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人の命の価値は同じものであり、天涯孤独な人も、子だくさんな人も価値は同じだと言われます。
例えば、これから将来のある子供と 病院で安らかに死を待っているような患者でも、命の価値としては同じだそうです。「人間の命は地球よりも重たい」と、昔、福田首相が言っていました。それに、子供に将来があるかも、わかりません。大地震がおきれば、全滅してしまう可能性もあります。
でも、実際は 価値は全く違うのかもしれません。生まれてから死ぬまで平等なのかもしれませんが、安らかに死を待ってる人でもどんな人生過程を踏んできたのか、功績を残したか。そういうのを総合的に見れば貴方の言う通り建前上は価値が同じだとしても世の中は全く違うように捉えているかもしれません。
自分は誰からも愛されず、家でひっそりと死に怯えながら上を向いて寝てるのを想像すると涙が出て、こんな俺なんか生きてる価値がないとさえ思うことがあります。
平等であっても価値が同じとは限らないと思うのが自分の考えです。
大量殺人犯と生まれたばかりの子供では全くが価値が違うようにも思えます。
みなさんは 人の命の価値についてどう思いますか?
No.18ベストアンサー
- 回答日時:
死刑についてとのご質問
まず、「死刑」とは刑罰の一つであり、刑罰は社会的な手法の一つだということです。
法律のことは良く知りませんが、刑罰は被害者のためにあるのではなく、社会秩序のための抑止としてあるのだと、以前、法学部の友人から聞いたことがございます(正確なところは知りません)。そうであるのならば、刑罰が目的なのではありません。社会的な都合によって、基準は作られ、強制力を持つ「警察」や「裁判」などによって組織的に執行されているようです。
刑罰は、社会的な状況によっても変化し、思想、文化、宗教などによっても変わってくるようです。その社会において、該当する刑罰に相当するような犯罪を犯さなければ、その刑罰を受けない。犯罪を犯さないようにということ、そうして社会を安定させようとしているということでしょうか。
昔、日本では、(安土桃山時代を考えましても)犯罪かどうかではなく、「戦」と称する奪い合いの都合で殺し合いも、勝手に罰することも、当然のように行われていました。同じ日本の中でも大きく変わってきたようです。
人の感情も加味しなければならないのかもしれませんが、社会の秩序のために、どのように刑罰を考えていくのか。それによって「死刑」なるものも有効にも、逆に廃止ともなるのではないでしょうか。冤罪の問題もあり、では死刑でなければ許されるのかというような問題もあり、人が人を裁くことも、法を作ることも、人間が考え工夫して行っているということで、それを超えません。
注意しなければならないのは、歴史的には、権力者によって法は作られ、利用されてきたということです。今の日本、たてまえでは権力者は「日本国民」となっているようです。
私一人の価値観で安易に答えられる問題ではないということです。ただ、課題の中心にあるのは「どうしたら私たち国民にとって生活し易い良い社会になるのか」ということです。国際的な問題もありそうです。
No.22
- 回答日時:
No.21です。
「gouzigさんの「死刑が嫌なら最初から犯罪を犯すな」を裏返せば そうなりますね。ですから、「死刑が嫌でも嫌でなくとも最初から犯罪を犯すな」と言うべきでは?」
→Вишняさん、そんな負けず嫌い言い方はやめましょう。
そんな屁理屈では、いろんな人に嫌われるのは当然です。
「>その例に従えば、殺人犯には社会のため、国のためという理由があるのですか? 殺人犯とは呼ばないけど、戦争中の兵士なんかは それに近いんじゃないですか?」
→殺人犯と戦争中の兵士を同じに例えてはいけませんよ。次元が違います。
Вишняさん、もう屁理屈だけになってしまっていますよ。
大人気ないです。
何かを知りたい、多くの人と意見交換したい、という謙虚さがなくなれば、どんどん孤独になってしまいます。
何度もありがとうございます。
>Вишняさん、そんな負けず嫌い言い方はやめましょう。
私は gouzigさんと勝負しているつもりはないんですが、負けず嫌いは むしろ gouzigさんの方では?
他人の指摘を「屁理屈だ」と誤魔化して 逃げずに、もう少し謙虚に考え直されたらどうでしょうか?
>Вишняさん、もう屁理屈だけになってしまっていますよ。
いや、これは gouzigさんの”感性”が貧弱なのではないでしょうか?
「責任」とか「迷惑」とか大きな事を言っても、話の筋が通っておりません。
gouzigさんも 大人げないです。それでは gouzigさんも 色んな人に嫌われますよ。
No.21
- 回答日時:
No.20です。
「>何故ならば、死刑が嫌なら最初から犯罪を犯すな、ということです。では、死刑になってもかまわなければ 殺人を犯してもいいということですか?」
→私が思っているのではなく、 殺人を犯す人間がそのように考えている場合もあるでしょうね。
「>つまり、日常生活においても他人に迷惑をかけてはいけないという原点です。 しかし、セールスマンなんかはどう解釈しますか? 本人は会社の為に熱心に活動しても それは往々にして他人に迷惑をかけることになります」
→Вишняさん、その例には無理がありますよ。
その例に従えば、殺人犯には社会のため、国のためという理由があるのですか?
何度もありがとうございます。
>→私が思っているのではなく、 殺人を犯す人間がそのように考えている場合もあるでしょうね。
gouzigさんの「死刑が嫌なら最初から犯罪を犯すな」を裏返せば そうなりますね。ですから、「死刑が嫌でも嫌でなくとも最初から犯罪を犯すな」と言うべきでは?
>その例に従えば、殺人犯には社会のため、国のためという理由があるのですか?
殺人犯とは呼ばないけど、戦争中の兵士なんかは それに近いんじゃないですか?
No.20
- 回答日時:
No.19です。
「gouzigさんの”感性”で捉えたら、答えはどうなりますか?」
→私の”感性”で捉えると、人を殺してはいけないという点に帰結しません。
何故ならば、死刑が嫌なら最初から犯罪を犯すな、ということです。
つまり、日常生活においても他人に迷惑をかけてはいけないという原点です。
これが、生まれ育った環境で出来てきた考えです。
何事においても、他人に迷惑をかければ、その報いは当然受けなければいけません。
そうでなければ、健全で安全な人間社会は維持できませんね。
何度もありがとうございます。
>何故ならば、死刑が嫌なら最初から犯罪を犯すな、ということです。
では、死刑になってもかまわなければ 殺人を犯してもいいということですか?
>つまり、日常生活においても他人に迷惑をかけてはいけないという原点です。
しかし、セールスマンなんかはどう解釈しますか? 本人は会社の為に熱心に活動しても それは往々にして
他人に迷惑をかけることになります。
No.19
- 回答日時:
No.15です。
「しかし、考えてみれば「責任をとる」とは何なのでしょうかね?」
→それは理屈で考えることと、感性で考えることの二つがあります。
Вишняは従来から理屈だけで考えています。
そして感性は生まれ育った環境の中で育まれるものです。
下記の例も、Вишняは理屈だけで考えています。
「殺人以前の問題で考えたいと思います。例えば、飲酒運転で相手に怪我を負わせて 車椅子の生活を余儀なくさせた場合です。この場合の責任とは ただ刑事罰を受けるだけではなく、相手への損害賠償もあるかと思います。
それでは、今度は飲酒運転で死亡事故を起こした場合です。この場合、相手に車椅子の生活を余儀なくさせるよりも、刑事罰は重くなります。しかし、死刑にはなりません。それでは、警察に自首する前に 首を吊って自殺したら 責任をとったことになるでしょうか?」
感性で捉えると、その答えは違ってきます。
再度ありがとうございます。
>下記の例も、Вишняは理屈だけで考えています。
理屈と言うより、知人の身内にそういう例があったので、素朴な疑問を提起してみました。
>感性で捉えると、その答えは違ってきます。
gouzigさんの”感性”で捉えたら、答えはどうなりますか?
No.16
- 回答日時:
自分は死刑賛成派です
根本的なことを言うと人は人の命を奪ってよいと考えています
なぜなら人の命の在り方にその根拠があります
私は人間という生き物の存在を肯定します
人間は植物などと違って他の生物を殺すことで生存しています
人間の存在を認める以上、命を奪うことも同様に認められるべきだと考えます
そして人間と他の生物の間に命の区別はないですから
他の生物の命を奪うのと同じように人の命だって奪ってよいと考えます
故に命を奪うという行為そのものに罪はないです
そしてこの考え方は特異なものではないとも考えています
人の手によって成される殺人は死刑と正当防衛による殺人と単なる殺人があります
この内、死刑と正当防衛に関しては殺人を犯しても罪に問われません
人を殺すに足りる正当な理由があり、それが社会的に認められているからです
もし仮に殺人という行為そのものを罪だとするならば
どちらの場合も罪を問わなければいけないです
つまり罪になるかどうかは人を殺すという行為そのものではなく
行為に付随するもので判断されるわけです
そう理解すると殺人という行為そのものは罪ではないと分かります
No.15
- 回答日時:
No.8です。
Вишняさん、ネームを変えて再登録したようですね。
「人の命は無限ではありません。誰も死からは逃れられません」
→その通りですね。
「その前提で、殺人にしろ、死刑にしろ、人の生命を奪うことについて いかがお考えですか?」
→殺人にしろ、死刑にしろ、人の生命を奪うことについて、という言い方がおかしいと思います。
悪いことをしたら自ら責任をとる、ということです。
悪いことをして責任をとらなければ、人間社会のモラルハザードです。
その問題を語らずに、単に人の命を奪う、という点についてのみ意見交換するのでは何も生まれません。
再度ありがとうございます。
>悪いことをしたら自ら責任をとる、ということです。
しかし、考えてみれば「責任をとる」とは何なのでしょうかね?
殺人以前の問題で考えたいと思います。例えば、飲酒運転で相手に怪我を負わせて 車椅子の生活を余儀なくさせた場合です。この場合の責任とは ただ刑事罰を受けるだけではなく、相手への損害賠償もあるかと思います。
それでは、今度は飲酒運転で死亡事故を起こした場合です。この場合、相手に車椅子の生活を余儀なくさせるよりも、刑事罰は重くなります。しかし、死刑にはなりません。それでは、警察に自首する前に 首を吊って自殺したら 責任をとったことになるでしょうか?
No.13
- 回答日時:
人間の価値が同じなのかそれぞれ違うのかは、人知を超えた話。
人はいろいろな物差しで優劣をつけて人間の価値を測ろうとする。
例えば、「貨幣価値=人間の命の価値」という価値観。
死亡事件の賠償額は、被害者の年齢、性別、年収によって金額が異なります。この金額が大きいほど「価値がある」という物差しの測り方。
例えば、「愛された数=人間の命の価値」
誰かが言っていたが、人間の価値とは「葬式で泣いてくれた人の数の多さ」と言っていました。
例えば、「自分にとって大切な人=人間の命の価値」
誰しも、見ず知らずの人の命より、肉親や親しい人の命の方が価値があるでしょう。
これらの例は、人の命の価値を測る物差しの例です。
これら、これ以外のあらゆる物差しで人は、人の命を測って価値の優劣をつけているが、それは人間の価値観に基づく事であって、「人の命の価値」ではなく、「人間にとっての人の命の価値」なのです。
人間の価値観で測ったものが、真理の上での「人間の価値」となるとはかぎらないしなるかもしれない。よくわからない。よくわからないのだから何とも言えない話です。ただそのよくわからない事のはずが何故か答えを知っている分野があります。それが宗教です。
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