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所詮、家族も利害関係なのでしょうか、教えて下さい。

A 回答 (5件)

日本のメディア等では、家族を理想化しすぎている傾向がありますね。


現実のところ、確かに何かあった時には、一番力になってくれる人、本気で心配してくれる人、いいズライことも当人のため言ってくれるのが基本、家族ではありますが、人間ですから、親であろうと完全ではありませんし、子供に成長させられるような人もいます。
いい年齢になった子供でも、親の前では、まだまだ未熟な人もいますね。
家族は人の集まりですから、人の集まるところには常に、小さな生存競争が、ひとりひとりの至らぬ点を補い合う協力と同じだけ存在するのだと思います。

ですから、あまり理想化してしまうと、現実の自分の家族の姿に、がっかりすることは、誰しも少なくないのではないでしょうか?
人と人が支え合うのが家族、といっても、やはり自分が健康で自立していなければ、支え合っても共倒れになるので、もめごとが多くなります。

完全に依存や頼ることなど、家族だからこそ、他人と違って、遠慮なく言いにくいことも口にしてしまったり、甘えも出してしまったりするゆえ、ぶつかることも多かったりします。

特に親が亡くなったりする時期になれば、兄弟姉妹の関係などは揺れたりもしますね。
同じ両親を持つ、兄弟姉妹であろうとも、決して平等ではありません。
生まれ持ったポジション、役回りが兄弟姉妹 でも違ったりしますし、結婚して他人が入ったり、子供(孫)が産まれたりすると、またいろんなことが変わってきます。

遺産相続など見てもわかるように、家系(お墓)を守ってゆくべき立場の子に、親が家を託したり、家族の中で経済的弱者である下の子に、現金等生活の足しになるようなものを残して生かすための協力をするなど、家庭によって親には子の性質の上、それぞれの考えがあったりしますから、そういう部分を理解し合えない兄弟姉妹間は、大人になりきれず、常に愛情が平等でないと気が済まない、という人は、利害関係を追求しすぎ、関係を崩壊させてしまうこともあったりしますよね。

なので、人は家族だけではなく、近くの他人との関係や、恋人、友達を作り、大切にします。
何かあった時、相談相手になれたり、家族がいなくなっても協力し合う事ができる関係を作っておきたいからです。

家族は 離れていれば 美化され、恋しいもの、
近くに寄りすぎれば、うざったくて煩わしい存在、というものなんだと思います。

理想の家族なんてそうそういないけど、でも、必要とされている、いなくては困る、愛されている存在の家族がいるという精神状態こそが、いつもくっついていなくても心を安定させ、孤独になった時、辛く大変な時にも 乗り切るパワーを与えてくれたり、人に優しくできるようになったりするもの ではあるのかも知れないですね。
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この回答へのお礼

質問を締め切りまして、今更になりますが、回答して頂きありがとうございました!

丁寧な回答ありがとうございました!
納得しました!

お礼日時:2011/07/01 17:16

 利害と情が絡んでいます。


 親の側の不利益(子供がニート、引き篭もり、プータローなどの“金喰らいの穀潰し”)が増大してくると、相手が子供でも情が減ってきて、「もういい加減、出ていけ!!!」となります。
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この回答へのお礼

質問を締め切りまして、今更になりますが、回答して頂きありがとうございました!

なるほどです!

お礼日時:2011/07/01 17:13

利害関係から最も遠い関係が家族関係だと私は思っています。



親は子に、何の見返りも期待せず、お金や労力をかける。
子は年老いた親に、何も帰ってこないことをわかっていて世話をする。

それが親子であり家族です。
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この回答へのお礼

質問を締め切りまして、今更になりますが、回答して頂きありがとうございました!

お礼日時:2011/07/01 17:11

 質問文の内容が短いので質問の趣旨が分かりませんので、お尋ねの


『所詮、家族も利害関係なのでしょうか、教えて下さい。』というご質問へのお答えは、端的に申しますと「家族は利害関係ではない、」です。

男女が結婚という形式を経て夫婦になると、疑似血縁関係(血縁意識)になります。そして、夫婦は家族の最小単位となります。さらに、夫婦の間に子どもさんが生まれると、親子の血縁関係が発生します。これが累々と続くのが家系です。

ひとつの夫婦を単位とした家族は、家族の気持ちを中心にした暮らしを家の中で行います。しかし、現実の暮らしは家の中ばかりでは行えません。家の外の社会性の世界との関わりが必要です。この様に誰でも家の中という非社会性の世界と家の外の社会性の世界の2つの世界で暮らしています。

あなたがお尋ねの「家族も利害関係なのでしょうか」というご質問は、多分現実の生活の場面からお考えになって、生活するには家族間でも、お金のやり取りとか貸し借り、労役に対する某かの請求又は支払い等についてお尋ねだと推測します。

もし、そうだとすると、それはご家族の価値観の問題だと思います。本来、家族間の労役は無償です。
(お金の貸し借りは別です。)得になるから家族の誰かに何かをするのでは無く、家族は本来家族の誰かの成長を願って、或いは、社会との関わりが旨く行くのを願って無償で手助けします。

極端な話で恐縮ですが、あるご家族の誰かが刑事事件を起こしたと仮定します。
その犯人は逮捕され、事件はマスコミで報道されたとします。世間はその犯人を非難します。しかし、家族はどうでしょう。たとえ刑法に触れる様な事件を起こし、世間で悪人のそしりを受けても家族はその人をかばいます。お世話もします。刑務所に面会にも行きます。犯人と親しくしていた家族以外の人は面会に行きません。

この違いは何かというと、最初に申しました通り、家族は血縁意識(関係)という気持ちで繋がっています。気持ちで繋がっているということは利害関係は不問にされる、ということです。一方、家族以外の社会の人は、秩序とか倫理といわれる社会のルールとか規範で物事を判断します。

従って刑法犯と仲間のように見られたくないので面会には行きません。面会に行くと不利益になる可能性があります。家族以外の大部分の人は、この様に自分にとって利益とは何かを内心で判断するようになります。(例外もありますが、ここでは一般的な見知から申し上げています。)

前記の通り家族は、刑事事件を起こした犯人にも面会に行きます。この行動は利益になるかどうかは考えず家族の、人間の気持ちとして困っているだろう、と思う人に手をさしのべるのです。これは人間の自然な心の働きから来るものです。この家族間で培われた気持ちの交流は、社会性の場面で自分の方から差し出す気持ちの原型として家庭で身に付けます。

長々と書きましたが、以上のような観点からも、そして、家族の仕組みそのものからも、家族の人間関係には、本来利害関係は発生しません。そうで無ければ親が子どもを育てることは出来ません。

親が子どもを育てるのに、あなたを育てるのに、このくらいの手間暇がかかった。それをお金に換算するといくらいくらになる。お金もかかった。あなたが大人になったらその分、全てお金に換算して返してもらいますよ、なんて子どもにいう親はいないでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私は親になったことがありませんので、親の考えはわかりません、親は私に無関心でした、親に心配をかけたこともあります、そのことで親に家を出ていけと言われました、
これは、私が将来的に利益が無いと判断したためではないでしょうか。

お礼日時:2011/06/24 14:47

仰るように「所詮」利害関係が根底には存在していると思います。

立場や環境が違っても其々の思惑や希望、欲といったものは利(プラス)と害(マイナス)で判断してみると解り易いでしょうね。お金や物だけでなく精神的な部分も利害関係での影響は大きいと思います。表面に現れるかレベルの違いはあるでしょうが様々な場面で存在していると感じます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

寂しいですが、いくら血が繋がっていようとも、そうなのですね、家族だからって言ってもそれを感じることがあります。

お礼日時:2011/06/24 13:40

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