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近代の戦争はすべて「愛国心」にあったのでしょうか?宗教にしても民族にしてもその根底は「愛国心」がありますね。民族・国家・象徴・家庭・知人など全ては愛国心ですよね。自分個人ではありませんね。私は間違っているのでしょうか。
「個人・自分」と言うのは「些細」なことですか。自分を認識するときに「観念主義と実存主義」だと大学生のときに覚えましたが、現代においてその論法は無益な方法論ですか。
もし、思想的に無益な存在であっても「個人」を主張するのは時代遅れになるのですか。物事の基準を思うとき、愛国心は基準になるのですか。他を蹴落としても生き残ろうとする風潮は間違いですか。

A 回答 (3件)

難しい単語が並んでいるので、正直よくは分からないのですが。



個人主義の延長線上に愛国心を置くといいのではないでしょうか。まず、個々人が生きられなければ、愛国も何もありません。愛国心は、「目的」ではなく、個々人が生きるための「手段」でなければならないと思います。

カミュのペストを例示するのが正しいのかどうか分かりませんが、福島の原発事故のように、起きてしまえば、大勢の人が現実として逃れられない状況もあります。戦争において、人々の心に愛国心があった、というよりは、逃れられない時代の大きな波の中で、選択の余地が無かっただけではないか、と思います。

一般人はいざ知らず、戦争の裏では、巨大な日本の財閥の利益が優先されていました。(なぜ、中国へ進出(侵略?)したか、その理由は、明かです。)つまりは、一般国民は、愛国心の名の元に、蹴落とされた方であったかもしれません。

昨今のグローバル社会と言われる中で、企業がどんどん合併して大きくなっていく中、これから我々が生きていく上で、逃れることのできない状況というものが、再び発生するかもしれません。

目的は、人々の幸福であって、愛国心は、あくまで手段に過ぎないことを肝に命じるべきだと思います。
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戦争を始めた当初、それは国益を求めるがゆえでした。


考えても見てください、英米中のみならず世界各国が植民地を持っていた時代、資源の無い日本はその競争においても大きく負けていました。その結果、資源を求めて大陸に渡ったのです。
そしてマッカーサーをしても日本の戦争は国益を守るための要素があったとしています。
それを愛国心と言うかどうかはわかりませんけど、日本の国益を考えていたということです。

しかし終戦に当たっては愛国心はなかったと言わざるを得ないでしょう。
海軍が早急に終戦すべしという意思を発し、天皇も終戦に向けて動くべしとおっしゃったにも拘らず、陸軍はクーデターを以ってこれを阻止しようとした事は事実です。
つまり自分達が国民に対し、国のため、天皇のためと言いながら自らはその天皇に対し銃口を突きつけようとしたわけです。

靖国は明治維新の際の新政府軍兵士を主に祀っています。
では新政府軍は愛国心により戦ったのでしょうか?
日本の歴史教科書の多くは明治維新により近代国家が始まったとしています。
日本を開国したのは幕府です。
水戸家や薩摩長州は尊皇攘夷を訴えました。朝廷は鎖国派です。
攘夷とは夷敵つまり外国人をやっつけると言う意味です。
つまり、薩長は鎖国支持を訴え幕府軍と戦ったわけですし、京都制圧までは朝廷の許しも得ていません。
それまでの錦の御旗は偽物だったのです。
そして、戦争に勝った途端、尊皇攘夷から開国のヒーローだと主張し始めたわけです。
更に貴族を言いくるめて天皇を連れ出し、東京に拉致監禁したのです。
これが日本の愛国心だと言うなら、日本の愛国心は嘘の塊ではありませんか?

長州は関ヶ原以来の私怨によって戦っただけですし、薩摩は覇権争いだけが目的です。
特に政策など無いから当初は徳川の力を借りて国作りをしていました。
少なくとも日本の戦争の基盤には愛国心などありません。

他を蹴落としても生き残ろうとする風潮は正しいですか?
だとすれば、昨今の犯罪、気に喰わないから殺す、意に沿わないから傷つけると言うことにも理解を示せますか?
「個」は些細な事ではないし、全体の為に「個」を捨てる事も間違っています。
なぜなら、個を活かす為に社会があるのですから。
とはいえ、100%自己利益を得る事も間違っていますね。社会を維持するためには一定の自己犠牲が必要だからです。

米国人はよく愛国心を主張しますが、これもまた違うと思います。
愛国心と言う言葉を利用して自分達だけの利益を得ようとする。
それが普通の考えになってしまっている事は確かでしょうね。

ちなみに8月15日を終戦としているのは日本くらいなものらしいですよ。世界的には9月2日の降伏文書調印を以って終戦としているようです。
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この回答へのお礼

 私の素朴な質問に丁寧に答えていただいた方たちに感謝します。結論としては、実際のところ私にも良く解かりませんでした。しかし、全てに「二律背反の要素」を含んでいることはおぼろげに解かってきたように思います。背反する要素をどのように選択したか、歴史を作ってきたか。それに「一つの結論」を求めようとするのは傲慢なエゴかもしれないと思いました。情況は、歴史は揺れ動くものですね。何が「正しかったか」と考えるは僭越だと思いました。それでいいのでしょうね。

お礼日時:2011/09/02 04:48

愛国心と戦争は関係ありません。

そういうことにしておけば簡単に命を捨ててくれると思って煽り立てているだけです。
国を愛する、自分の生まれた土地を愛する、延長線上にはこの星、そこに生まれた全ての生命を愛するという思想が生まれる余地があります。そこに気付けば分離主義者の戯言に耳を貸す必要はありません。
個人を主張するのは、それができることは大変喜ばしいことです。決して手放すことのないように最大限の努力をしてください。自由というものが最初からあるものではなく、タダで手にいれたものではないこと、それを維持する為に多くの人々が不断の努力を続けていることに思いを馳せてください。そうすれば自ずと結論が見えてくることと思います。
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