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東洋の仁に対する西洋の愛。

経済のグローバル化が進む今日でも、まだ違いがありましょうか。日本の和の心は、どちらかというと、仁の徳に近いものでしょうか。お教えいただけると幸いです。

A 回答 (7件)

儒教の「仁、義、礼、智、信」の仁ですよね。



徳目の一つだと思いますが「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」は、己の欲するものを否定してはいないと考えた方がいいように思います。
仁を尽くす相手が、自分をも含まれるとして考えると非常にバランスがとれます。

西洋の愛は、愛を施すことを示すと私は考えていますが、愛を施す相手は自分をも含まれると考えると、これもバランスが非常にとれます。

これは自分という人間の存在を蔑ろにしない、すべての人を公平に扱うことで何方も「和」が取れると思います。

和と言うのは私が和の中に、つまり私も和に参加する一人ですから私を無視しては調和が取れないようになります。

「自分を愛するほどにしか人を愛せない」と言われます。
愛は「仁、義、礼、智、信」すべてに欠かすことができません。

愛が人の持つ根底であり、仁は一つの具体的な体現であり根底で愛に繋がっているから成り立つものと言えると考えています。

自分との調和が取れている者ほど、外に向けての和を尊び具現化できるので本来は大きな違いは最初から無いように思います。
西洋は感性からスタートし、東洋は形に表れることで明確化されると言う、より論理的で詳細なところに着目した書物が多いように思えます。

キリスト教徒よりキリストの教えを守り、イスラム教徒よりイスラムの教えを実践していると言われたりする日本人は、形を重んじることにかなり注意を向けて過ごしているのが「和」として成り立ちやすいと思いますね。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ございません。

言葉足らずの質問でしたが、意図を汲んでくださってありがとうございます。

愛が人の持つ根底であり、仁は一つの具体的な体現である。また、西洋は感性からスタートし、東洋は形に現れることで明確化される、という個所には、なるほど、とうなづいております。

以前の質問で、西欧の愛情は外向き、日本の愛情は内向き、と教えてくださった方があり、日本人の愛は内向的なのであろうか、と不思議に思ったことでありました。

これは、愛情の受け手の感受性の問題かもしれませんね。
中・韓・日では、無意識のうちに、相手の顔を立てる、という重要項目があり、こちらも、おっしゃるように、形式を重んじる文化の発露かもしれません。

お時間をとって、ご回答いただき、誠にありがとうございました。

お礼日時:2016/06/22 03:32

お礼ありがとうございます。



>以前の質問で、西欧の愛情は外向き、日本の愛情は内向き、と教えてくださった方があり、日本人の愛は内向的なのであろうか、と不思議に思ったことでありました。

アメリカは、寄付やボランティアが盛んですよね。
匿名の寄付をする人も居ますよね。
日本人は、そう言うことと同じで、相手が知ろうが知るまいが
相手が気がつこうが気がつくまいが、日常の動きが匿名が多いのです。

家の前の公道を掃除や草むしりから、仕事で誠実に物を作ったり
日常化して当たり前の行動が、大袈裟やアピールを含めなくても日々粛々と行われます。
自分に誠実だと言うのは、内向きと捉えることもできますね。

自分に誠実で自分を裏切らないのは、大切だと思います。
他国に比べたら、やってる人や やっている回数は多い。
有名なのは、イチロー選手ですよね。

全員が厳格にできなくても、形に囚われず素直に気軽にやっていけるといいですね。
厳格さに囚われている人ほど、行動は起こしませんから。

ciaopolpo2さんは、最近の日本をご存じ無いかもしれませんが
「やらなくていい」とする逃げの傾向には危惧しています。
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この回答へのお礼

優れた日本の伝統をそのまま人間の形にしたら、イチロー選手になった、といえましょうか。偉業を成し遂げても、平常心を失わずに、淡々と自分も道を歩み続けてゆかれる姿には、胸をうたれます。毎日の積み重ねが、本当に大切ですね。

インターネットで、日本のニュースを読むように心がけていますが、なかなか、本当のところはわからないようです。報道で見る日本の姿と、実際の日本の暮らしには、大きなギャップがあるように見えます。

お時間をとって、ご回答くださり、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/23 23:47

この質問に回答出来る知識ないので、これを機会に少し勉強しますが、質問の中には“311の震災の際、アメリカ軍のが総出で敢行したトモダチ作戦”は日本人にとっては偽善的行為に思えるのだろうか?と言った疑問も含まれているのではと受け止めて、この事についての考えです。



日本人にとっての“偽善”はたぶん自他共に個人の行為に対してだろう、と思っています。
組織上の善的な活動に対しては、突出した出来事でも起きない限りは個人としての価値観?を当てはめて評価するという発想はないかもしれません。

西洋式活動は日本人の不得意なことかも知れず、だから、、、上手く言えませんが神聖で侵せない、見たいな思いを持って居るように感じていますが?
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この回答へのお礼

お礼が遅れまして、申し訳ありません。

そうですね。日本人=私を含めた東洋人の愛情は、内向きであり、西欧のそれは外向きである、とのご回答をいただいて、もしそうであるとすれば、意思の疎通は難しいことになる、と、考えながらの質問でした。

単なる親切から出た行動が、偽善と受け取られるのは、これは、受け取るほうに問題があるようにも思えました。他人の善意の受け取り方の上手、下手ですね。

日本人が”愛”といった場合に、それは、西欧人のキリスト教ベースの愛と同じ意味で、同じ性質のものであるか、というのも、疑問でした。

全く同じである、というご回答もあり、私としては、そう信じたいと思います。

お時間をとって、ご回答いただき、本当に、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/22 03:41

仁と愛とは、東洋と西洋の文化の違いで、表現する際には違いは


あると思いますが、人間の普遍的(と信じます)精神の一つである
「他を慈しむ心」を呼び起こす言葉であるという意味から、同一
のものと理解していいと考えています。

また、「和」については、社会、世間に対して低い位置「我」を
置いた日本の社会の中ではそれなりの価値はあったと思いますが
現在は個人主義的感覚が強く、かなり混とんとしているように見
えます。
現在の社会こそ、和ではなく徳がものをいうのではないでしょう
か?
徳とは個人の力ですので、和と徳はかなり違うと思います。
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この回答へのお礼

わかりやすく、簡潔にまとめてくださって、ありがとうございます。

仁と愛の出どころは同じものかどうか、というのが、素朴な疑問でした。人をいつくしむ心は世界共通とのお教え、心の拠り所になります。

”和”については、”人様にご迷惑をかけないこと”だと理解していました。最近は、通勤電車の中でお化粧をしたり、カップラーメンを食べたりする人もいるらしく、確かに、混乱があるように思われます。

また、仁の徳に戻るのか、あるいは、和を基本としながらも、一歩踏み出した新しい日本の愛が生まれるのか、興味が持たれます。

お礼が遅れまして、大変申し訳ございませんでした。
ご回答いただきまして、誠にありがとうございました。

お礼日時:2016/06/22 02:19

日本人


① (お金に関わる)都合が良ければ声高らかに主義・意思を歌うが、その後に(お金に関わる)都合が悪くなると引っ込める。
② ほめられて喜びで励んで習得できるのは自堕落以外にひとつとして無い。
③ あきらめて汚れた人が世を徘徊して知らぬ者がそれに習う。
③ お金偏重の心が豊かでない日本人を痛めつけ、日本人の愛国者、国粋主義者を産み日本人の凶となって他の日本人を蹂躙してその心を破壊する。
④ きちがいかきちがいよりの馬鹿がほとんどといえるほどに多くなった。その人が正気を知らない、周りに正気がいない。どうにもならない。
⑤ 解釈自由の自由きちがい。
⑥ あいまい、いいかげん、でまかせを持ってその主義とする。その主義で持って欲を通す。
⑦ サイコ・ファンタジー。意味はありもしないことにキラキラ・生き生き・いい気持ち。
⑧ 自分良ければ良し。都合が悪くなると人を蹴り倒す、蹴り殺す。
⑨ 外見と、金。
⑩ 人を喜ばす言葉を発するが心には無い。

昔の和の心はアミニズムから発生・形成されたものと思われる。また、この言は昔から述べられているもの。
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この回答へのお礼

わかりやすく、箇条書きでご回答いただき、ありがとうございます。

ヤフー・ジャパンの記事を読むことが多いのですが、ひとつ事件が起きると、それをあちこちの角度からとらえた記事が立て続けに並びますね。ジョニー・ディップの離婚記事が、十件以上並んだのには、ビックリしました。そんなマスコミの良識のなさを、目の当たりにする限り、一から十まで挙げてくださった、日本人の残念な点は、いちいちツボにはまっているように思われます。

けれども、回答者さんのように、(外見と金に集約される)軽佻浮薄な風潮を厭うお方が、実は多数おられるのではないか、と、信じている私です。

清廉潔白で、質実剛健を好む心が、まだどこかに残っていることを信じて、この質問をたてたように感じます。

ご回答、誠にありがとうございました。

お礼日時:2016/06/22 02:09

こんにちは。



倫理規範としての――律法の・神を愛すべし;隣人を愛せなどなど
の――≪文字≫はころし 霊は生かす。

という問題が 西洋の愛にはつきまといますね。



それに対して:
★ 日本の和の心
☆ については ≪クウキはころし 霊は生かす≫というふうに言い
換えられますまいか?

≪クウキ≫は ちょっと見では あたかも≪霊≫のごとく作用している
かも知れず 微妙な問題があるかも分かりませんが。



★ 東洋の仁
☆ よさそうなのですが・そして確かによいとして日本人もこれを
とうとんでいた歴史がありますが なにぶんこの思想は 身分制の
問題が問題となる。のではないでしょうか。

つまり いまでは コンフーシアニズムは 古墳に葬った無用の長
物だと考えます。

それともその霊――つまりこの場合は基本の精神――には なおよ
き内容がありましょうか どうでしょうか。


もっとも≪文字はころし 霊は生かす≫というときの霊は 人間の
精神にはなお修まらないナゾのチカラなのでしょうが。
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この回答へのお礼

躓きの石となるご回答ありがとうございます。

なるほど、日本では、儒教のかけらも残っていませんか。不必要になってしまったとお考えですね。

日本でいうところの”空気が読める・読めない”というのは、仁の徳とは関係ないように見えます。空気というのは、集団心理になりますか。

文字は殺し、霊は生かす。。。律法にがんじがらめになった人間の精神活動が弱ってしまったとき、愛の教えが与えられて、再生の機会が与えられたようです。この場合は、やはり、”霊”は神の愛なのでしょう。

基本の精神を、霊と呼ぶならば、私たち一人一人が、生まれつきの形質を鍛え上げ、磨き上げてゆく、その原動力もやはり、生まれたときに与えられていて、それが人生を左右してゆくように思われます。

考えがまとまらず、未熟なお礼になりましたが、ご勘弁ください。
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/21 02:57

日本人(あるいは儒教的な集団主義)における仁は、


滅私奉公的に自我を抑え権威に従うものなのに対し、
西欧的な博愛は、大陸的強い自我✖遊牧文化による
強いエゴに対して、宗教的モラル(+死後の裁きコミ)
=主義主張としての奉仕(滅私ではない)を付与する
ものです。
(ゆえに他に対して押し付けがましく宣教しようとする)
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この回答へのお礼

お礼が遅れまして、大変申し訳ございません。

滅私奉公、というのは、時代遅れな気もしますが、まだまだ日本社会では健在な考え方でしょうか。謙譲の心、というか、譲る心、と申しましょうか。
主義主張としての奉仕、というのは、これは、よくわかります。

宣教活動は、聖書に、キリストの最後の言葉として、”私の教えを世界の果てまで、最後の一人まで、伝えるように”とあり、宗派によっては、本当に強調されています。刑務所や病院にまで、聖書片手で出かけますので。

そういえば、ダライ・ラマ氏は、住んでいる場所により、そこに適した生き方や信条があるので、海を越えての布教活動はするべきではない、とおっしゃておいででした。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/21 02:26

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