登場人物の心理描写や過去など一切語らない完全客観型についての質問です。
見たまま、ありのままを伝えるこの視点ですが、こういった場合はその内に入るのでしょうか?
「いつも暗かった彼女が、紙とペンを持った途端生き生きとしだした。どうやら絵が得意なようだ。」
これは完全客観型ですか? 最後の「~なようだ」は個人的な予想や推測が含まれていませんか? こういうのはダメなんですよね? もうひとつ、
「Aは台所にお湯を沸かしに行った。途中、B子から電話がかかってきて、『お風呂も沸かしといて』と頼まれた。Aは溜め息を吐いた。どうやらまた、あの臭い女が来るようだ。」
"~のようだ。"←これって許されるのでしょうか? B子が家に来るとしても、臭いとは限りませんし、あくまで語り手の予想ですよね。こういった"予想"が許されるのなら、「~に違いない」とか「~だろう」とかもOKになります。
小説を書いているんですが、どこからどこまでOKなのかわからなくなってしまいました。
全部教えてとは言いません。いま例に挙げた"予想"や"推測"がOKなのかNGなのかどうかだけでも知りたいです。
よろしくおねがいします。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
人によって多少用語は異なるのですが、質問者さんが聞いておられるのは、いわゆる「外的視点の小説」、どの人物の内面にも入り込まない、ちょうどヘミングウェイの『殺し屋』のような小説を考えておられるのですね。
厳密な外的視点で記述しようとするならば、作家による心理分析も、内的独白も、「予想も推測もだめです。彼は思った」「感じた」「内心、そう思った」という表現の一切は不可能になります。
> 「いつも暗かった彼女が、紙とペンを持った途端生き生きとしだした。どうやら絵が得意なようだ。」
まず「暗かった」がだめです。暗いという評価はいったい誰のものなのか。
「生き生きと」もだめです。「得意なようだ」ももちろんだめです。
> どうやらまた、あの臭い女が来るようだ。
これは内的独白なので、カギ括弧にくくって「独り言」にしてしまえば大丈夫です。内的独白を地の文に紛れ込ませることはNGです。
作家は作中人物や舞台設定について、「見えるもの」を描写することができるし、過去の出来事の要約もできますが、人物の思想や内面(どんな性格であるか)、それに、出来事についての感想を伝えることはできません。けれど、それら以外のことならなんでもできます。
ですので、行動そのものよりも、行動に対する人間の反応の方が重要となるような心理的な物語には適しませんが、作家は人物の心の外にいて、外的な事件については全知です。人物の過去や現在について、読者の欲しい情報は、何でも与えることができます。
このスタイルを確立したのはダシール・ハメットで、彼の作品は厳密に規準が設けられていますので、おそらく参考になると思います。どれでも良いので、一度手に取ることをおすすめします。うまく使いこなせば、劇的で、ワイルドな効果をあげることができると思いますので、がんばってみてください。
素晴らしいです。貴方のような先生に私は師事したい。
無知で申し訳ないのですが、ヘミングウェイの『殺し屋』はこちらでしょうか。
http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/killers.html
初めて読みましたが、まさにこれが私の書きたかった小説です。
こういうのは"叙事体"と言うのでしょうか? 徹底的に主観を排していますね。
私は村上春樹の小説を読んだことがないのですが、彼はいつかこんなことを仰ってました。
「何かを人に呑みこませようとするとき、必要なのは、簡易な言葉と、良きメタファー、効果的なアレゴリーだ」
メタファーもアレゴリーも遣えないんですよね、完全客観型って。そこをどう工夫するのか、悩み所ですね。
小説ってそういう例え話とかが面白いんじゃないですか。作者の個性が出る所ですものね。中々骨が折れそうです。
ふと疑問に思ったのですが、完全客観型にも色々あるのでしょうか?
私は、この"ヘミングウェイの『殺し屋』"みたいな文体のみを指しているのだと思いましたが……。
主観を徹底的に排した語り口以外にも、完全客観型は存在するのでしょうか?
>まず「暗かった」がだめです。
なにかが脳天を直撃したようでした。「暗かった」含め、個人的な評価ばかりの文になっていました。
言われてから気づくようではダメですね……。精進しないと。
二つ目の例文、「どうやらまた、あの臭い女が来るようだ」っていうところまでは完全客観型になってましたか?
すみません、気になってしまって……。
ダシール・ハメットの小説もヘミングウェイの『殺し屋』みたいな文体なのですね。
今度読んでみたいと思います。ありがとうございます。本当にありがとうございます。
No.8
- 回答日時:
> ふと疑問に思ったのですが、完全客観型にも色々あるのでしょうか?
人によって分類のやり方も用語もちがうので、外的視点の小説も、さらに細かく分類している人がいるかもしれないのですが、わたしは知りません。ただ、単に「外的視点」であるだけでなく、「完全客観型」(つまり、一切の主観・評価を交えない)と定義すると、作品はきわめて限られたものになり、それ以上の分類は不可能なのではないかと思われます。
ただ、あくまで外的視点を貫き、語り手は主観を排して心理や思考の一切入り込まないままでも、登場人物の内面や思考を表現することは可能でしょう。ヘミングウェイの『殺し屋』のように感情的な要素を一切排除することによって、テンポをあげ緊張感を高めるような「行動小説」とは異なる種類の作品は可能だと思います。
だた、実際にどんな作品小説があるかといろいろ考えてみたのですが、ちょっと思い当たらず、結局は戯曲になってしまうんです。戯曲では、語りが存在せず、すべてが登場人物の言葉によって語られます。さらに、その人の内面や心理は、小説のように地の文で説明されたりはしませんから。
確か三谷幸喜がどこかで書いていたのですが、向田邦子の『阿修羅のごとく』の中で、三女が公衆電話から長女に電話をかける。長女は話し相手になっていたのですが、何かの用事で電話を離れ、それっきり忘れてしまう。ずいぶん時間がたってから、電話がかかっていたの思い出して、てっきり切れているだろうと受話器を取り上げると、三女はまだずっと待っていた…という場面で、長女と三女の関係ばかりでなく、三女のじっとりとしたひととなりまでも浮かび上がらせていて見事だった、下手な脚本家だったら、全部言葉で説明してしまうのに、というのがありました。
最近ではドラマでもなんだか説明的なせりふが多くて、「あなたは~と思ったんでしょう? だけど、わたしは……だと思うの」といった具合に、やたら議論ばかりしていたり、ナレーターが「~と思うA子であった」と心理を解説してくれたりしますが、本来の戯曲は、目に見える行動のうちに内面が描かれているものです。そうしてそれは演出家や演技者の助けが必要となるのであって、シェイクスピアなどを除くと、戯曲だけ読んでもそれほどおもしろいものではありません。
完全に行動的な小説、緊張感とスピード感のある小説を書くのか、それとも人生を再現するような小説を書こうとしているのか。
読者の多くは、内面の心理や思考までもドラマ化されている作品の方を「豊か」と感じ、より好むものです。ですので、ヘミングウェイやハメットのような作品にならおうとすると、失うものが少なからずあることは覚悟しておいたほうが良いでしょう。
語りのスタイルは、自分の書こうとするものによって決まってきます。
実作の助けになるようにまとめてみます。
語り手は、まず
「一人称か三人称か」
に分けることができます。
一人称であれば、主人公が語り手の場合(たとえば漱石の『坊ちゃん』)、観察者が語り手の場合(たとえば『吾輩は猫である』)、複数の人物が語り手の場合(芥川の『藪の中』)が考えられます。
主人公=語り手の場合は、読者は主人公の語りを直接聞くことになりますから、両者の関係は緊密になります(たとえば太宰治の『人間失格』の主人公にめちゃくちゃ感情移入する人はけっこういます)。こうして簡単に作中人物との一体感を覚えさせ、情緒的な効果を増すことができます。たとえば、ポーの『黒猫』を三人称で書き直すと、ばかげた物語になってしまうのですが、一人称で語ることによって、恐怖をかき立てることに成功しています。また、たいていの告白モノや怪談もこの語りが取り入れられます。そうすることで、実際にあったことだと読者に信用させ、読者と共に体験することができるのです。
小説の特徴としては、この一人称の語り手は、むしろ悪人の方がいきいきとしてくるということにあります。どうしてそんな悪いことをしてしまったのか、悪人はいきいきと語ってくれます。逆に、主人公が立派な人物であるとするなら、その物語は説教臭く、退屈でたまらないものになります。
つぎに、観察者が語り手の場合、大きな利点は、主人公の客観描写が可能になってくることです。ワトソンがいなければシャーロック・ホームズがどんな人物か、あれほどまでにくっきりとしたイメージを持つことはできません。
確かに観察者は主人公の心の中に入っていくことはできないし、作者ではないので、全知ではありません。その場に居合わせなければ、何が起こったのかも知ることはできません。けれども、何もかも分かってしまうと、話としてはだめになってしまうような作品の場合(たとえばミステリ)、知識が不完全であることは、逆に大きな武器になっていきます。ひとつひとつ明らかになっていく過程を、読者と語り手は共有できるからです。
また、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』のように、最後までどこか謎のある人物を語るときにも、有効な手法です。
数人の人物がそれぞれ一人称で語る場合、語られる出来事の信憑性が高まります。さまざまな角度から語られることで、出来事は立体的となり、同時にそれを語る登場人物のことも浮き彫りにしてくれます。スティーヴン・キングの『キャリー』は、さまざまな語り手を用意することで、実際にはありえないような話を、臨場感をもって描き出すことに成功しています。
三人称であれば、大きく分けて全知の語り手か、単一人物の視点を通した語りか、複数人物の視点を通した語りか、外的視点の語りかになるかと思います。
全知の語り手は、あらゆる人の心の中に入っていって、たえず移動し、読者は作者の報告を聞くことになります。たとえばトルストイの『アンナ・カレーニナ』では、語り手は縦横無尽に動き回り、読者に向けて警句を発したかと思えば、登場人物の外見を説明してくれ、内心にまで立ち入り、問題の背後にあるものを教えてくれます。
ただこの手法は、いまではいささか古くさいものになっていて、多くの登場人物の内面に入り込みたいときでも、複数の人物の視点を通して語られることの方が多くなっています。
宮部みゆきの『ソロモンの偽証』でも、ある場面では藤野涼子の心の中に入っていくけれども、別の場面では野田健一の感情の揺れを追うことになっていき、ところどころで作者の感想(「そのことに気づいてはいなかった」のように)はさしはさまれても、トルストイなどにくらべるとずいぶん目立たないものです。
単一人物の視点を通した語りは、行動に統一を与えたり、緊張感を持たせたりするのに優れた手法です。一人物の心、一人物の目を通したものとして表現されると、物語に一貫性のある筋を通すことができます。
たとえばタロウという人物が視点だとすると、「タロウは思った」とは言えても、その弟ジロウに関しては、「ジロウは考えているようすだった」と書くことができるにとどまります。また、タロウが居合わせないところで、ジロウが何をしているかは、タロウにはわかりません。その意味で、この手法は窮屈なものですが、一人称で語らないで、しかも一人の人間の精神の動きを表現するのには適しています。なんといっても数人の人間をかき分けるのは技術的にも大変なので。
そうして、先にも書いた「外的視点の語り」です。
自分の書こうとするものに見合う「語り」を見つけてください。
卒論であれ、小説であれ、どのようなものであっても、ひとつのまとまったものを自分だけの力で書き上げるというのは、大変なことと思います。
何よりも厄介なのは、途中で、こんなことを書いて何になるというのだろう、とか、こんなつまらないものを書いて、とか、無意味なことをしているのではないか、とかという声が絶えず耳元で聞こえてくることです。自分のダメ出しに負けないで、とにかく最後まで書け、と自分を励ませる人になってください。健闘を祈ります。
No.7
- 回答日時:
それだけみると会話中心ですね。
地の文は語り手という人格のいる感じが全くしません。そういうことなんでしょう。例文とは月とすっぽんに感じました。
ご紹介のは今の私には好きになれない文体なので流し読みしましたが予測めいた事は見当たらなかった。やはりしない方が完全度の高い完全客観なのでは。
ある意味楽な文体ですね。問題は機械的な語りだけで面白く出来るかになるのでしょう。
だから、していいのですかという甘えをしない方がいいのでは。ようだは語り手に人格性があります。人格性を出すなら、完全客観を求めていないのではと指摘したくなります。本気なら、ただカメラを回せ、映画を活字で取れ、でしょう。私は独白に頼るのこそ拙いと判断しますが独白はありでしょう。映画やドラマにもあります。良い映画にはないと思っています。
もちろん良さは貴方が決める事です。
映画なら汎用というかそれが映画なのですが活字にするとハードボイルド効果になりませんかね。
例文からハードボイルドは予想だにしませんでした。無い物ねだりの憧れでしょうか。大変です、自分の感性との戦いが始まりそうですね。ただし、無責任に言いますけど文体としては楽だと思います。科学的考察で主観客観をいつも判別しているので客観描写の精神性にまるで憧れのない私を基準にするとむしろ視点間違いが起こりにくい文体です。
面白い話題なんですけどまるで法則化されていないように思います(作品例を頼る議論なのだから)。
No.6
- 回答日時:
眼前に現象するものを現実の眼の高さ(位置)で客観描写することと、高いところに位置することが多い「神の眼」は大いに違うということから、もう一度、考えなくては話にならないと思う。
貴方の考えていることは、大昔に流行したヌーボーロマン関係書籍を一冊読めば直ぐに分かる。
No.4
- 回答日時:
「Aは余りの臭いのキツさに顔をそむけた」
どうでしょうか完全客観。
「Aは溜め息のような息をついた」
客観という概念が扱いにくい(詭弁もどきな)のですが更に完全というのはどういう成り行きなんでしょう。何かもがきのような物だけは感じられます。
完全客観の小説はありますか。ご存知でしたら教えてください。どうです?
本当、私に候補を教えてください。貴方が影響された、手本にされた小説は?
こちらです。ついいましがた知ったのですが。
http://f59.aaacafe.ne.jp/~walkinon/killers.html
No.3
- 回答日時:
日本語文法の議論のグダグダさを再確認するまでもありませんが、お求めの正当性は無いんですよ。
個々の流儀が正統だという宗教論争以下の感覚論です。ですから、個別的にされてですね。例ではなく完成した具体的な文脈を国語カテゴリに提示されて、これで視点のズレなど客観性に問題ありと批判されますか、と再質問なさる。個別にです。
ようだと語るのは神視点ではないからむしろ神視点を挿入しない方を注意しなくていいのだろうか。つまり心理の事実を描写できない語り手がどこまで世界を見通してしまってもそれは神ではなく客観だと違和感なく物語れるか。
ようだは覗き的な語り手ですよね。
本音を言いますと私も質問者と同じ要求をサイトや出版物にしたいのですが信頼感の持てる説明文が見当たらないでしょう。それを探すご質問でもいいけど、視点の専門書ありますか?みたくなるのでは。しっかりと分厚く完結した名書が出回っている様子がないのは是非は下らない正当性によるという真相に思いますよ。なんで名書がないの(笑)
No.2
- 回答日時:
可能かどうかは貴方が決める事で通用するかは読者ごとでしょ。
出版目的であれば出版者が第一関門。可能かどうかではなく使わないの普通なのでは?使わない表現なら認められるとしてそれを捨ててする意味があるか?それだけの事ですよ。認められたらそれから正当性を持つ意見に変わる。認められる文芸力のある作家は使用しないのでは?だから議論の対象になるわけです。文芸力のある完全客観にようだようだと使われていないからでしょう。可能かどうかじゃなくて他の表現にした方が上等だから試されないのです。
Aの例は多元視点で行けという前の回答です。完全客観ではないのです、Aの溜め息に絡んでしまうから、Aの視点を語り手が代弁する、同じ構造なのです。
その予測を要れないか、Aの予測とするかです。予測を書く必要がないのに可能かどうかのリスクを冒す作家はいないという。
私もこの話題は関心があるんですが世の中に賢い人がたくさんいるのにこの判然としない現状は判然としているという前提者が馬鹿で混乱のもとだと結論できます。しょせんは芸事という事です。
そうですね。2つ目の例文はおかしかったかもしれませんね。
まず間違いなく言えることは、もし、この2つ目の例文を完全客観にしたいのなら、「どうやらまた~」という最後の一文を取り除いたほうがいい、ということですね。
小説って難しいですね。
こういった法則があるにはあるんだけど、どういうことをしたらNGで、どこまでの範囲がOKなのかとか、良くわからないですものね。
No.1
- 回答日時:
貴方以上に分かっていない素人ですが三人称=客観という定義なんですか。
三人称は人称であり、客観は客観的に描写するかですが両者が等号になるならその客観は三人称であり語り手の主観描写ではないの?語り手が客観的に語るかは人称とは別。語り手が客観かはさらに別なのでは。それを求める作風なら疑わしきは使わない事です。作者自身が疑問な事を採用しない。
三人称で登場者の主観を持ち込まないのが三人称完全客観ならようだは使っていいと思う。
そのルールで客観的に面白い作品になるかはまた別。
OKもNGもなくそういう事。ようだと予測する文体が受けるかどうかでしょ。
私は嫌いです。
彼女は絵が得意だったで何故まずい?
B子の方は客観は難しいというかインチキ。Aの溜め息の原因だからAの予測。Aは予測したようだじゃないの。
私も人に教えられるほど詳しくはないんですが、三人称にはいくつか種類があるようです。
三人称 神視点(完全客観型)
三人称 神視点(多元視点型)
三人称 一元視点
もし二つ目の例文をAの予測にしてしまうと、それはAに視点移動したことになり、Aの主観が入ることになります。
この時点で三人称 一元視点になります。(神視点ではなくなる)
問題は、神が予想や推測をしてもいいのかということですね。
ご意見いただきありがとうございます。参考にさせていただきます。
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