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人は死んだら終わり、という価値観を持っています。
一番大切な祖母を病気で亡くしてからは益々その思いが強くなりました。
そのせいで日々の生きる活力が湧きません。
頑張ってもどうせ死んだら終わりだと。
人は5日死ぬからこそ生きている間に精一杯やるんだ、というような文章も見かけますが、それだって結局死んだら無になります。(宗教は信じてません)
自分が死んだ後に残ったものが〜というのも同じで、死んで残る物なんか自分が死んだら自分は何一つ享受出来ません。
仮に妻子がいたとしても、死んだ後の自分にはもう関係ない事だと思います。

でも生きてる今はそれなりに人と仲良くしたいですが、こんな価値観なので当然ですが周りに人は寄って来ません。

このような価値観を変えるには、どのような考え方をしていったらいいのでしょうか。
生きている今に価値があると思えるようになるには、どのような考え方があるでしょうか。

スピリチュアル系や宗教系の話ではなく、現実的な事としてそれを実感したいです。

宜しくお願い致します。

A 回答 (6件)

5日→


何時か↗️

意味だけじゃなくて発音を取り違えてたら永遠楽しくないでしょう

人は死んだら亡くなった方の時間止まるだけ

生きてる方の時間は進んで行く
誰かの生きてる時間を邪魔しないよう生きてるなら
自分だけの時間を生きてるのだから価値ある自分だけの
時間じゃないですか
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たとえ「無」になったとしても必ずまた「有」になると思いますけどね。

「有」である今の影響を少なからず受けて次なる「有」に変わると思いますよ。
宗教的でしたかね。まぁ聞いてみてください。
科学的にこの世の中は「無」の状態からビッグバンが起きて今の宇宙が誕生してどんどん広がっています。
今は広がっていますがいずれ収縮するとされています。それはブラックホールの空間を吸い込む速度が宇宙の広がる速度より大きくなるからだと思います。ブラックホールがブラックホールを吸い込みどんどん吸い込む力が増大するんだと思います。まぁまず地球にも重力ありますよね。いろんな星と合体して星々の重力が合体していずれブラックホールができるんだと思います。
そんな感じでいずれこの宇宙はどんどん小さくなっていき「無」になるとは思います。でもその「無」になった瞬間に今までブラックホールとして全てを吸い込んできた力を留めておく空間すら無くなるわけで、そうするとどうなるか。ビッグバンが起きる訳ですよ。
次の宇宙の始まりです。今宇宙から来宇宙へ。てことは前宇宙もあったでしょうね。
こうやって終わりも始まりもない宇宙に僕らは住んでいるんだと思いますね。
宇宙ですら前今来があるんだから、宇宙の法則に従って生きている僕らにもきっとあるんじゃないかな。
次の宇宙が始まっても恐らく前の宇宙の配置に近い感じに星々が配置されていくと思いますよ。同じとは言わないまでも遺伝のような感じで自然と前の空間の影響を受けた感じで配置されると思います。自然らしく考えるとそうなりますよね。

てな感じで響くかどうかは分かりませんが、個人的にはやっぱり今の人生をより良く生きることに越したことは無いんじゃないかと思ってます。今世での良い影響が、来世ではやはりなんらかの形で現れてくると思います。運命とかもなんらかの形で影響してくるんじゃないかな。
宇宙は無から誕生したんだから無になってもまたいずれ誕生するでしょうね。
僕らも無から誕生したんですから、無になってもまた誕生するでしょうね。そう考える方が普通だと思います。
宗教的でしたかね笑
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単純に寂しいんじゃないですか?


周りに人が寄ってこないって事ですし、そのせいで生きる活力が湧かないんじゃ?と感じます。
とりあえず友達や恋人と楽しい日々を過ごしてみたら?
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そう思ってるのなら それでイイのでは?



死んでから 間違ってた・と 気付けばイイだけ・・
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>人は死んだら終わり、という価値観を持っています。



そうですよね。だから、多くの人は、生きてるうちにしかできないこと色々やっとこうとか、生きてるうちしか味わえないことを一杯味わいたいって思うのでは。

>それだって結局死んだら無になります。

別に無になっても問題ないでしょう。
なんであなたは「死んで無になる」のがそんなにも不満なのですか。

自分が死んだあとにも「何か」を意地でも残したい!
そんなタイプも確かにいますね。
そういう人達は、例えば子供を産み育てたり、仕事で大きなことをやり、あとの世代に引き継いでゆこうとしたりすると思いますが、そもそも何も残す気がないなら、なんか残そうと必死で頑張らなくていいわけですから、その日その日の自分の快楽を大事にしてゆくだけの、いわゆる「快楽主義者・刹那主義者」として生きればいいと思います。

>生きてる今はそれなりに人と仲良くしたいですが、こんな価値観なので当然ですが周りに人は寄って来ません。

死んだら終わりという価値観だから孤立するっていう話は、私はあまり聞いたことないです。死んだら終わりだよね!だよねだよね!だから今食えるだけ食うのが正解っ!とか言いながら友人たちとうまいメシ食ったりして、生きてるってさいこー、ギャハハー、あっデザートも食っとこ!!と笑ったりする人たちの方が、たぶん圧倒的多数だと思います。

なので、あなたのまわりに人が寄ってこないのは、あまりにも受け身すぎるからとか、死生観以外の点で、周囲に不快感や退屈さを与えやすいとか、なんか他の理由があると思います。

>このような価値観を変えるには、どのような考え方をしていったらいいのでしょうか。

ベースは全然変えなくていいです。
「死んだら終わり」は俗世間の常識で、ごく普通の正常な感覚なので。

むしろ「ところがどっこい肉体は死んでも魂は滅びないんですよ!あなたはまだ永遠の真実に目覚めていません!!」とかそういう世界観に転向すると俗世間的な普通の社交の難易度は、さらに跳ね上がると思います。

>スピリチュアル系や宗教系の話ではなく、現実的な事としてそれを実感したいです。

ですよね。現実的な話、「メシ・風呂・寝る」という三つの肉体的かつ即時的幸福は、生きてるうちにしか絶対味わえないと思うので追求した方が、やはりその日その日を快適で幸せに生きられると思います。
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個人的な人生観ですと、私は、生命は、パッとこの世に現れて、生きている間を楽しんで、消えていく、というだけのものだと思うんです。

それを連綿と続けて、みんなが楽しんでいるという事です。

この、「生きている間を楽しんで」というプロセスが無く、「この世に現れて、消えるだけ」なら、意味は無いと思うんです。

例えば、「料理を作って、食べずに捨てる」って、意味ないですよね。「料理を食べて味わう」というプロセスがあるから、意味があるのです。

「この世に生まれて、趣味も無く、友達も恋人おらず、何も楽しい事が無く、ただ自宅と会社の往復をして、寿命が来たら死ぬ」って、意味ないと思うんですよ。

作った料理を食べていないのと同じですから。

「人生には終わりが来るから、全て意味が無い」という考えは、言い換えれば、「料理を食べたって、どうせまたお腹がすくから意味無い」と言っているのと同じようなものだと思います。

又、私は生き物が大好きで、今まで生き物を飼ってきましたが、いつも後悔するのは、「もっと出来る事があったんじゃないか」「もっとしてあげられる事があったんじゃないか」という事です。

例えば、犬であれば、「もっといっぱい散歩に連れていってあげれば良かった」とか、「もっといっぱい遊んであげれば良かった」とか、「もっとよその犬とも遊ばせてあげたかった」とか、「もっと川とか山とか連れていってあげたかった」とか、そういう事なんです。

死んだ犬、本人も、それを望んでいたと思います。

なので、「生きている内の中身」というのは、「どうでもいいもの」「無意味なもの」ではなく、「非常に重要なもの」「一生の核となるもの」だと思います。

人それぞれの人生観があって良いとは思いますが、私はこのように思います。
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