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僕は様々なジャンルの音楽を聴いて、作ります。

以前は歌詞は英語で作っていましたが発音が悪い点、たまに文法を間違えて作ってしまう点、ボーカロイドに歌わせたい、といった理由で日本語で書いてみようと思って何度か試してみました。
とても難しいです。いつも友達に「お前の日本語の歌詞は臭い」と指摘されます。

何所が一体臭いのか、余りわからないのです。

で、歌詞の書き方にはコツとか僕に適した理論の教本とか読むべき小説はあるのでしょうか?
あるのならば是非教えてください。




最後に書いた歌詞を載せます(とても恥ずかしいし自信が無いですが)。もし、指摘等あったら教えていただけたらうれしいです。。。因みにmewちゃんというボーカロイドに歌わせる予定です。
失礼致します。


「Home」


果て、朽ちる事さえ知らない 
温もりを求めて 森で彷徨う
そこで少年は 知ってしまう
焚き木を燃やし 温もりを紛らわせ
いずれ少年は 痛みを叫ぶだろう

喜びとか 悲しさとか 嬉しさとか
綺麗な花を愛しむ少年は 何故汚れていくのか 汚されていくのか
知ってしまうから 命の果敢無さを
可憐な花は枯れていく

寂しさとか 切なさとか
関係ないとか 言い聞かせても
少年はやがて あの愛しさを
思い出して あの場所へ 
帰りたくなる 帰りたくなる・・・

帰ろうか 帰ろうか
あの場所へ 帰ろうか
一緒に 帰ろうか...

A 回答 (3件)

私も最近気付いたんですが、


「いずれ少年は~~だろう」
的な、神の視点に立ったような(?)言葉を選ぶとクサくなりがちな気がします。

リスナーが歌い手に対して「お前何者やねん」的な感情を抱いてしまうというか、
身の丈に合っていないというか…
歌い手が神のような存在なら問題はないかもですが。

ただし、これはNo.1の方がおっしゃる「自分の言葉ではない」という状態の
具体的な一例に過ぎないと思います。


ただし、あえてそういう世界を作りたいのであれば
そういう言葉が似合うようになるのも手かもしれません。
「似合わないスーツも研究すれば着こなせるようになる」みたいな感じもありえるかも?

個人的には『世の中「等身大」な歌ばっかりでつまらないなぁ』とも感じています。。。
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あなたの詞を勝手に弄ってごめんなさい。


ただ、「選んだ言葉が悪いんじゃない。」と、思って並べ直して見た。
悪くない気がする。並べ直しただけだから文字数は適当だけど
後半の( )内は、「果て、朽ちる事さえ知らない」を生かすために
ちょっと提案してみました。
個人的には、分かり易さが大事だと思っています。

一番、
帰ろうか 帰ろうか
温もりを求めて 森で彷徨う
寂しさとか 切なさとか
焚き木を燃やし 温もりを紛らわせ

そこで少年は 知ってしまう

綺麗な花を愛しむ少年は 何故汚れていくのか
綺麗な花を愛しむ少年は 汚されていくのか

知ってしまうから 命の果敢無さを
可憐な花は枯れていく

二番、
帰ろうか 帰ろうか
関係ないとか 言い聞かせても
喜びとか 嬉しさとか
少年はやがて あの愛しさを

思い出して あの場所へ

綺麗な花を愛しむ少年は 何故汚れていくのか
綺麗な花を愛しむ少年は 汚されていくのか

知ってしまうから 命の果敢無さを(知ってしまうから 命の愛しさを)
可憐な花は枯れていく(可憐な花は咲くときに)

果て、朽ちる事さえ知らない

綺麗な花を愛しむ少年は 何故汚れていくのか
綺麗な花を愛しむ少年は 汚されていくのか

あの場所へ 帰ろうか
一緒に 帰ろうか
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この回答へのお礼

有り難うございます。これを参考にやって作ってみます。
本当にありがとうございました泣

お礼日時:2012/06/30 06:02

まず根本的な話からになります。


表現物というのは、例えば音楽であれば「音楽というのは大体こういうもんだろう」という勝手な枠組みを作ってしまったり、大衆に媚びて自分に無い引き出しを即席で引っ張り出してきてはいけない、ということが言えると思います。そんなことをしても、「100人中、誰も文句は言えないもの」にはなったとしても、結局「でも誰の心にも響かないもの」になってしまうのです。
逆に、本当にそれが「自分の求めているものであり、自分の表現である」と思えるなら、例えそれが地に足のつかないようなものであっても、マニアックなものであっても、大衆的なものであっても、既存の作品の影響を強く受けたものであっても、ちゃんと誰かの心には響くと思います。「100人いたら100人に受ける作品」ではないにしてもです。
・・・せっかく何かを表現するのですから、大事なのはそういうことなのだと思います。「こういうものを作れば、なんとなくそれっぽくなるだろう」ではなく。


で、以上の話を踏まえて頂きたいのですが。

whereismymindさんは「果て、朽ちる事さえ知らない」という表現を普段からよく使いますか? あるいは、誰かがそんな表現を使っていたとして、何を言わんとしているのかすぐさまピンと来ますか?
勿論、表現物というのは、意味が全て直接的に受け手に伝わることが大事ではないですが、問題なのは、それが「本人がちゃんと理解して消化して、あえて選んでいる表現」には見えないせいか「白々しさを感じてしまう」ということなのだと思います。
whereismymindさんは、その歌を聴いた人に感じて欲しいことがありますか? もしそうだとしたら、その詩で最大限に効果的に伝わると思いますか?(勿論「伝わりにくくても、ここはこうでなきゃならない」と思えるなら、それも1つの表現です。それがただの詩ではなく歌曲ともなると、言葉の意味以上に、言葉の響きや音楽との兼ね合いも大事になってきたりしますからね。)

それから、「森」「可憐な花」「少年」「愛しむ」「命の果敢無さ」とか・・・whereismymindさんは普段からそんなことばかり考えていますか? あるいは周りがそういった世界で包まれているのでしょうか? それなら良いのですが、やはりどこか「歌詞用」に即席で引っ張り出してきたものに見えてしまったのも確かです。

・・・そういったところ(自分の本来の居場所)を意識して今後製作してみてはいかがでしょう。
whereismymindさんが普段から本当に「求めている」「信じている」「目の当たりにしている」世界がそこにあるなら、友達もそこまで「くさい」という印象は受けないかもしれません。

以上ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご返事有り難うございます。お礼の仕方がわからなかったので返事が遅れてしまいました。すいません。。。
果て、朽ちる事さえ知らない

この言葉は確かに僕は話し言葉では使わないのでその通りだと思います。

この歌詞は僕について歌った曲です。

それを表現するのがちょっと恥ずかしくて三人称の視点で書いてみました。
それが「臭い」の原因かもしれませんね。。。

ちょっと検討し直してみます。有り難うございました。僕に他に何か質問等あれば指摘してくださいね!!

お礼日時:2012/06/30 06:09

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