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靖国問題の元凶はA級戦犯の合祀にあると思います。
靖国神社にA級戦犯が合祀されるようになったのは最近のようなのですが、なぜ、戦後数十年もたってからA級戦犯を合祀するようになったのでしょうか。
合祀に至った経緯を教えてください。

A 回答 (1件)

簡単に書きます。


フランシスコ平和条約が発効した昭和27年以降、連合国から戦犯と認定され服役していた人々の釈放運動が、国民の間から起こりました。その結果、A級は昭和31年、BC級は昭和33年に全員出所が実現しました。

次にこれらの人々や獄中に刑死した人々に対して、遺族援護法あるいは恩給法による遺族年金、弔慰金、扶助料の支給対象にしてほしいという声が挙がり始めます。これはすなわち靖国神社への合祀を意味するのです。この作業は、厚生省引揚援護局が国側の協力窓口でした。合祀までの手順は、

(1) 厚生省引揚援護局が合祀予定者の選考基準をまとめる。
(2) 都道府県がその基準に従って、合祀予定者の名簿を靖国神社に送付する。
(3) 靖国神社はその名簿によって合祀を決定する。

このようにして、戦犯とされた人々の名簿が靖国神社に送られたのは昭和41年、合祀が決定されたのは昭和53年のことでした。

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ということで、合祀された大きな理由は、独立後の遺族援護法・恩給法の運用にあったのです。当時の国民の大多数は、彼らは連合国によって犯罪者とされただけであって、国内的には殉職者としか見ていなかったようです。
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この回答へのお礼

非常に役立つ回答をありがとうございました!

お礼日時:2004/04/12 11:35

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