動物愛護とよく言いますが、牛や鶏等を殺して食べていますが、それはいいのですか?人間が生きる為には仕方のないことだではすまないと思います。種別でわけるのではなく動物としてみると殺りくしているのにどうして身近な犬、猫が虐待をうけるとTVなどで報道されるのでしょうか?人間が殺された時も報道されますが、牛などが殺されたりころしたときはなぜしないのでしょうか?動物愛護に矛盾しているはずなんですが・・・。

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A 回答 (22件中11~20件)

やはり「食べるために殺す」というのは仕方が無いと思います。


どうしても人間中心の世の中ですから。
でもそれ以外の犬や猫が虐待を受けるというのは・・・
不必要だからじゃないですか?
別にそんなことをしなくても良いのにいじめるなんて。

でも動物愛護、の考え方って難しいんですよね。
動物実験もあるし・・・

御免なさい、回答になってないですね
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心理学などで使われる言葉で


「人は自分が見たいと思う事しか見る事が出来ない」
という言葉があります。

>種別でわけるのではなく・・・・
動物愛護に矛盾しているはずなんですが

この事は動物愛護と矛盾しているとは私は思いません。
と言うよりも、動物愛護とは全く無関係だと思います。
報道というものは、「聴衆が見たいと思う事を伝えること」だと思います。
人間は最も身近な動物。
犬や猫、鳥なんかはかなり身近な動物。
牛や馬などは、畜産関係者などを除けばあまり身近ではない動物。
大勢が「見たい」のが何なのかは明らかでしょう。
そういう意味で、動物愛護と報道とは切り離して考える必要があるのでは、と思います。


話は前後しますが・・・
>動物愛護とよく言いますが~すまないと思います

これも動物愛護とはちょっと違うような気がします。
人間は、というよりも全ての動物は無生物を食べることは出来ません。
動物を食べなければ、植物を食べるしかありません。
「ベジタリアンになればいいじゃないか」という意見もあろうかと思いますが、その考え方が私は一番嫌いです。植物も動物も同じ「生命」です。
動物を愛護し、植物をむしりとる。
なにか間違えている気がします。
植物と動物の違いは、意思の疎通が出来ないこと。これだけでしょう(生物学的見地はこの際無視)。
ただ意思の疎通が出来ないだけのことで、相手に「生命」の価値を認めないとしたら、あまりにも乱暴で悲しいことじゃないかと思います。

人間が生きることはつまり、他の「生命」を奪うこと。
これ以外の選択肢はないはずです。
それを拒否すれば死ぬしかありません。
もし人間が、他の「生命」を奪い続けることに疲れて死に絶えたとしても、ライオンはウサギを殺し続けるでしょう。
ライオンは動物愛護の精神に反するのでしょうか?
次のような意見もよく聞かれます。
「人間以外の動物は、必要以上の殺戮をしない。」
そんなことはありません。人間を含めて全ての動物は、遊ぶ目的で他の動物を殺します。そう、特に昆虫類を多く殺しますよね。
「人間以外の動物は、人間のように一度に大量殺戮をしない。」
という反論を聞いたことがありますが、これは
「一人殺せば犯罪者だが、一万人殺せばヒーローだ。」
と言っているのと同じ事。とても同意できません。

最後に結論を。
動物愛護とは、できる限り他の「生命」を殺さないでおこうとする努力目標である、と私は考えています。
また、達成すべき目標であってはならない、とも考えています。
動物愛護を叫ぶ人の中には、考え方が偏った挙句に現実逃避してしまい、ヒステリックになっている人がいます。
hidepuriさんはそうなって欲しくないなぁ・・・、と思います。

大変長くなってしまいましたが、読んで頂いてありがとうございました。
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めちゃくちゃ動物愛護な人です 


私的にこの世で生きてる命はみな平等で 私が嫌いと感じてしまう虫もいるんですが
それも 同じだと思ってます
社会がそれを許してない  安定した食事を得るために
牛たちは家畜という概念で いずれ食べられるか捨てられるかは別として 食料になるために殺されるという概念があるからだと思います
犬や猫は 人といっしょにあり 食べるためじゃなく
確実に娯楽のために殺されたり 糞をするなど小さなことで殺されたりする
犬や猫は 器物損害罪 になる それ自体間違ってるけど
動物を大量虐殺した犯人を死刑にすれば
その家族は間違いなく犬畜生いかかと思うって本に書いてました それでも、
人間社会的で言う 非人道的であるから怒りを かうんだと思います
このような世の中の思想は一変に変えれる物ではないと思います だから すこしづつでも変えていけば総てが変わると思います 
結果論だけを言うとそれは無理ですけど
裕福な日本で ハンティングがされてる動物がいるのを考えればわかると思います どこかで隠れて やる人もいるだろうし サディストもいるしネクロフィリアもいる
いろんな思想がでてきて 一つに統一する事は出来ない
けど、
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食べるために殺す(これを人間の原罪と呼ぶようですが)ときには、その動物たちに生かされていることを感謝する(謝肉祭など)ことで、いいとか悪いとかではなく、生きるために仕方がないので殺しているということだと思います。

食べるために殺したけど無駄にしたり、殺す必要もないのに殺すことは原罪とは呼べませんね。それを動物虐待と呼んでいいのではないでしょうか。
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虐殺された牛の死体と屠殺された牛の死体とは、どこが違うと思いますか?殺された牛の気持ちに(傲慢にも)なってみたなら、同じことですよね?しかし殺した側の気持ちを想像してみた時、心情の違いははっきりと理解できるでしょう?


これが報道されるかされないかの違いだと思います。矢ガモなんかいい例でしょう。動物愛護というのは、あくまで人間の視点からのものなんですね。動物の気持ちをわかってあげるなどというから、矛盾が出てきます。
環境を維持するため動物の生態を理解するという意味での動物保護運動とは、また別問題。
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すでに話題にのぼっていますが、食用のものは食用として育てられています。



オーストラリアでは、乱獲で数が減っている野生のワニは
法で保護されていたと思います。
で、野生のワニの保護と並行して、ワニ皮やワニ肉の供給を確保するため
ワニの養殖をしています。
あるワニの養殖場では7000匹のワニがいるそうです。

脱線しますが、オーストラリアでは「ワギュウ」を育てている牧場が
あるそうです。
「ワギュウ」って品種なんですかね?
私のいた牧場のウシは、オフランスの血が流れているそうです。
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ウシやニワトリを食べるために飼育して殺すのは止むを得ないという考え方なのですネ。

これは、既に回答されているとおりですネ。
数年前、フランスのフォアグラが動物虐待であるとして騒がれ、一時ヨーロッパの内部が険悪になったことがありますネ。
或いは、イギリスで日本料理の店が活け作りを虐待であるとして訴えられたり‥
一方でイギリスのキツネ狩やスペインの闘牛は構わない‥
結局はエゴなんですネ。
動物というよりも生き物すべてを愛護するという感覚であれば‥バルサ●のような殺虫剤は虫達を皆殺しにするものですから、あってはならないものなのですよネ。
パンダのように愛くるしく見える動物、クジラやイルカのように可愛くて賢い動物、犬や猫のような愛玩動物‥こういったものは擬人的なとりかたをされやすいものですから、勝手な感情移入をしやすいのですネ。
食べるためという正当な目的がある場合、動物の命を奪うことはどうしようもないことです。そして、その行為はヒトの命を保つために必要なこととして正当化されます。これは、仕方がないことなのですネ。
中国などでは犬や猫は日常的に食べられています。なかなか美味しいものなのですが、これも食べるために殺すのであれば正当化できるのですネ。
けれども、そういう食文化のない地域からみると残虐非道な行為に見えるものです。
動物愛護はヒトが生きるための行為に対しては成り立たないものでしょう。しかし、必要以上の殺戮や虐待は倫理的に避けるべきものであるというのは理解できますよネ。
暴力・破壊という本能的な衝動を抑えることの必要性は否定できないものだと思いますから。
とりとめのない回答で失礼しました
以上kawakawaでした
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他の方も書かれてある通り、宗教的に見れば食料として動物をあやめる場合は、神から与えられたものと解釈するようです(動物愛護は元々西洋からきたものですし)。

ただし必要な分だけ、という注釈が本当はあるのですが、現代ではそれは守られていないような気もしますが・・・だからこそ現代になって動物愛護が叫ばれているのかも知れませんね。
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私もいつもその事を考えます。



グリーンピースだかなんかが『鯨の殺すなんてかしからん、いるかは知性が高いから殺しちゃならん!毛皮をとるなんて言語道断!・・・牛?牛は食べるために育てているから良いんだ!』なんて言ってるとなんだか滑稽です。

ネコが可哀想なら我々に被害を与えるゴキブリやネズミは殺して良いのか?ありは知らず知らず踏みつぶしても良いのか? ベジタリアン?痛みがないからと言って野菜だって生きているんだぞ!ノミは潰して良いンか!?

なんて言ってると人間は餓死してしまいますけど・・・
何が言いたいか分りませんでした、すみません。
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動物愛護団体がTVで報道してるわけではないですし、まして動物愛護の


精神で報道してるのか?という点でも疑問です。<虐待報道
また、報道をものさしがわりに考える質問の意味に理解しづらい物を感じます。

人間社会は矛盾だらけで過去に動物愛護の精神で「くじら」の捕鯨が日本は
出来なくなりましたよね?これはいわゆる日本バッシングの一つであった訳
ですが(他にもいろいろ理由はあります)大真面目にこの「くじら」を「牛」
に置き換える人はいません。なぜなら「牛」は育てられるけれども「くじら」
は育てられないから。

ただし、自分達の食料であるという認識はきちんと出来ていますよ。特に日本は。
「と殺場」でしか殺してはいけないし、一通り検査もするし「と殺場」以外で
しんだ牛の肉は売れません。(豚も)
ホルモン系の成長促進剤の使用は禁止されてるし抗生物質を投与した後も
一定期間経たないと牛乳ですら市場には出せません。
いろいろな規制、決まり事の中で初めて一般家庭に食料として出回るわけです。

牛にとっては虐待かもしれませんね。食料にされるとはいえ理不尽な事です。
でも、なんのルールも無く個人の暇つぶしに考え無しに殺してるわけでは
ありません。(だから良い・悪いは別として)
その辺の動物虐待報道の内容と比較するにはあまりにも軽率ではないか?
と思いますがどうでしょう。
(hidepuriさんが一切牛肉・豚肉を食べない人ならちょっと言いづらいかも・・)

あくまでも私の考えではありますが「動物愛護」を取り組むに当たって
考えなければいけない事は「その苦しみを与えるべきか?」「その命を奪うべきか?」です。人間のエゴで捨てられる生まれたばかりの仔猫!自分では殺せない
と捨てる。野良猫となってまた増える。保健所につかまって処分される。
でも、自分の家の猫は「病気でもないのに体にメスをいれるのは・・」と
避妊手術ひとつせず、生まれたら捨てる。
矛盾とはこういう状態の飼い主の精神構造の事をいうのだと思います。

私は牛肉も豚肉も鶏肉も魚も野菜も大好きです。
いつも食事の時はすごく幸せです。たとえ、それが多くの生き物の犠牲の上に
なりたつ生活であっても、だからこそよけいに!

なんだか支離滅裂で申し訳ないです。
とても文章にするには難しい問題ですね。
hidepuriさんが少しでも興味を持たれたようなら、本気で勉強してみませんか?
矛盾だらけかもしれませんが、毎日たくさんの犠牲の上に成り立っている
生活かもしれませんが、私は愛猫が幸せに生涯をまっとうしてくれる事を
切にねがいます。これも矛盾なのでしょうけれど・・
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Aベストアンサー

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>口蹄疫も鳥インフルエンザも急速に広がる空気感染なので始末が悪いです。

 口蹄疫は空気感染があり得ますが、鳥インフルエンザは一般的には空気感染しません。
 鳥インフルエンザは「飛沫感染」もしくは「接触感染」によって感染するウイルスです。空気感染というのはいわゆる"専門用語"を使うと「飛沫核感染」のことです。
 飛沫感染と飛沫核感染の何が違うかというと、要するに「ウイルスを乗せて飛ぶ粒子」の大きさが違うわけで、飛沫感染は大きく=飛距離が短く、飛沫核感染は小さい=飛距離が長いわけです。
 インフルエンザウイルスでも条件を上手く作ってやれば飛沫核感染は起きるでしょうが、環境中でのウイルスの生存性が口蹄疫ウイルスと比較して著しく低いので、たいした距離は飛べないでしょう。口蹄疫ウイルスなら、海上で250kmくらい飛んで伝播したらしい記録もあるのですが、インフルエンザウイルスは現在のところ「飛沫核感染によって伝播した」事例すらありません。

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 ちなみに、

>これからの養鶏舎は全面ガラス張りにして外気はフィルターを通して供給し、餌や水は殺菌処理したものを与える

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>口蹄疫も鳥インフルエンザも急速に広がる空気感染なので始末が悪いです。

 口蹄疫は空気感染があり得ますが、鳥インフルエンザは一般的には空気感染しません。
 鳥インフルエンザは「飛沫感染」もしくは「接触感染」によって感染するウイルスです。空気感染というのはいわゆる"専門用語"を使うと「飛沫核感染」のことです。
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Q動物愛護の人達はどうですか?

半自給自足の生活をしている者です。

我が家の畑を荒らす猪、狸に対する有効な対策方法を調べていた所、

「くくり罠即刻中止せよ!罪の無い動物を殺すな!」
というようなサイトに出会いました。
どうも東京の動物愛護団体の方の様です。署名運動等して町長に直訴するぐらい気合入っている模様です。
でその方言うにどうすればいいかというと捕獲した一匹一匹去勢手術しろとの意見の様でした。とても実現可能な案とは思えませんでした。

我が町でも猪を捕獲してその尻尾を役場に持って行くと一定額を貰える仕組みになっています。

オーストラリア人によるディンゴ虐待などはまったく意味も無く許せないと思いますが、畑にやってくる猪、狸を捕獲するのは自己防衛上致し方ないと思っているのですがどうでしょうか?

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Aベストアンサー

夜目も効かない、鼻も鈍い、目も悪い、感も悪い、武器もない人間が
平穏に生きていくには本来強固な防衛が必要ですが
長年にわたる野生生物の駆逐、排除の成果によって
今の安楽な生活があります。
世界中の都会に住んでいる人々は自分が住んでいる場所が
かつては動物が多く棲んでいたと言う事実を知りませんし
考えようともしません。
理由としまして
野生生物を見かける事もなければ
食料は通貨と交換。
食料には生き物の形跡が見られないようにパック詰めされて
当然のように植物は生き物扱いされず
凶悪な野生生物は動物園の檻の中
鈍い勘がさらに鈍くなり
野生生物とのせめぎ合いの最前線である田舎での生活など
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ですが、通常の理解力と想像力があればなんとなく、は解るはずです。
つまりは常識ハズレの愛護を求める人々は
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常識人はそういった方々への対応は困難です。
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人間はどうして他の動物とは全く違った欲を持つ動物になったのでしょうか? 道具、乗り物、人間同士の戦争、他人との競争、神話や伝説の語り継がれ、それらが人間独自の欲を助長させているのでしょうか。
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進化の果てが無い、永遠に進化している動物でしょうか。

Aベストアンサー

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「化石人類」は,歯の形等から我々よりも草食に適応していたと考えられます。一般的に生物は,栄養価の低い食べ物を食べる方が,大量に食べねばなりませんから大型化します。他の亜種の方が体が大きく,力も強かったのです。ゴリラのように草食ですと巨大になるのと同じです。

生態的に同じような(ニッチと言います)種を一緒にしておきますと,競争が起き,一方が絶滅してしまいます。

我々の先祖は,一回り大きく力の強い亜種と隣同士だったのです。そして,お互いに食う食われる関係にありました。勝ち残るためには,より「攻撃的」で,より「競争心」が強く,より「統率が取れた社会性」がなければなりません。また,当然武器という「物」を使用しなければ勝てません。

これらが延々と続いた結果が現在と言う考え方です。何か納得のいく物がありますので紹介しました。「 」内の言葉をキーワードに,色々組み合わせて検索してみて下さい。たくさんのURLがあると思います。

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