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古い歌で恐縮です。
橋幸夫さんの歌で、木曽ぶし三度笠というのがあって、2番の歌詞に

>木曽の桟 太田の渡津 越えて鵜沼が 発ち憎い

というのがあります。「木曽のかけはし」や、「太田の渡し」はわかるのですが、
「越えて鵜沼が 発ち憎い(たちにくい)」
これはどういうことなのかわかりません。
何かいわれのあることなのか、掛け言葉なのか。

ご存知の方がおられたら回答よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

 前回の回答で時代の設定を間違えていました。

江戸時代であればこの歌詞の意味が異なりますので、歴史を調べ直してみました。

 鵜沼宿での宿泊は帰る場合には岩場の峠を越さないと移動できないし、対岸の犬山へは渡し船もなく、橋もない。太田宿は渡し船でも移動でき、足止めされない事の恨み言で「難い」と「憎い」を皮肉る意味での掛け言葉になります。中山道はこの様な場所が多いので、鉄道の建設時に東海道でなく中山道での建設が優先されたのは有名な話です。
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 私の世代の曲の内容ではありませんが、犬山市の地理を知れば回答はできます。

「木曽の桟」は可児市から美濃加茂市に貫ける旧国道の太田橋を指しますし、「太田の渡し」は日本ライン下りを指します。御質問の「超えて鵜沼が発ち憎い」は名鉄の犬山遊園駅の前にある犬山橋を指しています。ここは木曽川でも交通便が多い個所で、以前は鉄道と車がバトルをする橋梁で有名でしたので、目の前にある各務原市にある国鉄鵜沼駅(現在はJR東海)には歩いては往き難い事を指しています。

 名鉄が木曽川を越して新鵜沼駅までは実際には1kmもありませんし、現在の様になるまでは名鉄側もJR側も移動は不便でした。犬山橋の接触事故は当たり前でしたので、鉄道橋と車道橋が分離されましたので、掛け言葉になったのだと思います。

この回答への補足

tetu758さんに回答頂いたのですが、この歌はタイトルに三度笠とあるように、江戸時代と思われる時期の股旅ものです。

中山道の険しさは「木曽の(かけはし)太田の渡し、碓氷峠がなくばいい」と表現するそうで、この歌ではこの言い回しからこれらの難所を挙げているものと思われます。
ですので、難所を越えてきてから、なぜ「鵜沼がたちにくい」のか、何かこのような言い回しがあるのかなと思った次第です。

著作権もあるでしょうから、ここで歌詞のすべてを記入できません。「木曽ぶし三度笠」で検索されるか、ユーチューブで歌を聴いてみて下さい。

補足日時:2011/10/06 19:51
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
補足で書きますが、私の思うところとは異なるようです。

お礼日時:2011/10/06 19:36

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