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穢れ、浄明正直などって、神道の教義なのでしょうか?

もしそうであれば、神仏習合など日本の倫理って私はいいものだと思うのですけど、価値としていかがなのでしょうか?

A 回答 (2件)

"穢れ、浄明正直などって、神道の教義なのでしょうか?"


 ↑
神道には教義とか経典とかは特にありません。
先祖を想い、自然に対する畏れがあれば、それはもう
立派な信者です。
しかも、信者であるとの自覚すら不要の宗教です。

だから、日本人のほとんどは神道の信者ですが、
信者である、という自覚は無い人が多いのです。

ただ、神道にも、それなりの宗教的な価値観めいた
ものはあります。

その一つが穢れ思想です。
穢れに対するモノが、清浄さです。

穢れは、本来は生命エネルギーの減衰を意味した
と言われておりますが、それに儒教や仏教が加味され
独特の価値観を形成するに至っています。

例えば、欧米キリスト教では、正義論が盛んです。
これは、善悪とは神が定めたものであり、それを探求せんとしたところに
原因があります。
全知全能の神が定めた概念だから、いつでも何処でも
通用する善悪というモノがあるはずだ、というところから
来ています。
それでその内容に諸説出来たわけです。
現代ではローティの定義が有力です。
(無知のベール説)

しかし、日本では正義論は盛んではありません。
それは、善悪などは時代と立ち位置により変わるモノだ
ということを日本人は知っているからです。

だから、日本では正義論ではなく、清浄か否かで物事の
善し悪しを判断する傾向が強くなったのです。
それが更に転じて、武士道などと絡み、美しいか
否かが善し悪しの基準となっている傾向があります。

その行動が美しいか、どうかですね。
例えば、弱い者いじめは美しくない、命ほしさの
裏切りは醜い、という具合です。


”神仏習合など日本の倫理って私はいいものだと思うのですけど、
 価値としていかがなのでしょうか?”
    ↑
いいかどうかは、その倫理、価値観で社会が上手く
やっていけるか、ということが基準になると
思います。
従って、そういう価値観は日本にとってはよいと
思います。
日本人はそういう価値観で何千年もやって
来たのですから。
しかし、欧米では上手く機能しないでしょう。
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この回答へのお礼

不浄などの概念は他の宗教であるようですけど、単語の力ってすごくて、やはり「穢れ」というのは単語として、何か的確に表している者に思えます。

キリスト教だと洗礼とかありますけど、神仏ともに信じるだけだと別に儀式はいらないものですよね。

確かにそうです。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 23:38

神道とはいっても一つじゃありません。

日本には多いときで100近くの神道がありました。
明治時代に政府が神道から教義を外したときに、教義を持つ神道のグループが政府の庇護から外れました。
その多くが教派神道と呼ばれます。(他にもあります)
教派神道は教義を持つ神道の総称なので、その教義は各神道それぞれ違います。

一方政府の庇護にあった神道は神社神道といいます。
現代において神道といえば、大抵はこの神社神道を指します。
神社神道には教義はありません。あるのは祭祀を行うものの作法だけです。
つまり、私達がマスコミなどで聞く、神社のマナーとか常識とか言うものは全てインチキです。
あるのは手水の使い方、再拝ニ拍手一拝の方法と玉串拝礼の方法だけです。それ以外はデタラメですし、その三つも絶対的決まりではありません。だから神社本庁の統括下にあったり協力体制にある神社でも参拝法法が違っているのです。

穢れは日本の歴史の中で生まれた一つの考えです。本来は約束事や上からの命令に背くことによって穢れとなりますが、平安や平城の時代にやたらと穢れが乱用され、今でも勘違いされたままですね。

浄明正直は神道の考えというのではなく、一般的規範でしょう。

でも高円宮憲仁殿下のお言葉のとおり、神社神道は風土・生活に根ざした広い意味合いを包含した、わが国の歴史と伝統とを踏まえた道徳、倫理、秩序、生活規範ですから、神道から生まれた倫理観だといっても過言ではないと思います。(仏教は「仏教の教えだ」というでしょう、1000年以上も神仏習合の時代を過ごしたので、分けるほうが無理だと思います)

ちなみに・・・
明治時代、新政府は徳川の寺重視の政策を神道重視の政策に切り替え、当初は神道に道徳・倫理や知識を教えさせようとしました。
ところがそれまでの神社は、それぞれに考えや教義を持っており、いきなり丸投げで任されたので神社によってばらばらになってしまったのです。
寺側はこれ幸と政府を批判し、詰め寄ったために新政府は神道に教育を委ねる事を諦め、神道から教義を外したのです。これに異を唱える多くの教義を持った神道が国の庇護からはずれ、宗教局に登録したので、これを「新宗教」と呼ぶようになりました。
また政府は神道を三つに分け、それぞれに式次第と作法を定めました。伊勢神道、皇室神道と一般神道(神社神道)です。これは神職のための作法であり、私達一般人の作法ではありません。
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この回答へのお礼

>神社神道は風土・生活に根ざした広い意味合いを包含した、わが国の歴史と伝統とを踏まえた道徳、倫理、秩序、生活規範ですから、神道から生まれた倫理観だといっても過言ではないと思います。(仏教は「仏教の教えだ」というでしょう、1000年以上も神仏習合の時代を過ごしたので、分けるほうが無理だと思います)

なるほど。神仏は確かにすでにわけれないですよね。


経緯やマナー、常識について記述をありがうございます。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/19 23:41

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