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ドストエフスキー「罪と罰」を読みました。
集英社ギャラリー版 小泉猛訳です。

マルメラードフの死出の場面で
奥さんのカチェリーナ・イヴァーノヴナ(以下K)と、
その大家のアマーリヤ・イヴァーノヴナ(以下A)が口論します。
●● 引用1 ●●

A「わたし、前に一度、あなたに言いました、
あなた、わたしのこと決して
 アマリ・リュドヴィーゴヴナ 
と呼んではいけないこと。
わたし、
 アマリ・イワン
です!」

K「あなたはアマリ・イワンじゃない、
 アマーリヤ・リュドヴィーゴヴナ 
です。それに私たちはあなたにおべっかなんか使いませんからね、
いつ何時だってあなたをアマーリヤ・リュドヴィーゴヴナと呼びますよ。
でも、
  なんであなたがその名前を嫌うのか、わたしには何としてもわかりゃしないわ。」

●●●●●●●●

一方後日の法要の饗宴の席では、
●● 引用2 ●●

なんとも我慢のできなくなったカチェリーナ・イヴァーノヴナは、大声で

K アマーリヤ・イヴァーノヴナにはファーテル(父親)なんてまるでいなかったのかも知れない。だいたいアマーリヤ・イヴァーノヴナなぞ、ぺテルブルグに流れ込んで来た飲んだくれのフィンランド女で、昔は料理女(女中奉公)でもしていたのだろう、いや、まごまごすればもっとひどいこと(暮らし)をしていたのかも知れない

と『歯に衣着せず言ってのけた』。
アマーリヤ・イヴァーノヴナは真っ赤になって

A カチェリーナ・イヴァーノヴナの方こそ「たぶん丸切りファーテルなかったけれど、自分にはファーテル・アウス・ベルリンあった。
こんな長いフロック着て、いつもプーフ(プフー)、プーフ、プーフやっていた」

とやり返した。
カチェリーナ・イヴァーノヴナは、いかにも相手を軽蔑し切った顔をして、

K 自分の生まれは誰もが知っている、現に自分の父は大佐だったと症状にも活字で書いてある、
ところがアマーリヤ・イヴァーノヴナの父親なぞ(仮に父親と名の付く者があったとすればの話だが)、恐らく
ぺテルブルグに流れ込んで来たフィンランド人で、牛乳売りでもしていたのに違いない、
いややっぱり、父親などまるでなかったと考えた方が確かだろう、
何しろアマーリヤの父称は何というのか、
イヴァーノヴナ なのか リュドヴィーゴヴナ なのか、
未だにわかっていないではないか。

ここでとうとう、アマーリヤ・イヴァーノヴナは拳でテーブルを叩きながら、声を張り上げた。

A 自分は アマリ・イワン で、リュドヴィーゴヴナ ではない、
自分のファーテルは「ヨハン(Johann?)と言って市長してた」。

●●●●●●●●
(()内は別の訳者による訳。)

というように、Aがドイツ系ではなくフィンランド系ではないか、という中傷合戦にまで発展しています。
そこでいくつか質問です。

●Q1
Aは
  アマーリヤ・イヴァーノヴナ(か フョードロヴナ か リュドヴィーゴヴナ)・リッペヴェフゼル
というフルネームだと思いますが、
初出でフョードロヴナなのに後から別の父称で呼ばれるのはなぜです? 父称が人生途中で変わって複数持つことなんてあります?

●Q2
読む方としてもアマーリヤ・リッペヴェフゼルと呼ばれていた人が100ページ以上後で久しぶりに登場した時にアマーリヤ・イヴァーノヴナと呼ばれたりすると、同一人物だとわかりにくいです。台詞部分ではファースト・ミドルで呼ぶことが多いのはなんとなくわかりましたが、台詞以外でファースト・ミドルとファースト・ファミリーなどの表記ゆれがあるのは、訳者の癖ですか? (別の訳ではファーストのみに統一している物もありました。)
それとも作者が読者を飽きさせず脳を刺激するようにころころ呼び名を変える演出をほどこしたのですか?

●Q3
Aの配偶者は一度も登場せず、Aが大家として「女主人」とも表現されていますが、旦那さんは既に死亡している、と考えるのが妥当でしょうか。

●Q4
Aがリュドヴィーゴヴナという父称を頑なに嫌う理由がわかりません。
これは、Kが「なんであなたがその名前を嫌うのか、わたしには何としてもわかりゃしないわ。」と言っている通り、
Aの本名はリュドヴィーゴヴナだということを周囲は皆認知しているのに、それを本人が拒む理由をKも周囲も誰もわからず、従って読者にもわかるはずがない、ということでしょうか。

3つともヴナと付いてはいますが、イヴァーノヴナがよりドイツ系的だということで本人が好んでいるのでしょうか。

●Q5
それとも
フョードル と リュドヴィーゴ と イワン(ヨハン) という3人の父親候補の男性がいて、
 家庭の貧しさが故に養子(奉公)に出されたか、
 妾・愛人の子で認知してもらえなかったか(いわゆるシングルマザー)、
 Aの母親がリュドヴィーゴと再婚したので、世間的にはリュドヴィーゴの子として育てられてきたけれど、リュドヴィーゴと離婚した後、「あなたの本当の父親は実は、イワンというそれはそれは立派な人だったのよ」という秘密を母親が教え込んだのか、

とにかく「実の親と育ての親が違う」という、古今東西を問わず普遍的な「出自の悩み」を抱える役を作者が与えたのでしょうか。
そんな「ドラマティックな背景」でもない限り、
リュドヴィーゴヴナという名を他人(K)は知っているのにA本人は嫌がっている、という理由がちんぷんかんぷんです。

●Q6
「料理女(女中奉公)でもしていたのだろう、いや、まごまごすればもっとひどいこと(暮らし)をしていたのかも知れない」
というKのAに対する中傷は、
  ひどいこと = 売春
を匂わせている、と考えたら考え過ぎでしょうか?
「今は他人から家賃を取り立てるような女主人という良い身分についているが、どんなことをして成り上がってきたのかわかったもんじゃない。どうせ、あんたの母親は売春婦で、父親のわからないあんたもひょっとしたら売春婦をしてたんでしょ!」
と言っているのでは?

●Q7
「仮に父親と名の付く者があったとすれば」
という括弧書きが、Aの母親は売春婦だったかも知れない、と私が考える根拠です。
だって生物学的に父親がいないなんてあり得ないのに、わざわざ、
「Aには父親がいないに違いないと考えた方が確かだろう」
というKの主観が書いてあるのは、そういうことなのかなと思いました。

●Q8
移民なので偽名を多数使っているのでしょうか。

●Q9
この19世紀半ば当時、ロシアから見て、
ドイツ人は「多くが、商人や法律家などロシアに来て金銭面で成功している人々や知識人」という、尊敬とやっかみの対象だったのでしょうか?
ロシア人がドイツ人を下に見ず、むしろそのハングリーな勢いを恐れていたからこそ、ドイツ語なまりのロシア語などを馬鹿にしていたのでしょうか?

一方、当時のロシア人は、フィンランド人やポーランド人を、同じ移民は移民でもドイツ系とは明らかに違う馬鹿にした扱いをしていましたか?
またこうした文学の背景には、バルト海の玄関口である首都ぺテルブルグという地理も色濃く影響していますか?

当時作者は、
「どうせおまえ(A)なんてドイツ系を名乗っているけど実際はフィンランドの血統だろ」
「フィンランド移民なんてせいぜい牛乳売りのような貧しい家庭の育ちだろ」
とフィンランドも牛乳売りも見下しているように見えます。
(まあ近年は差別に敏感ですが当時は「見下す」という意識はなかったのでしょうね。)

ポーランドについても同様です。ドイツ人は(流暢ではなくても)ロシア語を話しているのに、Aのもとに寄食(=居候?)しているポーランド人を初めとした3人は、ロシア語を話せない存在として描かれています。(ポーランドってゲルマン系よりスラブ系寄りじゃなかったでしょうか。ロシア語を習得しにくいんでしょうかね。)
「ドイツ人に比べて相対的に勤勉ではない」という当時の偏見があるのでしょうか。

●Q10
KとAが喧嘩別れする前までは表面上は仲良く付き合っていて(葬儀の手配を積極的に手伝うくらいですから)、
でもKはAのことを「ドイツ系を名乗っているけど実際はフィンランドの血統だろ」と内心見下げていたとすると、
文中で度々Aが

  この馬鹿なドイツ女
  でたらめ千万なドイツ女

と表現されていることとの整合性が取れない気がします。ドイツ女と呼ぶからには、それなりにドイツ育ちの訛りがあるということですよね。なのになぜ「ドイツのことを馬鹿にする」のではなく、「ドイツなんて嘘で、フィンランドだろ」というくだらない口撃をするのでしょう?
Kも内心、「Aがドイツ系なのは明らかだ。父親が市長だったというのも本当かも知れない。」ということを半分承知の上で、相手の出自をけなしているのですか?

●Q11
Aが多くの人に貸している家(4階以上の背の高い木造?アパート)は、
  コーゼル(錠前屋さん、お金持ちのドイツ人)の家
と呼ばれています。
ロージャやソーニャの家もまた貸しですね。

私はこの「また貸し」というシステムに驚きましたけど、ヨーロッパでは大家公認のよくある文化なのでしょうか?
コーゼル  = とてつもないお金持ちのオーナー
アマーリヤ = 小金持ちの「家主」、現代日本でいうところの管理人兼不動産屋
というイメージでしょうか?
ドイツ系どうしで縁があった、当時ドイツ人は成功者が多かった、という演出でしょうか。

●Q12
プーフは葉巻プカプカ、で良いですか。

長くて恐縮ですが、一つずつでも良いので、よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

こんにちは。


外国語のカテゴリで質問されるほうが、お返事集まりやすいとは思いますが、、、
難しいことは、よくわかりませんけれど。

>●Q1
Aは
初出でフョードロヴナなのに後から別の父称で呼ばれるのは

>●Q2
読む方としてもアマーリヤ・リッペヴェフゼルと呼ばれていた人が100ページ以上後で久しぶりに登場した時にアマーリヤ・イヴァーノヴナと呼ばれたりすると、同一人物だとわかりにくい

英語でこの小説を説明するサイトをいくつか読みましたが、アマーリヤに関しては、父称が3つあることを、だれも疑いもせずにたんたんと書いていましたし、わたしも、読んでいてとくにへんだとは思いませんでした。たしかに、父称は揺れるのですけれど、しばらく間があいてまた登場する際には、大家の、とか、リッペヴェフゼル夫人のような書き方があるので、わたしは戸惑いはしませんでした。

推測ですが、この時代、名家に属しもしない、平民には、きちんとした姓がなかったのかもしれないし、まして父称だと、なにを名乗ろうが自由だったり、父親がわからない・あえてはっきりさせない・実の父とは違う父称を名乗る、なんて日常茶飯事だったのではないでしょうか。

また、演出上の効果というかはわかりませんけれど、このアマーリヤとカチェリーナの関係について、アマーリヤのよくわからない複数の父称、という存在が、彼女のだいご味というか、カチェリーナにとっては突っ込みどころで、そこをカチェリーナが突っ込むことじたいが読者にとっては面白い、と、物語に色を添えているのは確かです。

>●Q3
Aの配偶者は一度も登場せず、Aが大家として「女主人」とも表現されていますが、旦那さんは既に死亡している、と考えるのが妥当

未亡人かもしれないし、だれかの囲い者(だった)かもしれません。そもそも一度も結婚していないのかもしれません。女主人というのは、職業名かなとも思います。

>●Q4
Aがリュドヴィーゴヴナという父称を頑なに嫌う理由が
>●Q5


フョードル、イヴァン、リュドヴィーゴのうち、さき2つはあきらかにロシア風の名前であるに対し、リュドヴィーゴは、ヨーロッパのもっと西のほう、ロシアからすればかなり異国的な響きだと思います。アマーリヤは移民であることにコンプレックスをいだいているため、ロシア風の名前にこだわります。

上にも書きましたが、父親が不明の可能性はあると思います。また、親の職業というか彼女の出自については、庶子かもしれませんね。ただ、平民にしたらそれはドラマチックなことというよりむしろ日常的で恥ずかしいことなんではないでしょうか。だから隠したい、普通のロシア人にあこがれているので、イヴァンにこだわるんだと思います。

>●Q6
「料理女(女中奉公)でもしていたのだろう、いや、まごまごすればもっとひどいこと(暮らし)をしていたのかも知れない」
というKのAに対する中傷は、
  ひどいこと = 売春

>●Q7
「仮に父親と名の付く者があったとすれば」

カチェリーナがここで売春を持ちだすと、彼女にとってはやぶへびでしょう。義理の娘が黄色い鑑札商売をしていて、彼女は食べていて、そこは突っ込まれたくないはずですから。だから、料理女よりもっと酷いとは、せいぜい物乞いとか、誰かに囲われて、同時に複数の男性と関係をもつような女性だったとかいいたかったのかなと思うんですが。でも、カチェリーナはもう常軌を逸していますので、アマーリヤの母親を売春婦とののしってもおかしくはないのかもしれません。

>●Q8
移民なので偽名を多数

移民なので違う名前を使いやすいというのはあるでしょう。


>●Q9
>●Q10

国力の強い国は憧れの対象です。文化芸術的に憧れがつよいのはフランスで、気取った会話にはよくフランス語がでてくるでしょう。それで、ドイツというのは、フランスほど高級な香りはしなくても、ロシアにとっては、強い国力の国という意味で、やはり憧れというか、周辺の強国だったのだろうと思います。国土も豊かですし。お書きの、勤勉とかそういう国民性についてはよくわからないのですが、ロシア人にとって、フランス・ドイツ>>>超えられない壁>>その他のヨーロッパの小さな国、たとえばポーランドやフィンランド、という図式はあったのだろうと思います。そして、移民で長くすめば、アマーリヤもわかっていたはずです。

アマーリヤとカチェリーナの喧嘩のくだりのわらわせるところは、どっちもどっち、底辺の2人が、互いに「わたしはおちぶれているかもしれないけど、こいつよりは上に違いない」と必死になって、じぶんの父親を自慢し、相手の父親をけなしあってるところです。

カチェリーナは、父が大佐で、こどものころはそれなりにお嬢さんだった。でも、駆け落ちしてから家族に縁を切られ、子連れで再婚した相手のマルメラードフは飲んだくれて官吏の仕事もろくにつとまらないまま死んでしまう。こんなはずじゃなかった、というつらさが、高いプライドと伴わない現実にたいするギャップとあいまって、ちかくにいるアマーリヤへの攻撃として出るのでしょう。

移民というのは、どの時代でもある程度、その国の人からは差別や蔑視の対象になりやすいものです。移民のなかでもランクがあって、ドイツはフィンランドやポーランドより上なのでしょう。だけどアマーリヤは日ごろから馬鹿にされてるのがくやしくて、ベルリンのお父さんは市長だったとかくやしまぎれに言うから、カチェリーナが、本当はドイツ人でもないんでしょ、フィンランドの牛乳売りでしょ、と続くわけです。

>●Q11

コーゼルはそれなりに小金持ちで、いわゆる町の商人くらいの地位があったのかもしれません。でも、アマーリヤはお考えの立場よりもっと貧しいんではないでしょうか。またがしって本来はやってはいけないことです。でも、そうでもしないとたべていけない人たちがいて、コーゼルのような大家はそれをわかっていたのだろうと思います。

>●Q12
プーフは葉巻プカプカ

おっしゃるとおりだと思います。
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この回答へのお礼

pate_brisee様、ご回答ありがとうございます。

全て一つ一つに丁寧に、的確にお答えいただき、たいへん感銘いたしました。
私の考えていたことに根拠を与えていただいたこともある一方で、「そういう見方もあるのか」という新たな発見もありました。

数日間回答が付かなかっただけに不安になっていました。「罪と罰」を読んだことがある人は、日本広しといえどもまだまだ少数派でしょうかねぇ。探してくださってありがたいです。
おっしゃる通り、
>外国語のカテゴリで質問されるほうが、お返事集まりやすい
のでしょうね。以前「罪と罰」について別の質問をさせていただいた時に別の方からも同じことを言われました。ただ・・・
今回の私の質問は前回以上に明らかに「罪と罰の内容」に関する質問であり、「読んでいない人にとっては全くわからないに近い」と判断したので文学カテゴリを選んだものです。
カテゴリ違い、って外国語カテゴリの方々から反感買いませんか?
外国語カテゴリでその国の文学に関する質問をすることも一般的なら、今後そちらに投稿させていただこうと思います。
もっと人の来やすい方法を教えてくださってありがとうございます。


おっしゃってくださったこと全て納得です。

>リュドヴィーゴは、ヨーロッパのもっと西のほう、ロシアからすればかなり異国的な響き
>アマーリヤは移民であることにコンプレックスをいだいているため、ロシア風の名前にこだわります。
>庶子かもしれませんね。ただ、平民にしたらそれはドラマチックなことというよりむしろ日常的で恥ずかしいことなんではないでしょうか。だから隠したい、普通のロシア人にあこがれているので、イヴァンにこだわるんだと思います。

すっきりしました。
「リュドヴィーゴヴナってロシアでも珍しい名前だろうな」という感覚をお持ちの方のお返事をいただくことができて、たいへん幸せです。
庶子(バスタード)って、非嫡出子だと認識していますけど、
つい先月にイギリスの庶子王ウィリアムのことを調べたばかりだったので、
「現代日本や戦前日本の非嫡出子という暗い響き(私の感覚)よりも、西洋の庶子は、そんなに恥ずかしいことではなく、ただ単に嫡出で生まれた子か非嫡出で生まれた子かを示す、さらっとした言葉なのかな」
と勝手に思い込んでいました。
でも、「平民にしたら日常的で恥ずかしいこと」とお聞きすると、いつの時代も庶子は日陰を歩かざるを得ないような後ろめたさをひきずる存在だ、となんとなくつかめました。「日常的だけれども、恥ずかしいこと」というところ、さらに「平民にしたら」というところが深いのだろうなあと感じています。
安易に「ドラマチック」という言葉を使ってしまった自分が浅く思えてきました。
脱線しますが庶子王も「庶子なのに実力主義で王になれた」というところが、イギリス人じゃないのにイギリスのヒーローになってる理由なのかも知れませんね。庶子王ってすごい名前。


>女主人というのは、職業名
の可能性あり、という、一つ一つも丁寧に教えてくださってありがとうございます。私は年に5冊くらいしかちゃんとした本を読みませんが、もっと勉強します。

>アマーリヤはお考えの立場よりもっと貧しいんではないでしょうか
私が「他人から家賃を取り立てるような女主人という良い身分」と書いたことをしっかり受けてくださって、とてもありがたいです。私は 大家=力を持っている者 くらいの読解力しかありませんでした。
>またがしって本来はやってはいけないことです。でも、そうでもしないとたべていけない人たちがいて、コーゼルのような大家はそれをわかっていたのだろうと思います。
そのような、当時の様子・背景をわかった上での読み取りを教えてくださって、本当に助けになります。

とすると、
コーゼルも、「とてつもないお金持ち」→「それなりに小金持ち」という頭の中の修正もできて、いろいろな意味で目が覚めたのです。


一つ困ってることがあります。
4階建て以上の建物がたくさん出てきて、でも当時は鉄筋もコンクリートもなかったでしょうから、では木造なのか石造なのか、ということが私を悩ませました。1860年代に、木造で4階建て以上を建てる技術があったのかな?という私の偏見があるのです。で、一応インターネットで「建築」などのキーワードでしばらく調べてみました。「罪と罰」の解説サイトの一つに「ペテルブルグは当時木造で4階建て以上の建物が並ぶ、華やかな首都」というような記述がありました。
もっとずっと前の時代の中世でも、(進撃の巨人のように、という卑近な例しか出せませんが)3階建て4階建てがずらっと並んで街並みを作っている、という風景を見たことがある気がしますから、「木造で4階建て以上を作る技術」も割と古いものかな、と自分を納得させています。
で、どこまで頑丈な建物か、がわからないと、コーゼルがどの程度のお金持ちかがわからない、といった具合です。
現代日本では「アパート経営」をしている人を「資産家」と呼ぶこともありますけど「大金持ち」とは限らないですよね。でも石造なら一般人には建てられないだろうし。石造ではないとわかったけど、自分で住む家ですらそれなりにお金がないと建てられないだろうから、貸家を建てるというのは、日本で1億円かそれ以上のお金が動いているのかな、でも「錠前屋」という職業にそんなに儲かる職業だというイメージがないけれど・・・とあれこれ悩んだわけです。○○通りに行って「コーゼルの家」と言えば呼ばれた医者も場所がわかる、という発言もあったので、「それなりに大きな『自宅』なのかな」と悩んだり・・・。
そういう意味で、コーゼルがそれなりに小金持ち、というご意見はたいへん参考になります。


>アマーリヤとカチェリーナの喧嘩のくだりのわらわせるところは、どっちもどっち、底辺の2人が、互いに「わたしはおちぶれているかもしれないけど、こいつよりは上に違いない」と必死になって、じぶんの父親を自慢し、相手の父親をけなしあってるところです
>アマーリヤのよくわからない複数の父称、という存在が、彼女のだいご味というか、カチェリーナにとっては突っ込みどころで、そこをカチェリーナが突っ込むことじたいが読者にとっては面白い、と、物語に色を添えているのは確かです

そうですね。私も質問として挙げさせてはいただいていますけれど、この場面は「意味不明だから不要」ではなく、「最も人間味あふれる場面の一つ」として捉えています。なんでだろう、罪と罰って150年も前の話なのに(電気すらない)、そのまんま現代日本に当てはめられるような普遍的な物語に感じるんです。在日の方々の話をすると生々しくなりますが、日本でもこういう口論ってありそうですよね。日本人がここまで父親のことを誇りにしているかどうかは別にして。

>カチェリーナの、こんなはずじゃなかった、というつらさが、ちかくにいるアマーリヤへの攻撃として出る
なるほど! と思いました。
自分が満たされていれば、アマーリヤがどんなに嫌な女だったとしても、カチェリーナは爆発せずにいられただろう、ということでしょうか。

マルメラードフは飲んだくれとはいえもともと役人だったし、公金横領でクビになる前まではそれなりに上の生活をしていて、その妻のカチェリーナは、
「なんだかった言っても私は『奥様』よ。落ちぶれちゃいないわ」
という
>高いプライド
の持ち主かな、と私も思っていました。

ただここでもう一つ疑問なんです。
カチェリーナと一家を苦しめているのはダメ男マルメラードフなのに、彼が死んだ後
「セミョ―ン・ザハーロヴィチ(・マルメラードフ)にはお友達も後ろ盾になってくださる方もたくさんあったのに、自分からお付き合いをやめていたんです。」
と自慢気に言っていて、まあカチェリーナ相手なら虚勢を張るのもわかりますけど、

後もう一箇所、探したのに探し切れなかったですが、カチェリーナのいない場面でも子供たちに向けてマルメラードフのことを誇りに思っている発言をしてような気がしたのですが。
(物乞いの騒ぎに駆け付けた役人にも「主人の血をわけた娘が主人の亡くなったその日に中傷を受けたのです」と、マルメラードフのことを恥じていない、むしろ血を引いていることを誇りに思っているような発言をしていますね。)

「この人が持ってきてくれたのは収入じゃない、苦しみだけだった。死んでくれて、ありがたいわ! 損害が少なくなります」
と言った時の気持ちの方が本音かな、と思っていたのですが、カチェリーナにとっては、「あんなダメ男だったけど愛しい人」ということなんでしょうか。それとも、死んでもなお、
「自分の都合の良いときだけ、マルメラードフを持ち上げる」
という、徹底した世間体女、なのでしょうか。

まあ、ラスコーリニコフのことを「子供の頃から付き合いがある立派な方」と言ったり、マルメラードフ自身が「あれは私のことを『閣下(アファナーシエヴィチ=知事閣下?)が、君の功績を忘れはせん、と褒め称えてくださったの』という作り話をして、自分でもそう信じ込んで人に話す」「自分の生み出した空想で自分を慰めている」と言ったりしていますから、

カチェリーナの言うことの一貫性のなさについて、読者は悩むだけ無駄、でしょうか。
誇りなのか、世間体なのか、がずっと気になっています。(もしお時間ありましたらどなたか教えていただけると幸いです。)



長くなってすみませんでした。お蔭で作品がより楽しめそうです。

お礼日時:2014/05/13 19:53

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