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って、矛盾している気がするのですが、いかがでしょう?

確かに、人を「選ぶ」立場からすれば、自分で自分を認められないような面倒な人間は御免です。
でも、本人にしてみれば、「誰からも愛されない人間の、どこを愛したらいいの?」ってことになりませんか?
私自身そうなのですが、愛されたくてもかわいげのない「自分」のせいで誰からも愛されないのに、そんなものを、枷を、愛せますか?

特に虐待も受けておらず、暴言も吐かれず、十分な食事と教育を受けて育ちましたが、
それでも、親は親としての責務を果たしただけで、私のことを特別、私だからかわいいと思っているとは思えませんでした。
私が今その辺の子どもを見て可愛いと感じるように、まして懐いてきたらかわいいと感じるように、その程度の「かわいい」はあったと思いますが、それは単に「小さいから」で、だからより「小さい」弟の方が常にかわいがられていたのだと思います。
自分でも分かるほど、私はかわいげというものがないです。
もっとかわいく(顔の問題ではなくて)生まれてきてたら、自分を愛せていたのかもしれないけど……

「まず自分を愛しましょう」「自分を許しましょう」「あなたは、愛されていいのです。幸せになっていいのです」
なんて言葉を聞くと、具体的に実感が湧きません。
「どうやって?」「許すって何?」「愛されていいとか、何でそんなこと分かるの?」と疑問に思ってしまいます。
すごく薄っぺらくて表面的な、ただただ綺麗な言葉を並べただけで、特に意味をなさない言葉に思えます。
なんていうか、「あ」って言う言葉が、文字として美しくても、意味を持たないみたいに……
これってどう解釈したらいいのですか?

A 回答 (16件中1~10件)

人は愛されて初めて自分を愛せます。


実際私も自分のことが大嫌いだったのですが
主人に愛されてから自分を愛せる様になれましたからね。
親はもちろん無条件で私を愛してくれました。
でも親に愛されるのと他人に愛されることは全くの別ですからね。

では、何故この言葉を言う人がいるのか?
それは世の中には他人と比べて自分を卑下する人がいるからです。
つまりこの言葉は「そこまで自分を卑下しなくて良いですよ。」
と言っているのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

とてもうらやましく、また希望のあるご経験をお話しくださりありがとうございました。
自分を愛せなくても、愛してくれる人もいるんですね。
もちろん、ごくごく少数だとは思いますが……

「自分を卑下したって人に愛されないんだから(卑下するのを)やめなさい」、って意味なのですね。
それならまだ少しは理解できます。
もっとも、「やめなさいって言われてすぐやめられるかー!」とはなりそうですが……ひねくれてますね(^^;

お礼日時:2014/02/25 13:11

追記。



既に質問への返答はしたのですが、それをネガティブに受けとめた上で納得されていたようなので
もう少し伝えておこうと思いました

前回したのは単純に質問への返答をしましたが、
今回は質問から意図や動機、心理を読んだ上での返答になります
※注意点※
これは自分自身をより良い方向へ前向きな結論を出そうとする人へは有効です
ですが、現在心が疲れていたり誰かに救いを求めているような人は辛く感じるので有効にはなりません
なので事前に自己チェックしてから判断して下さいね


まずこれは前回への反応からkawagutinozomiさんならわかると思ったので言うことですが、最初に

「自分を愛さなければ人に愛されない」
って、矛盾している気がするのですが、いかがでしょう?
という事へ疑問抱きこの質問をされました
そのように矛盾を感じ疑問を抱くことは非常に大切な事だと知っていましたか?

同様な言葉としてよくある例として
「感謝しなければならない」「謙虚でなければならない」「努力しなければならない」などがありますよね
それらは別にしなければならない訳ではないんです

でも物事を自分の頭で考え判断することが出来ないタイプの人はそれを鵜呑みにし信じ込んでしまうのです
このタイプは次の特徴がある(一部分)
・悩み事を解決できない
・社会で苦悩する
・人間関係で苦しむ
・騙されやすい
・新興宗教などから勧誘されやすい

以上、大事なことだと認識できるように簡単な説明ですが一応しておきました
まだよく納得できなければ言って下さいね


ここから本題に入ります
kawagutinozomiさんは渇望するあまり愛されない自分を
悪者のように責めてしまっていますよね
それを行うとやがて更に苦悩が深まり脱け出せなくなるでしょう

もしそれが嫌であれば今悩んでる「愛されない」「愛されたい」という渇望を昇華させる必要があります
昇華すると今のような渇望というマイナス感情ではなく本来の自然な感情になるので
昇華を変に誤認しないように簡単に説明しておくと
要は問題を他者や自分のせいにせず肯定して受け入れる事をそう表現しているだけです

因みに、「ありのままの自分を受け入れる」という言葉を聞いた事がありますかね?
あの基本もその昇華なんですよ

以上、とりあえず概要だけに留めておきました

後はこの話しに対してkawagutinozomiさんが、
納得できない理解できないという意味合いで疑問を抱くか?ネガティブな気持ちになるか?です
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この回答へのお礼

重ねての回答ありがとうございます。

このお話がすっと心に入ってこないということは、結論を出そうともしていないということなのでしょうか?
辛くは感じませんでしたけど……

お礼日時:2014/03/04 18:33

お礼文ありがとうございました。


ただ、ご質問があったのでそれに対する返答をお許し下さいm(_ _)m

>生命=本能ととらえましたが、間違ってないでしょうか。

生命という概念を他の言葉にもし置き換えるなら、奇跡であり、秘密です。貴方はどんなに自分自身と向かい合っても、また、貴方がどんなに自分自身を愛し、信じ、理解しようと試みても、決して「これだ!」「これが私の全てだ!」と言い切ることができないものが、貴方がお持ちの「生命」なのです。

自分自身でも、決して自分を分かり切ることは出来ません。また、同様に生命を持つ全てのものに決して暴くことのできない「秘密」があるのです。

>人間だからこそ本能ではない「自分」があり、それが不出来だから本能が拒まれて動物として最低限のことさえできないのかもしれません。

この捉え方は正解です。

人間は本能の領域から離れたところに一番の人間らしさがありますね。自然に抗い、自らを家畜化して得た能力です。本能に従うこと、支配されていることから逃れている「自分」というものを人間は獲得しました。この能力は同時に人間に生きることからの「自由」をも与えたのです。

このとても大きなネガティブな感情のポジティブな側面が、人間に有限の時間を与えました。限られた時間の中で、その時間を超えて行く営みの歴史が人間史なのだと思います。

この世界の一つの真理に「自分が信じたものだけが現実になる」という考え方があります。

貴方が不出来であるということが貴方の信じたい現実なのかもしれませんが、貴方は不出来であり「秘密」なのです。出来ないことがそのまま終わるとは言い切れないのです。また、貴方が信じたいと願った現実に対して「覚悟」を持つことができれば、貴方にどんな現実が起ころうとも貴方は不幸になることは決してありません。

自分を愛するとは自分自身を「認証する」ことでもあるのです。貴方の心の中の自分が本能的な自分に対して「与える」ことなのです。本能的な自分とは生きることを肯定する自分です。

自分自身が「自分」に対してたくさんのポジティブな感情を与えなければなりません。人間が本能から逃れて人間らしく生きる為には、必ずこの領域の成熟へ向かわなければならないでしょう。

生命の秘密を暴くことには実は一つだけ方法があります。それは、その生命を完全に力で抑え込むことです。自分の奴隷のようにして、考え方や行動を自分の意のままに支配することです。

人間の歴史は暴力の歴史です。命や物を奪い、人を奴隷にして来た歴史です。人間の本能に宿る暴力性を抑える考え方が「自分自身を愛すること」なのです。本能から逃れ、人間らしく他者と分かち合って生きることを目指すことが、自分を、自分自身に向けられたサディズムから救うのではないでしょうか(^-^)
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この回答へのお礼

重ねてのご回答、ありがとうございました。
ちょっとオカルト?な話になってしまいましたね。

「信じる」というのは、口にするのは簡単だけど、本当の意味で信じることはかなり難しいことと思います。
特に、裏切られた経験のある人間には。
しかしの経験さえ、「裏切られるのではないか」と思っていた(信じられなかった)から生まれたもので……
結局のところ、どうしたらいいのかわかりませんね。答えなどないのが命だ、という結論なのでしょうけど……

お礼日時:2014/02/26 10:42

自分を愛さなければ人に愛されない


うーん、矛盾はしていないと思いますよ。

自分の長所を分かっている人は、人の長所を素直に褒めます。
自分を長所を分かってあげていない人は、
人の事も自分の事も卑屈に取ってしまいがちです。

だから、例え愛していると言われても、自分の考えが卑屈だと 
それはない、私は愛されていない。と思ってしまう。という事ではないでしょうか?

だからまず自分の事を大切にして自信を持とうね。
と、そういう事を言ってる一文な気がします。


自分の短所は10個言えても長所はなかなか言えないものです。(是非お試しを)
まずは自分の長所を10個言えるようになれるといいと思います。

自分の長所を探すには、周りの意見に耳を傾ける事も大事です。
周りが伝えてくれる自分の長所を卑屈に取らずに、素直に受け入れる事がまず1歩です。

私は誰からも愛されない人間だ、と蓋をしてしまっているのは貴方自身でしょうから
どうか蓋を取り、長所を受け入れる勇気を持って下さい。


私も貴方の質問のお陰で、とてもとても考える事が出来ました。
考えすぎて長文でまとまらない文章になってしまい申し訳御座いません泣
言葉は難しいですが、色々な方向から物事を考えることはとても良い事だと思います。

そのように考える事が出来るのはきっと
貴方の長所のひとつだと私は思いますよ^^
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

短所でもある、という長所ならたぶん10あげられると思いますが……
一長一短ではなく、完全に長所!と言えるのは、虫歯と八重歯がないことくらいですね(笑)

確かに、今までの経験が邪魔して、「口先だけじゃないのか」「体目当てじゃないか」「きっと本当の私を知らないからだ」などは思ってしまいますね。
リスクを逃れるためには身を守らなきゃいけないけど、メリットを得るには信じないといけない、でも信じたら痛い目に合うかも……
まさに虎穴に入らずんば虎児を得ずですね(><)

お礼日時:2014/02/25 13:36

「自分を愛さなければ人に愛されない」「まず自分を愛しましょう」


「自分を許しましょう」「あなたは、愛されていいのです。幸せになっていいのです」

kawagutinozomiさんが矛盾に思うのは当然でむしろ自然なことですよ

1つ間違っている事を教えておくと、
上記の事を「正しいこと」或は「そうでなければならないこと」と認識されていることですね
そうでなければ矛盾は生じませんので

上記を正しく修正すると、それは別に全ての人に当て嵌まることではないのです
勿論kawagutinozomiさんには当て嵌まりません
だからもう気にする必要はないですからね(^^)

あと「自分を愛さなければ人に愛されない」という事を正しいことのように思い込まれて悩まれていたので
一応伝えておくと
逆に「自分を愛するより皆から愛されたい」というタイプの人も沢山いるので覚えておいて下さい

皆同じなんてあり得ないことですし人それぞれ十人十色ですからね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

よく言われていることだし、質問に書いたように「確かに」と思うので、「正しいこと」だと思っていました。
でも、必要条件と十分条件のように、「一理あるけどすべてではない」片手落ちの理論だったのですね。
これが真理であれば、とてもじゃないけど救いがないなぁ、「自分を愛するようにしましょう」なんてよく言えたものだと思っていました。

お礼日時:2014/02/25 13:32

ANo.4です。

お礼文を頂き感じたことなのですが、質問者様の仰ることは分からなくはないのですが、どこか違和感を感じてしまうのです。

何となくですが、人生に対して満たされていない。その満たされていないことが人に愛されないと感じる原因ではないでしょうか。だから、他人には分からないのに、幸福で満たされているように見える人と自分を比べてしまう。そしてそれを、幼少期の経験などといった何かのせいにしているように感じます。

>それは親自身が「親としての責務を果たす」というスタンスであるということ(特に父)と、まず「生まれてきたかった」という前提がないので、飲食店のような感謝の構図が成り立たないのです。

この文に集約されているような気がするのですが、まず、親としての責務を果たすことは親の責務であって、子供が求めてもどうにもならないことですよね。ここに、愛されないのは親のせいにしているという気持ちが見て取れます。
また、「生まれて来たかったという前提が無い」ということを親が聞けばどのような気持ちになるでしょう。人として親を敬ったり親孝行と言うのは最低限の道徳心だと思います。いくら幼少期に平等にされなかったとは言え、今は立派な大人なのですから、この親への感謝が抜け落ちてしまっていれば、自分を愛することなど出来る訳がありません。親に感謝しない人を誰が愛そうと思いますか?

親の責務を親に求める前に、自分の責務を果たすべきです。どんな事情であれ、生まれてきたこと、産んでくれたことに感謝出来れば、先の回答のような飲食店の構図が成り立つ訳ですよね?
生きていれば様々な困難や苦があります。誰だってそうです。しかし、これだけは断言出来ますが、苦が無い人、苦を知らない人に幸せなどありません。何故なら、幸せは苦の数だけあるからです。これは、質問者様ご自身も分かっておられて、ご自分でも仰っているじゃないですか。

>私にも多少の幸福はもちろんありますが、それはどうしても耐えて耐えて耐えて努力してなんとかもぎ取った成果という風にしか思えないのです……

これが正にそうです。耐えて耐えて努力してもぎ取った成果が多少の幸福だと。質問者様だけではなくみんながそうなのです。努力もしない人がどうして幸福をもぎ取ることが出来るのでしょう? これこそが、幸せは苦の数だけあるということに他なりません。今が幸せだと感じないのであれば、それはまだ苦が足りないということです。

ですから、この疑問の正体は質問者様ご自身では気付いておられると思います。
結果を誰かや何かのせいにすることなく、親への感謝の気持ちを持てば、解決することではありませんか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

余計なことを書いたせいで、話の本筋から離れてしまい、申し訳ありません。
親のせい、というのは、あると思います。しかし、それ以上に自分の素質がなかったと思っています。
愛されるだけの下地があれば、親にももっと愛されたでしょうから。
また、「なぜ自分はかわいげがないのか?」という原因を考えていけば確かに幼少期に原因を見出しますが、
だからと言って「お前らのせいだからどうにかしろ!!」とは一切思っていません。
環境の影響は否定できなくても、大本は自分の可愛げのなさですから、仮に弟ができなくてもそれはそれでまた別の方向にひねくれたり高飛車だったりしてたと思います。
結局は自分の問題です。
親への感謝は、子どもができたらするのかもしれない、今までの心無い発言(事実である以上、うそをつくか、心無い発言をするかしかないと思って発言していますが、親に対して心無い発言だなぁとは思っています。嘘はつきたくないのでそうゆう話題になれば言っていますが)を後悔するのかもしれない、とちょくちょく思っていますが、そもそも誰にも愛されない=子どもができるなんてことがないですから、そんな日が来るのかどうか。

結果を自分の「せい」にするのは、解決に向けて必要な原因究明を行った結果なのですが、
誰にも受け止めてもらえずに長らく毎日を過ごしている方は、「自分のせいだから仕方がない」以外にどうやって自分を納得させているのでしょうか?
「納得できないからこその努力」を同時進行でしていたとしても……

お礼日時:2014/02/25 13:28

誰が言っているのですか?


坊さん? 神父さん? そんなタワムレに付き合っている
貴方自身が問題です。

そう、貴方が否定するように、、、
自分の価値は自分が決めるのではなく、人が決めるもの!
人の為に、、、社会の為に、、、尽くしてこそ良くも悪くも評価され
それが仕事ならば対価を受け取るのは必然的な所行。
それを当然と思うか? 少しでも仕事を通じて良い事をしてやろう!
とでは、言動も違えば評価も違ってくるのではないでしょうか。
何よりも「自分の気持ちが幸せになる。」、、、「自分を愛する」を
強いて言えば、そんな解釈なんじゃないでしょうか。


密かにもうひとつ貴方の心に潜む問題がありますよね。
親からの愛情が不足していると感じておられるのですね。
それこそ、親も人間!人の子! 貴方が生まれた時は全てが
初めての事で、成長するにしかがって、先読み出来たものは
ひとつもないはず。

もう過去には戻れませんので、貴方に子供が出来た時!
貴方の親が年老いて介護が必要になった時!
両親に教えて貰っていなくても、こんなに立派に人の為に愛情を
注げるようになりました。 と自負する貴方がそこにいてもいいんじゃ
ないですか? 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>そんなタワムレに付き合っている
>貴方自身が問題です。
ごもっともです。
この言葉自体が、そこまで真に受ける必要がない、真理ではない「タワムレ」なのですね。
なのにどうしてこんなにいろんなところで言われてるのかというと、やっぱりそうゆう関連の記事が受けがいいからなんでしょうねぇ。
そう考えると、自己啓発本とかコラムとかってすごく無責任なものに思えますが、一方で「そういったものを実践したほうが良い」という意見もあるし……
なにでうまくいくかは本当に分からないですね。
世の中の幸せなご結婚されている方々が、別の生き物のように思えてきました。

お礼日時:2014/02/25 13:17

No.2です。


もう一度回答させていただきます。

あなたの言いたいことは分かります。
だけど、その理屈だと赤ちゃんの頃からやり直すしか道がないようにおもいます。
おいくつの方でしょうか。
現実に無理な事を求めても時間の無駄ですよ。

この際卵が先か鶏が先かは関係ありません。
目的を目指す方法を考えましょうよ。

私ももっと温かい家庭に産まれてたらと考えてしまうことがありましたが不毛なんですよね。

自己啓発本が書店に行けば沢山ありますよね。
どれもこれを実行すればこうなれるみたいな。
自己実現出来る人は、本当かなと疑わずとにかく実行した人だそうですよ。
同じことが言えると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

25歳です。
自分の育ちのことを書いてしまったばかりに、ずいぶん話がそれてしまい申し訳ありませんでした。
「誰にも愛されたことのないもの」という言葉に対し、「親には愛されたでしょ?」という回答がつくと思い先に説明しておくというスタンスのつもりだったのですが(^^;

お礼日時:2014/02/25 13:13

貴方は先ず、自分とは一体何なのかを知る必要があるでしょう。

一番簡単に書けば、自分とは貴方の身体が生み出す「感情」の受信器です。

感情は貴方の身体が生み出すものであって、貴方のものではありません。自分という貴方は、一方的に身体から感情を受け取る。という存在です。身体が発信器、自分は受信器です。

(身体という言葉を「生命」という言葉に置き換えてもいいでしょう)

感情は一方的に貴方の生命から与えられる。生命と自分とは別々の意思があり、思惑があります。感情はその橋渡しですが、基本的には生命は言葉を持ちません。ですから、私たちは自分の生命であってもその存在についての理解が乏しいのですね。

例えば「痛み」について。「痛み」は身体の内側にだけ響く作用です。この「痛み方」というものを誰かと共有することは出来ません。同じように殴られたとしても、自分の痛みが他の人の痛みと「同じである」ことを証明することは出来ません。私の痛みを誰かに代わってもらうことは出来ないのです。

つまり、私の痛みは私「だけ」の痛みです。この世界にこの痛み方ができるのは「私だけ」なのです。世界に一つだけのものを持っていることに価値が無い訳がありません。貴方は世界に一つだけの痛み方を与えてくれる自分の「生命」に対して、尊敬と愛情を持たなければなりません。

世界に一つしかない貴方の生命の「個性」と、世界に一つしかない私だけの感じ方という「個性」。この2つの個性が身体の内側でぶつかり合い、統合され、あるいは反発し合いながらも一つの人格を形成しています。(この統合が上手に出来ない状態を統合失調症と言うんですね)

とても複雑なことが身体の中で起こっているのです。

貴方は自身の「生命さん」に、どんな思惑があるかを貴方は考えなければなりませんね。

生命さんは、貴方にどんなことがあっても「生きる」ことを諦めません。むしろ貪欲に「生きる」ことだけを追求しています。貴方が寝ても覚めても、貴方が意識を失ったとしても、生命さんは一瞬たりとも生きることを諦めないし、継続を休むこともありません。貴方が自分でいる為に、貴方の生命さんは常に貴方と共にあって、常に貴方を支え続けてくれているのです。

生命さんが望むものはどんな状態であっても「生きる」ことです。きっと最後の最後の瞬間まで「私だけ」にしか感じることの出来ないこの世界というものを味わい尽くしたいのだと思います。どんなことがあっても生きること。生きること、生き方の肯定を生命さんは私たちに求めているのです。

自分自身を愛するということは、自分という概念を与えてくれる「生命の肯定」ということと同じ意味になります。自分に宿る生命の「不思議さ」を知って、初めて同様に、他人の生命に対する「不思議さ」を獲得出来るのだと思います。

不思議であるから、貴方には全てを説明することは出来ません。どんなに解釈を繰り返しても、まだまだ余裕や余白が残るもの。それこそが生命です。

神秘や畏怖の念。貴方の愛はそういうものを見つけたときに、あるいは自分の価値観を壊したときに生まれるものなのかもしれませんね(^-^)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

生命=本能ととらえましたが、間違ってないでしょうか。
確かに本能に即して生きることは尊いことですし、何も考えずに本能に従えるような生活が満ち足りた生活というのでしょうね。(無責任に子供を作るとかいうことではなく、自然と愛し合う人ができて自然と子供ができること)
人間だからこそ本能ではない「自分」があり、それが不出来だから本能が拒まれて動物として最低限のことさえできないのかもしれません。

お礼日時:2014/02/25 13:08

壮年、男子。

激しく同意します。

「自分を愛さなければ人に愛されない」  

たまに聞くフレーズですが、毎回「何いってんだろう?」と思います。いえ、反感ではなく、文字通り、自分の人生を振り返ってみて、どの経験に相当するのかわからないという意味です。

回答にも何にもなってないんですが、同じように感じる人が他にもいるということが、安堵するものがあります。

敢えてこの言葉に対する感じを言えば、誰かを慰めているように聞こえます。まあ、自分じゃないなと自問自答しています^^;
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この回答へのお礼

回答(共感?)ありがとうございます。

私の場合、「自分を愛せれば、人にも愛される」というのは実体験として分かるのですが、
ただしその前に「人に愛されれば、自分を愛せる」というのがつくのです。
人に愛されて初めて、自分を認めることができる。
自分を認められれば、自信を持って行動できるので、より人から認めてもらえる。

だから、人に愛されるために、みたいなコラムで、
「自分を愛さなければ人に愛されない」とされていると、「逆もしかりでしょ?何もない状態から無価値なものを愛せって具体的にどうゆうこと?」と、半分は純粋な疑問で、半分は反感で、思ってしまうのです。

お礼日時:2014/02/18 10:51

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