推しミネラルウォーターはありますか?

中学生 「何で本は読まなきゃいけなくて、漫画はダメなの?」 「そもそも漫画と本の違いって?」

「何で本は読まなきゃいけなくて、漫画はダメなの」「そもそも漫画と本の違いって」-? 十三歳の中学生が本紙に寄せた投書が、反響を呼んでいる。六十歳の男性が「本は思考力を養う」と読書を勧めると、四十七歳女性が「思考力は本でも漫画でも養われる」と反論。古くて新しいこの論争、漫画や本の世界に携わる人たちはどう考える? (岩岡千景)

投書は、東京都港区の中学生須藤美佳さん(13)から。漫画を読んでいると母親から
「本をいっぱい読みなさい」と言われるといい、抱いた疑問をつづった文が、二月六日の
発言欄に載った。

これに、静岡県熱海市の会社員小磯清さん(60)は「大きな違いは絵がないこと」
「絵がなければ、情景を頭の中で描きながら読む。それこそが思考力」と読書を勧める。
すると東京都武蔵野市の自由業、田中ヒサコさん(47)が「漫画も思考力を養う」と
意見を返し、発言欄で反響が続いた。

漫画と活字の本、それぞれの分野で活躍する識者は、この論争をどうとらえるか。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/ …

改めて考えてみると本当に本は良くてマンガはダメなのかな?
皆はどう思うかな?

A 回答 (18件中1~10件)

NO17さん



すいません。
自分なりに考えてみましたが、多くの矛盾があり、うまく整理できていません。

小説やマンガを虚構としたとしても、小説やマンガ自体にも歴史があり、それは事実に他なりません。

自分の中で、嘘はなぜだめなのか?嘘の中に小説やマンガが含まれるのか?と問うても答えが出ません。

言霊や偶像崇拝の禁止など宗教的な事も考えてみましたが、うまく説明は出来ないです。

子供の落書きや勉強・テストだって間違える事前提の文字ばかりですしね。

自分の中ではマンガ・小説・絵画・音楽は等価で、芸術という分野だと思います。
が、自分の人生に芸術はそれほど必要ではない、と判断しています。

マンガと小説どちらがよい?と言うのは、絵画と詩を比べているようなものだと思います。
小説支持派は、「絵画では想像力が養われない。詩は想像力が養われる。」とでも言うのでしょうか?

 
    • good
    • 0

No.7ですが、No.16さんの意見を読んで思ったことです(質問に対する回答とは少しズレます、申し訳ありません…)




事実の書いてあるものに重きを置くとすれば、たとえば
100人にその文章を読ませても、100人とも全く同じ理解(場面の想像など)が出来るくらいの文章力の持ち主しか文章を書いてはいけない、
となってしまいませんか?

事実のどれだけ正確に伝わる文章が書けているかは、同じくその事実を目の当たりにした人にしか判断できず、
書物などによってその内容を読むだけの人が事実を正確に汲み取れる書は、
研究結果などを数値で表したもの(まさにこれこそが「記録」されたものと呼べるでしょう)くらいしか無いのではないかと思います

そう考えると、事実をより正確に伝えるためには視覚情報も有効で、それは漫画の方が適切ということになります
(音声付き動画の方が更に適切でしょうけど、、、)


そして、No.17さんのいう「嘘」を芸術作品として鑑賞したりすることすら意味はないのでしょうか?(「記録」モノに対して「執筆」モノとでも呼ぶべきでしょうか)
事実として認識されていない仮説や、まだこの世に存在しないアイディアなどが無ければ、新しいものは一切作り出されないと思うのですが、
そんな中途半端な段階で文章に著してしまう行為も無しでしょうか?
事実の書いてある週刊誌やスポーツ新聞と、嘘の書いてある賞をとった文学作品や世界的にも高い評価を得た漫画と、お子様に読んでほしいものはどちらでしょうか?(週刊誌やスポーツ新聞の関係者様方申し訳ありません、、、)


語彙力をはじめとした文章力が乏しくて申し訳ありませんが、結構気になってしまったので思わず書き込んでしまいました…
    • good
    • 0

「何で本は読まなきゃいけなくて、漫画はダメなの?」は質問があいまいです。



ここでは、「一般小説」とジャンプなどに代表される「娯楽マンガ」で回答してみたいと思います。

想像力がなんとか、そういった議論ははっきり言ってナンセンス。
本をいっぱい読め、という人は、現代の娯楽マンガを読んでいない世代だと思います。
なので、両方を公正に比較する事が出来ていない。

極論を言わせてもらえば本もマンガも所詮娯楽の嘘の内容。あまり読む意味がない。
源氏物語の作者である紫式部は「架空の内容(←源氏物語のこと)を書いた罪」により地獄に落とされた、とも言われています。

ちょっと脱線しますが、自分は、文字に記録するならば事実しか書いてはいけないのではないか?という、ちょっと宗教じみた事を思っています。文字の記録は大変便利な半面、容易に改ざんされて、後世に誤った情報が伝わってしまいます。ましてや小説が後世にどのような形で伝わるかを考えると嫌な気持ちになります。
例えば、宮本武蔵・坂本龍馬なんかは小説の内容が限りなく事実に近いような形で流布しているのが許せません。
コーランなんかは一字一句改ざんされる事なく伝わった稀有な存在です。それに比べて聖書はオリジナルと現存聖書はかなりの違いがあるように考えられています。
脱線しました。

自分は、子供に対して
事実の書いてある本・マンガはいっぱい読んで、
小説や娯楽マンガはあまり読まないで、
と言っています。
※とは言え子供は小説も娯楽マンガも大好きで、暇さえあればよんでるという。。。。

自分自身は、小説・娯楽マンガを断ちました。
※新聞・実用書・ビジネス雑誌などは積極的に読んでいます。

なんかとりとめのない文になりましたが、自分の結論は

小説や娯楽マンガを読むのは、テレビで映画を見るのと同程度の娯楽でしかない。
実用書・マンガによる実用書などは知識となるため積極的に読むべき。
    • good
    • 0

私はこの論争って、


「野球とサッカー、どちらが面白い競技か?」
というのと同じレベルの問題だと思います。

上の質問の場合、これって、どっちも「スポーツ」と呼ばれるものであることは間違いありません。どちらも、「人気がある」ことも間違いないでしょう。「球技」ということも似ています。
しかし、共通点と言えば、その程度で、その他はルールも歴史も、何もかも全くの別物です。それを比較しても仕方がない、という風に思います。
それは、「文章のみの本」と「マンガ」でも同じことが言えると思います。


例えば、想像力、なんていう言葉。
なるほど、確かに絵のないものの方が、物事の縛りがなく、自由に想像が出来る、ということは出来るでしょう。
しかし、全く姿も形も知らないものだったら? 表現能力に乏しい著者の本だったら?
むしろ、全く想像もつかない、という状態だって想定されます。
例えば、化学について全くの素人である私が、化学などの専門書を開いて、「○○元素の分子構造がどうのこうの」といわれても、具体的にどういうものなのか全く頭に浮かんできません。
表現力に乏しい著者の文章にしても同様です(こういうとき、念頭に置かれるのが表現力が豊かな著者の本とされることが多いのですが、世にあふれる書籍の中には、表現力に乏しい著者が書いた書だって山のようにあるのですから、そういうものを都合よく忘れるのはフェアとはいえません)
それに対して、マンガの場合、とりあえず絵などが巧くなくても、全く何が描かれているのかわからない、ということはあまりありません。そうすると、そちらの方が想像力を働かせやすい、ということもあるでしょう。

それから、「どういう方向の想像力なのか」にもよります。
文章だけの本の場合、例えば、主人公の心情などというのは言葉によってのみ描かれます。
例えば、「小太りの中年男性」なんていう表現があったとき、頭に思い浮かべるのはどういう人物でしょうか?
書籍の場合は、絵がないので、様々なパターンが考えられます。芸能人、家族や親戚、隣近所などの身近な人、マンガなどのキャラクター……など、色々と分かれることでしょう。一方、マンガの場合、絵であれば、大体のイメージは統一されます。その意味で、こういう人ではないか、という想像力の範囲は限定されます。

しかし、文章の場合、主人公の心情などは言葉で表現されることになります。
そうすると、ある行動をしたことについて、その感情などを吐露しながら描かれることになります。
一方、マンガの場合、絵で表現するので、その絵をどう解釈するのか、ということについての自由度があります。
心情表現を一切せず、難しい顔をして何かをした、というような場合、それは怒りなのか、哀しみなのか、そのほかなのか……自由に解釈できるでしょう。絵による表現というのは、そういうことも可能です。
そう考えると、どちらが想像力を発揮しているのか、というのはわかりません。



紙の束の形で売られることが多い、という意味では共通していますが、それ以外はまったく違うものですから、それのどちらが優れ、どちらが劣る、というのはナンセンスな議論でしかないと思います。


その上で言うなら、「マンガはダメで、本は良い」というのは、思考停止した老人の偏見であると考えています。
昔からある、時代についていけない老人の愚痴の範囲にしかなっていないからです。
既に出ていますが、昔は「本を読むなんて……」といわれていました。
今、都知事として偉そうな顔をしている石原慎太郎など、PTAなどから目の仇にされていた有害図書作家の代表格です。今はマンガを読む不良はいても、小説を読む不良はいない、みたいな意見がありましたが、石原の時代、石原の小説に出てくる犯罪者に憧れている不良は山のようにいました。
それ以前の日本の伝統文化だって似たようなものです。歌舞伎だって、元々は、風俗嬢がやっていた見世物みたいなものです。時代を経たことで洗練された、というのはありますが、だとすれば、マンガにしても、元が子供向け、低レベルだったとしても、それを元にダメと表現することは出来ないはずです。現在を見なければならないわけですから。
    • good
    • 0

「思考力を養う」なんて、中途半端な言葉を使うから、突っ込みが入るのでしょう。



「想像力を養う」と言った方が納得しやすいのではないかと思います。
想像力はすなわち文章を理解する力だとも言えます。

仮に、ある小説や物語を元に書かれた漫画があったとして、
情報量としては、絵がある分だけ、多いのだと思います。

しかし、絵が書いてあるので、場面を想像する事が不要です。
想像する力を発揮するチャンスを奪われてしまいます。
弊害として、漫画で見た場面しか頭に描くことができなくなり、
自分なりの発想がしにくくなります。

何人かの人が同じ小説を読んでも、思い浮かべる状況は、人それぞれです。
しかし、漫画をよんだら、みんな同じになるのです。
ある意味、個性を奪う事になるかもしれません。

漫画が悪いとは言いませんが、小説などを読んで想像力を養った方が良いと思います。
単に情報入手として読むのだったら、漫画の方が理解しやすいかもしれませんね。
    • good
    • 0

人がものを考える時は言葉で考えます。



漫画よりも書物のほうが、言葉がはるかに多いです。

また、言葉は、微妙な違いでたくさんの類似語がありますし、概念的な抽象的な言葉もたくさんあります。
それらの違いをたくみに読み解く能力、使う能力は、脳の発達を促します。

つまり、本のほうが、頭を良く使うので、頭が良くなるということです。

そして、脳を鍛えるのは若いうちが有利です。年齢が上がると、急速に能力が落ちます。

10代の性能がいいうちに本をよんでおくと、一生役に立つ脳になれます。

漫画は中年以降でも充分間に合います。
    • good
    • 0

「マンガ本も文章だけの本も変わらないというなら、なぜマンガを読みたいの? 変わらないならマンガ禁止で文章だけの本読んでもいいじゃない」



 自分だったらこう聞き返したいですね。そうすれば相手の方が一生懸命自分自身にとっての違いを考えてくれるでしょう。
    • good
    • 0

僕は今もそうですが、常時図書館で本を借りているので、


小説はよく読みますが、マンガも写楽堂でよく買う。
マンガにはマンガのいいところも多く、バカにはできない。
ゴルゴ13なんか世界情勢がよくわかる。
    • good
    • 0

人間は言葉を獲得したことで知性と歴史文化を一挙に獲得したのです。


本を読むということは、その人間の中の言語能力を効率的に発達させるということです。人間は言語を高度に扱う技術を育てて、考える知性、思想の発明、他人と精緻にコミュニケートする技能を自身の中で高度に作り上げていくのです。

もちろん他人と話し合うだけでも、TVのお笑い番組や、トーク番組を視聴するだ毛でもそういった能力を獲得することはできますが、たいていは一定のレベルで頭打ちになると思います。
基本的に絵画(を言語とする)芸術であるマンガも同様で、言語能力を高めることに役立つことはないとはいえなくも、読書本よりもその効果は少ない思います。

>本は良くてマンガはダメなのかな?

上記の意味なら理解できます。
    • good
    • 0

 私は漫画も表現方法の一つで良いと思いますが、文章から想像する楽しみが失われがちです。


 文章で出来た作品を漫画にすると、その漫画のイメージのままになりますからね。

 それと漫画は直接すぎるのでインパクトも大きい、作品によっては問題になるからね。特に性の表現はね。

 で、問題なのは映画やドラマなどの映像は良いのか?となりますからね。漫画が悪いというのも偏見だと思いますね。

 私や我が子も含めて両方楽しんでいますよ。本の読み聞かせも楽しいです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!