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内容はタイトルの通りです。

私は現在、大学生です。
今までの人生で何度も人と衝突してきました。
例えば部活の運営方法について先輩と言い争いをしたり
教師の二枚舌について直接追求したことの様にです。

しかし大概はうまくいきませんでした。
『言っている事は正しいけれども、それは出来ない』というのがその理由でした。


なぜ現在の社会では正論が通じないのでしょうか?
正しいことだと、やるべきことだと分かっていながら
非効率的な事を続ける意味がわかりません。

私には単に面倒だから
『大人の事情』や『それが社会なんだ』という言葉に逃げている様にしか思えません。

A 回答 (18件中1~10件)

 正しさは立場で変わる。



 あなたの正論はあなたが考えた正しいことです。

 『言っている事は正しいけれども、それは出来ない』という人は、出来ない理由をキチンと説明できなだけです。

 正誤の判断は、損得勘定です。

 損得はお金だけではありません。尊徳感情というのもあります。

 もっと厄介なものに嫉妬もありますね。

 そういった諸々をひっくるめると、正論だと主張すること自体が滑稽に思います。

 自分の信ずることを推し進め、障害があれば調整しつつ、目的を達成すれば良いのです。

 笑顔で朗らかに積極的楽天的にいきましょう。
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戦場で人を殺してはいけないってのと同じ事だから。


見えないところに正論を上回る何かが隠れているのでしょうね。
正論を通そうとすれば生きづらくなりますが、表に出せば正論に敵うものはない場合もあります。
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衝突はしたほうが良いと思います。


そうやって色々学習していくものだと思うので。
衝突しないで長年過ごした人は、全体的に「諦めた感じの人」になります。

一応ご質問文についてですが
>なぜ現在の社会では正論が通じないのでしょうか?

私が思うに、日本の歴史の中で今が一番「正論が通る」時代だと思いますよ。
戦国時代~江戸時代だったら「なんかむかつく」みたいな理由で死刑だったりしたと思いますし
終戦間際については誰もが知る通り酷かったみたいですし。

あと恐らく質問者さんが一番イラッとくるであろう「大人になれば・社会に出ればわかる」という言葉についてですが
これ、ご自身が幼稚園生くらいの時を思い出してみて下さい。
大抵の子供は「赤信号は渡っちゃいけません」と教わりますし、素直に実行します。
時々大人が赤信号を渡っているのを見て「悪い大人だ!」と思ったりします。
でも質問者さんは今、赤信号は何があっても絶対渡ってはいけないと思いますか?
赤信号を渡ってしまったものは生涯に渡って罰せられるべきと思いますか?
北海道の延々と続く一本道で、見渡す限り車も人もいない場所で赤信号を渡ったとしても?

この問いかけに対して、幼稚園生の多くは「やっぱりいけないことだと思います!」と答えるでしょう。
でも10代後半になれば、この意味がわかると思います。

今の質問者さんは社会人にとっては幼稚園生と同じ…というのは言いすぎですが、単に経験が足りないだけですから、その情熱を抱えて社会へ巣立って下さい。
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何が正しいかなんて、視点を変えればあっという間に変わります。


質問者さまの正論も、社会という視点から見れば正論ではない、それだけのことです。
もしそれが社会という視点から見て正論であれば、必ず通ります。

質問者さまの言うところの、『大人の事情』や『それが社会なんだ』という視点も含めて論を展開しないと、単なる反乱分子になっちゃいますよ。
効率化が組織全体、一部の不利益につながることもありますから。
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あなたが見る限りでの「非効率」なんでしょうね。



他の人にとっては、それは効率的かもしれない…それは考えたことあるかな?。
大人の事情とか、それが社会とか、それは単に「言い表し」でのこと。
プロセスはそう簡単じゃないよね?。
そのプロセスを見たかな?、知ったかな?。

逃げかどうかは追求をしてからね。
そうじゃないと、君が逃げてることになるぞ?。
それは嫌でしょ?。
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正論だけでは通じない!!



これは正論を理解できない相手に対する言葉です。

たとえば、きちんと教育を受けてきた人間と、
中途半端に教育を受け適当な職業についている人に正論は通じませんよね?

差別になるので敢えてその業種は掲げませんが、
質問者様よりも年齢がいっていても「あれ?」って思う言動をする人って
いませんか?

ちょっと考えればわかると思いますよ。
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「個人的な主義主張に固執することなく他人と協調して円満な社会生活をおくるべきだ」というのもまた「正論」であると思いますが。

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正論と正解は違うから



正論が正解なら倒産する会社はない
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大半の人間は正論が大切だと思っています。

そして事実その通りに進んで行ってる事は多いはずです。

でも、確かに正論が通じない事はありますね。

その場合の理由として、向こうには向こうの正論がある。正論であっても、動くだけの、また変えるだけの魅力のある提案ではない。言ってる人に人望がない。言ってる本人が口だけで、行動が伴ってない、などでしょうか。

多少間違っていても、今までの習慣を変えるのは大変ですね。変えたいと思ったら、面倒な部分は自分が全部背負うぐらいの覚悟がないとなかなか変わりませんね。特に人望のない人からの提案の場合、面倒な部分はすでにその人の努力によって解消されてるくらいでないと、動こうという気になれませんよ。そこまで苦労された結果の提案なら、聞こうと思います。

正論だけでは他人は動いてくれません。
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もう一言、アドバイスします。



類は友を呼ぶという言葉がありますよね。
要するに正直者は正直者同士つるむし、できないと言いたがる人はそういう人同士つるみます。

ですから、当然、できないと言いたがる人の中で正論を主張していれば浮きます。
でも、正論を言い、それを実行する集団ができればまったく浮きません。

社会、と物事をひとくくりにしてはいけません。

社会には善良な人と犯罪者の人とどちらもが存在して社会なんです。
言ってみれば、社会という大きな枠ですら1つではないのです。色んな社会があるんですよ。
それを社会に通じないとか言いたがる人は、つまるところ正論の通じない集合体には、通じない、
そういう意味を込めているのとともに、やるだけ無駄、つまり、考え方が底辺なんですよね。
そんな人とは付き合わないのがベストです。

同時に、考えの合う人、やろうとする人とつるんでいくと仲間がどんどんできます。
孤立なんかはしないです。やらない人の中に居れば孤立しますが、やる人を集めればいいだけのことです。
結婚はできない、なんて言う人もいますが、同じ考えの人と接すればいいだけのこと。


何故って、私は正論だけで生きてますから。
正論は突き詰めると、信頼になります。

間違っても逃げる言葉で自分に言い訳する人を信頼する人なんていませんよね。
要するにそういうことです。
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