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よく言われますが…

結局みんななんだかんだで自分のことばかりじゃないですか?
自分勝手じゃないですか?
自己中心的ではないですか?

人を傷つけても平気で生きている人もいます。
そんな人に限って順調に人生を歩んでいます。

神様って不公平だな、なんて思うことばかりです。

A 回答 (11件中1~10件)

まさに貴方の言うとおり、でも神様は関係ないでしょ。


というかそういう人って神様を信じないから自分中心なんですよ。
神様信じているといっても、結局自分の都合のいい神様だったり。

でも貴方もおんなじ。自分の都合のいい神様だから、神様が不公平だと感じているんですよね。
災害にあえば「神様は不公平」。悪いことして儲けていれば「神様は不公平」
そもそも公平ってなんでしょうね。

今の世の中、積み重ねられてきた「徳」や「道」がないから、自己の集まりでしかない。
KYとかマナーとか常識もすべてエゴの集積でしかないんです。
戦後、自分たちがそういう社会にしてきたんだから仕方ないんです。
それだけのことです。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2013/06/03 11:28

具体的な対応策の一つとして、言葉遣いだけでも丁寧に、相手中心の話し方にしたら如何でしょう? 



お手本は国会での与野党の質疑応答です。 

よく議員の使う言葉に「国民の皆様の・・・」というのがあります。どれだけ考えていると思いますか? それでも単に「国民の・・・」というより国民に対する気持を考えているように感じるから不思議です。きっと『言葉使いだけでも』意味があるのですよ。

もし聞いたことがないのでしたら、取り敢えずNHKの国会中継を聞いてみて下さい。 何かの参考になります。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2013/06/03 11:34

人の気持を考えるのも、相手の気持ちを考えるのも二次的なものだと思います。



それは心の余裕とも言えるかもしれませんが、
まず自分の安全があって、そこに余力があれば相手のことを考える。
これが一般的で正しいことなのだと思います。
(気持ちの上ではどこかモヤモヤしますが)

実際に100%相手のことを考えて行動したらどうなるのでしょう。

きっとされた方は、その気持の重みに耐えきれなくなると思います。
仮に自分のために誰かが死んだとしたら、
きっと素直にうれしいとは思えないはずです。

人を傷つけても平気でいる人間も確かに存在します。
でもそういった人は自分に余裕がない、他人を傷つけてでしか自分の安全を守れない人なのだと思います。
そんな人が果たしてこれから先も順調な人生を送っていられるのか、

人には想像力があります。
それは時に少ない欠片から全体を予測し姿形を決めつけてしまうことがあります。
(丸く見えるものも傾ければ筒状のものだったなど)
それがなんなのかを知るには多方面から物事を見なければわかりません。

一人そういう人がいたからと言って、全てがそうとは限らない。
順調に見えているだけで、実際にそうだとは限らない。

公平という意味は、全てにおいて皆同じだということです。
そんなことはありえないから不公平なんですよね。

きっと質問者様は余裕をなくしておられるのだろうと思います。
何か今までに自分になかった新しい価値観と触れてみるといいかもしれません。

たいして回答になってなっていませんが、
良ければ参考にしてください。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2013/06/03 11:35

そうですね、公平じゃないですよね。



でも、相手の気持を考えることも、自分のためなんですよ。
一人で生きていられないから、周りのことを考える。
相手と自分が仲良くやっていこうとするために、相手のことを思いやるわけです。
これもひとつの「生きるすべ」です。
別に何が得で何が損か、っていう話だけじゃないんですよ。

この世が弱肉強食だけの世界なら、上手くやっていく人のほうが得です。
ですが、実際には弱肉強食の世界というほどに、日本という国は荒みきってますか?。
そういった一面があるにせよ、実際はそうでない部分が多いはず。
助けあったりしながら生きている人のほうが、ずっと多いってことですよ。

あなたは「どちらをみる」つもりですか?。
もしくは「どちらの世界で生きる」つもりですか?。
そこをハッキリしないといけません。
今のままだと「どっちつかず」です。

勝ち負けの世界に生きるか、融和の世界に生きるか。
決めるのはあなたです。
どちらも今の日本には存在しますし、どちらも日本という国の現状です。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2013/06/03 11:38

その通りですね。



たとえば、なんで殺人罪なんて刑法であると思いますか?

人は、人を殺す危険があるからです。

それと同じで、「あいてのことを考えろ」と言うのは、
それだけ人はエゴイストだということです。

不幸平ですね。
大事なのは、不公平を敵にするか、味方にするかですね。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2013/06/03 11:41

普段・日常的に神様に対して「敬意」を払って生きていないのに



自分が嫌な目にあった時に「神様って不公平だな」
何かあると「神様にお願い」

そんな思考こそが、正に

「自分のことばかり」
「自分勝手」
「自己中心的」

の象徴であり、貴方自身も十分「自分のことばかり」「自分勝手」「自己中心的」に生きている証なのです。

もし、貴方が「人の気持ちを考えろ」「相手の気持ちを考えろ」と言われていて
そして、そう言われる事に納得出来ないのであれば、それは

「貴方が自分のことばかりで、自分勝手で、自己中心的に生きている」からです。
つまり、「貴方が嫌う人間達と、貴方は同種の存在」という事です。

「私の気持ち『だけ』考えてよ」「私の気持ち『だけを』優先してよ」

こういう気持ちがあると、「人の気持ちを考えろ」「相手の気持ちを考えろ」と言われても
むかっ腹が立つばかりで、「そんな事を言う人間『だけ』が、自分勝手で自己中心的」に思えて

「自分(の意志・立場)を見失う事無く、人の・相手の気持ちを考える」
という、「成熟した人間なら、実はそんなに難しくない事」が出来ないのです。

「自分の気持ちだけを押し通す」のが「素直な生き方」ではありません。
当然、「自分の気持ちだけを押し通す」様な言動は「純粋」でもありません。

「人の気持ちを考える」「相手の気持ちを考える」とは
「自分を見つめ直す」という意味合いも含まれています。


いずれにせよ、繰り返しになりますが
日頃「神様」を敬い、大切にし、「神様」の為になる言動を取る事もしないのに
自分の希望・欲望が思う様に叶わない時にだけ「神様」を持ち出すのは
(「神様なんていないんだ」「神様は不公平だ」と否定したり、神頼みしたり)
傲慢の極みであり、最も「自分の事ばかり」「自分勝手」「自己中心的」な言動だと思います。

「神様」は、「人間の欲望や我が儘を叶える」為に存在しているのではありません。
勿論、「人間を救う」為に存在しているのでもありません。

キリスト教でも、「神」は人間を審判する存在であって救いはしません。人間の原罪を背負い、救う役目を担うキリストは「神」ではありません。

日本における「神」も、敬い慕う対象ではあっても、「願いを叶えてくれる存在」ではありません。神社での「……します様に」という祈願は、そもそもは「……する様に全身全霊をもって取り組みますので、どうか見守っていて下さい」というものであって、「神様に御願いして叶えて貰う」という物ではありません。

誰が、どんな生き方をしていても、それは「神様のおかげ」でも「神様の所為」でもありません。

自分ばかりお綺麗で純粋で可哀相な存在ぶるのは止めましょう。
今現在、貴方の希望・欲望がどれほど達成されていなくても
貴方は十分「自分の事ばかり」「自己中心的」な生き方をしているのですから。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2013/06/03 11:45

本当ですね。


意地の悪い人が人の気持ちを代弁したところで見当違いですし・・
ただ、表向きの人生は順調そうでも、不幸な事も少なくなさそうです。
根が「そんな人」ですから。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2013/06/03 11:47

はい。

自分勝手です。

ただし、自分がどう生きたいか、長期的にみるか短絡的にみるかで大きく違ってきます。

人を傷つけても平気な人は人を傷つけても平気な人しか周りに残らなくなります。
そうするといつ仲間に自分も傷つけられるかわからない人生になります。
短期的にみれば人を傷つけてうまく進んでいても、少し進むとだれも信用できない道に行きついてしまいます。

ちゃんと人の気持ちを考えて行動している人は同じく人のことを考えて行動している人が集まってきます。
人の気持ちを考えて行動するに足る人と接し、人を平気で傷つける人や、人の気持ちを考えない人とは距離を置くようになるからです。
こういう人は最初は苦労をすることも多いかもしれません。
しかし、仲間が増えれば増えるほど、そのあとは順調に進めるようになります。

人の気持ちを考えず自分の正しいと思うことを押し付けて、人のためになっていると考えている人はどうでしょうか?
人は傷つけませんが、小さな親切大きなお世話的な相手のためにならない良いことをたくさんしてくるので、周りの人も疲れてきてしまいます。
そうなると相手の気持ちを考えないという点で同じ人を傷つける人に利用されることが多くなります。
こういうタイプの人が一番苦労することが多くなりやすいです。

別に不公平なのでなく、自分のした因果が巡ってきているだけです。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2013/06/03 11:51

皆、自分が可愛いんです。


自分が大事なんです。

>人を傷つけても平気で生きている人もいます。
>そんな人に限って順調に人生を歩んでいます。
「因果応報」という言葉があるように、順調にいってるように見えて、昔苦労したとか、人間何かしらあります。
それが過去なのか、今なのか、未来なのか・・・神のみぞ知る!って所でしょうか。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2013/06/03 11:53

そうですね。

決して世の中は公平ではないと思います。

そんな中、私的にはその言葉に常々疑問を感じております。
「人の気持ちを考えろ」確かによく耳にする言葉ですね。
しかし、本当に大切なのは「人の気持ち」ではなく「人の立場(状況)」ではないでしょうか?
気持ちが落ち込んでいる、傷付いている、荒んでいる、そういった人が欲するのは優しい言葉かもしれませんが、時として必要なのは真っ直ぐ前を向く為の叱咤激励である場合もあります。
需要ある安易な同情は相手に好感を与えますが、それが良い結果に繋がるとは限りません。時には反感を買い嫌われることになろうとも厳しい言葉を投げかける必要があります。それこそが真の思い遣りではないでしょうか。
そしてそれは、相手と自分が逆の立場になった時にも全く同じことが言えると思います。

その場限りの友好的な関係のためだけに安易な同情しか与えてくれない相手を、心の底から友であると思えますか?
その同情は、本当の意味で相手を思い遣った行動ではなく、自分が傷付きたくないが為の逃避かもしれません。
誰も傷つけずに生きられる人間なんていないと思います。ならばせめて、意味ある傷を付けてあげられる方法を意識して私は考えて生きています。
これは非常に自分勝手な理屈かもしれませんね。ですが、詰まる所どこまで行っても相手への行為というのは自分の考えの押し付けに他なりません。
相手の気持ちを想像してみた所で、本当の所はその相手本人にしか解らないものですから…。

ご迷惑かもしれませんが、貴方にも良い傷を付けてくれる方が現れることを祈ります。
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この回答へのお礼

有難うございます

お礼日時:2013/06/03 11:57

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