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少し前、僕の仕事場でケンカがあり、それに関与した人は
全員クビになった。

その中の1人は、殴ってきたので反射的に殴り返したようで
あるが、「どんな理由があっても暴力はいけない」という事で
会社をクビになった。

僕は、それなりの理由さえあれば、暴力はおろか殺人でも
良いと思っています。
もちろん、良い、というのは許されるという事ではないので、
法を犯せばそれなりの制裁を受けるという事はいうまでも
ありませんが。

昔読んだ東野圭吾さんの小説で「さまよう刃」というのがあります。
自分の娘を若者たちに陵辱され、あげくに殺されたため、
復讐をするというものですが、少年法に護られた若者に制裁を
与えるのは復讐しかない。という現代の問題点を小説にしたものです。

これは映画化もされていたので、これを観たほとんどの人は
その復讐を心の中で応援していたのではないでしょうか。

このように復讐(殺人)さえも、場合により良い、とされることが
あると思いますが、どんな理由があっても、これだけはしては
いけない。ということはありますか?

A 回答 (17件中1~10件)

>「どんな理由があっても、これだけはしてはいけない。

ということはありますか?」

「理不尽」ということでしょうか。
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人間には、状況に合わせて選択する力があります。


宗教などによる「してはいけない事」という価値観は、自由に選択していく人間の力を邪魔するもんだと自分は考えます。
自殺も殺人も、(考えにくいかもしれないけど)それで喜ぶ人とか自分が楽になるとか、対象の社会的価値とか
色々天秤にかけて判断すれば、それが自分なりの答えになります。
犯罪になる行為の場合は、牢屋にぶち込まれるかもしれないリスクも加味すべきでしょう。

例を挙げるなら、殺人でも「殺さなきゃ殺される」時には殺っちゃっていいと思います。
法律でも「正当防衛」ってありますし。
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どんな理由があってもしてはいけない事はあるのか?



○ありますよ。五逆の大罪ですね。これはやらんほうがいいですね。

五逆の罪とは、 1)父殺しの罪2)母殺しの罪3)阿羅漢殺しの罪(神仏の修行をしている僧侶や神父などを殺すこと) 4)和合僧破壊の罪(和合している僧団の秩序を破壊し混乱させること) 5)仏陀を傷つける罪
ですね。普通の生活では3)から5)は関係ないでしょうから、1)及び2)ですね。
1)父殺しの罪2)母殺しの罪 ですね。
つまり何があっても自身のご両親だけは殺してはいけないのですね。
まあそれ以外は大した罪ではないということですね。
最近は、お金のために親を殺す事例も散見されるようになりましたが法律上の罪がどうあれ、大罪ですから厳しい未来が待っているということですね。
3)については立派な指導者を暗殺した人物に適用されるのですね。例えば、ガンジーや伊藤博文などは政治の世界の阿羅漢にあたる人物ですね。暗殺者にもお咎めないものと結果的に五逆の大罪を犯すものと、いろいろあるのですね。
国家の英雄が阿鼻叫喚地獄ではどうしようもないですね。
ということで、一般人は特に、1,2,3は犯さないように心がけないといけないということですね。
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法規は社会的契約であり、それに従わないという事は、


それに従わずに充たされる部分と、それによる刑罰の
苦痛との比較であり、決して「契約は破ってはいけない」
というものではありません。
だからといって、「破っても“良い”=罰則の否定」という
事にはなりません。
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>どんな理由があっても暴力はいけない



体罰禁止っていっていますね。
社会的にはそう決められていますが、なくなりませんね。ひとによっては意見が分かれているのでしょう。

殺人は法律で禁止されているというか、最低の刑があります。どんな理由があっても無罪にはなりません(執行猶予にはなるのかも)。
でも国家による死刑はまだ残っています。こういうふうに現世の決まりでもあいまいなところはあります。

>どんな理由があっても、これだけはしては
いけない。ということはありますか?

ないということだと思います。

もちろん、考え方、思想により、そうではない(ひとを殺すのはいけない)と思っている人もいるのは事実です。絶対 とは人間の心が叫ぶことでしょう。
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難しい問題ですね。



>少年法に護られた若者に制裁を
与えるのは復讐しかない。という現代の問題点を小説にしたものです。

少年法があるから自白した若者ならば、冤罪の可能性はほぼゼロで私刑も理論的には可と思ったのですが
私刑を認めていいとなると、自白する少年はいなくなりますから
冤罪の可能性というのは高まり、私刑を認めるリスクは高まる。
正直に言っても罰せられるだけですから
結局、裁判における少年犯罪の社会的コストが増えるだけですね。
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No.4です。



確かに仇討ちってのがありましたね。参考になります。

仇討ちってのは、藩か幕府が許可をして行うものですから
裁くのとは別の刑の執行を個人が行うことですね。

逆に言えば、江戸時代においても裁くという判断は個人にさせなかったといえます。
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日本が戦争に負けた後


昭和28年ごろまでにGHQによって整理変革されていった
日本の旧来の伝統や慣習に根ざした慣習法などの中の一つに
仇討ち
があります
社会の変化と共に 又は社会を変革する為に
新たに付け加えられた事柄や なくなっていった考え方や慣習法が数多くありました
仇討ちは 旧来の法や律令制度の名残として 又武士階級の制度維持の為に必要だったのですが
それがなんと 昭和の時代にでも存在していたと言う事実が恐ろしい事だと
今に思えば 感じる事実です
社会と共に又社会の在り様の変化から 多くの大切な何かがこの国からは消えていきました
貴方の御意見は 何故人を殺してはいけないのか???
という 根源的な質問に回答を与える事と良く似た質問です
貴方の御質問に対する私の回答は
それはあると言えばあるが ないといえばない
これに尽きるのではないでしょうか
但し この回答は誰が出している回答なのかが問われる事となるでしょう
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「自分の娘を若者たちに陵辱され、あげくに殺された」


これじゃないですか? この犯人らがどんな理由を用意しても、それはしてはならないことでしょう。だからこそ質問者さんも復讐にかなりの程度は賛成しているわけでしょうし。どんな理由があれば、この娘を陵辱したうえで殺害してもよいという意見に賛成できるでしょう。私には思いつきません。
殺人は場合によってはむしろするべきだと思いますよ。私にとってそれは復讐ではなく安楽死とかですね。
殺人という広い概念で考えるなら、してもよい殺人やするべき殺人はあるでしょうが、だからといってあらゆる殺人が場合によってはしてもよい行為になるわけではないでしょう。
例に挙がった復讐に賛成する人が多いとすれば、娘はなにも陵辱され殺されるほど悪いことはしなかったのに、少年は彼女を殺したからでしょう。ここでは、無辜の人間を殺してはならないという前提があるように思います。そして少年は無辜の人間を苦しめて殺したので、無辜の人間ではありません。安楽死では無辜の人間を殺しますが、治療の見込みがないことや患者の同意があるので、この前提の例外だと言えます。
殺人という一般的カテゴリーに含まれる個別の殺人には、場合によって倫理的に正当化されます。質問者さんは、ある一般的カテゴリーxがあり、そのxに含まれるすべての行為がしてはならない行為であるような何かがあるのかどうかを問うているように思います。私は、そんなカテゴリーはないと思います。しかし、だからといってしてはならないことがないとは考えません。それはまさに、質問者さんが挙げた殺人の例をしてもよい殺人だとはとても考えにくいからです。かりに娘が殺されなくて、拷問されたりレイプされたりしただけであっても、それがしてもよかった行為だとは思いません。もしこのようなカテゴリーxを知りたいなら、僭越ながらそれは不毛な試みだと言います。しかしそこから、してはならない行為はないと考えるのは短絡だとも思います。一般的な概念ではなく、個別の事態に目を向けるなら、それはしてもよい行為だと是認できない行為はけっこうあると思います。だから、質問者さんの友人が解雇された理由「どんな理由があっても暴力はいけない」には私も違和感を覚えますが、同時に質問者さんの質問にも違和感を覚えます。
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お礼率0%って。

。。
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