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白石かずこさんの「終日虎が」という詩の解釈を教えてください。

虎とは何か、部屋とは何か、全く不明です。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

・虎は抑え難き己が暴虐の情念



・部屋は己の心の住まう処

・幼き日の想い出の証し=人形の手足
・今日的安定の象徴=椅子

・ミルクは肉体的な、風は精神的な機構
・空は己が心身の外構。
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この回答へのお礼

早速のご回答をありがとうございます。

そういう風に読むのかと考えさせられました。

どうしたらそういう風に読めるようになるのか、
本当は教えていただきたいですが、
おそらくこの場では無理だと思うので、
あきらめますが、すごいなあと思いました。

もう少し、詩集を読みすすめてみようと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/09 21:58

#1です。



>もう少し、詩集を読みすすめてみようと思います。

その中に「虎」という詩もあります。
   すると
   虎は 彼でもなかった
   私の 胸の部分の昨日から今日へと
   山脈がよこたわり
   虎の部屋が
   明日の方へと空いていた
で始まります。すこし後で、

  虎は昨日は 私の恋人で
  今日は見知らぬ他人の背中であるからといって
  虎が明日に という空やサーカスがあるというのではない
  
  虎とミルクを飲もう
  虎と風邪をひこう
ともあります。
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2012-06-24-3

ここからも、結局「虎は抑え難き己が暴虐の情念」であり、「獅子身中の虫」ならぬ、「虫心中の虎」と観じた次第です。
何しろ、この詩集は二十歳の学生時代の作品ですから、「二十歳のエチュード」の原口統三と4歳違いです。まあ同世代として彼の遺作も参考になるかもしれません。
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person740.html

とまれ、詩歌は幾度も読んで、暗記してしまうほど読むと、後は手放し野放しで、たとえば電車の中や、また失敗に落ち込んだ時に、その断片が口を衝(つ)いて出るようにもなるでしょう。その体験の蓄積で、自分なりの解釈が育っていくものでしょう。

そもそも、「終日虎が」とは「シュウジツトラガ」ですか、「ヒネモストラガ」でしようか?
その読み方にだって悩まなければ一音も発すことも叶わず、音読さえできず、まして暗誦などとうてい及ばず、したがって生活の中でその詩が響くこともなく、況(まし)してはその詩の解釈が育まれることもないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をいただいておりましたのに、コメントできず、申し訳ございませんでした。

詩は、難しくて、感性が鋭くないと、味わえないものなのかなあと、正直、思わされます。

大変ご丁寧に、ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/05 01:46

あ、バンコランさんなんて名前を見つけたのでぶらっと立ち寄ります。



詩のコトバって、記号と象徴だと思いますか?
つまり、イコールで結びつけられるような〈意味〉を隠している、覆われた表現だと思いますか?

わたしは、そういう読み方があまり好きではないです。
どんなに突飛な文言でも、
そのままのイマージュを味わおうと思います。

すると、風景はありえないものとなったり、
異質な共存をみせたり、
異様な変貌をみせたり、
一貫性がなかったり、理屈に合わない展開になったりします。

それでも読むという責任を感じて、踏みとどまります。

日本語の現代詩は、主語と述語の関係もゆるやかにほどけていて、
絶対に線形で起承転結するのだと思ってはいけないかもしれず、
連続的な繰り返される時間のなかで、虎だな、部屋か、荒れているな、手足だな、椅子もか、、、と
ヴィジュアルで捉えられることがある一方で、
「空にむかって/ 泣いていた」
と言われると、
いったい、マグリットかダリのようなぽかんとした空なのか、
ムンクのようなぐにょぐにょした空なのかもわからないまま、
手足や椅子が、泣くと解釈してよいのかどうかも定かでないまま、
むしろ、先のヴィジュアルに覆い被さるような、レイヤー的なかたちで、
その出来事が刻印されるといいましょうか。
空にむかって泣くんだなと、
あとさきでなく、空にむかって泣いていること、初めから言おうとしていたかも?と思うのですね。
あるいは、空にむかって泣くという言葉にしか置き換えられない、
つまり行き場のないような、あてもないような、むなしいような、悲しみややりきれなさがちょっと間抜けにしか見えないような、色や配置やバランスがあったなら、
抽象絵画としてそれを描いたらぴったりだったでしょうか。

そうして、虎が出入りしなくなった部屋という、これも、連続的な、日夜の繰り返される時間があって、
こわれた手足や椅子の位置のこともヴィジュアルとしてよくわかるなかで、
手足や椅子がおそらく主語なのですが、それも希薄な結びつきではありますが、
またしても出来事が立ち現れます。
「吠える/ 空をきしませて 吠えつづける」という出来事。
吠えつづけるというのだから、時間の終わりがない。
空をきしませて吠えるのなら、風のようにというだけでよさそうなものですが、
ミルクや風のように吠えるのだから、
見た目なのか、味なのか、匂いなのか、肌ざわりなのか、音なのか、
五感でつかまえた出来事なのらしい。
やっぱり、虎の出入りした部屋のことのあとさきでなく、
空をきしませて吠えつづけることを、
空にむかって泣いていることと同じくらい、端から言おうとしたのかな?と思います。
そんな言葉にしか置き換えられない、ノイジーな、歪められた、耐えられない、衝動に駆られた、深くから来て遠くへ長引く音を、
現代音楽のような手法で奏でられたら、それもよかったのかもしれません。
シュルレアリスムといえばそうなんでしょうけれど、
左右の脳をたくさん使えて刺激的でよいのではありませんか。
記号的解釈を施してしまうと、左脳処理に偏ってしまうようで、ややさびしいですね。


 「終日 虎が」

                   白石かずこ

 終日
 虎が出入りしていたので
 部屋は
 荒れつづけ
 こわれた手足 や椅子が
 空にむかって
 泣いていた
 終日
 虎 が出入りしなくなっても
 こわれた手足 や椅子は
 もとの位置を失って
 ミルクや風のように
 吠える
 空をきしませて 吠えつづける
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この回答へのお礼

大変ご丁寧に、ご回答をありがとうございました。

コメントが大変遅くなり、申し訳ございません。

詩の読み方は、どうしても難しいです。

感性で捉えるといっても、右脳が発達している人ならば、可能なのかもしれませんが…

教えていただくと、ああそうなのかと、ヒントになり、読みすすめられます。

本当に、感謝いたします。

お礼日時:2013/08/05 01:50

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