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文学のレポートで夏目漱石のこころについて書かなければなりません。
お題 [こころは高等学校の国語の教科書の教材となっているが、教科書で取り上げられている部分(『下』の一部分)で『私』はなぜ中心化されなかったのか]
です。この意味がよくわからないのでどういうことなのか教えて欲しいです。
お願いします。

A 回答 (1件)

 先ず漱石の「こころ」は既にお読みになっていることと存じますので、作品に登場する人物の相関関係を図式してみてください。

そこに登場するのは「私」「先生」「先生の妻(作品の中ではお嬢さんと書かれている)」「先生の妻の母(同じく奥さんと書かれている)」「K」です。
 しかしながら作品の「下」で記されている“私”と「上・中」で記されている“私”はその内容が本質的に異なります(ここまでは既に高校の段階で学んでいますよね?)。従って上及び中で使用されている「私」と下で使用されている「私」がどのように異なるのか、を理解する作業とのことになります。もしもう一つそこに付加する要素があるとすれば作者としての漱石の目線が何処にあるのか、を付記することも必要です。漱石の作品に象徴されるのは「近代的自我の確立」のテーマがあることも既に高校の時に勉強していることでしょう。
 このことを整理すればレポートとして成立します。折角の機会でもあることですのでもう一度この作品を読み直すことから始めてみることが必要です。

※本当は読んでいなかったから「わからない」のですよね?。
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この回答へのお礼

本当に一度読んでみたのですが、分かりませんでした。
アドバイスを参考にしながらもう一度読みます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/09 06:40

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