dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

感情論でない議論なんて存在するのですか?

A 回答 (3件)

 より真実を引き出すための「演繹法」及び「帰納法」に基づいた議論の積み重ねは、感情を排除したところで成立しているように思いますが。



一般的な事ですが、世の中のあらゆるもの事を決めているのは、当事者の感情が大なり小なり絡んでいるようです。

その感情の絡み方が少ないか多いかによって、正論に感じられたり身勝手な論理になったりするように思います。

何だかんだいっても人は、最初は好きか嫌いか。自分に合うか合わないかの、感情を主体とした気持ちで対象を判断し、近付くか避けるかの態度になるのでは無いでしょうか。

年令を重ねるに従って、感情にブレーキがかかって秩序意識が優位に働く様になるのでは、と思いますが。
    • good
    • 0

アインシュタインの宇宙定数あたりがいい例ですね。


「宇宙は膨張も縮小もしていないだろ」という気持ちで、帳尻を合わすために入れた定数ですが、のちに宇宙の膨張が確かめられ、自身が「最大の過ち」と後悔したほどです。

確かに感情論が組み込まれていることは多々あります。
が、議論を経るごとに、新しい証拠が出るごとに、感情論は廃されていきます。

そして感情論がそぎ落とされたモノ同士の議論であれば、限りなく「感情論でない議論」になると思います。
(ただし論者は「この理論が正しい」という感情が常に付きまといますが、その感情すらも許されないのなら、正しいとは思わないことを論ずる者はいないです→議論にならない)
    • good
    • 0

現実には存在しないと思います。



まず感情から入ります。
そして、その感情を裏付けるために
理論を構築します。
これが通常です。

徳川家康は何とかして、豊臣家を攻撃したかった。
それで
あの徳川家康は、鐘に書かれた文字を口実に
豊臣家を滅ぼしました。
この鐘に書かれた文字を口実にするのが理論で
あり、それをどう考えるのかが議論です。

犯罪は何故いけないの?
被害を与えるから。被害を与えるのは何故いけないの?
・・・・・・
最後は、被害を受けるのは面白くないから、という
感情に行き着くのです。
しかし、感情だけでは議論が出来ません。
俺は嫌いだ、あたしは好きよ。
では水掛け論です。
好きな理由や理論を掲げ、その理由や理論を議論の
種にする訳です。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!