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少し前、僕の仕事場でケンカがあり、それに関与した人は
全員クビになった。

その中の1人は、殴ってきたので反射的に殴り返したようで
あるが、「どんな理由があっても暴力はいけない」という事で
会社をクビになった。

僕は、それなりの理由さえあれば、暴力はおろか殺人でも
良いと思っています。
もちろん、良い、というのは許されるという事ではないので、
法を犯せばそれなりの制裁を受けるという事はいうまでも
ありませんが。

昔読んだ東野圭吾さんの小説で「さまよう刃」というのがあります。
自分の娘を若者たちに陵辱され、あげくに殺されたため、
復讐をするというものですが、少年法に護られた若者に制裁を
与えるのは復讐しかない。という現代の問題点を小説にしたものです。

これは映画化もされていたので、これを観たほとんどの人は
その復讐を心の中で応援していたのではないでしょうか。

このように復讐(殺人)さえも、場合により良い、とされることが
あると思いますが、どんな理由があっても、これだけはしては
いけない。ということはありますか?

A 回答 (17件中1~10件)

世の中に絶対は無い、なんて良く言われています。



「100%はない」なんて、ありきたりな考え方ですが実際そうだと思います。


世の中は、”ほぼ”の総意で決められ動いているのだと思いますよ。
だから、事実100%でなくても、それは見かけの100%になるということなのではないでしょうか。

「実際はどんな理由があっても人を殺していけないわけでは無いけど、
絶対に人を殺してはいけない、と教えられ決められている」ということなのだと思います。

だから、事実としては
「どんな理由があってもしてはいけないこと」などというものは
存在しないと思います。
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「殴ったら殴り返した」は自決するかもしれない。

だが、「殺したら殺し返した」は殺された他の身内が殺し合うスパイラルの陥ることをどう考える?君の意見は、我慢・損をする誰かが現れればいいだけの話だよね。
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それと、映画は「悪い」を受け入れているからだよ。

それで罪にならなければ、する意味は半減すると応援している者は考えているんだ。正しい・良い・過半数支持はすべて意味が違うからね。
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>その中の1人は、殴ってきたので反射的に殴り返したようで


あるが、「どんな理由があっても暴力はいけない」という事で
会社をクビになった。

どの暴力が正当なのか証拠がなく面倒で判断できないので
一律クビというのが実情だと思います。

それとは別に、個人の内面で、相手が手を伸ばしたことを殴られると
勘違いする場合も考えられます。

してはいけないことが個人の内面の精神活動に依存して決定されることは
極めて不安定といえるでしょう。

>自分の娘を若者たちに陵辱され、あげくに殺されたため、
復讐をするというものですが、

冤罪の可能性もあるわけです。
個人の早とちりで私刑をした場合どうするのか?

>このように復讐(殺人)さえも、場合により良い、とされることが
あると思いますが

その前提に、正しい判断に基づくというのが暗黙的にあるわけです。
別の表現をすれば、個人に私刑と判断する高度な能力があるのかというわけです。

現状の刑法システムに問題はあっても、それが個人が私刑をしてもいいことにはならないわけです。
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「さまよう刃」のような殺人は有罪になるでしょうが、人情的に許される場合があると思います。

減刑を求める声が上がることも有り得るでしょう。

正当防衛が許されるように、外敵の侵略をくい止めるための自衛は許されるでしょう。しかしその場合でも、米軍が日本の民間人に対して使用したナパーム弾や、原爆などが「どんな理由があろうとも…」に該当すると思います。
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無関係な人を傷つけることだと信じています。



さまよう刃はぼくも読みました。
あんな少年、殺されて当然です。
ぜんぜんいいと思います。

でも、国のために無関係な人を犠牲にする。
大のために小を犠牲にするっていう発想はキライです。
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>どんな理由があっても、これだけはしてはいけない。

ということはありますか?

いいえ。
哲学としては、その様なものは有りません。

社会生活は、哲学だけでは成り立ちませんので、その時代その時代の人々が決めた(選択した)「遣って良いこと」「やっていけないこと」を守る必要があります。
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お礼率0%って。

。。
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「自分の娘を若者たちに陵辱され、あげくに殺された」


これじゃないですか? この犯人らがどんな理由を用意しても、それはしてはならないことでしょう。だからこそ質問者さんも復讐にかなりの程度は賛成しているわけでしょうし。どんな理由があれば、この娘を陵辱したうえで殺害してもよいという意見に賛成できるでしょう。私には思いつきません。
殺人は場合によってはむしろするべきだと思いますよ。私にとってそれは復讐ではなく安楽死とかですね。
殺人という広い概念で考えるなら、してもよい殺人やするべき殺人はあるでしょうが、だからといってあらゆる殺人が場合によってはしてもよい行為になるわけではないでしょう。
例に挙がった復讐に賛成する人が多いとすれば、娘はなにも陵辱され殺されるほど悪いことはしなかったのに、少年は彼女を殺したからでしょう。ここでは、無辜の人間を殺してはならないという前提があるように思います。そして少年は無辜の人間を苦しめて殺したので、無辜の人間ではありません。安楽死では無辜の人間を殺しますが、治療の見込みがないことや患者の同意があるので、この前提の例外だと言えます。
殺人という一般的カテゴリーに含まれる個別の殺人には、場合によって倫理的に正当化されます。質問者さんは、ある一般的カテゴリーxがあり、そのxに含まれるすべての行為がしてはならない行為であるような何かがあるのかどうかを問うているように思います。私は、そんなカテゴリーはないと思います。しかし、だからといってしてはならないことがないとは考えません。それはまさに、質問者さんが挙げた殺人の例をしてもよい殺人だとはとても考えにくいからです。かりに娘が殺されなくて、拷問されたりレイプされたりしただけであっても、それがしてもよかった行為だとは思いません。もしこのようなカテゴリーxを知りたいなら、僭越ながらそれは不毛な試みだと言います。しかしそこから、してはならない行為はないと考えるのは短絡だとも思います。一般的な概念ではなく、個別の事態に目を向けるなら、それはしてもよい行為だと是認できない行為はけっこうあると思います。だから、質問者さんの友人が解雇された理由「どんな理由があっても暴力はいけない」には私も違和感を覚えますが、同時に質問者さんの質問にも違和感を覚えます。
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日本が戦争に負けた後


昭和28年ごろまでにGHQによって整理変革されていった
日本の旧来の伝統や慣習に根ざした慣習法などの中の一つに
仇討ち
があります
社会の変化と共に 又は社会を変革する為に
新たに付け加えられた事柄や なくなっていった考え方や慣習法が数多くありました
仇討ちは 旧来の法や律令制度の名残として 又武士階級の制度維持の為に必要だったのですが
それがなんと 昭和の時代にでも存在していたと言う事実が恐ろしい事だと
今に思えば 感じる事実です
社会と共に又社会の在り様の変化から 多くの大切な何かがこの国からは消えていきました
貴方の御意見は 何故人を殺してはいけないのか???
という 根源的な質問に回答を与える事と良く似た質問です
貴方の御質問に対する私の回答は
それはあると言えばあるが ないといえばない
これに尽きるのではないでしょうか
但し この回答は誰が出している回答なのかが問われる事となるでしょう
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