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こういう問題には造詣の深い方が多数いらっしゃるようなので、教えていただければと思います。

神道は「しんとう」と読みますが、これはなぜですか? もとになる中国語の発音(呉音とか)に関係するのですか?

「武道」はなぜにごるのですか?
九段下の日本武道館、あれは「ぶどうかん」ですよね。変換でも「ぶとうかん」では出てきません。念のため広辞苑で「ぶとう」とひいたら「無道」という言葉が出てきてとんでもない意味のようでした。

私の勘違いかもしれませんが、「にほんぶとうかん」って呼ぶ人がいませんか?なんか、にごらない方が耳になじんでいるような気がするのですが。

すみませんが、蘊蓄をちょっとおすそ分けして下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

度々失礼します、#10です。



>よろしければ、追加で教えて下さい。
正直なところ、門前の小僧よろしく、祖父や伯父の話の聞きかじりや、ちょっとは勉強しとかなきゃかなぁ・・・程度に本を読んで知識を仕入れただけなので、あまり詳しい話になると全く自信が無いのですが・・・
あくまで私の私的見解でしかないので、「ふーん」程度に収めて頂けたら幸いです。

>熱心な信者は、天皇家がそうですか?
現在での考え方だと、天皇家が最たる神道信者と言う訳ではなく、一応皇祖神がアマテラスだから、自分の祖先を尊んでいると言う風に考えた方が分かりやすいと思うのですが・・・実際はもっと複雑で、奈良時代頃から神仏習合と言う形でボーダーラインのなかった神道と仏教を、廃仏毀釈により神仏分離し、国家神道(=神社神道)として立て直すべく、皇祖神であるアマテラスを祀ってある伊勢神宮を神社の頂点とし、神社本庁に組み込まれた神社を神道神社として、国家の祀り事=政(まつりごと)行う機関として体裁を整えたのです。そして、その祀り事を司るものとして、天皇家が存在するのだと、私は認識しています。ですので、信仰の対象と言うよりも、政治を行うための一機関であると考えた方が良いのでは無いでしょうか。

>これも信者のうちにはいるのですか?
信者だから神棚・・・ではなく、日本人としての「心の拠り所」なのではないでしょうか。手を合わせる事は鎮静効果もありますしね。それに、神仏習合の名残かもしれません。先にお話したとおり、今は明確に分かれてはいますが、昔は神も仏も同じように扱われていましたから・・・でも、この点は正直、私もよくは分かりません。

>抵抗あるものですか?
そうですねぇ・・・別に手を合わせる事を拒むなどと言う事は無いですねぇ・・・言ってしまえば懐の深い宗教だなって感じはします。普通にキリスト教の方の結婚式に出れば讃美歌も歌いますし、仏教徒の方のお葬式に行けば御焼香だってします。特に「これこれをしちゃいけない」なんて制約は無いですよ。

神道がシンプルだけど奥が深いと言うのは、この制約がない(=教義や教典が無い)と言う点にあります。
何々してはいけないとか、何々をするべきだと言う制約がないからこそ、先に回答した「自分で考え責任を持った行動をする事」につながるんです。全てが自分で解釈し、間違った行いをとらない・・・自分の完全体としての直霊(結局、完全体から離れた霊はそれぞれの性格を有していて、例えば強い性格の部分を持った霊は荒御霊・・・と言う風に、それぞれ霊が宿った人の人格を形成していると考えられているのではないでしょうか)に恥じない自分であるよう、そして、その完全体である直霊に少しでも近づける人格を持てるだけの自分になれるよう頑張りましょう!ってやっていく事が、本来の大まかな考え方なのではないかと考えているのですが・・・(なんか、本来の神職者の方がご覧になったら、随分乱暴な解釈するもんだ!と思われるかもしれないですが・・・(汗))
こうやって様々な解釈がなされるから、神道を説明する・・・と言うのが非常に難しいのだと思います。

何度も言いますが、私の私見なので鵜呑みにされず、なるほど・・・門前の小僧の話もなかなか言いよるわい!くらいで収めて頂けたらありがたいです。
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この回答へのお礼

何度もおつきあいいただいて、ありがとうございました。
本職の方の説明だと難しすぎてわからないと思うので、ちょうどいいです!鵜呑みにさせていただきます(笑)。二回読んでみて、わかった気分でいます。
とても勉強になりました。世の中には私の知らないことが実にいっぱいあるなあ~と思いますが、確実に昨日よりは知識が増えました。
どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/06 23:00

御礼を有難うございます、#5です。



ドウとトウの違いは先程書き込みさせていただいたのですが、他の方達の御礼をみて感じたのですが・・・

社家で宮司だった祖父から色々教わったのですが、その教えてもらった事から理解したのは、神道の「道」は「道筋」を表すものだと言う事です。これを「かんながらの道」と言います。

神道の考え方として、人の魂は大きな「直霊」(惟神)から「分霊」(荒霊や和霊等、4ツの霊)されて生かされているとされています。その直霊へ少しでも近づける心持への道筋として、自分で考え責任を持った行動をする事(清明心=きよきあかきこころ)が「かんながらの道」であり、それを行う人たちが神道信者なのです。

ですから、この「道」は「教え」の意味や華道などに使われる「技芸・学問・術」の意では無いと思いますよ。

神道は奥深いといえば奥深いのでしょうが、とてもシンプルで単純です。その分(宗教として見なくても)日本人の原点としてなかなか興味深いですよ。機会があれば簡単な書籍などご覧になって見られては如何でしょう。

難しいかな・・・御参考になれば良いのですが・・・
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この回答へのお礼

何度もお答えいただいて恐縮です。
お話を理解する素養がこちらにあればいいんですが、、、。
かんながらの道=神道、ですよね。自分で考え責任を持った行動をする、簡単そうでなかなか難しいと思います。目指して頑張ります!

よろしければ、追加で教えて下さい。
神道信者というのは、その最たる熱心な信者は、天皇家がそうですか?
私の実家などにも神棚があって、たまに柏手を打ってますが、これも信者のうちにはいるのですか?(仏教徒ですけど、、、)
創価学会の信者の友人が、神社の鳥居は絶対くぐらないんですけど、神道の信者さんはお寺で手を合わせるのなんかは、抵抗あるものですか?

よろしかったら、また、ご教示ください。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/11/06 20:21

こんにちは No.6のものです



やっぱり難しかったですか…(^_^;)

>茶道、華道、武道、その道を極めるものはドウのようですが、神道はそういう意味ではないからかな? 

そうです。
上手く言葉にできなくてすみません…。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
神道のことも、ちゃんと勉強すればいいんでしょうが、、、。いったん踏み込むと果てしないジャングルでしょうか。

お礼日時:2004/11/06 14:50

ぶとうかん、の読み方についてだけ。



武道館、ではなくて、「武闘館」という名前付けた道場があります。これは「ぶとうかん」と読みます。

道を究める為の館ではなくて、闘う事が目的の館。

これは参考にはなりませんか。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
はい、参考にはなりますが(笑)、日本武道館は闘うのが目的の建物とは思えません、、、。
余談ですが、あんなに座りにくい椅子って、許せます?(行ったことありますか?)コンサートなんてよくやるようですが、座って聴くなんて思ってませんね!階段は傾斜が急で怖いし、、、。

お礼日時:2004/11/06 13:32

中国語の勉強をしているものです。


http://www.pacific-en.co.jp/x260-4-2.html#A-4
を参考にしますと、要するに、古い中国語(隋・唐の時代)には濁音と清音(有気音と無気音)の区別がありましたが、その後、濁音と清音の区別がなくなり、元寇で有名な元の時代には有気音と無気音(どちらも清音)の区別だけになりました。実際、「動」も「東」も、現代中国語では、トンと読まれます。
トウと読まれるのが、もし中国語の音に関係したのだとすれば、新しい音を輸入したからだ、と考えることができます。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
参考URL拝見しましたが、理屈っぽいのは受け付けない軟弱な頭脳の私には???でした。すみません。

私には多少、現代中国語の心得はあるので、動と東のピンインが同じ(四声は違う)のは知っていましたが、元の時代のことというと、わりと後世ですね。

道のピンインはDAOだけですよね、今は。(濁らないでDAOを早口で言うとトウと聞こえないこともないですが)昔は違ったんでしょうか。難しくなると私にはたちまちわかりませんが、、、。

お礼日時:2004/11/06 12:58

こんにちは



「道」という言葉は、 
「みち」 そして 「どう」と 読みますね。
これはおわかりになると思いますが、
「人や車が通るところ。」と いう意味です。
そして、その他に、
「人が守るべき義理と教え。宇宙の原理。」
こういう意味もあります。
神道の「道」は、これから来ています。

道理という言葉は「どうり」と読むのに、
「神道」は「しんどう」とは読みません。

神様の教えは人から伝授されたり
諭されるとかということでは無くて、
自由度が高くいろいろな表現がされたりします。

日本の神様は、上に立って
人を縛りつけるようなことはしません。
はるか昔にこの世界が出来た時からあって神聖なものであり、
個人の精神世界にゆだねられているところが高いです。
同じ「道」という言葉であっても「みち」「どう」とは
別のものであるということから来ています。
判りづらいかもしれませんが…。
「神道」という言葉は「日本書記」にすでにでているのですね。

精神的な世界のことを考えると
「茶道」など は共通点もありますが…。

仏法は「法」 神道は「道」と 言葉がつながるのも
考えてみれば 面白い(?)ですよね。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
すみません、よくわかりません、、、。
茶道、華道、武道、その道を極めるものはドウのようですが、神道はそういう意味ではないからかな? 

お礼日時:2004/11/06 12:42

おはようございます。



神道(しんどう)とは本来、魂の還るべき道筋の事を表します。今でも使うか知りませんが、昔から陵や墓所への道すがらの目印たてる碑を「神道碑(しんどうひ)」と言います。
それと、日本古来からある固有の信仰(かんながらの道)との区別の為に、こちらの方は「神道(しんとう)」としたのではないでしょうか。
因みに漢和辞典をひも解いても、道の音読みに「トウ」はあります。古い辞書などを見たら、「シンドウ」と「シントウ」と両方でている場合がありますよ。

武道館の方は分かりませんが・・・
御参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
なるほど、区別のため、ですか。
人間と書いてにんげん、じんかんと区別するようなものでしょうか。
参考にいたします~。

お礼日時:2004/11/06 12:35

「言霊」も「ことだま」でなく「ことたま」が正しいとか。



神道では濁点は穢れにつながるので嫌い使わない!
と聞いた(読んだ)ことがある。

さて、何で知ったっけ?・・・そうだ!

『帝都物語』の角川某氏の改名話の時だ(笑)
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。

>神道では濁点は穢れにつながるので嫌い使わないと聞いた(読んだ)ことがある。

なるほど!そうですか。帝都物語はちょっとボリュームがありすぎて読む気がしませんが、、、参考にいたします。

お礼日時:2004/11/06 12:32

googleで「神道」「由来」を検索しました。



参考URL:http://www.jinja.or.jp/faq/answer/06-01.html
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
自分で調べないですみません!過去ログは探したんですけど、、、。
まだよくわかりません。

お礼日時:2004/11/06 12:29

おまけ。

「ぶとうかん」というのは「舞踏館」のことじゃないんでしょうか?(明治の鹿鳴館などのイメージ)
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。そういうのもあるかもしれませんが、日本武道館はまわりを取り囲んだ感じで、けっこう圧迫感があります。

お礼日時:2004/11/06 12:27

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