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茨城や千葉、東京などでも「土壌汚染が」と問題視されていますが、
東海村臨界事故の時の実際の被害はどれ程のものだったのでしょうか?
作業員が被爆で死んでしまったりする程だった事から、福島の原発並みに
放射能が撒き散らされたかと思うのですが、当時は全然騒いでなかったような気がします
あのJOCの周辺の土壌や廃棄物は、どのように処分?どこへ行ったのでしょう?
どこかにトラックで運んで山積みとか、どこかに平地として適当な原野や、
廃棄された田畑に被せられたのではと想像してしまいます。
千葉県柏市の土壌で余りにもよそとは違いすぎる高濃度の汚染で、
地表よりも30cmも地中の方が濃度が高かった事から、あの時の汚染土壌が
適当に廃棄されたのがそこだったのではと・・・

当時の対応を御存知の方いらっしゃいましたら、是非お教え願います。
よろしくお願い致します。

A 回答 (4件)

規模が違いすぎます。


バケツで作業中の事故です。
バケツで混ぜる程度の量とあの巨大な原子炉3基と比較しようもない。

ただ核物質の臨界による強力な放射線を直接浴びた作業員は、悲惨な最期でした。
確か大内様というお名前と思いますが、東大病院で、被ばくにより細胞の再生ができず、
体の組織が再生されず、
皮膚もはがれドロドロに溶けだし、大量の輸血が繰り返されたにもかかわらず、
これといった治療法もないまま、死を迎えるまで生かされ続けました。
皮肉なことに脳細胞・神経細胞は破壊されずに生き続けるため、最後の最後まで激痛に苦しみ、
死ぬことさえ許されず、死する望みを最後まで叶えてもらわれずにお亡くなりになりました。
彼の放射線被ばくによる地獄の苦しみは、生かされず、国土に原爆168発分のセシウムをぶち撒き散らし、
多くの国民を今後数十年にわたり、被ばくの危険に晒すこととなりました。
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JCOと今回で全く違うのは、核分裂したウラン235の量です。



福島第一 核分裂したウラン235は約5トン(約3年にわたって)で、洩れた放射能(死の灰)は5%程度なので、実質的には200kg相当

JCOで消費したウラン235は、20mg(1日くらい)程度。仮に死の灰を撒き散らしたとしても千万分の一。隣近所では影響はでるかもしれないが、全国レベルでみたら0に等しい。

JCOの場合には、作業中に臨界になって作業員が2人、即死に近かったからインパクトが大きかった。本当の放射線の恐さはこれです。彼らは、1瞬にして、10シーベルトくらい浴びました。福島市の線量の1000年分を一瞬(1秒もない)で浴びたのです。

近所の住民で障害を訴える人が出るのもわからんではないが、一番被曝したと思われる住田先生はいたって元気。彼は禿げだが、これは昔から。JCO事故の影響ではないですね。

私としては、福島よりもJCOの方がインパクトは大きい。
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2011年6月29日増刊号のFridayにJCO事故により、東海村原子力施設近くの住民:故大泉昭一(82)さんと云う方が被曝された記事がご本人の被曝障害症状の写真と共に載っています。



その内容によれば、
大泉さんは事故が起きた99年9月30日当時、JCOから120mほど離れた工場で妻の恵子さん(71)仕事をしていて、被曝。 事故直後消防署と村役場の指示により3kmほど離れた自宅に帰りJCOの事故内容を知る。 また、それまでJCOが放射能漏れなど危険な作業をしていたことを知らなかった。

その夜7時ごろ、大泉さん夫婦は東海村役場の職員から連絡を受け、避難場所に指定されたコミュニティーセンターへ向かいそこで被曝量の検査を受けたが、簡易測定器で数十秒ほどしらべられただけで、「問題ない」と判断。 恵子さんの身体に偏重が現れたのは、自宅に戻って寝ていた翌日未明。 激しい腹痛や下痢、着替えるのが億劫なほどのだるさで、食欲もなく、事故前50kgあった体重も1ヶ月で40kgを切り、昭一さんと工場に行くと胸が張り裂けそうな動機を感じ、仕事に出ることもできなくなり、気持ちはふさぎ込むばかりで、うつ状態になり、自殺未遂を2度も起こした。
昭一さんも事故から1か月ほどして、体調を崩し、皮膚のかぶれと水ぶくれの痛みで夜も眠れなくなり、医師から10種類以上の薬を処方されても殆ど効果がなく、身体中に赤い斑点が現れ、毛細血管が浮き上がり、皮膚はどんどんひび割れ、 ボロボロになって行き、掛かり付けの医師は『被曝によるものかもしれない』と話してはいたが、診断書は書いてくれなかった。

大泉さん夫婦は2002年9月30日にJCOと住友金属を相手取り、役5760万円の損害賠償を求める訴訟を起こす。 だが最高裁は2010年5月13日に「被曝と体調悪化の因果関係は認められない」とし、大泉さんの請求を棄却した。
「夫は昨年10月13日に、脳梗塞で倒れました。 敗訴が決まってからも、広島や東京などで公演を続け、疲れが溜まっていたんだと思います。 最後は悲惨な状態でした。 顔から口の中まで皮膚が剝げ、剥げ落ちた皮膚で喉を詰まらせていたんです。 夫は最後まで、『俺の目の黒いうちは事故を風化させない』と話していました。 私も身体の動くかぎりは、夫の遺志を継いで原発の危険性をうったえていきたい」


大泉昭一さんの死去のニュース
http://mytown.asahi.com/areanews/ibaraki/TKY2011 …
こんな判決は許せない! JCO臨界事故健康被害裁判
http://homepage3.nifty.com/ksueda/jcokenkou.html

この回答への補足

回答ありがとうございます。

こんな事例もあるんですね。精神的不安からといった事もあるかも知れませんが、
今回の事故の調査と共に、東海村の定期調査も国には行って頂きたいですね。
政党も変わってる事ですし(笑)あの時の国の報告書を民主党が再調査すれば、
何か隠蔽していた事があるかもしれませんね。

ありがとうございました。

補足日時:2011/10/26 21:18
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放射性物質はまき散らされていません。


環境にまき散らされた放射性物質ではなく、隔離された施設内の放射性物質が臨界に達して強い放射線を出したことが問題で、事故の形態が全く違います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

事故の形態が違うんですね。難しくてよく解りませんがありがとうございました。

私の記憶では周辺の検査や調査をした報道が殆ど皆無であったと記憶しています。
放射性物質の被害が無かったと報告されているホームヘページ等を
もし御存知でしたらお教え下さい。よろしくお願い致します。

お礼日時:2011/10/26 21:12

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