
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
おはようございます。
No2の回答者です。
仰る通り、読経をされないのならリンは必要ないものです。
しかし、お仏壇を購入されると心得として短いお経くらいは読んでみたいという気持ちになられる方が多いと思うのです。
浄土真宗なら正信偈、他宗なら般若心経でしょうか・・・。
おつとめをするときにリンを探すというのもどうかと思います。
お仏壇にセットとして飾られている仏具になっているように思います。
リンが無いと全体の形がしっくりとこないということかもしれません。
僧侶で言うと、数珠を持っていない僧侶という感じでしょうか・・・。
一般の人でもおつとめをされる方は多いので、リンは必要なのでしょう。
また、おつとめの時にも普段から片付けてあると、出すのを忘れてしまうということも考えられます。
以上の事から目につくところにセットしてしまっておくということがよろしいかと思います。
他にも音の出る物として、寺の鐘楼の鐘は時刻を知らせるためとして普段は鳴らします。
喚鐘は準備を促したり、お参りを知らせるために鳴らします。
僧侶が座る時に中啓という扇子のようなものを畳の上に落とします。
落とした時のパチャンという音が、座りますという合図なのです。
木魚や音木(拍子木)は多人数で読経をする時に読んでいるところを知らせています。
ですから鳴らす場所が決まっているのです。
音の出る仏具は合図としての役割なのです。
これを心得ておかれると間違いはなくすむのではないでしょうか。
また元に戻りますが、御年配の方などからお仏壇にお参りする時にリンを鳴らさないとお参りした気になれないという事も言われたことがあります。
短いおつとめを憶えてくださいと申し上げましたが、間違ったまま過ごされると間違ったことが正しいと思うようになってしまいます。
この様な時には柔軟に対応することも多々あります。
何度もご丁寧に有り難うございます。
木魚も鳴らす場所が決まっているのですね。
あれはお坊さんがリズムと取るのに
利用しているものだとばかり思ってました。
No.2
- 回答日時:
こんばんは。
リンは鳴らしません。
合掌のみです。
ドラマなんかでリンを鳴らしているシーンがありますが、あれは間違いです。
リンは自分以外の人に読経の始まりとスピードを知らせる物です。
お経の読み終わりのリンは終わりの合図です。
推測ですが、神道の手を打ち鳴らす作法と同じに考えておられる人が多いのではないでしょうか。
今からお参りをするという合図として・・・。
あくまでも合図ですから仏様に対してではなく、他の僧侶なり、参拝者に対しての合図です。
一人の時でも、読経の時には作法としてリンは鳴らします。
仏様はこちらを見ておられますので、仏様に対しての合図は必要ないのです。
何度もご回答有り難うございます。
多分、何も考えてないと思います。
鳴らした方が音が響いて
身が引き締まるという感じではないでしょうか。
家に来る親戚のおじさんも皆、鳴らしていきます。
だから鳴らすのが当然だとばかり思ってました。
ひょっとしてリンってなくてもいいのでしょうか。
間違うくらいなら最初から片付けておいた方がいいのかも。
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