A 回答 (15件中11~15件)
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No.5
- 回答日時:
No.4ですが、補足させていただきます。
「松島や......」の句は、芭蕉作ではないという説が有力ではありますが、ここでは芭蕉作という前提で例示いたしました。
No.4
- 回答日時:
>一般的に和歌や俳句は、感じたままを詠むものだと言われます。
う~ん、私は、これまでに優れた歌人や俳人が「和歌や俳句は、感じたままを詠むものだ」と説いている歌論なり、俳論なりに出会ったことは一度もありませんが。
当人は「感じたまま」を呼んだつもりでいて、その実、本人も自覚しないまま、身の回りに転がっている月並みで類型的な認識パターンに囚われていたり、自分の感性が歴史的・社会的に規定されていることなど考えたこともなかったりというケースの方がより多そうな気がします。
その点、本当の意味で「感じたまま詠む」ことができるのは、ほんの一握りの天才的な詩歌人だけなのではないでしょうか。
>和歌や俳句が、理性や論理を表現することはできないのでしょうか。言い換えると、和歌や俳句は感性と理性の両方を表現しうるということはできないのでしょうか。
「理性や論理」というのは、ちょっとお考えになるだけで明らかなように、思考の《目的》ではなく、思考の《手段》でしかないですよね
つまり、われわれは徹底的に厳密に、緻密に考えることを「理性」的とか、「論理」的とかと言いますよね。
この限りにおいて、「和歌や俳句が、理性や論理を表現する」ということ自体が意味をなさないような気がします。
また、「感性」を働かせるというのは、決して「理性や論理」をゆるがせにすることではないですよね。
たとえば、考えるときに曖昧だったり、注意散漫だったりすることを、われわれは決して「感性」的とは言いませんよね。
思うに、われわれは、無限の謎をもって迫ってくる現実世界を前に「理性や論理」がおのれの有限さ、非力さを悟ったとき、当然のように無我、忘我の姿勢を取るしかないはずで、これがいわゆる「感性」的な認識ということになるのではないでしょうか。
たとえば、芭蕉の「松島やあゝ松島や松島や」という句についてわれわれが言えるのは、一つは、芭蕉は確かに松島の風景を眼前にしたとき、「理性や論理」では太刀打ちできないと、つまり「感性」に任せるしかないと悟っただろうということ、もう一つは、その時の感動を表現するには、ここは「松島やあゝ松島や松島や」と詠むしかないと「理性や論理」によって判断しただろうということの二点ではないでしょうか。
私は「和歌や俳句」における「感性と理性」の関係については以上のように考えていますが、もしかして、質問者さんは、下記の業平の「かきつばた」を読み込んだ歌のような例を「感性と理性の両方を表現し」たものとしてお考えだったのでしょうか。
唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
No.3
- 回答日時:
私は他でも書きましたが、俳句や和歌を言葉の時系列としての論理として捉えると、訳が解らなくなってしまいます。
あんな短い言葉の中で、そんな論理は表現しきれる物でもなく、それを無理に表現しようとすると理屈っぽくなってしまいます。わたしが生まれて初めて作った俳句は、確か小学校の4年生のときだったと思いますが、学校で俳句を作るように言われて作った作品を今で覚えています。水泳に行けば涼しくなるだろう
なんともはや、やたらに理屈っぽい句ですね。
私は大分後になって、俳句や和歌は言葉の時系列で表現される論理ではなくて、言葉を使って描く一幅の絵だと思うようになりました。質問者さんもお判りだと思いますが、絵画には絵画特有の論理が存在します。それは、そこに描かれた絵の部分々々が収まる所に適切に収まっているかどうかという論理です。別な言い方をすると、その部分々々の間にどのような空間相関があるかと言う認識んで語られる論理です。(余談ですが、相関と言う概念で捉えると、それを数量化することも出来ます。)
事実、使える字数が極端に少なくなって来ると、物と物との関係を占める動詞などの用言を出来るだけ落して、名詞としての体言を羅列しざるを得なくなって来る。だから、俳句は本質的に絵画と同じで名詞の集合として描かれている場合が圧倒的に多い。一見動詞が入っているようでも、それは絵画の中に水の流れが描かれているような動詞の使い方です。
芭蕉翁ボチャンというと立ち止まり
じゃなかった、
古池や蛙飛び込む水の音
これも、時系列的な論理の流れと言うよりも、その事象を瞬時に凍らせて描いた絵画と見ることも出来ますね。
収まるべきところに収まると言う意味を我々が認識していると言うことは、こうではなくてあれだという理性に基づいて判断する論理があるから出来ることです。だから、俳句も和歌も、空間相関を適切に表現して、相手にこちらの論理を伝えると言う意味で、大変理性的な行為だと思います。
だから、私が俳句や和歌が論理だと言うのは、絵画や彫刻や舞踏や武道の動きに論理が在るのと同じ意味で論理的だと言っているのです。けして、数学や記号論理学で表現されるような、時系列的に一次元的に並んだ記号の流れで表現される特殊な、論理の中でも極端に制限された論理のことを言っているのではありません。盆栽も論理であり華道も論理です。私は、盆栽は俳句であり、華道は和歌であると常々主張しております。
この相関にも基づく論理は、一次元的な流れ出はなく、何か螺旋を描くように進んでは戻り進んでは戻りつつ、全他として一方方向に流れて行くような、非線形性は大変高い論理です。そう言う意味では絵画ばかりでなく、一見時系列的に一次元的に音が並んでいると勘違いしがちな音楽も絵画と同じ範疇に入ります。絵画は空間的な相関の存在を楽しみ、音楽は他の時刻に起こった各事象の間の時間的相関を楽しむ芸術です。我々は音楽を聴きながら次に出て来る音が予想通りに出て来ても楽しみ、また予想が外れた時の驚きにも楽しむ。その予想は音と音の間の時間的相関の認識から生まれ来ています。同じように、俳句や和歌は人間の持っているそんな高度で非線形な理性を楽しむ芸術だと言いたいのです。
しかし、俳句や和歌にはそれに類する芸術の中で、大変特異な側面があるようです。日本人が見付け出したこの芸術を除くと、たぶん殆どの芸術では、その作品を作る人の数よりも、その作品を鑑賞する人の数の方が圧倒的に多い。しかし、俳句と和歌は、その反対なのですね。この芸術では、本人以外に誰も鑑賞しない作品の方がずっと多い。ですから、俳句や和歌は、他者の作品を鑑賞して理性的に楽しむと言う芸術ではなくて、主に、自分がその創造的な営みと言う理性的な行為に参加して楽しむ芸術だと言うことです。その行為が、日本人をしてどれだけ、創造的で合理的で理性的な民族にして来たか。
こんな、世界にも珍しい芸術を作り上げた日本人として生まれて来たことに、私は幸運さを感じております。事実、そういう特異な芸術の側面の深みに気が付き始めた他の文化圏の人達の間でも、少しづつその国の母国語で俳句を作ることが行われるようになって来ています。
No.2
- 回答日時:
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6834582.html
のNo.8、No.20でも記述しましたが、記述された「和歌や俳句」は言葉で表現されている故に、(理性・論理というより、知的な)論理性を内在しているのは当然のことでしょう。特に、5・7・5や5・7・5・7・7といった形式にて表現する段階で、すでに知的・論理的なわけです。
一方、感性は、詠み人(主体)ないし鑑賞者(主体)の「和歌や俳句」という表現を貫く(情という)方向性になるでしょう。主体から切り離したところにて「和歌や俳句」の感性を述べることは不可能(というより無意味)だということです。
そういった意味で、和歌や俳句は、詠み人(主体)の感性にて、鑑賞者(主体)の感性を慮り(おもんばかり)つつ、知性と理性を働かせて創作するものでしょうから、
>>>
和歌や俳句は感性と理性の両方を表現しうる
<<<
というより
>>>
和歌や俳句は(切り離されることのない主体の)感性と(論)理性の両方を含む
<<<
と言うべきでしょう。
のNo.8、No.20でも記述しましたが、記述された「和歌や俳句」は言葉で表現されている故に、(理性・論理というより、知的な)論理性を内在しているのは当然のことでしょう。特に、5・7・5や5・7・5・7・7といった形式にて表現する段階で、すでに知的・論理的なわけです。
一方、感性は、詠み人(主体)ないし鑑賞者(主体)の「和歌や俳句」という表現を貫く(情という)方向性になるでしょう。主体から切り離したところにて「和歌や俳句」の感性を述べることは不可能(というより無意味)だということです。
そういった意味で、和歌や俳句は、詠み人(主体)の感性にて、鑑賞者(主体)の感性を慮り(おもんばかり)つつ、知性と理性を働かせて創作するものでしょうから、
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和歌や俳句は感性と理性の両方を表現しうる
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というより
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和歌や俳句は(切り離されることのない主体の)感性と(論)理性の両方を含む
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と言うべきでしょう。
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