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4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

A 回答 (9件)

はじめまして。



今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私は決して強くはありません。
いい歳して親と同居してマザコンでと友人には言われていました。でもマザコンで何がいけないのでしょうか。大切な人と一緒に暮らしたい。いつまでも楽しく笑って過ごしたい。私は母と暮らせて幸せでした。治らない、死期が近づいている癌と言う病気に大切な人が闘っていて、でも自分では何も出来ない、私も心がボロボロになりました。

私の尊敬する住職に私の母の事を話しました。僧侶は「母が亡くなっても、母親の霊は消えることは無い、そして母の肉体も消えることは無い、何故なら息子であるあなたが母の分身であり、母そのものだからである」と私は母のがん告知を受けた時に母が死んだら、死のうかと考えていました。どうやったら苦しまずに死ねるか、変なサイトばかり見ていました。でもこの住職の説法を聞いて私は今は死ぬことなんか出来ない、自分が死ぬと言うことは母が死ぬと言う事なんだと悟ったのです。だから、今は自分がどうしたら母が喜ぶか、それを考え行動したいと考えています(まだ、出来ていないんですが。。。)。

むしろ私はあなたの方を尊敬します。その若さで父上を亡くされ、でも受験して高校に進学され、クラスで一番になった。私だったら満たされた状況でもクラスで一番は取れないでしょう。

そして、最初の高校は辞められたとしても、また別の高校からスタートをされた。
あなたの方こそリスペクトに値する人間です。

私は先の住職の話を自分で消化し、これからまた、何らかの形で人生の再スタートをします。天国の母が喜ぶ顔が見たいからです。そしていつかは誰かと結婚して子供が授かった時、それは若しかしたら母の生まれ変わりだと思うはずです。そんな気がします。

私も何とか立ち直ります。あなたもこれからの人生、さらにハッピーに生きてくださいね。

お礼日時:2014/05/03 13:50

「抜け殻の様な感じ」とのこと、当然だと思います。


お気持ち、お察しします。

「何故か冷静なのです」というところは、ちょっと心配です。
「大切な人が亡くなった時に湧く感情」は、
しっかりと味わうことで、その後の生活に好影響を与えます。
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専門家紹介

松川菜菜

職業:ビジネスアドバイザー

福岡のコミュニケーションコーチです。
コミュニケーションをマネージする観点からの
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専門家

私が 20代の時 母がガンで亡くなりました


もう手遅れで・・・と言われたけど 13時間ほどの手術をしました
医者には 止められたのに ナントカお願いします ・・・・
手術後 1ヶ月で亡くなってしまいました
母は 何も知りませんでした 告知していなかったので。
でもたぶん 母は 気がついていたとは思います。
母には かわいそうな事をしてしまった
いやひどいことをしてしまった
もう30年たちます
あの時 これ以上に哀しいことはあるのかと 思ったものでした

今度は 同じ年になった主人をがんで亡くしました
また手遅れ・・・・
母のとき あれだけ気をつけなければ・・・と思っていたのに
また・・・・
今度は 主人もガンとわかってて どんな状態かもわかってて
主人が「先生ナントカお願いします」と頼んで 13時間以上の手術をしました
それから9ヵ月後に亡くなってしまいました

母の死より 落ち込みました
母の死を越える哀しみでした

みんな同じなのですよ
乗り越えてがんばってるんです

あなたは失業中ですが お母様は あなたが立派な会社に勤めていたことを自慢に思ってたはずです
親として 幸せな気持ちでなくなられたと思います
そして 今後のあなたの幸せをこころから祈っておられますよ。

お母さんの最期を看取れた事 弱い息になって 静かに息を引き取られた事
安らか・・・であったのではないでしょうか?

私の母のときより いいと思います
出来ない手術をせずに 安らかに眠らせてあげれたのですから・・・
私は後悔ばかりでした
母のため・・ではなく 結果的には 自分たちのために 母に生きてもらいたい!と言う事だったのだから・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。未だまだ気分は落ちていますが少しずつ前進していこうと思っています。私は半年間、特に最期の一ヶ月間母が苦しむ姿、死の恐怖と直面している姿を見ていました。一緒に闘病する気持ちではありましたが、自分が出来る事は声をかける事、痛いところをさすってあげること、そんな事位しか出来ませんでした。癌と言う怪物の前で私は無に等しい無力な存在でした。一日でも長く生きてと言う思いとこれ以上母に苦痛を与えないで欲しい(安らかに逝って欲しい)と言う気持ちが錯綜していました。

お礼日時:2014/05/02 12:51

お悔やみ申し上げますとともに、ご冥福をお祈りします。



私は最愛の父を32歳で亡くしています。もうすぐ早いもので七回忌です。

私の父は朝は普通で、夕方には息をしていませんでした。
突然死で、私はパニックの母に代わり、救急車を呼んだり…あとはあっという間の葬儀で、大好きな父と突然別れることになりました。

こんなことを言うと、お怒りになるかもしれませんが、私は父に何もしてあげることが出来ず、後悔をしたので…。
色々とお世話を出来る時間を持てた質問者様を少しうらやましく思います。
私はその別れるまでの時間を「神様からのプレゼント」だと思っています。
私には無かった時間。
救いは、救急車の方に、「この状態ならほとんど苦しまず逝ったでしょう」と言われたこと位でしょうか。
散々苦労を重ねた父が、最期だけは苦しまず、布団の上で亡くなったことだけが救いです。

私も無気力になり、高校時代に父を亡くした友人にどうやって乗り越えたか、失礼を承知でたずねました。
彼女の答えは「自然に」でした。

父を亡くして数年経った今、私も同じ言葉が出て来ます。
悲しみは時間と共に、自然に薄れていきます。
父の笑顔ばかり、父ならこんな時にこう言うね、と。思い出して。
母と笑って話せる様になりました。

私は父に、心配ばかりかけた娘でした。それこそ、寿命を縮めたのは私だと、自分を責めた日もありました。
でも、私のことをいつも優先して考えてくれた、大好きな父に。
きっと父は、今も私を見てくれていると信じて。
恥ずかしくない娘でありたいと思ってがんばっています。

父は重ねた苦労を人に見せない、誰からも愛される、不思議な人でした。
私は遥かおよびませんが、父に近くなりたいと、がんばっています。


今の質問者様を見て、お母様はどう思われると思いますか。
ご自慢の子どもだったはずです。
将来を案じていたはずです。
どう思われますか?


私は父に、胸を張って、いつか再会したいです。
書きながら、久しぶりに泣いてますが…。

父が亡くなって、しばらくの間、私も泣けませんでした。
大丈夫ですよ。
心から、お母様が消えることはありません。
私から父が消えないのと同じです。

お互いいい親に恵まれましたね。
忘れずに、誇りを持って今を生きてまいりましょう。

いつか再会する。
その時に、私は言いたい。
私もがんばって生きたよ、と。


少しでも参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。突然の死が良いのか、段々と死んでいくのが良いのか。まだ私には分かりません。お別れの言えない突然の死も辛いでしょう。母が段々と死んでいく姿を為す術もなく、見守っているのも辛いものがあります。最期の時はどんだけ、怖かったのか、痛かったのか。今の私には分かりません。何れ分かる時が来るでしょう。臨終を見とれたけれども、闘病の最期の姿はトラウマになっています。

お礼日時:2014/05/02 12:56

お可哀そうに。



最愛の方を亡くされたのですね。

お察しします。
心からお悔やみ申し上げます。

今は十分に悲しみに
浸っていいのではないでしょうか。

お母様の死を
想像して同情する
わたしやお友達の言葉が
あなたの心に届くはずが
ありません。

お母様は
いずれ人々の記憶から消えていきます。

あなたを含めご家族や
限られた人を除いて
消えていきます。

ずっと泣いてあげてください。
忘れないでいてあげてください。

あなたの未来の奥様に
新しい命が宿ったとき、
貴方が人の親になったとき、
あらためて、人の生と死を見つめて、
命の大切さを噛みしめてください。

時間薬という、
およそ信じられない薬があります。

その薬が効いてくるまで、
無理をする必要はありません。

お母様が死をもって生の尊さをあなたに伝えた。

素晴らしいお母様でしたね。

誰の言葉もあなたには届きません。
それでいいのですよ。

貴方を回復させるのは
貴方です。

死にゆく命と引き換えに、
貴方は新しい命、輪廻の不思議さを今後味わうでしょう。

そのときに、
わかることがあります。

もうちょっと、
耐えてください。

がんばれ。。。。

貴方が成長するために。。。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。今回母の闘病する姿から教えてもらったことは、沢山あります。私は母への感謝と母との思い出は死ぬまで忘れません。

お礼日時:2014/05/02 12:58

悲しみの中にいる、あなたへの処方箋 [単行本 垣添先生著



を読んでみることをお勧めします。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

お礼日時:2014/05/03 05:18

お悔やみ申し上げます。


親が亡くなるというのはいくつになっても悲しいものです。
私も朝は元気だった父が夕方には事故で亡骸になって戻ってきて、13年以上たちますが未だに立ち直れません。

でも、日常生活は普通に送っていますし、仕事もし、充実して楽しい毎日を過ごせているのも事実です。

今は虚無感、抜け殻になるのは仕方がありません。
闘病中は家族皆が必死でしたでしょうし、泣いたことも多々あったでしょう。
死に行くお母様を目の前にして涙を飲んだこともあるでしょう。
やること、考えることが沢山あり、それがなくなった今、抜け殻になるのも仕方がありません。

悲しみは何年たっても消えません。
あのときこうしてあげれば、ああすれば……と後悔ばかりが残ります。
でも、お母様は絶対感謝していると思うんです。

今の状態を解決してくれるのは誰かの言葉とかではなく、時間でしかありません。
時間の経過と共に、悲しみ、寂しさを持ちつつも、日常の生活に戻っていけるものです。

仕事を探すのも四十九日を過ぎてからでもいいのではないですか?
あなたもこれまでお母様のために一生懸命だったと思います。
心身共に休んで、四十九日でお母様を送ったら、徐々に日常生活を取り戻して行きましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。少しずつですが、これからどうするか、どうやって生活を立てていくか、考えだしました。会社に就職するか、自営を始めるか。何れにしても母ならどうしたら天国で安心して、そして喜んで貰えるか、色々考えて決めたいと思います。

お礼日時:2014/05/02 13:00

そちらの地域の


グリーフ・ケアの専門家に会ってみるか、
Apathy Syndrome の専門医に診察を受けてみるか
してみませんか。

私は、父の死に因る心的影響から
脱けるには、かなりの年数が必要でした。
質問者さまに、趣味や特技等、淡々と
しつづけることがありますと、
(喪失シンドロームの根本的な救いにはなりませんけれど)
いいのですが……いまはまだ
難しいでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/05/02 13:02

冷たい表現ですが、窮屈な骸から解放された母親は49日まで色々な友人知人親類縁者の元を飛び回っています。


そして49日に菩提寺の墓に帰り、骸の無い魂がしばらくあなた方家族を静かに見守ってくれます。
そして、あなたは母親の亡くなった年齢より長生きする目標を持つのです。
亡くなられた故人に対し後悔などし何時まで悲しみから解放されない、あなたを母親は骸の無い姿で何時まで見守るしか無いのです。
直ぐにとは言いませんが、落ち着いたら仕事に家事に奮闘してみて下さい。
故人は神では無いのでお願いはしてはいけません。
お願いをすると良い方向には進まないのでお気をつけて下さい。
早く元気に前向きになることが故人に対しての良い行いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/05/02 13:03

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