私は、50年ぐらいかけて、ゆっくりと脱原発を目指すべきだと思います。


そうすれば、核融合などの代替エネルギーが実用化できますので、スムースに脱原発を進めることができます。
何も急ぐことはないと思いますが、確実に実行する必要があると思います。
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この回答へのお礼

御礼が大変遅れまして申し訳ありません。
この度は貴重な回答を寄せて頂きありがとうございます。
質問を投稿したときと今とでは、原発に対する捉え方が、世の中そして自分自身も変化しております。
回答者様が仰ったように、ゆっくりと確実に身にしみて感じました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/26 08:54

>原発がこの先も必要なのかどうかは明白なんだと考えています。



何故、決め付けるのでしょうか。一介の市民とおっしゃるわりには、自信満々ですね。

原発やエネルギー関係は、多くの資格試験があります。そういうものにチャレンジしていますか。資格取得まではいかなくても、チャレンジしてから言ってもらいたい。放射線取扱主任の2種などは、放射線の専門家ばかりでなく、専門学校の学生さんもチャレンジされています。

マスコミがいいかげんな情報を流すのが原因でしょうが、マスコミも仕事だから、毎日ニュースを流さないといけない。絶対に正しくなんて考えていたら間に合わないし、売れなければ仕事にならない。皆さんが危険だと思い込めば、マスコミもそういうニュアンスの記事を出さざるをえない。正のフィードバックが働くのです。

だから、マスコミ等が流すニュースはよく考えて聞いてやらないと、マスコミ関係者にも気の毒なんですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
参考にさせて頂きます。

お礼日時:2011/07/02 05:41

コメントさせていただきます。



まず、日本が原発主体になる以前は火力発電主体であったことを念頭に置いていただきたい。
当時は火力発電によって空気汚染が酷く、「火力発電こそ悪である」と世論が思っていました
その時に新しく考えられたのが原子力発電です。確かにその時も第二次世界大戦にて世界で初めて使用された悪魔のような兵器を、日本国内に持ち込み、兵器としてでないにしろ使用するのかという声は大いにあがりました。

しかし、水力発電は発電量を一定に保てない。風力に至っては国内で風力発電出来るほどの風が吹く場所が限られているため発電量が少なすぎる。それを考えると原子力発電は供給量・大気汚染を考えると至ってクリーンであると謳っていました。

当時のまま原発使用論を跳ね退け火力発電を現在まで使用し続けた場合、日本は現在の中国と同じ状況に陥っていたと容易に推測されます。(こちらは自論です)

以上により、質問にあった「国が一方的に強力に推進した」というよりは、寧ろ当時の世論は支持していたようです。
大阪万博以降、急速に原発使用基数が増えていったのも本当に「安全」だったからなのでしょう。
日本は世界でもトップレベルのSEや科学者が居る国です。机上ですが、計算上では本当に安全だったのでしょう。勿論、地震大国であるからその事も十分踏まえていたはずです。
しかし、今回の地震は普段の地震とは違い世界レベルで危険な数値を叩き出した地震でした。いくら安全を謳っていたとはいえ何時、誰がこの規模の地震を予想できたでしょうか?いくら地震大国日本と言われていようが、流石に規模が違いすぎます。
また、原発を取り壊すにしても莫大な予算が必要になってきます。原発は作るより壊す方が予算がかかるのです。

視点を変え、今度は脱原発が可決された後の仮定の話です。
自然エネルギーと言うと、一番に思い浮かぶのは太陽光発電ですね。
現在CMでも一番クリーンなエネルギーとしています。確かにその通りでしょう。
しかしよく考えていただきたい。

太陽光発電にはソーラーパネルが必要になってきます。実際のところ、パネルの大きさによって電力生産量が変わってきます。恐らくは各家庭にパネルを取り付けなければならないでしょう。その時にかかる費用が、ソーラパネルを京セラ製の2.83kwので購入した場合、215万円になります。一括で払える方は早々いないと思うので、ローンにしても15年ローンです。
もしこれを機にオール電気にするなら、従来の配電盤を増設する場合約11万円くらい。あと、IHクッキングヒータと電気温水器(低料金時間帯:夜間の電気でお湯を沸かす物)などのセットで、月々約6,000円を8年間支払う計算です。
マイホームローン、自動車ローン。。。これにソーラーパネルローンをつけたらローン地獄になってしまします。勿論国からの援助金は出ると思いますが、それも一部に小数額でしょう。

この質問板を見ることも出来ない低所得者にとっては、勿論こんな金額は一般家庭にも難しすぎる金額です。クリーンで安全なエネルギー。これは素晴らしいことです。しかし、それを実行するにはどれだけ莫大な金と時間が必要であるかを考えて頂きたい。地デジ化でさえ、只テレビを新しく買い替えるだけを4年もかけているのです。一般家庭に普及しているものを変えるのでさえこのように時間がかかっているのです。普及していないものを一からしていくのはそれこそ何十年規模で見ていかねば到底無理なはなしでしょう。

話がそれるかもしれませんが、今原発の株主で脱原発を謳い、辞任要求、賠償金要求をしているのは、本当に災害にあった方の事など何も考えてはいないのかと思ってしまいます。
国の動きも遅いのも確かですが、現在一番にやらなければいけない事は災害地復興のみ!原発の件も地震や津波によるものですが、自己中な要求をする前に現地を少しでも元に戻るように復興支援をした方が良いのでは?
今の現状は、重症な怪我をして助けを求めている人の目の前で軽傷な人同士が喧嘩しているようにみえます。今、手を差し伸べれば助かる命を見ぬふりをしているだけです。

1995年(平成7年)に起こった阪神・淡路大震災(大阪大震災)も世界からは「日本は向こう20年は機能しないだろう」と言われていたのに、たった10年で元以上の姿になって復興しました。それは一重に日本が一丸となって復興に協力をした結果です。この早い復興には世界中が驚きました。
今回は国内だけでなく、世界中の国や人が日本を支援・応援しています。それは先にあった復興の早さと、以前よりさらによりよい街を作りあげた結果からでしょう。今回の地震は本来なら世界が「無理だ」と判断してもいいほどの規模でした。しかし、日本を見捨てず応援してくれる各国は「日本は絶対に立ち上がる!以前よりさらに良い型で復活する!」そう思っています。

何度も同じような事を言いますが、世界は日本に期待しているんです。その国民が奮い立たずどうします。日本人は特に、他人を尊重する種族です。海外の災害地では窃盗・強盗などはもちろん。自分さえ助ければいい。と思っています。他国ではこれが当たり前なのです。強盗などが発生せず、寧ろし赤の他人に真っ先に手を貸せるのは日本だけなのです。
現地へいって手伝えと言ってるわけではありません。ひとりができる事でいいんです。
10円、いや1円の募金からでもかまいません。
一番お願いしたい事は風評被害を広げないでください。○○県産のものは危ない。などちょっとした会話で話すのは控えてほしい。災害地の活性化どころか、もう大丈夫なのに風評被害のせいでその土地のものが全く売れなくなるのは復興も何もないですからね。

乱文になりましたが、以上が私の意見です。
原発にかんしてのみ言えば、勿論逆の意見の方も必ずいます。
私はその意見を真っ向否定などはしません。
言いたいことは、今一番に何をしなければならないかを再度考えて頂きたいということです。
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この回答へのお礼

貴重なご意見を本当にありがとうございました。
賛同できる点とそうでない点と正直な思いを申せばいろいろとございました。しかしながらいずれにしても、ここまでの思いを寄せて頂きまして本当に嬉しくも思いますし、非常に勉強にもなりました。本当にありがとうございました。
ただこの中において、一点だけこの度の趣旨においての自分の意見と正反対なものがありましたので個人的な思いを簡単にですが記させて頂きます。
>しかし、今回の地震は普段の地震とは違い世界レベルで
>危険な数値を叩き出した地震でした。いくら安全を謳っていたとはいえ
>何時、誰がこの規模の地震を予想できたでしょうか?
>いくら地震大国日本と言われていようが、流石に規模が違いすぎます。
机上の安全対策は万策であったとされていますが、端的に津波に対しての防波堤が5.7mの備えしかなかったこと、これについてはどのような安産対策のもとなされた数値なのか?
「非常電源の喪失」このことは司法においても、そこまでのことを「想定」する必要はないとされていましたが、現実には起きた。これが地震が予想外の規模だったから仕方ないで済むのでしょうか?現に危ない危ないと指摘する人は数多くいたのにです。貸す耳を持たなかったのはどなたでしょうか?
地震が起きれば津波がくる。このことは中学生でも知っています。地震大国日本に置いて「想定外」の地震だったとされても、「想定」される、できる地震等ないことを念頭に原発と共存していかねばならなかったのだと思います。勿論それは震災以前のお話でです。
私はこれを論点のすり替えと考えています。地震は天災ですが、原発被害は人災です。いろんな問題がありましょうが、原発については、今までの価値観を捨て、新たな問題として様々な角度から考える必要があると個人的にも思っています。

お礼日時:2011/06/30 17:46

今は、マスコミ等で流れてくる、反原発、自然エネルギー関係の情報は、専門家のレベルから見るとデタラメばかりです。



福島第一が収まって、真相が明らかになると、論調も変わると思います。あまり真剣に考えても無駄だと思います。

何故、デタラメかというと、福島第一は、まだ中を目視できているわけではないので、殆どが憶測や想像ばかりです。それが、さも本当であるかのように報道しています。

1.炉心溶融とか色々言われていますが、本当にそうだったら、福島第一では、そろそろ急性の放射線障害者が大量に現れていいはずですが、その気配もない。

2.自然エネルギーですが、送電制約の話は殆ど出てこない。むしろ無視している。そういうことに詳しい人の議論がないに等しい。本当にエネルギー供給しようとは思っていない人たちのパフォーマンスとしか思えない。

3.LNGや火力で足りるというが、国際的な商品先物相場に与える影響についての議論がない。今年1年に限るであれば、それでもよいのでしょうが。

大体、反原発を叫んでいる人たちで。LNGや石油を調達する能力のある人がいますか。私が、石油やLNGを調達するから原発を廃止してくれなんて言わないでしょう。自分が調達する身になったら、原発が動いてくれないと、絶対的に不利な条件で対応しなければなりませんから、脱原発なんて心には思っていても口には出せない。

今回の浜岡停止もLNGを調達したのは中部電力の会長ではないですか。値を吊り上げてこないかプレッシャーは大きかったはずです。反原発の人たちが、率先して交渉すべきではないですか。なんで、原発推進派の電力会社に任せるんだ。結局、やりたくてもできなだけじゃないですか。LNG調達もできない連中の言う事を真に受けてもどんなものでしょうか。実力のある人たちは、思いは反原発でも、行動は反原発にはなりようがない。

自然エネルギー関係者も、結局、国の補助金目当てで、原発に対する投資を、自分達にまわして欲しいというのが本音です。本気で電力供給しようとは思っていない。もしそうなら、脱原発なんて簡単に口にすることはできない。原発で安定供給できるという安心感があってこそ、自然エネルギーも積極的に推進できるというものです。
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この回答へのお礼

貴重なご意見を本当にありがとうございます。
別の切り口からのご回答大変参考になりました。
物事が大き過ぎて、誰の手にも制御不能なのかも分かりません。一般市民の自分からしたら、色々な方の意見に振り回されるがままです。何故なら、議論がないからです。本当のことがまったくわからない。今の世の中、添加物たっぷりのドーナツと一緒で、おいしいけれど中身がなし、真ん中空っぽです。
今の原発や自然エネルギーにしても、やはりお金や経済が先行されている、これはある意味で仕方がないことかも分かりませんが、どこかでだれかが現状のフクシマをみて、故郷を喪失されている方の十分の一でもその思いがあれば、原発がこの先も必要なのかどうかは明白なんだと考えています。
「事故は起こるもの」「絶対安全はない」このことをふまえて原発を再検証して欲しいです。ただ今の国の対応、今までの絶対安全の売り言葉などを考えれば、信用できるものではないのも明らかなのですが。。

お礼日時:2011/06/30 17:12

原発廃止を考える前に自然条件が先々


どう変化するかを推測するべきです。

温暖化が宣伝されていますが私は
太陽による一時的な現象と思います。
将来は寒冷化するという説に賛成。

地球には全ての地上が氷河に覆われ
海まで凍った時代が何度か在ります。
そこまで冷えなくても寒冷化が現れ

れば自然エネルギーなどは全滅です。
石油の枯渇と寒冷化が同時に来ると
世界中で生存エネルギーが不足する。

来るべき長期寒冷化を人類が乗り切る
為の原子力技術なのだ。と思います。

1000年の津波に備えるのがあほう
という人達は数万年の寒冷化サイクル
に備えるのが理解できないでしょうけど。

危険ではあるが必要な技術。

寒冷化が一般に知れ渡る時、初めて
原子力技術の真価が理解されると思う。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに数ある諸説の中において一理ある理論かと思われます。
しかしながら数万年の寒冷化サイクルにおいて、高度経済成長期後のここ60年強の時間の中で、人類最大の脅威である放射能汚染が継続して起こっているのが今です。
そしてその数万年のサイクルにおいても解決することができないのが原子力発電という未完の技術が生み出す廃棄物です。
寒冷化のサイクル以前に、太陽がなくなったときのことを話しても、今のこの脱原発の話とはかけ離れ過ぎていると個人的には感じます。
寒冷化が訪れるときまでに、原子力発電は使っておく必要はないと個人的には考えました。
しかしながら、貴重なご意見をありがとうございました。

お礼日時:2011/06/30 17:05

補足を拝見しまして。


明日の引越しのためにバタバタしておりまして、明日から数日はご回答できませんので取り急ぎ。

>大変勉強になりました。本当にわからないことだらけです。
いえ、これはもう長く発電他のエネルギーに関わった人間も解らないだらけです。
基礎知識にしても論議にしても、すそ野が広すぎますもんね。(苦笑

>朝日新聞では、その風力発電の記事掲載されていたのですか?
はい、4月22日付朝日新聞に載っていました。
まだWebにも残っていますから宜しければご覧を。
http://www.asahi.com/national/update/0421/TKY201 …

>本当にこの質問を通して再確認できたことは(後略)
ええ、本当にその通りです。
飽くまで、極端に言えば他の国のこととしてでも良いんですが、賛成・反対の「思想」を捨てて考えないと不味いでしょう?と思います。
その上で脱原発が可能という結論が得られれば最高、得られなければ覚悟を固める......と。

>IAEAの報告を聞いても(後略)
「想定の中では絶対安全」ということですね。
その中に悪意があるorない論は抜きにして。
宮城県で堤防が破壊されたように、想定を超えていたことは「恐らく」事実でしょう。
でも、「想定はそれを超えてしまうと?」って限界がありますから。
原発導入当時は「エネルギーセキュリティと目先の電力不足」を天秤にかけて、やむを得ず「十分だと思える」想定に頼ったんでしょうが、その当時に論議をしていたら、今はどうなってたんだろう?と悔しく思います。

>ただこれというのは風車や送電線で(後略)
イメージ的にはそうです。
そこまで大量に設置するなら、風車の改善も素早く進むでしょうし、外観も注意し送電線も可能な限り地中化するので、相当程度マシにはなるでしょうが.......。
原子力でも火力でも風力でも「一つの技術」に頼るのは、やっぱりどこかで相当のデメリットを覚悟しなければならないでしょう。

>脱原発に関しての報道自体あるものなのでしょうか?
五月雨的・断片的ならば、あります。
でも「まとまった議論が始まった」ということは見た記憶が無いです。
新聞が主張として「脱原発」を唱えるのは、先の朝日の例など散見されますけど.....。
でも、新聞が特定の方向に世論を誘導するってのは、それはそれで根本的に違うんじゃないの?と思います。

国策の母親として西側の合意や仕組みがある様子なので、おいそれと脱原発を公言するとCO2問題とも絡めて外交問題にも発展するのではないか?と思います。
今は石油を西側に輸入するため、各国とも外交・軍事で相当犠牲を払っていますし、そこにタダ乗りは許してくれないんじゃないでしょうか?
外交・軍事で押さえつけて自由にするのが良いのか悪いのかは別にして、「現在はその形が出来て、それを通じて石油が日本に流れて」いるんですもの。

>経験からで結構なのですが、現状の生活を
>最低限維持しながら電力の需要と供給のバランス
>にも問題のない形である場合、少なくとも原発は
>何基くらいで運営が可能なのでしょうか?

そうですね。
私の15年ほど前の経験では、夏の予備力は、必要最小限度と言われる8%ギリギリでした。
総需要と供給から見たら「嘘だ!」って言われそうですが、送電線の容量制限も加わるとそんな物になるんです。
その後いくらかは発電所が出来ましたが、需要も伸びているので、夏の予備力はそう劇的に増えてないと思いますが、この春の節電効果や皆が備えている状況を見たら、夏のピーク需要は10%程度は落ちてくれるんじゃないかと思います。
日本の総需要に対する原子力の寄与分が30%とバックり考えると、総需要が10%落ちれば原発寄与分を20%まで減らすことが出来る。 つまり原発が2/3ですむ計算ですか。

東電福島第一1~4抜きで、ザックリ日本全体の発電用原子炉が50機として、17機程度は多少の我慢で行けそうに思えます。(相当荒っぽい計算ですけどね。)

これを他の方法の導入で、全原発停止を目指すとすると......。
立地点住民さんの協力が必須ですが、まずは地熱で現在の原発容量の30%%賄うとして建設期間10年。
太陽光は各家庭普及が厳しいので、20%を超えて賄えないとは思うんですが、これに20年前後。

風力は比較的早くて、その気になれば6~7年で行けそうですが、これをカウントに入れるのは質の面で危なすぎるので量はさっぱり見当がつきません。ボーナス的な位置づけになりますかね?
ただし、揚水発電所で風力分をプールするのは現状の技術でも可能ですし、この方向で流れるなら10年弱で20%程度は行けるんじゃないかと思います。

「住民の協力」という凄く厳しい物さえ何とかなれば、今から生まれる子供が成人するころには、相当行けそうですね。
そして、「電気とはこういうもんだ」と生まれた時から考える世代が増えれば増えるほど、加速度的に需給バランスや使い方も改善・定着するでしょうから、40年後くらいは違ったエネルギー体系になりそうな。


なんてんでしょう。
風の谷のナウシカの話が出ましたが。
あれも結局は「技術が全てを改善すると思うなよ?」って風に捉えてるんです。
だからと言って「自然万歳!」って言う心算は無いです。
なにせい、機械技術が無かった江戸時代って、人口も今の1/4位で、平均寿命も短かったですもの。
「それでも当時の人は心の幸せが」云々って論も見ますが、「じゃ東北~北海道を見てみなさい。」とも思いますし。
なんでも過度・極論はダメなんだろうと思います。
そうですね、御質問者様と同じように「バランスが大事。」なんだと。
加えるなら「技術に過度な期待をしないでくださいな。」ですかね?

ドイツも、上手く「フランス」って力を利用して新しい道に進もうとしてますが、日本も、それとは違う仕組みを進まなきゃいけないんでしょうが、上手く進んでほしいと思います。
(でも、メタンハイドレートだけには手を付けてほしくないですが......)
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この回答へのお礼

お礼遅れまして申し訳ございません。
常々のご見識の深さに敬意を表します。いろいろとご説明ご解説くださりましてありがとうございました。
本当に大変勉強になりましたこと御礼申し上げます。
「想定外」を「想定」する「事故は起こる」「絶対安全はない」これを基に原発を使えるのであれば、それはそれで良いのだと考えました。
ただまだまだわからないことだらけ。なにが良くて悪いのかも多分正直誰にもわからないのかもしれません。原発はこれ以上まず作ることなく、段階的に停止させ、エネルギーバランスを考えながら廃止していく。これが簡単にいえば答えなのだろうなと個人的には考えるようになりました。
ふるさとの喪失はやはりあってはならないと思いますし、がんばろう日本ってどこか無責任で被災されている方以外が、軽々しくがんばろうとは言ってはいけないとも個人的には感じています。
やはり近隣住民の方が答えを導きだすしかないとも感じています。ただそれは非難を余儀なくされる範囲の方々全員の意見が反映されないといけないと思います。

お礼日時:2011/06/30 16:56

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