

大阪の体罰での自殺。
すごく悲しいです。
体罰はよくないと思います。
(体罰とは呼べないかもしれない)
でも、釈然としないものがあります。
大津のいじめ事件の当事者たちへは体罰と言われてでも、
あの子を救ってほしかったという思いがあるからです。
イジメで自殺に追い込むようなやつに、
口で諭しても聞かないだろうと思います。
だから、単純に体罰はいいかとはならないとは思いますが、
なんと言ったらいいのか。
真面目な頑張っている人が自殺してしまうのが、とても悲しいんです。
政府の方針は体罰は全面禁止の方向で進んでいるようですが、
全面禁止というのは、どうかなと思っている自分がいるのですが、
皆さんはどう思いますか?
私は体罰に賛成しているわけではありません。
なんというか釈然としない気持ちを皆さんがどう思っているのか聞いてみたいだけです。
ともすると荒れそうな内容なので、お礼はありがとうございましたぐらしかしませんし、
荒れた場合はすぐ締め切ります。
A 回答 (15件中1~10件)
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No.15
- 回答日時:
学校で、体罰を身近に見て育った世代です。
私の保護者は転勤族で、私は転校を繰り返す学校生活を送りました。
暴力でクラスを支配するような、ガキ大将タイプのイジメっ子に出会ったこともあります。
あるとき、担任教師から注意を受けたイジメっ子が教師に口答えし、腹に据えかねた教師が「廊下に出ろ」と、イジメっ子を教室の外へ出させ、クラスメイト全員が興味津々で見守る中、イジメっ子を殴りつける事件がありました。
イジメっ子は声もなく倒れ、ようやく起き上がったときの顔面は鼻血まみれ。
その様子に、「見て、あの情けない格好」「ざまぁみろ」と、クスクス笑う子の多かったこと。
体罰はもとより、そうしたクラス全体の光景に、ショックを受けたことを憶えています。
せめて、その事件をきっかけにイジメっ子当人が改心できたなら、まだ救われますが、彼は、担任教師の前ではおとなしくなったものの、皆の見ている前で味わった屈辱も手伝ったのか、イジメはさらにエスカレート。
結局のところ、とばっちりは非力なクラスメイトへ向けられ、それを露知らぬ教師だけが、「俺のクラスは安泰、うん、うん」と、自己陶酔していました。
なんだかんだ正当化したところで、体罰は、教える側のやり場のない感情の爆発。いざ手を上げ、我に返ったあと、慌てて後出しの理屈を並べ、躾の一環と思わせるに過ぎない行いです。
体罰と同時に、体罰を行う人間の恐ろしい形相を、目の当たりにしてきた自分はそう思います。
体罰は、恐怖によって相手を屈伏させるだけ。
表立った効果を実感しやすいという点で、大人にとっては、最も手っ取り早い教育方法かも知れませんが、子どもを威圧感や緊張感で萎縮させるだけの指導要領に、子どもの真の更生を期待できるとは、到底思えません。
誰だって、好んで罰を受けたくはないはずです。
子どもだって、「懲罰は自業自得」と納得できるだけの理論の裏付けを知ることは必要です。
それによって初めて、説教や暴力を甘んじて受けとめるしかない屈辱や理不尽も解消され、前向きな成長を志せるのではないでしょうか。
体罰禁止を法律化させ、「ルールだから仕方ない」を切り札にする行為は、体罰と同様、最も手っ取り早く相手を黙らせる効力を発揮できる手法であり、「それでは体罰と変わりない」と、反発の声が起こるのも無理はありません。
しかし、今回のように、人間の生命が犠牲になれば最後、どれだけ神々しい理屈も、もはや正論としては通用しないのです。
だからこそ、体罰をエスカレートさせた教師にも、それに逆らえなかった生徒にも、「体罰禁止」といった絶対条件をよりどころにできる環境は必要だったように思います。
教師が「殴られてもいいんだな?」と、生徒に尋ねたとして、素直に「イヤだ」と首を振ることができる性格の生徒なら、自殺に追い込まれるほどの苦痛に堪え忍ぶにはいたらなかったかも知れません。
加えて、他の生徒や保護者から、「自分の失敗を棚上げして、教師を責めるなんて」といった非難が自身へ集中するであろう未来を想像できる生活環境なら、誰しも、現況に逆らうことには躊躇するでしょう。
加害者とされる体罰教師にも、生徒から慕われる善い面があったようですが、自殺者を出したことで、これまでの努力も全て台無しです。
今般、行き過ぎた体罰が問題視された原因のひとつは、「1日の内にビンタ数十発」という遺族側の証言のようですが、それがなければ、まさに「死人に口なし」で、「体罰の名を借りた暴力」が咎め立てされることはないまま、次なる犠牲者が輩出されてもおかしくない状況が続いていたかも知れません。
「体罰全面禁止」法令は、そうした「体罰とは呼べない暴行」の抑止効果も期待できるはずです。
「体罰」と「体罰の名を借りた暴行」との見極めは、第三者には難しく、それを犯罪として立件できるかどうかは、セクハラと同様、被害を受けた当事者の証言に委ねられるのが現状です。
しかし、告訴するには、被害者である自分の名誉や日常生活を犠牲にする覚悟が必要ともなれば、被害者が泣き寝入りを余儀なくされても無理はありません。
それを幸いに、「あれは暴力ではなく体罰だ」と、のらりくらり言い訳を固めることが許される現状が、子ども達の未来を託された教育現場に野放しにされていいはずはありません。
ゆえに、愛ある体罰もひっくるめ、敢えて「全面禁止」とすることで、暴力を振るう側の言い訳が入り込む余地を一切認めんとする法案に、私は敢えて賛同します。
体罰全面禁止法を既に導入している国も少なくありません。
感情に任せた圧力ではなく、冷静な理論で、相手を教え導くことこそが、教育者としての真の腕の見せ所だと思います。
No.14
- 回答日時:
体罰、っていうのは「相互理解」がないと意味無いんだよね。
それはつまり、ただの「暴行」ってことさ。
例のバスケ部のはなしも、聞けば聞くほどそう感じてしまうね。
だから、それが「イジメへの罰」だとしても、イジメそのものを「する側」が悪いことだと納得できなければ、それは何もならないよ。
イジメは体罰では減らない。
イジメを当人にわからせる手段として、暴力は使っても意味無いから。
だって、指導する側は「権力がある人」だから、それを行使できる、って前提があるわけ。
先生だったりね…先生と生徒の関係性や、生徒と学校の関係性っていうのは「不平等」なんだ。
必ず生徒の立場は悪いのだし、下だから。
だから、上の立場の人間が暴力を行使して黙らせるならば、必ず「やられたほう」は復讐するよ。
自分が強権を振るうようになってね。
つまりイジメは暴力じゃ減らない。
体罰じゃだめなんだ。
時間をかけて、自らの行動についての反省を求めなきゃいけない。
犬だって、暴力で従うわけじゃないでしょ…怯えてるだけでしょ?暴力振るわれれば。
だから隙あれば噛み付くようになるわけじゃない?…それとおんなじさ。
根気よく大丈夫だよ?と諭さなきゃ、動物だって従いはしないものだ。
今は社会システムそのものが変だから、それを実行するのは確かに難しい。
難しいが、もし「本気でなおしたきゃ」そうするしかないよ。
本気かどうか、やる気があるのか無いのか?っていう話だけなんだけどね。
No.13
- 回答日時:
No7は「体罰」と言う言葉じりを取って体罰はダメ、時代錯誤甚だしいと断じているが、そもそもその時代の教育が今よりましだったのは、教師に権威と力が与えられていた事も一つの要因であると思う。
そこには体罰も含まれていますが、だからと言って体罰を受けた生徒が皆腐っただろうか?みんな病んだだろうか?
>昔の事を引っ張り出すからややこしくなる訳よ。昔の子らと今の子らじゃ 違うだろ?って話。
昔ながらの体罰で自殺者が出た以上 それは最早通用しないでしょ、っていうかダメでしょ。人が一人死んだ事を「気弱な生徒だったから」とか(ANo:12は言っていないが)「昔は当たり前だった」とかで片付けられない事態になってるでしょ。
なのになんで今もって昔ながらの体罰を引っ張り出して是認できる訳よ?
子供の質は昔と今では違うじゃないか。
色んな子供がいる事を無視して 体罰だけを是認していくのであれば 同じ事がまた起きる。そういった危機感を持てないのは 昔ながらの人間だからじゃないか。
No.12
- 回答日時:
大体、質問者さんと同じ考えです。
体罰を全面禁止にするべきではない。
体系的に「体罰」と呼ばれているものがイコール暴力ではないから。
そこには、教師の権威というものが含まれて然るべきだと思う。
No7は「体罰」と言う言葉じりを取って体罰はダメ、時代錯誤甚だしいと断じているが、そもそもその時代の教育が今よりましだったのは、教師に権威と力が与えられていた事も一つの要因であると思う。
そこには体罰も含まれていますが、だからと言って体罰を受けた生徒が皆腐っただろうか?
みんな病んだだろうか?
しかし、それは決して暴力による恐怖統括ではなかったのではないでしょうか?
問題なのは、体罰ではなく教師の側のモラル、体罰に頼らなくても性徒ないし学級をまとめることができるシステムと教師に与えられるべき権力。
生徒ばかり可愛がるような過保護な教育が、教育をダメにするという事は「ゆとり教育」がもうずっと前から証明している事。
No.11
- 回答日時:
いじめを許さないという断固たる態度で、しかしながらいじめている奴に絶対に手を挙げないというルールを100%守った上で、いじめを撲滅した事例を複数聞いている。
そこで聞いたのは、いじめは絶対に認めないという共通認識を教員間で確認する。いじめられている奴から、いじめている奴からそれぞれに話を聞くなど、お前のことを気にかけているんだというメッセージを教員あげて継続して伝える。彼らにも他の生徒にも、教員から明るくあいさつなどして声をかける。校内やその周辺は生徒も巻き込みつつ教員が積極的に清掃する。そういった取り組みだ。
自分らのことをちゃんと見ていてくれる。そういう安心感を子供らに持たせることさえできれば、体罰なしでもいじめを撲滅できるんだよ。
同様に、見ていてくれるという安心感を持たせれば、体罰なしでも子供はどんどん上達するし成長する。スポーツでも勉強でも、同じことなんだ。
No.9
- 回答日時:
体罰は絶対に禁止です。
そもそも……
体罰があれば、大津の事件のようなものは防げたのか?
体罰が無かったから、大津の事件のようなものはおきたのか?
そんなことはありません。
体罰が出来たって、教師にやる気が無ければ何も問題は解決しませんし、教師にやる気があれば防げたでしょう。いや、その前に、イジメなどのようなものは、教師という司法の素人であり、利害関係者である人間に、警察の真似事をさせ、挙句、裁判官までさせる治外法権状態が悪いのです。
イジメと言いますが、そこで行われる多くのことを街中でやったら「犯罪」です。
犯罪が起きたら、私たちはどうするのか? と言えば、警察に通報します。通報を受けた警察は、犯罪者を逮捕し、検察官、弁護士、裁判官によって行われる裁判にかけられます。
なぜ、それが「学校内」という場所で行われるときに限って行われないのでしょうか? 学校内も社会の一部でしかありません。なので、警察を介入させ、犯罪者は法律に則って処分すれば良いのです。
学校内で教師に殴られようと、停学などの処分を受けようと、それはあくまでも学校内での処分であり、社会一般における制裁ではありません。警察に逮捕される、というのは、社会一般における制裁にもなります。どちらが、抑止力になるでしょうか? 後者でしょう。
そして、同じことは体罰にも言えます。
こちらも、いくら相手の素行が悪かったとしても、その相手に暴力を振るえば、振るったほうが犯罪者になります。しかし、学校内で行われる場合は、そういう評価にはなりません。
一般社会では犯罪行為なのに、学校という治外法権の地では黙認される。
それは、体罰もイジメも同じと言えます。そのような治外法権を認めることが、問題を悪化させる要因であると思います。
一般社会の常識を学校に入れる。
それこそが、唯一無二の問題解決の方法だと思います。
No.8
- 回答日時:
体罰としごき・暴行・躾などいろいろな言葉があります。
半世紀前に、イギリスやフランスの雑貨屋で鞭を見つけました。躾用だそうです。子どもを打ったり、テーブルを打って躾けるのだそうです。
親の軸足がしっかりしていれば、子どもに鞭を見せるのは、その存在を示唆するだけで済むのです。
なまはげは、子どもの躾に有効と聞きました。年に一度でも十分効果があると言います。
竹刀とビンタで学びました。先生もがんばったので、恨んではいません。
体罰などという言葉を使うからいけないのです。躾なのです。
教員の異動をさせないで、留め置くことにも是非が有ります。
近隣高校との試合で勝てれば良いのです。
府や全国に進出するなら、ビンタは必要です。『鬼の大松』は評価されました。ビンタは効果があります。たまたま、気の弱い子が部長になったので自殺したのです。読めなかった顧問に落ち度は有ります。
未成年の女学生に飲酒させて、酔わせて襲って合意の上という金メダル監督がいました。性虐待ですね。断れば退学になってしまうのでしょうか。コンドームの隠蔽を同僚?に依頼したというので、寝技の練習では無かったと思います。
体罰や虐待は全面禁止で当然です。
しかし、躾やしごきは当然必要です。親が出来なかった躾は社会がしたのです。
便所周辺や車内で喫煙していると警察官に殴られました。しかし、学校に連絡されることは無かったと記憶します。鼻血は普通に出たと思います。
運動部のしごきは当たり前でした。しごかなければ、ぐうたらがオピニオンりーだーになって、部活動はでたらめになります。しごきに耐えて結果を出す生徒が評価され、発言を認められるのです。
当然のことです。ぐうたらでは、怪我もします。緊張が必要なのです。
自殺に追い込んだと表現できるのは、他の選択肢を次々とつぶした場合です。たまたま、自殺してしまったのです。
迎えに来た担任の気配に、鴨居で頸を吊った例を知っています。直後であったので一命を取り留めて、大変評価されました。
経済的に恵まれて、強豪校を遠くにも探して更に厳しい練習に打ち込む現状では、起こりうる事故です。
近在で勝つだけでは納得されないのです。
しごきと罵声を潜って強く認められる資質が育まれるのです。若い生徒は経験が浅く、家族や顧問らが、十分配慮してしごく必要が有ります。
言い換えれば、全国ニュースになるほど、事故(自殺)は少ないのです。責任を学校だけに振らないで、地域や保護者も見守る中で躾を行うシステムを醸していく必要を感じます。
しごきと躾は必要です。体罰や虐待とは区別すべきです。
No.7
- 回答日時:
体罰でどうにかしようとするその考え方がすでに間違い(あれは体罰じゃないと思うが)。
虐める奴を体罰でどうにかできるはずないでしょ(質問者は何とかできると思ってるみたいだが)。
体罰をもってして何かを成就させようとする体質は昔からそうしてきた歴史もあるから昔の人間には否定しにくい事だろうが 昔の事を引っ張り出すのは負の遺産以外にしてほしいものだ(体罰なんて負の遺産でしょ)
昔はゲンコツやビンタの一発やニ発は愛情だとか言って体罰っていう言葉すら出てこなかったものだが そもそも愛情の愛じたいが曖昧で解釈も難しく扱いにくいわけ。受ける側がそれを愛情と思わない限り、叩く行為を善とは感じないでしょ(重ね重ね言うが今般の件は体罰なんぞではなく暴力と回答者は捉えている)
この時代にいまだに体罰なんぞ 時代錯誤もいいとこだ。
叩いて何とかしようとするその考え方はどこぞのテロリストと何ら変わらない、知恵のない野蛮な人間の発想だ。
力でどうにかしようとするのは知恵(愛)がない証拠。
No.6
- 回答日時:
一律に体罰はダメ、と決めつけるのは問題かも知れませんね。
ただ痛めつけて、恐れさせるだけの、「恐怖政治」のような体罰は、確かに禁じるべきでしょう。しかし、「人間は、人間に生れるのではない。動物に生れ、人間に“なる”のだ」とも言います。質問者様の言うように、「口で諭しても聞かない」ような場合、体罰はあってもよいと思います。
ただしそれは痛みを与えるためでなく、「体罰に訴えなければならないような重大問題」であることを当人に伝えるためです。 その時、体罰を与える側も、実は泣いています。「自分には、これに訴えるしか方法がないのか」と自問し、苦悶しながらそうするからでしょう。
実はかつてそういう体罰を受けた経験があります。先生は泣いていました。我々を殴ったあとで、一人一人を抱きしめて言いました。「分かってくれるねっ」。我々も泣けてしまいました。
同窓会で多くの級友が言います。「あの先生はいい先生だった。“動物”の我々にいろいろ教えてくれた。本当の教育者だったんだなあ!」
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