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(1)¬P∨QとP⇒Qが同値というのは、理解できます。
(2)¬P∨Qの場合の真理値表も同様に理解できます。
(3)しかし、P⇒Qの場合については、理解できません。
  PがFの場合は、Qはどちらともいえないとするのがもっとも現実に即しているように思うのです。

一体どこがおかしいのでしょうか?
私の感覚ですか?
それとも真理値表を定めるにあたって、何かルールを導入したために、日常の感覚から乖離してしまったのですか? だとすれば、それはどのようなルールなんでしょうか?
二値論理というルールがあることについては調べましたが、それだと(1)が矛盾してしまうのですが。
(1)(2)(3)全てを矛盾無く収める事ができません。
どうかご教授ください。

A 回答 (6件)

> PがFの場合は、Qはどちらともいえないとするのが


> もっとも現実に即しているように思うのです。
の「現実に即している」という評価は、貴方の主観です。
正しいか間違っているかの話ではない。
「真」「偽」の他に「どちらともいえない」という真理値
を含む論理系で議論がしたければ、そうすればよい。
「直観主義」と呼ばれる数学の一派では、そうしています。
参考→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6% …

直観主義論理は、カントールからゲーデルにかけての所謂
「数学の危機」の時代には、一時隆盛しましたが、今では、
数学基礎論をやる人も少ないので、あまり話題になりません。
思想的哲学的な価値はともかく、実際に数学を行う上では
ずいぶん不便な代物ですから。

我々が日常に扱う、排中律のある数学では、
(1) が ⇒ の定義そのものであり、
(3) は気の迷いとして忘れるべきものです。
貴方が排中律を捨てて、直観主義を採用するのは自由です。
ただ、二値論理の人とは話が合わなくなるだけです。

この回答への補足

ありがとうございます。
つまり、おかしいのは私の感覚ということになるのでしょうか?
確かに素粒子論のように学問していくと感覚ではおかしいと思う結果になることもありますものね。

補足日時:2013/02/15 20:31
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この回答へのお礼

皆様ありがとうございました。
二つの立場があるということを、最初に教えてくださったこの回答をベストアンサーとします。
まだまだ勉強が足りませんので、皆様から教えていただいたことを念頭において論理学を学びたいと思います。
その結果、この疑問がいつかすんなり受け入れられるようになるか、やっぱりおかしいと思ったままなのか、どちらにしても数学自体の問題ではないということが分かっただけでも非常に有意義でした。

お礼日時:2013/02/16 23:58

←A No.3 補足


> つまり、おかしいのは私の感覚ということになるのでしょうか?

いいえ、おかしいのではなく、単に凡人とは違っているのです。
おかしいのかもしれないし、素晴らしいのかもしれない。
その判定は、数学の範囲内では不可能で、我々は、主観によって
どちらかを選択して、その中で数学することしかできない。

どちらかが正しいと決め込んだ人の議論は、感情的攻撃的になりがちで、
そもそもヒルベルトとブラウアーも、そうでした。形式主義陣営と
直観主義陣営の抗争は、論文の採否や人事への介入を含んで、数学の
議論というよりも政争の趣きを呈し、政治的には、ヒルベルトが辛くも
優勢を保って終わった ということになります。

ただし、形式主義と直観主義の優劣は、また別です。
ゲーデルの結果は、ヒルベルトプログラムが完遂しえないことを示した
と同時に、形式主義と直観主義それぞれの正誤も、その体系の枠内では
決定できないことも含んでいるのです。

だから、勇気を持って、主観的に自分の立場を選びましょう。
排中律のある数学と、ない数学では、証明できる内容が異なります。
私は、背理法もアリだと思う。貴方がどちらをとるかは、お好きに。
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古典論理では当然出て来る疑問です。


これを理解するためには、「命題とは何か」ということをはっきりしなければなりません。
P = 「晴れている」
Q = 「遠足に行く」
この2つの言明は命題になります。
ところが、
R = 「もし晴れれば、遠足に行く」
は命題ではありません。これは条件文であり、現段階では真偽を問えない文です。
よって、実質含意をP⇒Qとしても、本当はRにはならないのです。
これでは論理が成り立ちません。そこでラッセルは実質含意として
P⇒Q ⇔ ¬P ∨ Q
を導入したのです。これで
Pが真のとき、Qが真であれば、P⇒Qは真となり、IF条件文と一致する
Pが負のとき、矛盾律より 偽⇒Q,すなわち、矛盾からは何でも言える
と考えれば、IF条件文を満たすと考えたのです。

直観論理では論理含意 P→Q を「Pが構成されたとき、Qが構成される」
と解釈するので、IF条件文と同じになります。
ただし、こう解釈するためには、クリプケ意味論を採用しなければ、
命題の真偽は決めることはできません。

直観論理は役に立たないと言われていましたが、
コンピュータ科学とは非常に相性がよく、
現在では実用的な論理であると思われています。
ヒルベルトの言葉は、単なる悪口、誹謗中傷に近いものです。
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あなたの補足>すると、「あり得る」というだけで、「真」と言い切ってしまうことに疑問を感じたのです。


Pが偽の時、真と言い切っているのはQのことではありません。(P⇒Q)全体が真といってるのです。
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ご質問の意味が判りません。



>  PがFの場合は、Qはどちらともいえないとするのがもっとも現実に即しているように思うのです。

P=偽 Q=偽 P⇒Q 真
P=偽 Q=真 P⇒Q 真

つまり、P⇒Q は「PがFの場合は、Qはどちらでもいい」
を含んでいます。

どちらでもいい=どちらともいえない

が変という話なのかな?

どう矛盾するのか詳しい説明をよろしく。

この回答への補足

どちらでもいいというのは分かります。
それは言い換えると、どちらの可能性もあるということですよね?
すると、「あり得る」というだけで、「真」と言い切ってしまうことに疑問を感じたのです。

補足日時:2013/02/15 20:26
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PがFのときは、P⇒Qは成立します。


∵対偶をとると、¬Q⇒¬Pとなって、これは必ず成り立ちます。
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