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震災後あなたの生活はどのように変化していきましたか?
震災から1日後、3日から1週間、10日から1ヶ月、3ヶ月後、半年後、できるだけ詳しくお願いします。
私は今静岡に住んでいて東海地震がとても気がかりです。みなさんの貴重な経験を教えてください。たくさんの回答待っています。

A 回答 (2件)

現在静岡に住んでいる大学生です。

震災時は宮城の気仙沼にすんでいました。乱文になります。記憶違い等ある気もします。

当日は避難所の中学校で2000人以上の人と寝泊まり。暖房はなし。家から持ち合わせた毛布一枚を何人かで使いました。食べ物は乾パンやせんべいなどを一枚をみんなで分けて食べた。
避難所の運営は、役場の人、地元消防団などが中心となっていた気がする。

翌日から数日間、物資が届くまでの間は、被害のちいさかかった地域からおにぎりなどが届けられそれで生活。また、地元の農協や、被災したスーパーに残っていた食べ物を回収し食べていました。
役場の人に加え、学生が中心に動いた。

2日から3日たち、避難所に物資が届くようになってからは、みんなで炊き出しをし、1日2食体制でおにぎり、おつゆ、おかずのあるご飯を食べていました。灯油なども手に入りストーブを使うこともできました。また、発電機等で最低限の灯りを確保できました。

一週間後くらいに携帯が使えるようになり、また、地域の被災の少ない場所ではライフラインが復旧していました。避難所も自衛隊、米軍、ボランティア団体など多くの支援で衣、食、薬などが充実していたように思います。食事は最低限のものでしたが3食確保できており、水も確保できるようになっていました。
避難所のかってが分かっている役場の人、学生、地域住民とともに、自衛隊、ボランティアの方で避難所運営。


2週間たった頃には私のいた避難所は700人程度となっており、その他の人は家や親戚のところで生活できるようになっていました。浸水していない殆どの地域では電気が復旧していました。ガソリンなども手に入る状況だったと思います。

家に電気が通ったところで私は進学のため地元を離れたので、このあたりまでしか詳しくはわかりません。

一年たった現在では、浸水した地域でも店などができているところもあります。しかし、まだまだ傷跡が残る風景ばかりです。家が残っており、仕事もある人は一応震災前のような生活ができてはいますが、仮設に住んでいる方もたくさんいます。
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阪神淡路大震災


当時30代のサラリーマン男性です。

震度7地域に住んでいましたが家族に大きな怪我はありませんでした。

震災当日は「なんだか大変なことになったな。会社に行けるかな」という感じ。
翌日からは両親を連れて避難(会社の保養所)
1週間程度、そこから通勤するも、時間がかかりすぎる為、自宅に戻る。
ここまで気が張ってるので、かなりハイテンションでした。
水汲み、カセットコンロで湯沸し、洗面、簡単な朝食、着替えて仮設駅から通勤と、とても忙しいので気が張った状況で過ごします。
夜間など余震があればドキッとして目覚めることがあります。寝ていても神経が警戒している感じでしょうか。
電気の復旧が早かったこと、水は近所に給水車が来てくれたこと、元々キャンプ生活慣れしてたので不便さに文句言わず生活してました。
結局、都市ガスが復旧するまで3ヶ月かかたので風呂が一番困りましたが。

2ヶ月から3ヶ月目は事務手続きに追われます。半壊全壊認定や補助金、免税手続き、保険請求の資料などちょうど確定申告の時期だったので大量の書類作成が必要でした。
この頃、会社や皆さんからの義援金支給があり大変助かりました。

一部の被災者の中に、一部損壊の認定や地震でずれた境界線の確定など不満が出始める頃です。
地震直後の「お互い様」「助かってよかったね」「あの人が亡くなった」など共感していた時期から、利己主義が出てくる頃だと思います。(実際、やむを得ない感情だと思います)

そしてこの頃、ちょっとウツ傾向になりました。日中、会社や近所の人と接している間は普通(に見える)ですが、夜一人になると悲しくて仕方ありません。人と会いたくなくなります。
モノ・金という損失以上に、故郷全体が破壊されてしまった悲しみや、一瞬のうちに多くの人が亡くなった事などを延々と考えてました。
私は家族や仕事を失わずに済んだので、なんとか気を取り直すことができましたが、もし身近な方が亡くなったらと思うと堪らないですよね。
長くなりましたが、17年経った今でも記憶が薄れることはありません。
今でもドアがバタンと閉まったりすると、ドキッと飛び上がり周りから笑われます。

喪失感というのか、自分の町が破壊されてしまった事にこれほどショックを受けるとは思いませんでした。自分の物では無いのに、橋が落ちてるとか、あのビルが傾いてるとか、小学校の時通ったお菓子屋さんが潰れたとか、一つ一つに喪失感を感じました。

最後に、東北大震災の被災者の皆さんへお見舞い申し上げます。必ず復活すると信じています。
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