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論文のため、堀田の本を読んでいます。しかし、どうしてもわからないところがあります。
ページ40「忘れることと忘れられないこと」の中に、「ホテルの玄関に下り立って、私はぎょっとした。ホテルの名は、錦江飯店……(省略)……上海人にとって、かつては、上海で日本憲兵隊についで第二に怖るところであった。人々は、この十四階建の建物を見上げて怖れおののいれいた。」
という内容ですが、どうして錦江飯店はそんなに恐ろしいですか?それを知るために錦江飯店の歴史と錦江飯店の創立者である董竹君の自伝を調べ、ただ上海陥落のあと、上海が恐ろしい、とこでも死体が見えるという点がわかりました。錦江飯店はどうして上海で日本憲兵隊についで第二に怖るところか、その怖さを説明する資料がありますか。そもそも、「かつては」はいつですか。
それを知っている方はいらっしゃいませんか。

A 回答 (2件)

侵略されて錦江飯店も接収され、日本陸軍第十三軍司令部が置かれました。

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この回答へのお礼

ああ、そうですか。なんかその答えが近いですね。すみませんが、何か本や資料などがありますか。具体的な内容がほしいです。書名とタイトルだけでいいのです。資料参考の部分にもそれが必要なので…ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/14 18:33

 錦江飯店の名称も董竹君の名も初めて聞いた者ですが、「錦江飯店 恐れ」をキーワードにして検索してみると、次のような記載のあるページがありました。



http://gd.shwalker.com/sleaze/detail/5/6
以下、引用「

1900年に生をうけた董竹君。父は車引き、母は家政婦などで生計をたてる上海の貧しい家庭に育つ。結婚、離婚を経て、並々ならぬ決心で四川料理店「錦江川菜館」のオープンまでこぎつけた。きめ細やかなサービスとその料理の味は、1900年代前半、上海裏社会の3大ボスと恐れられた杜月笙、黄金榮、張嘯林らもひんぱんに足を運ぶほどで、たちまち上海中で評判の店となった。

時は移り、戦後の上海。市政府は中央の要人らが安心して泊まれるホテルと、その経営を任せられる優秀な人材を探していた。そこで、レストランの経営ぶりをかわれた董竹君に白羽の矢がたつ。1950年、上海市政府は、元は高級マンションだったビルに、彼女の四川料理店「錦江川菜館」を移して、その名前からホテル名を「錦江飯店」とし、総経理としたのだ。

」引用終わり

この記述からすると、戦前の「錦江川菜館」は上海の裏社会と強い関わりがあり、「安心して泊まれるホテル」ではなかったように思えますが、どうなんでしょう。

 役に立たない情報だとは思いますが、調査の一助になればと思い、回答します。

参考URL:http://gd.shwalker.com/sleaze/detail/5/6
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この回答へのお礼

これは文学の質問というより、歴史の質問ですね。ご回答いただけるだけで嬉しいです。もっと詳しい情報がほしいのですが、これで新しいキーワードが出ました。ですから、決して役に立たないわけではありません。本当にありがとうございます。

お礼日時:2011/09/13 19:28

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