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1648年にウェストファリア体制がヨーロッパではじまり、文明というものが定義される。


その中で重要な事は、「終わった戦争、講和条約が締結されて外交問題のすべての処理がついた過去の戦いに関して、とやかく言うのは文明国ではない」と言うもの。


現在の「文明国」は、1648年当時の文明国よりもハードルが高くなっているため、これが出来ているだけで「文明国」とは言わないだろう。

しかし、この程度も出来ていない国は、「文明国」とは言わないですよね?

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A 回答 (9件)

Ano.8です。




>>「「(主権)国家」に留意していれば充分、ということではなくなっていると思います。」

>「これが「歴史認識の違い」って奴だ。」


いえいえ「これからの話をしよう」ということです。
(既に、「戦争」とは、常に国家を相手とするもの、とは言えなくなっているようです)
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この回答へのお礼

>いえいえ「これからの話をしよう」ということです。
>(既に、「戦争」とは、常に国家を相手とするもの、とは言えなくなっているようです)

ああ、なるほど、あなたが言いたい事がやっと分った(の見込みが悪くてごめんねw)
でもあなたも、私の言いたい事が伝わっていないようであります。

あなたの言う「戦争」とは、私の受け売りの「差別戦争観」と「無差別戦争観」の話だろうか?それに関しては受け売りなので返答しない。詳しくは、その本を読んでみて下さい。



私が話しているのは、「文明国」に関して。


「文明国(ぶんめいこく)とは、かつて西欧文明の伝統やそれに準ずる国内体制をそなえた国家を指した用語」と言うのは、今でも同じ定義で語られてるんじゃないの?って事が言いたいだけ。

もしそれが正しいなら、「終わった戦争、講和条約が締結されて外交問題のすべての処理がついた過去の戦いに関して、とやかく言うのは文明国ではない」と言えるんじゃないの?と言う事。

お礼日時:2014/08/26 12:30

ibld様、今晩は。




>「今の「文明国」も、当時の本質は変わらない。
「憲法を運用する能力が無い国」「国際慣習を守らない国」これらを、「近代国家」、及び「文明国」と言えるか
な?」

既に21世紀の世の中ですが、
20世紀後半から、「人間の楯」とか、「人間の鎖」というのが、あると思います。
「(主権)国家」に留意していれば充分、ということではなくなっていると思います。

この回答への補足

追記

これが「歴史認識の違い」って奴だ。
貴方の歴史認識はこの文章だけでは良く分らんが、少なくともwiz0621さんと私では「歴史認識の違い」が生じている。

補足日時:2014/08/24 13:00
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この回答へのお礼

ん?

つまり、「憲法が無い国」「国際慣習を守らない国」でも、貴方にとって文明国って事でいいかな?
まぁ、貴方の価値観はそれでよい。


でも私の言っている事って、歴史的事実じゃないの?私の文章には多くの「他人の受け売り」があるが、受け売り以前に、歴史的事実だと思うがね。



ウェストファリア体制に関しても、私はwiz0621さんに誤解しているとご指摘を受けたが、受け売りの知識以前に歴史的事実では?あの体制の発端は、30年戦争の宗教思想的殺戮の否定から始まる。歴史的事実だよね。

「宗教と政治を区別して考える事を、近代化と呼ぶ」これは、学問的常識だよね。
(産業の発達なども「近代化」と呼ぶが、もともとの意味はこれ。)

ウェストファリア体制によって数百年掛けながら、徐々に近代思想や近代国家が確立していった。これも歴史的事実では?近代国家とは文明国。これも当時、ヨーロッパ人の言動、文章を見れば歴史的事実といわずして何と言う。

それで文明国とはwikiに書いてある通り「文明国(ぶんめいこく)とは、かつて西欧文明の伝統やそれに準ずる国内体制をそなえた国家を指した用語」と言うのも歴史的事実だね。

そして、「死刑廃止問題」や「捕鯨問題」で言える様に、「文明国(ぶんめいこく)とは、かつて西欧文明の伝統やそれに準ずる国内体制をそなえた国家」と言う価値観によって、日本が批判を受けている。これは、「当時ヨーロッパ人が押し付けた、文明国の定義」が今でも生きていると言う「証拠」だ。




でもそれらは、私の誤解のようだ。
私の見えている歴史や現実と、貴方が見えている歴史や現実は違うのかもしれない。



これぞ、哲学だね。

お礼日時:2014/08/24 12:02

ではお約束通り回答します。


結局条文を読まれなかったようで残念ではありますが、(面白いのに・・・)
予想通りというか、やはり、正戦論に対しての誤解があるようですね。


本を流し読みしただけならしょうがないかと思いますが、
質問者さんが言っている正戦論の変遷は、1919年以降の
『近代国際法制度』のことです。これはウエストファリア後の体制
(または伝統的国際法制度 1648-1919)とは明確に区別され、
また、その区別も『文明的かどうか』という判断には拠りません。

その本の筆者さんもここを抑えたうえでの話をされているはずなので、
途中経過を抜いて解釈してしまうと、とんでもない方向に飛んで行ってしまいますよ。




まず、不理解を象徴する一文から。

>後に「無別戦争観」は国際秩序になる。現在のウェストファリア体制と言えるね


とのことですが、まず大本として、無差別戦争論は
現在の国際秩序とは相反するものだということを認識された方が良いかと思います。
もしかしたら『差別』という意味を悪いこと、あるいは『宗教的差別』と
考えられているのかもしれませんが

差別戦争論:正しい戦争であれば、条件付きで行使可能。つまり基本的に戦争は違法。
無差別戦争論:戦争という行為は正・誤の区分ができない為、国権の発動たる戦争は合法。

となるのです。質問者さんが独自解釈で付け加えられた部分以外の、
その本をもう一度読み返してみてください。





国際秩序は戦争行使を限定的に容認することで平和を維持する差別戦争論の体制です。
では、なぜこうなったか。
前提知識が無い状態で、そういう本を読んでしまうと
曲解を重ねてしまうので、まず前提をおさらいしてみましょう。


4世紀頃:宗教による正戦論の時代 
アウグスティヌスによって正戦が定義されますが、一方で『宗教的正しさ』を
根拠にしており宗教による残虐行為が正当化された時代でもあります。
異教徒(非文明国)への戦争は問題ではない、という判断が成される時代です。



16世紀 グロティウスによる国際法
(ユス・アド・ヴェルム、ユス・イン・ヴェッロ)の成立
正戦が再定義され、宗教ではなく法による交戦が定義されます。
以降の正戦論は、『法による正しさ』を根拠とすることになるのです。
異教徒の区別(文明の区別)という概念を取らないこの考えが、
国際法の基礎となっています。



17世紀 ウエストファリア条約
18世紀 フランス憲法の成立(差別戦争条鋼の成立)
グロティウス正戦論の実定法化。これにより、自衛戦争などについては
合法化されることになります。ここからの体制を伝統的国際法と呼びます。

前回回答のとおり、ウエストファリア条約では秩序を破るものに対してのみ
戦争を合法とし、それ以外の戦争を違法としています。
フランス憲法も、独立を脅かす勢力への戦争に限定して合法としました。
つまり、『差別戦争論』の立場をとっています。




19世紀 科学的手法(実証主義)の導入=無差別戦争論の開始
戦争そのものの法的研究が進む一方で、戦争の区分が困難であることから、
『自衛のため』という正当化があればすべての戦争は合法(戦争は無差別)
と考えられるようになります。
ここから第一次大戦までが『無差別戦争論』の時代です。



20世紀 第一次世界大戦とヴェルサイユ体制の開始
無差別戦争観が引き起こした第一次世界大戦後、自衛戦争と制裁戦争を除く
『戦争の禁止』が規定されるようになります。しかし、条文の欠陥があり、
『宣戦布告が無い(戦争ではない)状態での武力行使』
は禁止されていなかったのです。

結果として第二次世界大戦が起こり、戦後の体制では安保理の制裁と自衛を除く、
『武力による威嚇または武力の行使』が禁止されるようになり、
さらに自衛権の発動の要件も明確に定義されるようになりました。
以降、国家主権は創設効果説のみならず、(合法的成立であることを要件に)
宣言的効果説も認められるようになっていきます。




これらの経緯を踏まえた上で、現代におけるこれらの判断は、
実証主義の導入により、法は、論理的ではない宗教色(つまり宗教的差別)
を排除することを指向しています。
そしてこれは文明国・非文明国という非論理的な差別であっても同様なのです。


なぜなら、これらの差別あるいは区別が戦争を生み、破壊的な結末を
生んできた歴史的な経緯があるためです。
正戦論を掲げる以上、宗教の支配する暗黒時代に堕することを
現代に生きる我々は明確に拒否し続けなければならないのです。



一方で、合意された条約・安全体制に対する破壊行為のみに限定して
制裁を加えることによって、秩序は維持されています。
もし、質問者さんがおっしゃるところの『非文明国』がこういった集団を
指すのであれば、前々回の回答のとおり、国際社会は制裁に躊躇しないでしょう。

これが平和のために戦争を限定的に行使する現代の体制、
言い換えれば差別戦争論(正戦論)の体制なのです。
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この回答へのお礼

なるほど、なるほど。まぁ私は本の受け売りなので反論しません。

ウェストファリア体制の解釈も受け売りです。
特に、この本の著者の影響を強く受けています。
『歴史問題は解決しない』
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%95 …
(No3の返答は、私独自のただの暴論。No4の返答は他人の褌。)



ここで、強調して言いたい事は、私は「著者の意図を読み間違って読んでいる」可能性があります。
なので「私が書いた文章=著者の主張」ではありません。


そのため、もしよろしければ、実際に本を読んでみて下さい。

そして、異論があるようでしたら、著者に対し反論してみて下さい。きっと私なんかより、まともな回答が得られると思います。この著者って面白い方で、ニコ生で討論バトルとかの挑戦状(ブログのコメントなどに書けばよい)も受けるような人です。(ニコ生は素顔を出すので、素性を公開する必要はあります。と言うか素性を公開できない人の意見は、「便所の落書き」レベルなので当然です。)

あなたと著者の、ニコ生討論バトル。
これは皮肉なしに、私の見聞を深める意味も込めて、是非見てみたいです。


反論本を書くのもいいですね。

『倉山満は、ウェストファリア体制を分っていない!』
著者:wiz0621

これも、是非読んでみたい。

お礼日時:2014/08/23 12:19

17世紀に(公的に)「諸侯」に、信教の自由が認められた。




19世紀で、奴隷のやりとりをしている国家って(笑)
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この回答へのお礼

やっぱり、君は分かてなさそうだ(笑)


>19世紀で、奴隷のやりとりをしている国家って(笑)

当時のイギリスは、アメリカにイギリス人女性を売っていた。

その当時は、ヨーロッパの女性差別がヨーロッパ史上最悪だった時期。明治維新もウェトファリア体制の「文明国思想」を輸入したが、女性差別も輸入してもた。日本の歴史でも明治維新によって、急速に女性差別が深刻になる。

でもそんなイギリスでも「終わった戦争、講和条約が締結されて外交問題のすべての処理がついた過去の戦いに関して、とやかく言うのは文明国ではない」と言うのは守っていた。

そして、当時の日本はウェストファリア体制で確立した文明国の国際慣習を有効に使った。
ウェストファリア体制で確立した、国際慣習を当時のヨーロッパ人以上に守った。有色人種で唯一、憲法の運用に成功した。そして有色人種唯一、白人国家に勝った。


それでやっと、常任理事国入りを果たし、「文明国」になった。




今の「文明国」も、当時の本質は変わらない。

「憲法を運用する能力が無い国」「国際慣習を守らない国」これらを、「近代国家」、及び「文明国」と言えるかな?

お礼日時:2014/08/22 11:26

ibld様、こんばんは。




「1648年、ウェストファリア条約」
フランスで「絶対王政」だったのが、1400年代、
イギリスで「国教(ローマ法王、糞喰らえ)」というのが、1500年代、ですか。



で、「1648年、ウェストファリア」ってのは、もっと意味があったと思いますが、
・・・やっぱ、「三十年戦争」ですよね。

「諸侯には、信教の自由が認められた」だったと、思います。
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この回答へのお礼

>・・・やっぱ、「三十年戦争」ですよね。

そうですよ。
君は「分っている人」なのかな・・・。

お礼日時:2014/08/22 10:38

やはり、いくつか誤解があるようですので、何点かおさらいしてみましょう。





まず、繰り返しになってしまいますが
ウェストファリア条約で『文明国でないもの(ヨーロッパの因習によらないもの)を除外』
する、という条文は”ありません。”



ちなみに、この条約上の参加要件として文明国か否かを基準とするのは前回回答のとおり
19世紀の、しかも受け入れられたのは東アジア限定というローカル思想ですので、
当然ながら今日の国際社会では通用しません。

これについては国連憲章第2条1項、そして特にアフリカの独立承認問題で
議論された話題なので、もし興味があれば1950年以降のアフリカの
民主主義成立過程を調べてみることをお勧めします。


もう一つ質問者さんが主張されている、決定されたことに対する抗弁は認められない
という条文上の定義は第二条と第百二十一条にあります。
さらに、条約を締結した上でその条文を破ろうとする者を何と呼称し、どう扱うかは
第百二十三条から百二十五条までに記載があります。

ですから、"条約を守らない者""主権に干渉するもの"については、
この条文の定義通りに扱っても良いわけです。
この考え方については国連憲章の第七章、八章にも承継されています。




もし、この定義の上で、
でさらにウエストファリア条約が、非文明国の参加除外を定義している、
というのであれば第何条に記載されているのか、書いていただけないでしょうか。

おそらく質問者さんが誤解しているこの点についても予想できますので、
それを詳らかにした上でもう一度だけ改めてサービスで解説します。






しかし私がwikiに記事を書くときに、基本的に、という言葉を使う場合は
原理原則のことを指していたんですが、基本的に、という文節だけで、
質問者さんのように独自解釈の想像を膨らませうる、
というのもとても面白いなぁと思います。

ただ、共通理解の前提となる"定義"という言葉には、こういった
個性や感性が入り込む余地を排除しなければならないので、
他の回答者のみなさんも慎重になるんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

「条文」「条文」って、なんかうるさい奴だなと思ったが・・・。

なるほど・・・。

あなたは、「ウェストファリア条約」と、「ウェストファリア体制」の違いも分っていないようだ。










これで私の返答終わっても良いんだが、説明をすべきか迷った。
何故なら、それは本を読んだ受け売りで、私が独自に考えた事ではないから。
他人のふんどし借りて偉そうな事を言うのもどうかと思うが、まぁいいか。


まず条約とは文章の事。
確かにそれには、あなたの言う通り書いてはいない。

ただ、質問を見直して欲しい。
私がいつ「ウェストファリア条約」の話をした?「ウェストファリア体制」の話をしている。

「ウェストファリア体制」とは、その後の体制の事であり、国際慣習の事。

ウェストファリア条約以降の、ヨーロッパ圏内の国際慣習をウェストファリア体制と呼ぶ。
ただ、その慣習はヨーロッパ圏内だけで、アフリカ・アジア諸国にも「対等な国家主権」を示すのは、現代になってから。









では、ウェストファリア体制について説明します。
知識人の受け売りですが、歴史的事実は誰でも確認できるため、その真偽は各自が判断できます。





まず、ウェストファリア体制では国家主権が何たるかを確立した。その国家主権とは近代国家の事です。「近代国家」とは「文明国」の事です。
(前回「文明国=国家主権がある国」と私は言ったが、こっちの方が正確だった。)





近代国家という文字の、「近代化とは何か?」なんですが、それは「宗教と政治を切り離す考えの事」です。決して、産業の発達とか科学の発達を示して言葉ではありません。

そう言う「宗教を切り離して、合理的判断が出来る人の事」を「近代人」と呼びます。

ヨーロッパの歴史上「最初の近代人」と呼ばれる人物は、フリードリッヒ2世(フェデリコ2世)と言われています。彼がそう呼ばれる理由は、当時ヨーロッパで中心だった「差別戦争観」ではなく、目的限定戦争観を持っていた「無差別戦争観」をヨーロッパ最初に、実行した人物だからです。



戦争観には二種類あります。
「差別戦争観」と「無差別戦争観」です。




当時は「差別戦争観」が常識でした。

「差別戦争観」とは、戦争そのものに善悪の区別があると言う考えです。
宗教的思考です。「正戦」や「聖戦」がそれに当たります。
これは「皆殺し」にするまで終わりません、実際にやってました。
その悲劇の最たるものが30年戦争ですが、ローマ帝国末期から30年戦争にかけての千三百年のヨーロッパの暗黒の時代では、実際に「皆殺し」にしている事例は少なくなく存在します。


「無差別戦争観」は、戦争そのものに善悪の区別はありません。戦争のやり方に、善と悪があると言う考えです。
彼は、エルサレムを交渉により奪還しました。
「エルサレムを交渉で奪還できるなら、敵は弱っていたと言う事。もっと強気に出ればよかったのではないか」と、フリードリッヒ2世を批判する人がいました。しかし、「エルサレム奪還と言う戦争目的は達していた」だからそれ以上求める必要が無い。


この考えは、現代の戦争観と同じです。現代でも、この戦争観はアメリカを除いて主要国は共通認識されています。(アメリカは、湾岸戦争終当時、クウェート解放が戦争目的なのに、パパブッシュが「何故、悪魔のフセインを打破しなかったのか?」と発言したように、未だに「差別戦争観」であるが・・・。)


その発想をヨーロッパで歴史上最初に実行したのが、フリードリッヒ2世とされているます。
それが、「最初の近代人」の所以です。

(ただし、あくまでも「その事」に関して彼が「最初の近代人」であっただけで、彼は「赤ん坊を言葉を教えなければどうなるか」と言う人体実験まがいな事をしているので、彼自身のすべての人間性が「近代人」という訳ではない。)




ローマ帝国末期から、宗教中心の政治になりそれから30年戦争まで、前近代的な「差別戦争観」が当時の常識でした。その前近代的な、宗教原理主義の反動のせめぎ合いの総決算と言える戦争が「30年戦争」です。

30年戦争の和平会議が、後のウェストファリア体制に繋がります。


その戦勝国スウェーデンのクリスティーナ女王は、「異教徒を殺さなくて良い」と発言します。
当時の常識「異教徒は殺さなければならない」を、否定する画期的な発言でした。

敵であるカトリックは勿論、味方であるプロテスタントも、強い反発はありませんでした。ローマ帝国末期から30年戦争まで続いた、非合理的な宗教支配がもたらした不毛な虐殺の歴史に疲れ果てていたのもあるでしょう。それだけ、宗教的な非合理的な理由で「殺し殺されすぎた」のです。(その後も殺し合いは続くのだが「差別戦争観」での殺戮はヨーロッパは、ここで終わる。その後、白人はアジアやアフリカの地で「差別戦争観」を行なうが、後に「無別戦争観」は国際秩序になる。現在のウェストファリア体制と言えるね。)


もう、宗教が政治を動かす事にウンザリしていました。
そこで、世俗主義が確立しました。これは法治主義の原初です。

「神(God)による支配から、人の定めた法の支配、そしていかなる権力も個人の心に介入してはならない」とする原則です。

これを「近代化」と呼びます。


一応言っておきますが、当時のウェストファリア体制は国家主権のルールを決めたもので、「近代化」と言う目的はありません。

しかし、やっていた事は宗教と政治を区別する「近代化」をやっていました。
それにそもそものウェストファリア体制の発端は、30戦争以前から続いた、宗教的「差別戦争観」の否定。と言う要点は抑えていないといけません。これがつまり「合理主義」「近代思想」の始まりを意味します。


そして、ウェストファリア条約以降も、宗教主義勢力と近代化勢力で対立がありました。しかし、近代化勢力が勝ち残ったのが重要だと言う事です。そして、その勝者がウェストファリア体制を成熟させ、「近代国家」を確立していきます。そして今に言う「文明国」を定義しました。



ウェストファリア条約は、「近代の始点」とされるが、そこからいきなり中世宗教法と完全に決別したわけではありません。

クリスティーナ女王は、「異教徒を殺さなくて良い」と言ったが、「殺しては成らない」時代になるまで数百年の殺戮の時代を経なければ成らないし、アフリカ・アジア諸国に対しては、20世紀まで「差別戦争観」でした。



もう一度言いますが、「ウェストファリア条約」と「ウェストファリア体制」は違います。




ウェストファリア条約から国家主権が定義され、ウェストファリア体制が始まります。それがその後のヨーロッパの国際慣習となります。

その後、紆余曲折、殺戮の歴史を繰り返しながらウェストファリア体制での「近代国家」と言うものが確立されていきます。「近代国家」とは「文明国」の事です。

お礼日時:2014/08/22 10:35

文明国と国家主家の関連性の定義を行ったのは、


ウエストファリア条約そのものではなくて、
その解説本の『万国公法』じゃないですかね?
この辺りを正確に把握しておかないと、
ちょっと語弊があるんじゃないかと思うのですが。





そもそもウェストファリア条約で提唱された概念(ウエストファリアシステム)は

国家主権の原則(国家は政治的な自己決定の基本的な権利を有する)
多国間条約における、参加国の法的平等の原則
他国の内政に対する、不介入の原則
であって、つまり、確認されたのは今日につながる『国家主権』の概念です。

『文明』という言葉は古代ローマの都市内生活を指すことに既に使われていて
(ちなみに、この定義では壁の外の人間は『蛮族』です。ローマ人はこの驕りを
後に死ぬほど後悔することになるわけですが、それはひとまず置いといて。)
使う人間によって、その定義は様々です。




ここで、少なくともウエストファリア条約の文章や合意事項に
文明の定義というのは登場しないのです。
じゃあ文明と国家主権には関係がないのか?というと、
19世紀当時には関係があるよ、といった人も居ます。

それが東アジアで翻訳本が大流行した解説書『万国公法』で、
ウエストファリア条約で認められた『国家主権』は、
しかし日本のような『半文明国』では認められないよプフーという煽り・・・
じゃなかった、分析を行いました。
わが日本では、明治の近代化への(ある意味で強迫観念のような)
原動力となったとも考えられますね。





一方で、万国公法の概念の多くは、
19世紀では正しくとも、現代では適用できない概念になっています。

まずは『非文明国は条約に参加できない』は現代では誤りです。
ここは戦後体制ではウエストファリアシステムがより強化されたため、
無効となったと言えるでしょう。

仮に『非文明的な国』が存在したとしても、条約交渉の場では対等な国家として
扱われます。これは世界大戦時に『現実的に勝てない戦争』ですら
『ナショナリズム』が肯定してしまったことから、相手より強い力を持っていても、
戦争を完全に回避することはできない。
つまり純粋なパワーゲームのみでは戦争回避には至らない、
ということが分かったためです。ここから、戦争回避の方策としてすべての
国が力の強弱にかかわらず、等しく条約参加国として議論の場に立てるようになりました。
(もちろん、よっぽどの無法国家相手ならば、条約を調印しない自由もありますが)



次にウエストファリアシステムそのものが無効化されてしまった側面もありますね。
ここ10年、『ポストウエストファリア』が提唱されるようになりました。
つまり、越境する国際問題が発生したのです。
テロ対策・国際犯罪については各国が連携をとる必要がある一方で、
一部テロ支援国家の存在が、それを阻害するため、越境した対テロ戦争が
容認されるケースも出てきています。





以上を3行でまとめると
・ウエストファリア条約は『国は平等』と定義した。
・その解説として、万国公法という本は『非文明国は条約上の国に入らない』と定義した。
・どちらも昔の話で今は適用できない部分がある。
というわけです。



とはいえもちろん、結んだ条約を守れない蛮族がもしいるとしたら、
それは確かに非文明国(蛮族)でしょうけれどね。

現代ではそういった蛮族も一応は条約参加の機会が与えられるものの、
そういった信義にもとる行動を繰り返すような人々が万が一いるのであれば、
国際法云々以前の問題として、もはや文明国ではないどころか、
国家の体を成していない、エセ国家とすら言えるのではないでしょうか。

この回答への補足

訂正指摘します。


■誤り
そして、あなたは「文明」と「文明国」の違いも理解していないようだ。

《沖縄の琉球「文明」は、現在も存在しているが、沖縄は「文明国」ではない。》

これ。言っている意味、理解出来る?



■訂正
そして、あなたは「文明」と「文明国」の違いも理解していないようだ。

《沖縄の琉球「文明」に関して、ある者は今でも存在すると言うだろう。またある者は、「文明」は消失したが文化は踏襲されていると言うだろう。しかし、どちらの解釈が正しいにしても、沖縄は「文明国」ではない。》

これ。言っている意味、理解出来る?



*誤解があると嫌なので、訂正します。
長くなって分りにくくなったけど、「文明と文化の違いも分らないの?」とか、屁理屈言われるのも嫌なので訂正しとく。

補足日時:2014/08/20 18:20
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この回答へのお礼

ざっと読んだのですが・・・。

・・・うむ?
なんか、そもそもあなたは、「文明国」の定義が分っていないようですね。
文明国とは、国家主権が存在する国の事を言うんだよ。



そして、その「国家主権とは何か」を定義したのがウェストファリア体制ね。
つまり、「文明国としてふさわしい国」とは、ウェストファリア体制で定義された国家主権を守れる国の事だよ。











私の意見はこれで終了。
後の長文は、「文明国とは、国家主権が存在する国の事」の説明。
長いね・・・。ごめん。




私の独りよがりの、妄想定義での「文明国」と思われたくないので、wikiで「文明国」とは何と書いてるか確認してみよう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%98%8E% …



>文明国(ぶんめいこく)とは、かつて西欧文明の伝統やそれに準ずる国内体制をそなえた国家を指した用語。
>20世紀初頭までの国際法では国家として他国と対等の主体性を認められるためにはこうした基準に照らして「文明国」であることが求められ、その基準に達しない社会は国家ではなく無主地とみなされた。
>現代国際社会においては基本的にこうした考え方は否定されている


との事。




>こうした基準に照らして「文明国」であることが求められ、その基準に達しない社会は国家ではなく無主地とみなされた
>基本的にこうした考え方は否定されている


との事だが、「基本的」に否定ね。根本は否定されていない。

当時言われていた文明国はwikiに書いてある通り、例えば「ヨーロッパ的基準の上では異質な文明形態と未熟な国内体制を備えた当時のこうした国々は、「不完全主権国」として扱われたのである」
これに関しては、一部否定されている。一部ね。


でも、今でも「文明国=国家主権が存在する国」という定義は生きている。国連加盟条件で、「原則として国際連合に加盟できるのは主権を持った国家だけである」というのが良い証拠。

当時の彼らが有色人種国家を「不完全主権国」として扱ったのも、彼らが言う「国家主権」は、あまりにも西洋至上主義で偏向的過ぎただけの話。今はそれが、マイルドになっただけ。

「文明国=国家主権が存在する国」という定義は、今も変わらない。





そして、あなたは「文明」と「文明国」の違いも理解していないようだ。


《沖縄の琉球「文明」は、現在も存在しているが、沖縄は「文明国」ではない。》


これ。言っている意味、理解出来る?








>文明国とは、西欧文明の伝統やそれに準ずる国内体制をそなえた国家を指した用語
>基本的にこうした考え方は否定されている



これも「基本的」に否定であって、今でも「文明国とは、西欧文明の伝統やそれに準ずる国内体制をそなえた国家」と言うのは生きている。

「死刑制度を採用する国」「非民主制の国」「一夫多妻制を採用する国」「女性の人権を軽視する国」などを「野蛮な国」と一部の人は批判するだろう。これがまさに、「文明国とは、西欧文明の伝統やそれに準ずる国内体制をそなえた国家」と言う価値観なのである。

日本も、「捕鯨問題」や「死刑制度問題」がこの価値観によって批判されるのです。

ただし、ウェストファリア体制で確立した「内政に対する、不介入の原則」がある。
これらを採用している国に対して、「野蛮」と内政干渉する事は、「ウェストファリア体制で定義された文明国」として矛盾する行いだと言えるだろう。

何事も、原理原則を忘れては成らない。



繰り返し言いますが、ウェストファリア体制とは文明国を定義したものである。
ウェストファリア体制では、文明国と言う「国家主権のある国」の定義、原理原則を確立した。


原理原則を、忘れては成らないと言う意味で、「しかし、この程度も出来ていない国は、「文明国」とは言わないですよね?」という事です。






>そもそもウェストファリア条約で提唱された概念(ウエストファリアシステム)は

>国家主権の原則(国家は政治的な自己決定の基本的な権利を有する)
>多国間条約における、参加国の法的平等の原則
>他国の内政に対する、不介入の原則
>であって、つまり、確認されたのは今日につながる『国家主権』の概念です。


はい、そうです。

それに付け加えて、「終わった戦争、講和条約が締結されて外交問題のすべての処理がついた過去の戦いに関して、とやかく言うのは文明国(国家主権のある国)ではない」というのも確立しました。

だから、ドイツの周辺のヨーロッパ諸国が、「ナチの謝罪と賠償が~」と叫ぶ、非文明人の政治家もいないし、「当時の我が国、ドイツが行なった蛮行の、謝罪と賠償をしなければ・・・」と言う非文明人のドイツ人政治家もいない。


これは、彼らが文明国であり、文明人だからです。

お礼日時:2014/08/20 15:52

そのような1つの定義で決められるほど、「文明国」は単純な


概念ではないし、また「この程度もできていないとダメ」という
最低ラインとして万能である根拠も見当たらない。
「文明国」を構成する幾多の要因の1つに過ぎない(絶対条件
ではない)。
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この回答へのお礼

>そのような1つの定義で決められるほど、「文明国」は単純な
>概念ではない


それは間違った答え。

正しい答えは、「確かにウェストファリア体制では、国家主権と言うものを定義された。そこで言う国家主権とは文明国の事である。しかしそれは、ウェストファリア体制と言う限定された価値観に過ぎず、それがこの世の大宇宙の真理とは限らない。例えば○○○○年に制定された○○条約によれば・・・」

このような言い方をしないと、「深い事、知っているフリしているが、結局何も知らん奴なんだな」と思われるだけだよ。


>最低ラインとして万能である根拠も見当たらない。

その根拠が、ウェストファリア体制と言っているんだが。
知らないなら、別にいいよ。

お礼日時:2014/08/20 15:05

間違いです\(^^;)...マァマァ



そのような定義はない。


文明国とは、かつて西欧文明の伝統やそれに準ずる国内体制をそなえた国家を指した用語であり、20世紀初頭までの国際法では国家として他国と対等の主体性を認められるためにはこうした基準に照らして「文明国」であることが求められ、その基準に達しない社会は国家ではなく無主地とみなされた]。現代国際社会においては基本的にこうした考え方は否定されている

第二次世界大戦後には国際法上民族自決権が認められ[1]、20世紀前半まで通説的であった「文明国」としての要件を備えていない国家の国際法上の主体性を否定する考え方は、非植民地化が進展するにつれて批判されることとなった。
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この回答へのお礼

>そのような定義はない。

それは、あなたが無知なだけ。

たぶんあなたは、wikiしか読まないでここに書いたね。
1648年に始まった、ウェストファリア体制の事、まずはちゃんとお勉強しようね。

話はそれからだ。

お礼日時:2014/08/19 12:44

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