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「頭ならびに腹」の頭と腹とはどんな意味をもっているのか、皆さんの考えをおしえていただけないでしょうか。

一人の紳士(頭)についていった乗客たちの(腹)ことをさしていて
特別な人(紳士)についていくさまのことをいいたいのでしょうか。。。

よくわからないので皆さん回答お願いできますか??
よろしくお願いいたします。

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A 回答 (3件)

こういう質問をする場合はその文章を引用しないとどうにもならないと思いますが。



ええーと
横光利一の「頭ならびに腹」ですよね?
http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2158_ …
「そのとき、彼らの中に全身の感覚を張り詰めさせて今迄の様子を眺めてゐた肥大な一人の紳士が混つてゐた。彼の腹は巨万の富と一世の自信とを抱蔵してゐるかのごとく素晴らしく大きく前に突き出てゐて、一条の金の鎖が腹の下から祭壇の幢幡のやうに光つてゐた。」

これを実際に読んでいるならどっちが腹なのかわかると思いますが…。
頭の方は2種類あるように私は読みました。

横光利一なので、頭も腹も即物的に人間の腹や頭そのものから受ける感覚・感じをここで扱っているのでは。
まあ象徴的な意味もかかっているようでもありますが、象徴的な表現だと解釈していてはおもしろさがもうひとつでは。
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どういう文脈で使われているのか情報が少なすぎてわかりませんが、


質問者様の書かれている範囲で判断するなら、

頭=社会のリーダー、腹=一般大衆

頭は知識階級、腹は労働者階級にあたるのではないでしょうか。
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前後がないと質問者様がお読みになったものの文意はわかりませんが


「知性と感情」「理性と欲望」「理論と現実」等の暗喩として「頭と腹」は使えるでしょうね。
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まず「二人の若い紳士」が、決して好意的に描かれていないことが挙げられます。「白熊のやうな犬」どもが死んでも、いくらの損失だと言いあうし、なにごとにつけ金銭でかたがつくくらいにしか考えない手あいです。

これを森が報復するお話だと受け取れば、一種の勧善懲悪劇です。「紙くづのやうになった二人の顔」がもとにもどらないというのは、最近はやりの言葉でいえばトラウマってことになるでしょう。

なんだか、つまんないですね。

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けれども、長ずるにしたがって、なにも森は山奥にだけあるのではない、都会にも社会にも、いたるところにあるものだということが分ってまいりました。

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まず「二人の若い紳士」が、決して好意的に描かれていないことが挙げられます。「白熊のやうな犬」どもが死んでも、いくらの損失だと言いあうし、なにごとにつけ金銭でかたがつくくらいにしか考えない手あいです。

これを森が報復するお話だと受け取れば、一種の勧善懲悪劇です。「紙くづのやうになった二人の顔」がもとにもどらないというのは、最近はやりの言葉でいえばトラウマってことになるでしょう。

なんだか、つまんないですね。

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Q「押絵と旅する男」の入れ子構造について

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とてもとても主体的に作品を読んでいらっしゃいますね。
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さて「解釈」というのは、見たり聞いたりしたものに対する説明で、自分の心をフル稼働して言葉にしたものを、他人に「どうだ」と聞いてもらうこと。
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・・・という考え方を私は持っておりまして、
早速質問コーナーに入らせてください。(笑

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 これは非常におもしろいところに気づかれたな~と思いました。
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とてもとても主体的に作品を読んでいらっしゃいますね。
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この方はなんてしっかりしているんだろう、と大変頼もしい印象を受けました。
さて「解釈」というのは、見たり聞いたりしたものに対する説明で、自分の心をフル稼働して言葉にしたものを、他人に「どうだ」と聞いてもらうこと。
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とあるお店で働いております。
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2.承りました。

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