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プロテスタント(改革派)信徒の夫と結婚して2年になります。昨年娘を授かりました。
このたび、娘が幼児洗礼を受けることになりました。その時に同時に私の洗礼もすることになりそれについて悩んでいます。
主人の実家は義父に彼の母方の祖父、叔父がプロテスタントの牧師家系です。主人自身は大学生の時に信仰告白をしました。私のほうは父方が浄土真宗の仏教ですが、実家が自営業で家に神だながありえびす信仰ではないですが、商売繁盛などのお札があって神棚を拝むような家でした。しかし、幼稚園はカトリックの幼稚園で七五三などは教会で子ども祝福式としてやったり・・・といろいろ混合した典型的日本人です。住んでいた場所も神社仏閣が多く、遊び場はお寺だったり神社だったり教会だったり・・・
そんな環境ですごしたため、八百万の神様だったり阿弥陀様だったりイエス様だったり見えないけどすべてに神様がいるという気持ちがあります。そういう感性を大切にしたいとおもっていました。
主人の実家は敬虔なクリスチャンホームではあるのですが、かなり柔軟な義母でクリスチャンホームの方々があまり行わないと言われる日本古来の行事(お食い初め、お雛祭り、七五三など)を行うことに否定的なことは言わないし、主人もライフイベントとして行うことに抵抗はないようです。(神社仏閣に行っても拝みはしないですが)
娘の幼児洗礼に合わせて私も洗礼を受ける予定だと先に述べましたが、主人は「娘のためにするものではないから、しなくても大丈夫だよ。」と言ってくれます。義実家にしても私の信仰に関してはなにも言いません。ただ、通っている教会からは無言のプレッシャーといいますか、遠まわしに言われまして、主人とずっと生きていくなら私もいつかは改宗しようと思っていたのでそれが少し早まったのだと思い、娘と一緒にしようと思い立ったのですが、勉強会の話になり思いが揺らいでいます。
結婚が決まってから今まで毎週日曜日(休むこともありましたが)礼拝にでています。子どものころはイエス様にお祈りをしてからご飯を食べるような幼稚園だったのでキリスト教に抵抗があるわけではないのです。
でも、上記に記載したとおり、私にとって八百万の神様もイエス様も同じなので、一神教であるキリスト教徒になるのはどうなのだろうか・・・・そういう思いが抜けません。
主人みたく神社仏閣に神様はいない!とは宣言できないのです。この気持ちがなくなってから洗礼をうけるのが筋なのではないか・・・・でないと、他の方々に失礼にあたるのではないか・・・・など色々と考え混んでしまっています。
やはり、まだ私は受けるべきではないでしょうか・・・・。これから物ごころがついていく娘にクリスチャンホームを守り教えていく母としてこのままでよいのでしょうか・・・・。(ちなみに主人と話、娘の宗教に関しては成人するときに自分で選ばせる予定ではあります。)
プロテスタント教徒の方、結婚を機にキリスト教徒になられた方などアドバイスを頂ければ幸いです。

頭の中がうまくまとまらず、読み難い文面や不快に感じる文面がございましたら申し訳ございません。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

参考になるかどうかは判りませんが・・


私はカトリックです。中学洗礼でした。聖歌隊に属し、中高と聖書を学び、大学時代も近くの教会で聖書の勉強をしました。
その頃の神父様は比較的広い心を持ち、亡くなった人を送るための葬儀なのだからどの宗派でも出て構わないと教わりましたし、誰を祝うのかを考えれば七五三だろうと何だろうとやってもいいとおっしゃっていました。
「神(本来キリスト教では父とか主とか創造主と呼ぶべきものです。本来の神の意味とは違います)というものは一つしかない。言語や考えが異なっていても私達が主と呼ぶものも他の宗教で神と呼ぶものも、その実態は同じものだ」とおっしゃっていたのです。

細かい事を書くと長くなってしまうので結論だけを申し上げれば
納得できなければ洗礼を受ける必要は無い・・そう思います。
それは人に失礼とか言うのではなく、自分自身の問題です。
揺れる心を洗礼によって固めるのも一つの手でしょう。しかしそれは悪くすると恐怖心による束縛にしかなりません。
洗礼を受けたんだからと疑問を解く事無く信じ込むことは自分にとっては大きなマイナスになります。
それなら洗礼を受けずに信仰を学んでいたほうが遥かに尊いと私は思うのです。

よく出される疑問ですが、「洗礼を受けて悪行を働き、告白によって許されたものと、洗礼を受けずに清浄な心を持ち、知らずの内にキリストの教えに即した人生を送ったものでは、どちらが天国に近いのだろう」
後者であれば洗礼の価値がなくなります。しかし前者であれば告白が免罪符となり、洗礼の価値がなくなるのです。
洗礼を受けるということは神の道を知ることです。むしろ神の道を知りながら悪行を行う事は知らずに犯す罪より重い。私はそう考えるのです。
洗礼者ヨハネの洗礼はそれまでの価値観や基準を180度替える為の洗礼です。許しを得るためのものではありません。
それほど大きな人生の転換を、「とりあえず受けましょう」とは言えませんよね。
だから私は幼児洗礼も否定します。実際私は子供達に洗礼を受けさせていません。
洗礼を受けるというのはそんな軽いものじゃないと思っているからです。

貴女は充分に信仰の道を進んでいると思いますよ。でも心が揺れているなら辞めておくべき事だと思います。
あと一歩踏み出せば、キリスト教の道を進める。そのときこそ洗礼を受けるときでしょう。
そして貴女の周りにはそれを教えてくれるご主人屋家族がちゃんと居ますから大丈夫だと思います。

私はカトリックですが妻の家は浄土真宗なんです。
義父の葬儀に先立ってお坊様と話をしていて、浄土真宗の考えは実に素晴しいと思いました。
日本の仏教は日本における人間の生き方を説いています。だから中国やインドの仏教徒は解釈が違って当たり前。
日本の風土に合った生き方を説いているんです。
その教えはキリスト教の中でも充分生かされるものだと私は思います。
それが見えてきてからでも、洗礼は充分に間に合うのではないでしょうか?
いつでも相談できる人がいる事は実に素晴らしい事です。だから家族に相談しながら自分を高めて行って下さい。
そして納得したら脇目もふらずに飛び込んで行って下さい。
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この回答へのお礼

michael-m様


回答ありがとうございます。
義母は宗教に関してはあまり強く言わない方なのですが幼児洗礼についてはことあるごとに言われていたので洗礼をうけなくては!うけさせなくては!という義務的な感じになっておりました。michael-m様の回答をみてそういう気持ちで受けるものではないなと恥ずかしくなりました。

>「神(本来キリスト教では父とか主とか創造主と呼ぶべきものです。本来の神の意味とは違います)というものは一つしかない。言語や考えが異なっていても私達が主と呼ぶものも他の宗教で神と呼ぶものも、その実態は同じものだ」
と神父様がお話しなされたこと、そういえば中学時代に地元のカトリック教会で同じようなお話しをされたことを思い出しました。義両親や主人は柔らかい考え方を持ってはいますが、カトリックの神父様のような考えは持てないようなのですが私はこのお言葉で少し光が差し込んだように感じました。
(産後鬱気味ですぐに暗く考え混んでしまいがちだったので・・・)

もう少し、信仰や聖書を学び、それから答えを出せるように主人ともう一度話し合ってみたいと思います。
暖かいお言葉、ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/28 00:19

洗礼を受ける際には、牧師から信仰の確認があるかと思いますが、あなたが、これに迷いなく「はい」と答えれるなら、洗礼を受けてもよろしいかと思います。


しかし、今のあなたには迷いがあるようなので、そのことを牧師さんにも相談し、このたびムリ洗礼する必要はないかと思います。
クリスチャンホームはあなたが守るものでもないし、御主人が守るものでも、また導くものでもありません。
洗礼を受けていなくても、主ならどうされるであろうか、主はこの選択を喜ばれるだろうかを考え、良い選択が出来るように皆で祈り、お互いのことを祈りあい、主に導いてもらうものです。なので、あなたが気負う必要はなく、すべてを主に委ねればいいわけです。

なので、洗礼を希望する気持ちがあるのであれば
「主よ、私に迷うことなくあなたを想う気持ちを与えてくださり、あたなが一番良いとされる時に洗礼を受ける決心をさせてくださいますようにお願いいたします。」
と、祈ることです。(別にこの通りでなくてもいいですが…)


御主人の信仰する姿、娘さんの信仰する姿を見て、感じて、あなたにも迷うことなく主を想う心が湧いてくることをお祈りいたします。
アーメン
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この回答へのお礼

datchi417様

回答ありがとうございます。

>クリスチャンホームはあなたが守るものでもないし、御主人が守るものでも、また導くものでもありません。

結婚前に通っていた教会(主人が独身時代に籍を置いていた教会)の牧師様と婚礼の勉強会をした際にクリスチャンホームを守っていなかなくてはならないと教えられ、また今通う教会の牧師様からもそのような内容が含まれる育児書的なものを頂いたのでそうでなくてはいけないのだと思い込んでいました。
すべては主の導きであり、私はそれに委ねるべきなのですね。

今の私にはまだ、牧師様の前で「はい」と宣言できる自信がないのが実情だとコチラに書き込み、改めて実感しました。

洗礼を希望する気持ちはもってはいるので、焦らず真に信仰を望めるときに洗礼を受けれるように主人ともう一度話し合ってみたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/28 00:09

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